企画に当たって
日本研究の灯を絶やさないために
日本専門家の減少は国益を損なう
谷口将紀
NIRA総合研究開発機構理事/東京大学大学院法学政治学研究科教授
- KEYWORDS
海外の日本研究者の減少、中国に押される日本研究、海外の日本研究者への長期的な支援、アカデミックポストの提供、優れた研究成果の海外向け発信、英語論文・著書の作成支援、日本ベースの国際学術誌編集支援
2019年の訪日外国人旅行者数は3,188万人と7年連続で過去最高を更新した。2003年と比べて6倍を超える成長ぶりである。同年には、出国日本人数も初めて2,000万人を突破した。その後、新型コロナウイルス感染症の流行に伴う入国制限措置や入国後の行動制限措置のため、現在の出入国者数は急激に落ち込んだが、ビジネスにせよ、観光にせよ、日本が持つ魅力自体が損なわれたわけではない。感染症の流行が収まり、旅行者数が回復するまでには時間を要するかもしれないが、やがてトンネルを抜ければ海外との往来は旧に復するだろうし、東京五輪・パラリンピックはそのためのスプリングボードになるはずだ。
海外における日本研究者の減少
しかし、このような一般の外国人の日本に対する関心の長期的な高まりとはうらはらに、停滞が深刻化していることがある。海外における日本研究、特に政治学・国際関係や経済学など社会科学における日本研究者の減少である。
例えば、新聞やテレビに登場し、日本の政治・外交・経済などについてコメントする欧米の識者を思い浮かべていただきたい。長年同じような顔ぶれであることに気付くはずだ。それだけ当該人物の洞察力が秀でていることの証左でもあろうが、同時に後進が十分育っていないことの表れでもある。
アメリカにおける日本研究の一大拠点であるハーバード大学で、今年から日米関係プログラム所長に就いたクリスティーナ・デイビス教授は、1990年代初頭には一流大学ならば日本研究を専門とした教授や大学院生が少なくとも1人はいたところが、今や日本だけを専門に研究している大学院生はほとんどいないと嘆く。このことは、日本への広い見識をもつアメリカの政治エリートが減ることにつながる。
今秋の米大統領選候補に内定したバイデン前副大統領は、Foreign Affairs誌で外交政策を発表したが、その論文中に中国は13回(批判的な文脈ではあったが)も登場したのに対し、日本への言及は、オーストラリア・韓国とともに列挙された1回にとどまった。これに象徴される日本への関心の薄さは、日中間の政治体制や経済力の違いだけには帰せられまい。
アメリカやヨーロッパ大陸と比べて日本研究の基盤が強いとされるイギリスにおいても、ウォーリック大学のクリストファー・ヒューズ副学長によれば、日本研究を専門にする研究センターが少なくなったり、博士課程・研究者への橋渡しの役割を持つ修士学生の減少が顕著になったりしている。日本政府の海外戦略がカルチャーの宣伝に偏っているという同氏の警告は重い。
中国に押される日本研究という構図は、韓国でも同様だ。日本研究を専門とする学生は、ソウル大学などの一流大学には一定数いるものの、地方大学ではほとんど関心がなく、またアジア諸国の日本研究に対する日本からの資金提供も、欧米諸国に対するものから劣後しているというのが、ソウル大学元日本研究所長の朴喆煕教授の見立てだ。
日本研究を支えるために、積極的な支援を
海外における日本研究を支えるため、日本国内における日本研究にもやるべきことがある。北米の大学生・大学院生などを対象に、横浜で中・上級日本語の集中教育を行っているアメリカ・カナダ大学連合日本研究センターのブルース・バートン所長は、世界の学者に取り上げられる価値のある優れた日本研究は多く存在するのに、英語で発信しないために影響力を持てないと問題点を指摘する。
同じく、マックス・ウェーバー財団ドイツ海外人文科学研究所の一機関として、東京を拠点に活動するドイツ日本研究所のフランツ・ヴァルデンベルガー所長は、各種統計や経済データなど、日本に関連するデータはたくさんあるが、公開されている情報は日本語だけのものが多いとデジタル基盤の整備を説く。
多岐にわたる5氏の提言の中でも、海外における日本研究の灯を絶やさないために、筆者がとりわけ重要だと感じたのは以下の2点である。第1に、海外における日本研究者に対する長期的な支援。端的に言えばアカデミックポストの提供である。日本留学や短期渡航助成にとどまらず、寄付講座や寄付研究部門を充実させて、大学院生や若手研究者が将来の心配なく良質の日本研究に打ち込める環境を整備することが必要である。
5人の識者の意見 海外での日本研究を発展させるために、何が必要なのか
第2は、日本国内での優れた研究成果の海外向け発信の支援である。英語論文・著書の作成支援はもちろんのこと、研究関心の存在被拘束性が強い人文・社会科学―例えば、筆者が専門とする現代日本政治論では、海外向けに論文を作成するときには、米国中心の研究関心に合わせたり、統計・数理的な研究方法論を前面に出したりと、日本語で物を書くときとは異なるギアチェンジが必要になる―では、日本語で書かれた本そのものを翻訳―日本で英語版を売れないから、市場任せでは出版社は消極的―したり、日本ベースの国際学術誌編集を支援することもあって良い。
各国で日本研究の孤塁を守る、5人のリーダーの切実な声に耳を傾けたい。