行動変容支援技術分野の技術戦略策定に向けて
-ヘルスケア領域における行動変容支援-113はじめに........................................................................................2
1 章 実現したい将来像と解決すべき社会課題.......................3
1-1 将来像と解決すべき社会課題の定義 ...............................3
1-2 解決・実現のための方法...................................................5
1-3 行動変容支援が活用されるユースケースと必要技術 ....8
1-4 環境分析とベンチマーキング........................................ 12
2 章 解決・実現手段の候補................................................... 15
2-1 分析から得られた実現手段の候補 ................................ 15
2-2 行動変容支援分野における技術動向 ............................ 21
2-3 技術開発の方向性 ........................................................... 23
3 章 おわりに.......................................................................... 25
2023 年 6 月 2はじめに
『第 6 期科学技術・イノベーション基本計画』において、「サイバー空間とフィジカル
空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する
人間中心の社会」である Society 5.01
をより具体化した、「一人ひとりが多様な幸せ
(well-being)を実現できる社会」の実現が、我が国が目指すべき方向性として示され
ている2
。その社会像の実現に向け、様々な課題を解決し、量的な成長から質的に豊
かな社会を実現するために、テクノロジーの果たすべき役割はさらに重要になってい
る。
本レポートでは、このような社会像を実現するために必要な技術として、自律的な
行動変容を支援するテクノロジーを対象とし、技術開発に関して検討した結果をまと
めた。1Society 5.0 とは(内閣府) https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/index.html2〔第 6 期〕科学技術イノベーション基本計画(内閣府、2021)
https://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/6honbun.pdf 31 章 実現したい将来像と解決すべき社会課題
1-1 将来像と解決すべき社会課題の定義
2021 年 3 月に閣議決定された『第 6 期科学技術・イノベーション基本計画』におい
て、我が国がイノベーションを通じて目指すべき方向性として、「国民の安全と安心を
確保する持続可能で強靱な社会」と「一人ひとりが多様な幸せ(well-being)を実現で
きる社会」が示されている。特に後者の実現に向けては、経済的な豊かさの拡大だけ
ではなく、精神面も含めた質的な豊かさを高めることが必要である。多くの人々が人
生 100 年時代に健やかで充実した人生を送るため、健康寿命の延伸だけでなく、何
歳になっても社会と主体的に関われるようになることが求められている。Well-being と
は、世界保健機関(WHO)憲章の前文による健康の定義において、「健康とは、病気
ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会
的にも、すべてが満たされた状態〔Well-being〕にあること」(日本 WHO 協会訳)として
使われたことによって広まった概念である3
。狭い意味での心身の健康のみを指すも
のではなく、広義の健康概念を指しており、より幅広い人の QOL(Quality of life:生活
の質)や幸福を示す概念として使われている。
また、国連総会で採択された、持続可能な開発のための 17 の国際目標である
SDGs では、人間社会をより暮らしやすい社会にするための目標として、「すべての人
に健康と福祉を」、「質の高い教育をみんなに」が示され、持続可能な社会を成し遂げ
るために必要な目標として、「働きがいも経済成長も」、「産業と技術革新の基盤をつ
くろう」が示されており4
、これらは、「一人ひとりが多様な幸せ(well-being)を実現でき
る社会」に向けた目標と符合しているといえる。
TSC Foresight 将来像レポート「イノベーションの先に目指すべき『豊かな未来』」
(NEDO、2021)5
では、豊かな未来の実現に向けて、大切にすべき価値軸や実現すべ
き社会像を示した(図 1)。その中で、今後大切にすべき価値軸として、「健康で安定な
生活の実現」、「自分らしい生き方の実現」、そこから、実現すべき社会像として、「誰
もが潜在能力を発揮し自己の理想を実現できる社会」、「誰もが無理なく働き続けら
れる社会」、「誰もが健康で食事に困らない社会」、「多様性を認め合える全員参加型
社会」、「快適で活力に満ちた社会」を示しており、いずれも「一人ひとりが多様な幸せ
(well-being)を実現できる社会」に関連する将来像を提示している。3世界保健機関(WHO)憲章とは(日本 WHO 協会)https://japan-who.or.jp/about/who-what/charter/4持続可能な開発目標(SDGs)とは(国際連合広報センター
https://www.unic.or.jp/activities/economic_social_development/sustainable_development/2030agenda/5
https://www.nedo.go.jp/content/100934289.pdf 4さらに、TSC Foresight 短信「ウェルビーイング社会の実現に貢献するマテリアル技
術」(NEDO、2020)6
においてはマテリアル技術に注目し、Well-being へ人々の関心が
集まっており、Well-being の促進に貢献する、人体・感覚情報を活用するマテリアル
技術への期待が高まっていること、Well-being 促進とレジリエンス強化につながるマ
テリアル技術として、インフラ用途の構造材料等において複合化やリサイクルなどの
新たなレジリエンス価値を有する材料の開発を進めることによって、個人やコミュニテ
ィとマテリアル製造業が様々な社会課題の共創的解決へ向かうインセンティブとなり、
結果として SDGs や Society 5.0 の目標課題達成につながっていくことを示した。
図 1 将来像レポート「イノベーションの先に目指すべき『豊かな未来』」
で示した実現すべき 12 の社会像
このように様々な目指すべき将来像に関連している「一人ひとりが多様な幸せ
(well-being)を実現できる社会」の実現に向けては、科学技術をどのように活用して
課題を解決していくかが重要である。一人ひとりが多様な Well-being を促進すること
とは、自律的に一人ひとりが行動し、年齢や様々な障害などの有無に関わらず、心身
に潜在している能力を生涯にわたって思う存分活かすことができる状態の実現であり、
創造力を発揮し、精神的な豊かさを実感できることである。Well-being には自分らしい
生き方を実現することや、働きがいがあり、同時に社会として経済成長するような産
業の創成を達成することも重要な要素である。6https://www.nedo.go.jp/library/ZZNA_100047.html 51-2 解決・実現のための方法
1-1 節で示した将来像実現のためには様々な方策が考えられる。その一つは、人
文科学知の活用による Well-being の実現である。例えば、法制度の活用(労働安全
法制など)、社会制度の活用(働き方改革、社会保障制度など)などがある。一方、自
然科学知の活用による Well-being の実現として、医学的方法、工学的方法、環境デ
ザイン的方法などがある。本レポートではテクノロジーを活用した Well-being 促進の
観点から、自然科学知の活用に関して検討を行った。
自然科学知の活用による Well-being の実現手法としては、以下の三つの方法が挙
げられる。
1 製薬・バイオテクノロジーなどによる医学的方法
医療技術の向上、感染症ワクチンなど、病気の克服や肉体的・精神的に健康
への寄与から一人ひとりの Well-being を促進
2 ICT 技術で構成されたシステムを用いた工学的方法
ICT 技術や材料技術などを活用し、誰でも不自由なく日常活動でき、一人ひとり
の能力・モチベーションを向上させ、心身共に健康で活動できる状態を通して
Well-being を促進
3 人々が選択・意思決定・行動する際の環境を活用した環境デザイン的方法
ナッジ・環境改善・都市デザイン等を活用し、安全・安心・快適な空間環境の確
保・実現から一人ひとりの Well-being を促進
これらの解決方法の取り組みは、それぞれ独立して進められるものではなく、課題
解決のために相互に関連・連携していくべきものであるが、ICT や材料・デバイス技術
を活用したシステムを構築することができれば、一人ひとりの Well-being の支援・促
進を実現するとともに、新たなサービスを幅広い領域に社会実装することができ、日
本の産業競争力向上等にも資すると期待できる。したがって、以降は工学的方法を
中心に検討することとした。
一人ひとりの Well-being を促進するためには、一人ひとり自ら Well-being 促進にむ
けその行動を変えていく、行動変容が必要である。人が自らの行動を変えるべく、何
かの行動を起こすモチベーションとして、「自律性」、「有能感」、「関係性」が重要であ
るといわれている。自律性とは、自分の行動の結果は自分の意図によるものだと思
えること、有能感とは自分には課題解決能力があると自ら信じられること、関係性と
は人とのつながりを感じられることである。このなかでも、特に「自律性」の欲求が重 6要だとされている7
。自律性を重視し、自ら決定したという気持ちが強い場合は、何か
を行うときのモチベーションも強くなる。自身の行動を自己決定して変えていくことで、
一人ひとりの Well-being も向上していく。そのため、自律的な行動変容をテクノロジー
で支援することにより、効果的に Well-being を促進することができると考えられる。
図 2 に工学的手法による自律的な行動変容支援の概要を示す。ヒト8
の内部状態
(感情などは)は、取り巻く環境要因・外部要因・人的内部要因などの影響を受けて変
化するが、その内部状態によって誘起される行動や身体・生体反応などをセンシング
し、その情報をもとにヒトの内部状態の推定を行う。つぎに、その内部状態の推定を
基に何らかの気づきや感情誘起など促す外部刺激を直接ヒトに提示することで、人
が自律的に行動することを支援する。その結果、自律的行動変容が実現されるという
ものである。
図 2 工学的手法による自律的な行動変容支援の概要
ヒトが行動を自律的に行ったと認識する上で、身体を通して外界環境から刺激を得
る「身体性」と、自分が主体的に行動していると感じる「行為主体感」が重要な役割を
担っている9。身体性とは、意識と外界の環境と相互作用を持つ身体は不可分に関係しており、
深いレベルで結び付けられていることを指す。ここで重要になる、自己の身体部位に7Ryan, Richard M. and Deci, Edward L. Self-determination theory: Basic psychological needs in
motivation, development, and wellness. The Guilford Press, 2017.8「ヒト」とは生物学上の種としての存在を指す。9雨宮智浩. サイバー空間と実空間をつなぐ身体性と身体認知. 心理学評論. 2016, vol. 59, no. 3, p.
324-329. 7関してそれが自己の一部であると感じる感覚は「身体所有感」と呼ばれ、視覚や体性
感覚から得られた情報を時空間的な整合性により生じる感覚である。
行為主体感とは、意識と身体を持った行為者が自分で何かを行うことのできる能力
のことである。行為主体感は運動主体感とも呼ばれ、観察される運動を引き起こして
いるのは他の誰でもない自分であるという感覚のことである。
身体所有感と行為主体感は、視覚や聴覚を主体とする言語中心の従来の情報入
出力に加え、五感をマルチモーダルに活用し、多感覚情報を適切に情報提示(フィー
ドバック)することにより作り出すことができる。これを活用して、変化を促す外部刺激
を適切に提示することにより、人が自らの意思で新たな行動を起こしたと意識すること
が、自律的な行動変容を工学的手法で支援するために必要になる。 81-3 行動変容支援が活用されるユースケースと必要技術
1-1 節で示した将来像実現に向けて、人のどういった行動が変容すれば一人ひとり
の Well-being が促進されるか、そのユースケースを明らかにすることが重要になる。
1-2 節で示した工学的手法による自律的な行動変容支援が活用されるユースケース
を、文献調査、有識者ヒアリングの結果を基に抽出した。その際、以下の 4 項目を考
慮した。
1 人の行動に関わるシーンとシナリオで生じる課題を解決するための行動変容の
在り方がデザインできるか。
2 行動変容を構成する、センシング・情報の分析処理・フィードバックによって、課
題が解決できるか。
3 行動変容を支援するシステムを構成する材料・デバイス技術の開発ニーズがあ
るか。
4 行動変容支援システムによってサービスの提供が可能か。
また、ユースケースを抽出するためには、人の行動変容のメカニズムを理解する必
要がある。このメカニズムについて、参照すべき代表的なモデルとして下記の四つが
知られている。
1. マズローの欲求五段階説10
:欲求には生理的欲求、安全欲求、親和欲求、承
認欲求、自己実現欲求の五つがあり、より低位の欲求が満たされることで、上
位の欲求が生まれてくる。
2. 行動変容ステージモデル11
:人の行動変容は、無関心期、関心期、準備期、実
行期、維持期の五つのステージを経る。人がどのステージにいるかを把握し、
そのステージに合わせた働きかけが必要。
3. 二重過程理論12
:ヒトは、システム 1(直感・感情の心理)とシステム 2(熟慮の心
理)の二つのモードで思考を処理している。ヒトが扱える情報量は制限されて
いるため、日常はシステム 1 で行動している。自律的な行動には、システム 2
が必要。10Maslow, A. H. Motivation and Personality. Harper&Row, 1954.11Prochaska, J. O.; DiClemente, C. C. Stage and processes of self-change of smoking: toward an
integrative model of change. Journal of Consulting and Clinical Psychology. 1983, 51, p. 390-395.12Stanovich, K. E.; West, R. F. Individual difference in reasoning: Implications for the rationality
debate? Behavioral and Brain Sciences. 2000, vol. 23, no.5 p. 645-726. 94. Fogg Behavior モデル13
:「行動(Behavior)」に至るには、「動機(Motivation)」と
「実行能力(Ability)」があるタイミングで、「刺激、促進(Prompt)」がなければな
らない。定式的には Behavior = ×ばつP と表記される。
1-2 節で述べた人が自らの行動を変えるため何かの行動を起こすために重要な身
体性・行為主体感と、上記四つの行動変容モデルで重要なヒトの欲求や関心・認知・
モチベーション・能力などの観点を考慮して、本レポートで検討対象とするユースケー
スを抽出した。さらに、各ユースケースに対して必要になる行動変容支援技術を紐づ
けて表 1 に整理した。表には、ハンディキャップのある人の支援や高齢者の歩行・移
動支援といった日常活動支援、熱中症予防や作業時の動作の改善など労働災害対
策、うつや睡眠障害など心身の健康改善支援、スポーツのけが防止やコーチング、
脳・心や身体のパフォーマンス向上、オフィス空間のデザイン、及び、車内空間のデ
ザインによる人間の能力拡張支援などのユースケースを示しているが、それぞれ、行
動変容支援技術が必要であることが確認できる。
表 1 検討したユースケースと必要とされる技術13Fogg, B. J. "A behavior model for persuasive design". Proceedings of Persuasive '09: the 4th
International Conference on Persuasive Technology. Claremont, CA, USA, 2009-04, article no. 40, p.1-7. 10
これらのユースケースについて Fogg Behavior モデルを参考に、横軸を「能力」、縦
軸を「モチベーション、プロンプト」として整理した(図 3)。横軸の「能力」は、左側が、
何か行動を起こす能力が欠損しており、欠損した能力を補完しないと、行動が起こせ
ない状態を示している。中央部分はそもそも能力を備えているが、一時的な阻害要因
により持っている能力を一時的に喪失し、発揮できないような状態になっている場合
を示している。一方右側は、もともと自然にヒトとして持っていない機能を何らかの手
段により拡張していく状態を表している。縦軸の「モチベーション、プロンプト」は、モチ
ベーション向上のための気づきの提示方法で分類した。上側は、人に何らかの気づ
きを直接的に情報提示(フィードバック)することで、人的要因に働きかけて行動変容
を直接的に支援するユースケースである。一方下側は、人を取り巻く環境に情報提示
して環境的要因を制御することで、人の行動変容を間接的に支援するユースケース
を示した。
図 3 ユースケースの分類
図 3 に示した様々な領域ですでに行動変容に関わるニーズが顕在化しつつあり、
実際にこういった社会課題の解決に取り組む企業も国内外共に増加している。特に
能力が欠損している人を対象とする介護やヘルスケアの領域(図 3 の赤囲み:高齢
者・ハンディキャップのある人・傷病者へのサービス提供)は、ユーザーペインが最も
顕在化しているユースケースである。例えば高齢者においては、「フレイル」と称され
るユーザーペインが顕在化している。フレイルとは、健康な状態と要介護状態の中間
に位置し、身体機能や認知機能の低下がみられる状態のことであり、日本人高齢者
(65 歳以上)において、フレイルの方が 8.7%、プレフレイルの方が 40.8%存在してお 11り、今後改善が望まれる14
。このようにまずはユーザーペインが顕在化しているヘルス
ケア領域で、行動支援技術を開発しその成果を社会実装した成功事例を示していくこ
とが望まれる。さらに、そこで得られた成果を活用して適用領域を拡大し、様々なサー
ビスを展開することで、一人ひとりの Well-being の促進が期待できる。14Murayama, H. et al. "National prevalence of frailty in the older Japanese population: Findings from
a nationally representative survey." Archives of Gerontology and Geriatrics. 2020, 91. 121-4 環境分析とベンチマーキング
1-4-1 Well-being 及び行動変容促進に関する政策動向
Well-being 促進にむけた英国、ニュージーランド、ノルウェーなどの政策を表 2 に示
す。生活満足度、やりがい、幸福感など個人としての Well-being の心持ちや、人間関
係、健康、活動、教育、技術などの状況が重要であることが指摘されている。また、行
動変容に着目すると、日本では、『成長戦略フォローアップ』、『統合イノベーション戦
略 2022』において検討されておりナッジを含む行動変容支援技術は「BI-Tech」と呼ば
れている。BI-Tech とは行動インサイトと IoT/AI など先進技術を融合した技術である。
行動科学や社会科学などの実証的な研究を基に、ヒトがどのような選択を行うかにつ
いて洞察し、行動変容に活用している。
表 2 Well-being 促進に向けた各国の政策 13表 3 に主な日本の政策を示す。これまで日本では、主な目的として低炭素型の行
動変容を促すものが多かったが、このレポートでは、先のユースケースの分析によ
り、ユーザーペインが顕在化しているヘルスケア分野に新たに着目し分析を進める。
表 3 行動変容促進に向けた日本の政策
出所:伊原克将「ナッジが世界の公共政策に与えた社会的インパクトとは」
(EY Japan、2020)15
を基に技術戦略研究センター作成15https://www.ey.com/ja_jp/consulting/what-has-been-the-social-impact-of-nudge-on-global-
public-policy 141-4-2 行動変容支援技術分野に関連する市場動向
行動変容に関連する市場の代表的なものであるヘルスケア領域の中で、「Digital
Health」に関わる世界市場は、調査会社の予測で、いずれも CAGR(年平均成長率)
で 15〜18%の見込みであり、2030 年には少なくとも 3,000 億米ドル(34.3 兆円)の市
場規模となると予測16
されている。同様に、「Wearable Healthcare Device」の世界市場
も、CAGR:18〜24%の成長見込みであり、2030 年には少なくとも 670 億米ドル(7.7 兆
円)の市場規模となると予測17
されている。表 4 に示すように、Google や Apple のよう
な BigTech では、自前のプラットフォームをベースに、ヘルスケア領域への投資を拡
大している。
表 4 Big Tech のヘルスケア分野への参入状況16https://www.grandviewresearch.com/industry-analysis/digital-health-market
https://www.expertmarketresearch.com/reports/digital-health-market
https://www.gminsights.com/industry-analysis/digital-health-market
https://www.alliedmarketresearch.com/digital-health-market-A10934 など複数の市場規模予測を基
に NEDO 技術戦略研究センターで試算。17https://www.psmarketresearch.com/market-analysis/wearable-medical-devices-market
https://www.researchandmarkets.com/reports/5321392/wearable-medical-devices-global-market-
report
https://www.marketsandmarkets.com/Market-Reports/wearable-medical-device-market-
81753973.html
https://www.gminsights.com/industry-analysis/wearable-medical-devices-market など複数の市場規
模予測を基に NEDO 技術戦略研究センターで試算。 152 章 解決・実現手段の候補
1 章では、「一人ひとりが多様な幸せ(well-being)を実現できる社会」として期待さ
れる社会像の例を示し、その実現に向け、自律的な行動変容が重要であることと、行
動変容支援の活用が期待されるユースケースを示した。自律的な行動変容を支援す
るシステムには、ヒトの内部状態(感情など)や、その内部状態によって誘起される行
動や身体・生体反応などを検知するセンシング技術、その情報をもとにヒトの内部状
態を推定する分析・処理技術、及び、その情報を基に何らかの気づきや感情誘起な
どヒトの行動の自律的変化を促す外部刺激を直接ヒトに提示する情報提示技術など
が必要になる。本章では、自律的な行動変容の支援に必要とされる実現手段の候補、
その現状と課題を示す。
2-1 分析から得られた実現手段の候補
2-1-1 行動変容支援システムの全体構成
図 4 に行動変容を促進する支援システムの全体構成例を示す。人体における運動
制御は、感覚器で受けた刺激が脳によって知覚・認知され、脳内での意思決定を経
て発せられた運動の指示が運動器に伝達され、運動器である筋肉が収縮することで
達成される。さらに、その結果を新たな刺激として感覚器が受けることで、運動が継
続され、このような繰り返しとして運動制御サイクルが構成される。こうした人体にお
ける感覚器から脳、脳から筋骨格への伝達やそれらを通じた運動制御サイクルに対
して、脳波や筋電等の生体信号や運動結果をセンシングすること、そして、その結果
に基づいて振動等の触覚刺激、筋電気刺激や外骨格などによる感覚器や運動器へ
の情報提示(フィードバック)を行うこと、といった工学的な介入によって、運動状況の
把握と改善を行う。生体情報、運動情報はリアルタイムでセンシングされるデータであ
り、これらの情報を、分析・処理することでヒトに情報提示する刺激を生成する。その
際に、過去の自身の運動、他者の行動、属性、心理、認知状態などからなるディープ
データを参照して情報提示(フィードバック)の内容を個別に最適化できれば、一人ひ
とりにとって適切な介入が可能となる。ここで、ディープデータとは、特定の目的のた
めに、複雑な因果関係から確実な事象を導出可能なデータのことであり、本目的のた
めに構成したディープデータを参照することができるようになれば、自分自身の日常
動作や各種技能における運動機能などをより良く自律的に制御することが可能にな
り、効果的な訓練やリハビリなどへの応用が期待される。 16図 4 行動変容支援システム技術の全体構成例
出所:文献18
を基に NEDO 技術戦略研究センター作成
2-1-2 必要なセンシング技術
人体の状況などのヒトの状態を的確に把握するため、ヒトに関わる情報を適切にセ
ンシングする技術が必要である。ヒトに関わる情報には、表 5 に示すような、その人の
生体信号、属性、心理、認知バイアスなどがある。このうち、生体信号はヒトの即時的
な状態(生理反応、行動反応、主観反応など)を反映したリアル情報であり、属性や
認知バイアスなどはヒトのコンテキストを反映した統計情報である。行動変容支援シ
ステムの実現に向けては、単一項目ではなく、複数の項目を組み合わせたマルチモ
ーダルにセンシングしたデータを、複合的に紐付け、ヒトの状態をより多面的に認識し、
それを活用する必要がある。一方で、リアルデータの取得には多くのセンサーを使う
ことなく、ヒトの負担の少ない、できるだけ簡易的なセンシング技術が求められる。18高橋陸他. 医療健康の未来を拓くバイオニクス技術. NTT 技術ジャーナル. 2021, vol. 33, no. 5
https://journal.ntt.co.jp/article/13545 17表 5 センシング項目
出所:人間情報データベース(NTT データ経営研究所)19
を基に NEDO 技術戦略研究センター作成
表 6 にセンシング技術例と課題をまとめた。現状提案されているデバイスは、使用
環境が限定されていることや、装着感、耐久性、堅牢性、測定信頼性などに課題が残
されている。また、個人に関わる状態のデータは、個人の同意を得て取得する必要が
ある。
表 6 センシング技術例と課題19https://www.nttdata-strategy.com/services/advanced_technology/human_information.html 182-1-3 必要な分析・処理技術
行動変容のための支援・介入の効果には個人差がある。そこで、例えば、介護に
おいて、介護度別の画一的支援から、個人の属性(年齢・性別等)・特性(心理等)に
合わせて最適化された支援に変えることが可能になれば、その効果を最大化するこ
とが期待できる。その実現には、日々刻々と変わる個人の状態に応じて、生理反応
や行動反応、それに加えて感情状態などに関わるデータも取り込んだ分析・処理技
術の開発が必要である。一人ひとりにおける過去の経験などその人が持つ背景・周
囲との関係性や状況などのコンテキスト、MRI や脳波計測など生体信号を用いた認
知・生理機能などからなるディープデータを用い、心身状態(ストレス・モチベーション・
生体の仕組み)や主観的な反応などを反映した個人の特性を推定できるモデル化・
評価技術を開発することで、個人に合わせたよりきめの細かい行動支援が可能にな
る。このような一人ひとりへの個別化は実際には難度が高いため、まず、個人の属
性・生体特性に加えて心理特性データなどを統計解析し、個人をいくつかのグループ
に分類して、それぞれのグループに対して効果的な支援・介入方法を抽出・分析し、
提供するようなやり方が考えられる。この場合、センシングしたリアルデータから、モ
デルを適時・適切に選択し、提供することが必要になる(図 5)。こういったデータの分
析・処理には、例えば、組み合わせ最適化など、現在開発が進んでいる AI や量子技
術といった高度計算資源の活用が有用である。さらに、このような分析・処理技術の
実装を進めることはモデルの効率的活用の技術力を高めることにつながり、そこで培
った技術で他の様々な領域へ適応範囲を拡げていける可能性がある。
図 5 ディープデータを活用した分析・処理技術の概要 192-1-4 必要な情報提示技術
現在 AR、VR などの領域で触覚を活用した情報提示(フィードバック)に関するソリ
ューションが様々提案されている。例えば、難聴者等へ聴力を補完した情報提示、視
聴覚への注意を損なわないような情報提示、騒音・暗環境など特定条件での情報提
示などが提案されている。また、フレキシブルな温冷感付与が可能な材料・デバイス
技術や、温冷感を情報提示する技術なども提案されており、人肌を感じることによる
安心感付与、温冷感による精神安定、冷感の提示による臨場感向上や集中力向上
などが検討されている。このように、五感をマルチモーダルに活用することで、身体
性・行為主体感を高めることができ、より自律的な行動につながることが期待できる。
表 7 に情報提示に関わる技術と課題をまとめた。現状提案されているデバイスに
は、形状や装着性等の技術的課題が残されており、小型、薄型、軽量、柔軟性など
常時使用にも違和感のないスマートなデバイス実現には材料開発の余地がある。プ
ロトタイピングによる実証検証と並行して、実用化のための材料・デバイス開発が重
要になる。
表 7 情報提示技術例と課題 202-1-5 ヒトへの実装に向けて必要な技術
ヒトの状態を理解するための情報を取得するためには、状態をリアルタイムで正確
に計測することが必要になる。また、適切なタイミングで適切なプロンプト(刺激・促進)
を提示することにおいても、リアルタイムで手軽に使用できるようにする技術とそれを
支えるシステム・デバイスが必要で、無装着感、低消費電力かつ長時間計測が可能、
常に正確な計測が可能、といった機能が求められる。こういったシステム・デバイスで
は、実際の使用を想定して、ヒトとセンシングデバイス・フィードバックデバイスの界面
での、良好な機械特性、高耐久性、高粘着性、通気性などを確保することが重要であ
る。加えて、ヒトと接する材料・デバイスには、防水、透湿性、肌への優しさなどが要
求される。さらに、連続的な日常使用を想定した場合、電源の確保のための高性能な
二次電池やエネルギーハーベスティング技術と共に、社会実装のためのシステム・デ
バイスの低コスト化技術が重要になる。こういったヒトへの実装技術には、使う人が安
心して使用できることも重要であり、セキュリティ、安全性に関わるガイドライン・規格
などの検討も重要である。 212-2 行動変容支援分野における技術動向
自律的な行動変容のためには、情報のセンシング、分析処理結果に加えて、リアリ
ティある最適なプロンプトとして情報をヒトに提示する必要があり、情報提示技術が最
も重要と言える。ヒトに情報を提示する手段として、五感と呼ばれる、視覚・聴覚・触
覚・味覚・臭覚を利用することが考えられる。従来ヒトへの情報提示には、色、明るさ、
大きさ、高低などで定量化することが可能な視覚、聴覚が主に使われてきた。一方、
物理量と感覚量の関係など、客観化、定量化が困難な触覚は、情報提示への活用
が進んでいなかったが、よりリアリティを増すため、近年では視覚・聴覚に加えて触覚
を活用する情報提示技術の研究開発が活発になされている20
。ここでは、ヒトへの情
報提示に関して、触覚技術(ハプティクス)を活用した情報提示について、特許及び、
論文の動向を評価した。図 6 に 2010 年から 2019 年までの出願人国籍別の特許出
願件数の年次推移(出願年(優先権主張年))を示す。特許出願件数の年次推移は
2010 年から年々増加していたが、近年若干減少傾向にある。出願件数上位の出願
人国籍(調査期間合計)は、米国(44%)、韓国(15%)、中国(13%)、欧州(13%)、日
本(11%)の順である。
図 6 触覚をヒトに提示する技術に関する出願人国籍別の特許出願件数の年次推移
(出願年(優先権主張年):2010〜2019 年)
出所:Derwent InnovationTM
の検索結果を基に NEDO 技術戦略研究センター作成(2021)20田中由浩. 触覚研究の動向. システム/制御/情報. 2020, vol. 64, no. 5, p. 119-120. 22論文に関しても特許と同様に触覚技術領域の動向を評価した。論文件数の年次推
移は、2019 年まで増加傾向である(図 7)。報告数上位の国籍は、欧州(36.4%)、米
国(22.2%)、中国(14.9%)、日本(11.3%)、韓国(7.5%)の順である。
図 7 触覚をヒトに提示する技術に関する論文件数の年次推移(2010〜2020 年)
出所:Web of ScienceTM
の検索結果を基に NEDO 技術戦略研究センター作成(2021) 232-3 技術開発の方向性
表 8 に各技術の現状と課題をまとめた。センシング技術については、現在 IoT 技術
の活用により、ヒトに関わる各種情報のデジタル化が進展しているが、今後は、個別
のセンシング項目を統合し、紐付けされた複数データを活用する技術開発により、新
しい価値を産み出していく必要がある。分析・処理技術では、進展する AI 等の活用に
より、一人ひとりのコンテキストや生体情報などから人の状態を読み取り推測するシ
ステムの実現が期待されるが、感情などの状態や行動の情報を正確に把握してそれ
を適切に活用することが課題であり、ヒト情報のディープデータ化や簡易情報からの
状態推定技術が必要となる。情報提示技術については、ロボット領域などで、アクチ
ュエータ技術の開発が進んでいるが、人への適用は途上である。今後は、ハプティク
スをはじめとする五感を活用した高度な出力手段の開発が必要になる。その開発に
おいて、人に適合するアクチュエータ素材や、情報提示信号の適正な生成方法を活
用し、身体性と行為主体感を担保するためのリアリティを持った情報提示手法を確立
することが望まれる。
表 8 行動変容に関わる技術の現状と主な課題 24図 8 に行動変容支援のため今後必要とされる技術開発項目をまとめた。センシン
グ、分析・処理、情報提示、実装に関する技術開発を進めるとともに、共通基盤として、
動力源、通信技術などの基盤技術、効果に関わる評価や実証・検証フィールド試験、
感覚量の標準化、規格・標準化、セキュリティ、安全性に関わる国際規格、安全性ガ
イドラインなどの検討も並行して進めることも重要である。また、人の理解に関わる共
通基盤として、認知科学、行動科学、脳科学分野との協働も必要となる。
図 8 行動変容支援に必要とされる技術開発項目 253 章 おわりに
本レポートでは、日本が目指すべき将来の社会像として、「一人ひとりが多様な幸
せ(well-being)を実現できる社会」が望まれていることを示し、その実現に向けて必要
となるテクノロジーを提案した。それは、自律的な行動変容を支援するテクノロジーで
あり、それにより、一人ひとりの Well-being の実現を促進させるものである。近年、行
動変容に関わる様々なニーズが顕在化しつつあり、世界各国においても Well-being
促進にむけて様々な施策が展開されている。市場としても高い成長率が見込まれる
領域である。
行動変容を支援するテクノロジーとしては、下記に挙げる技術群の研究開発が重要
である。
1. 人体の状況など、ヒトの状態を把握するための情報をマルチモーダルにセンシ
ングする技術
2. 情報提示の内容を一人ひとりの個人差に応じて最適化するためのディープデ
ータを活用した分析・処理技術
3. 処理された情報を基に、適切なタイミングで最適なプロンプト(刺激・促進)をフ
ィードバックする技術
4. 上記 1〜3 に共通して必要となる、システムを常時ヒトに実装するための小型
化、薄型化、軽量化、柔軟化などの材料・デバイス技術
今後、これらの技術群を組み合わせて考案される様々なシステムを実装し、サービ
スシステムとして用途を拡大していくためには、システムを早期に構築してデータを収
集する実証実験の場の形成や、ヒトへの適用を円滑に進めるための安全基準やデー
タ管理などのガイドラインの整備が求められる。加えて、日本の強みであるハードウ
エア(材料、デバイス)の技術をサービスシステムの構築に活かしていくためのプラッ
トフォームの形成も重要である。さらに、研究開発の初期段階から、技術の専門家だ
けではなく、事業・金融・政策などに精通した幅広い関係者(マルチステークホルダー)
が参画し、連携していくことも重要である。
技術戦略研究センターレポート
Vol.113
行動変容支援技術分野の技術戦略策定に向けて
2023 年 6 月 16 日発行
TSC Foresight Vol.113 行動変容支援技術分野 作成メンバー
国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構
技術戦略研究センター(TSC)
くろまる本書に関する問い合わせ先
電話 044-520-5150(技術戦略研究センター)
くろまる本書は以下 URL よりダウンロードできます。
https://www.nedo.go.jp/library/foresight.html
本資料は技術戦略研究センターの解釈によるものです。
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引用を行う際は、必ず出典を明記願います。
しかくセンター長 岸本 喜久雄
しかくセンター次長 飯村 亜紀子
しかくナノテクノロジー・材料ユニット
・ユニット長 藤本 辰雄
・研究員 福田 浩章
小野 雄平 (2022 年 3 月まで)
森 孝博 (2022 年 3 月まで)
・フェロー 川合 知二 大阪大学産業科学研究所 招へい教授
北岡 康夫 大阪大学共創機構イノベーション戦略部門 機構長補佐/部門長
井上 貴仁
株式会社 AIST Solutions(アイストソリューションズ)コーディネート事業
本部事業化推進部(兼)プロデュース事業本部事業構想部 コーディネータ
三島 良直 国立研究開発法人日本医療研究開発機構 理事長
しかくデジタルイノベーションユニット
・ユニット長 伊藤 智
・研究員 多田 達也 (2022 年 3 月まで)

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