農研機構

プレスリリース
(研究成果)複数の伝染経路を有する植物病害の発生拡大予測を可能とする数理モデルを開発

- トマトかいよう病などの効果的な防除対策の開発へ -

情報公開日:2024年7月19日 (金曜日)

ポイント

農研機構は、複数の伝染経路を有する植物病害の発生拡大をシミュレーションするための新しい数理モデル"PHLIDモデル(フリッドモデル)"を開発しました。本モデルにより、導入予定の防除対策の効果も予測することができます。本モデルを用いて、トマトの重要病害であるトマトかいよう病の発生拡大と防除対策の効果を予測したところ、実際の発病状況とよく一致しました。本成果は、植物病害の発生拡大を予測し、効果的な防除対策を講じていく上で有効なモデルとなります。

概要

植物に発生する病害は、ヒトや動物の感染症と同じように、カビ、細菌、ウイルス等の病原体により起こります。ヒトの感染症のうち、特にヒトからヒトへ伝染(接触伝染、飛沫伝染)する伝染病では、感染症数理モデルを活用し、感染者の増加をシミュレーションすることが可能です。しかし、植物病害の場合、ヒトの感染症数理モデルをそのまま適用できない問題がありました。

今回、農研機構は、土壌伝染や飛沫伝染などの複数の伝染経路を有する植物病害の発生拡大シミュレーションモデルとして、新しい数理モデル"PHLIDモデル"を開発しました。本モデルは、複数の伝染経路を持つ植物病害の発生拡大を予測するだけでなく、導入予定の防除対策の効果を予測することができます。本モデルを用いることで、これまで予測不可能であったトマトの重要病害であるトマトかいよう病1)の発生拡大と防除対策の効果を予測できるようになりました。

本成果は、植物病害の発生拡大を予測し、効果的な防除対策を講じていくために有効なシミュレーションモデルとなります。本モデルは農業技術指導者や農業生産者が防除対策を選択、実施する際の意思決定モデルとしての活用が期待されます。

関連情報

予算:本研究はJSPS科研費 JP21K05606の助成を受けたものです。

特開2024-029656 「感染拡大予測装置、感染拡大予測方法、およびプログラム」

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開発の社会的背景

植物に発生する病害は、ヒトや動物の伝染病と同じように、カビ、細菌、ウイルスなどの病原体により起こります。新型コロナウイルス感染症や季節性インフルエンザのようなヒトからヒトへ伝染(接触伝染、飛沫伝染)するヒト感染症の場合、公的な保健衛生指導機関では感染拡大防止対策を講ずる上で、感染者数増加のシミュレーションが可能なSEIRモデル2)のような感染症数理モデルを活用して感染者数変動の予測を行ってきました。植物病害においても、発生拡大のシミュレーションを行うことは効果的な防除対策を行うために有用です。しかし、ヒトの感染症数理モデルを植物病害の発生拡大シミュレーションにそのまま適用することは困難でした。

研究の経緯

一般的に、植物病害には様々な伝染経路があることが知られていますが、大きく一次伝染と二次伝染に分けることができます。一次伝染により病原体に感染した植物は、その体内で病原体が増殖します。そして、感染した植物体から病原体が他の健全な植物に二次伝染していくことで、被害が拡大していきます。代表的な一次伝染の経路は、感染した種子(種子伝染)や苗のほ場への持ち込みによる伝染、感染した穂木を台木に接ぎ木することによる伝染(接木伝染)、土壌中の病原体による伝染(土壌伝染)、空気中を漂うカビの胞子と接触することによる空気伝染などです。二次伝染の経路は、発病した植物で形成されたカビの胞子が空気中に放出されることによる空気伝染、農作業等で生産者が発病した植物に接触した後に他の健全な植物に触れることで伝染させる接触伝染、昆虫が病原体を媒介する虫媒伝染、雨や風による飛沫伝染などです。このように複数の伝染経路があるため、防除対策の検討は困難さを増しています。これら複数の伝染経路が植物病害の発生拡大に与える影響と、防除対策を実施した場合の発生拡大防止効果の両方をシミュレーションできるモデルがあれば、植物病害の発生拡大予測に大きく貢献できる技術になると考えました。

研究の内容・意義

①植物病害の発生拡大シミュレーションのための新しい数理モデル"PHLIDモデル"を開発

本モデルの基本構造およびパラメータは図1のとおりです。「一次伝染源となる病原体(Pathogen)」によって一次伝染が起こります。一次伝染により「健全な植物(Healthy)」に病原体が感染して「潜在感染した植物(Latent)」が発生します。そしてその植物が発病して「発病した植物(Infectious)」となり、最終的に「枯死した植物(Diseased)」へと推移します。その過程で、「発病した植物」で増殖した病原体が「健全な植物」に二次伝染します。さらに、植物病害の発生拡大防止として導入される防除対策を「感染制御因子(Control)」と定義するとともに、一次および二次伝染をそれぞれ防止する効果を示すパラメータをモデルに加えることにより、防除効果の予測を可能にします。

本モデルは、これらの感染経路の頭文字から"PHLIDモデル"(フリッドモデル)と名付けました。

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図1 植物病害数理モデル"PHLIDモデル"の構造

②PHLIDモデルを用いたトマトかいよう病の発生拡大シミュレーション

次に、PHLIDモデルを用いて、トマトの重要病害であるトマトかいよう病(図2)の発生拡大についてシミュレーションを行いました。他の植物病害と同様に、トマトかいよう病にも複数の伝染経路があります。ここでは、土壌伝染により一次伝染が起こり、接触伝染により二次伝染が起こるシナリオを想定した条件でシミュレーションを行いました(図3)。シミュレーションの結果、本病に対する防除対策を行わない場合には、感染開始から120日後までに発病して枯死する個体の割合が62%に達することが定量的に示されました。実際のトマト栽培ほ場における本病の発生レベルと比較すると、発病確認から129日後における枯死した個体の割合の平均値が64%であったことから、本モデルのシミュレーション結果とよく一致しており、PHLIDモデルを用いて本病による発病個体の増加をグラフで可視化できることが示されました。

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図2 雨除け栽培で発生したトマトかいよう病の症状
本病は発病すると、まず葉の萎凋(水分が不足してしおれること)から症状が始まり(左の写真)、最終的には植物全体が萎凋して枯死します(右の写真)。
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図3 PHLIDモデルを用いたトマトかいよう病の発生拡大シミュレーション結果(左)と実際の発生の推移(右)との比較
グラフは一つのほ場中の全ての植物個体数(トマト株数)の総数を100%とした場合の、各カテゴリーに含まれる個体数の割合を示しています。左のグラフでは、青色の曲線は健全な植物H、黄色の曲線は潜在感染した植物L、赤色の曲線は発病した植物I、緑色の曲線は枯死した植物Dの個体数の割合を示しています。右のグラフは、7つの異なるほ場での発生調査結果の平均値を示しています。

③PHLIDモデルを用いたトマトかいよう病の防除対策効果のシミュレーション

そして、この本病に対する防除対策の効果をシミュレーションにより評価しました(図4)。その結果、一次伝染防止対策として土壌消毒を行うことで、枯死する個体の割合を45%に下げる効果が示されました。また、二次伝染防止対策として行う剪定ハサミの消毒を行うことで、枯死する個体の割合を8%まで下げる効果が示されました。さらに、両方の対策を実施した場合は、枯死する個体の割合を4%まで下げる効果が示されました。以上より、最も高い防除効果は両方の対策を実施することにより得られますが、特に二次伝染防止対策が有効であることが示されました。

[画像:warc-press_20240719_zu04.jpg]
図4 PHLIDモデルを用いたトマトかいよう病の発生拡大と防除効果のシミュレーション
グラフは一つのほ場中の全ての植物個体数(トマト株数)の総数を100%とした場合の、各カテゴリーに含まれる個体数の割合を示しています。

今後の予定・期待

本モデルにより、複数の伝染経路を有する植物病害に対する防除対策について、個別および組み合わせの効果を定量的に時系列のグラフで可視化することが可能になりました。本モデルは農業技術指導者や農業生産者が防除対策を選択、実施する際の意思決定モデルとしての活用が期待されます。今後は、本モデルの他の植物病害への応用を進めていく予定です。

用語の解説

1) トマトかいよう病
土壌中に生息する植物病原細菌Clavibacter michiganensis subsp. michiganensisによって引き起こされ、果実にかいよう(潰瘍)症状を形成させたり、植物全体を萎凋(水分が不足してしおれること)および枯死させたりする病害です。種子伝染、土壌伝染、飛沫伝染、接触伝染など、複数の伝染経路があり、生産現場にとって大きな経済的被害をもたらす深刻な病害です。[概要へ戻る]

2) SEIRモデル
SEIRモデル(エスイーアイアールモデル)は、ある集団における感染症の拡がりを数式で記述したヒト感染症数理モデルのひとつで、健康な個体(Susceptible)、病原体が潜伏感染している状態で他の個体に伝染させる能力を有しない個体(Exposed)、病原体が感染個体内で増殖し、他者に伝染させる能力を有する個体(Infectious)、発病して隔離、または病気から回復して伝染させる能力を失った個体(Removed)の4者の個体数の増減を表すモデルで、これらの頭文字から命名されています。本モデルは感染者数の増加を時系列でシミュレーションすることが可能で、新型コロナウイルス感染症の流行予測にも活用されました。[開発の社会的背景へ戻る]

発表論文

Akira Kawaguchi, Shoya Kitabayashi, Koji Inoue, Koji Tanina (2023) A PHLID model for tomato bacterial canker predicting on epidemics of the pathogen. Plants 12(11): 2099-2109.

https://doi.org/10.3390/plants12112099
からダウンロード可能

研究担当者の声

[画像:本人の写真]

農研機構西日本農業研究センター
中山間営農研究領域 上級研究員川口 章
新型コロナウイルスの感染拡大シミュレーションモデルとして感染症数理モデルが活用されていた頃から、この手法を植物病害研究にも応用したいと思っていました。モデル構造の構築にはかなり試行錯誤をしましたが、トマト生産上特に問題になっているトマトかいよう病を一つのモデルケースとして、数理モデルのシミュレーション結果と実際の発病拡大のデータの乖離がないように、慎重にパラメータの調整を行ってきました。植物病害の防除対策立案の新しいツールとして活用されるよう、今後も研究を進めていくとともに、農業生産者の皆様のお力になれるように精一杯努めてまいります。

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