未成年期に父母の別居・離婚を経験した
子に関する質的調査研究報告書
令和5年1月
公益社団法人商事法務研究会
は し が き
親が離婚すると、子にとってはどちらか一方の親等と暮らすこととなる等、その生活環境や心
理面など多大な影響を及ぼすこととなる。法制審議会家族法制部会では、離婚後の子の養育に関
して、
父母の関わり方や子の意思を尊重するための規律のあり方などが審議され、
その第 20 回会
議では
「家族法制の見直しに関する中間試案」
が取りまとめられ、
現在、
パブリックコメント
(2022
年 12 月 6 日〜2023 年 2 月 17 日)に付されている。
家族法制度の見直しを検討するには、
上記のように幅広く国民からの意見を募集するとともに、
親の離婚は子に重大な影響を与えることから、実状を把握したうえで議論を進めることが求めら
れる。そこで、法務省より当会が委託を受けて取りまとめた「未成年期に父母の離婚を経験した
子の養育に関する実態についての調査・分析業務報告書」
(2021 年 1 月)では、親の離婚が子に
与える影響などについての実態を調査・分析している
(未成年時に父母の別居・離婚を経験した、
20 代および 30 代の男女それぞれ 250 名、合計 1000 名を対象に WEB モニターアンケート方式
にて実施)。同調査では、親の離婚や別居についての子の捉え方や考え方はさまざまであり、離婚や別居に
伴う養育環境が変化するなかで、子が親に対して自らの希望等を十分に伝えきれてない場合も少
なくないという結果が明らかになっている。しかし、同調査は量的なものであったため、一般的
な傾向については把握できるものの、境遇や心情、現在の状況といった個々の具体的なエピソー
ドまでは把握できていなかった。
そのため、親の別居・離婚を経験した子から、多様な個別具体的なエピソードを収集するとい
った質的調査を行うことも必要とされ、その質的調査の結果を本報告書ではまとめている。本調
査は、未成年期に父母の別居・離婚を経験した 30 名から、インタビューを通じて具体的なケース
を収集し、そこから得られた調査結果について横断的な分析を行うことを目的としている。イン
タビューの実施にあたっては、小川洋子日本女子大学助教および曽山いづみ神戸女子大学助教が
一人あたり最大 120 分の時間をかけ、対面またはオンラインにて行った。
インタビューにご協力いただいた方々には、過去の記憶を手繰り寄せ、私的な事項に関する質
問に丁寧にご回答いただいた。ご協力いただいたすべての方々に、この場を借りて深く感謝申し
上げる。
2023 年 1 月
公益社団法人商事法務研究会[1]目 次
I 本研究の背景及び目的.............................................................................................1
(1) 背景 .....................................................................................................................1
(2) 目的 .....................................................................................................................1
II 調査実施方法 .............................................................................................................3
(1) 調査対象者の募集方法と選定基準......................................................................3
(2) 調査対象者一覧(30 名分)................................................................................3
(3) インタビュー調査実施方法・期間......................................................................6
(4) 質問内容..............................................................................................................6
(5) 倫理的配慮 ..........................................................................................................7
III 分析方法......................................................................................................................8
(1) 逐語録の作成.......................................................................................................8
(2) 調査対象者の分類 ...............................................................................................8
(3) 分析方法(M-GTA)...........................................................................................9
(4) M-GTA の具体的な手順説明 .............................................................................10
IV 結果と考察................................................................................................................12
(1) 未成年期に父母の別居・離婚を経験した子が父母の離別に肯定的な
思いを抱くようになるまでの心理的プロセス..................................................12
(2) 未成年期に父母の別居・離婚を経験した子が父母の離別に否定的な
思いを抱くようになるまでの心理的プロセス..................................................25
(3) 未成年期に父母の別居・離婚を経験した子が父母の離別に肯定的とも
否定的ともいえない思いを抱くようになるまでの心理的プロセス.................37
V 総合考察....................................................................................................................51
1 各プロセスの共通点・相違点...............................................................................51
(1) 各プロセスの特徴 .............................................................................................51
(2) 離別前の生活の影響..........................................................................................52
(3) 離別に関する説明 .............................................................................................53
(4) 子どもの意思確認・意見表明(納得感).........................................................55
(5) 離別後の生活.....................................................................................................57
(6) 面会交流............................................................................................................58
(7) 養育費................................................................................................................64
(8) 第三者の存在・かかわり...................................................................................65
(9) 1 人の人間としての両親や両親の関係性を捉える...........................................66[2](10) 離別への納得感と現在の両親の離別への思い..................................................67
(11) 父母の別居・離婚に対して子ごとに思いが異なるに至る背景にあると
考えられるもの.................................................................................................69
2 プロセスには出てきていない重要事項(その他語りから考察できる
重要事項)............................................................................................................71
(1) 再婚(再婚時に必要な配慮など)....................................................................71
(2) 父母の介護 ........................................................................................................73
(3) あってよかった対応・支援...............................................................................75
(4) 必要な支援 ........................................................................................................76
(5) 本調査の意義と限界..........................................................................................79
協力研究者(五十音順)
小 川 洋 子(日本女子大学人間社会学部心理学科助教)
曽 山 いづみ(神戸女子大学心理学部心理学科助教)1I 本研究の背景及び目的
(1) 背景
父母の別居・離婚をめぐる子の養育に関する法制度の在り方については、
令和3年3月か
ら、法制審議会家族法制部会で調査審議が行われている。同部会では、離婚後の子の養育に
関し、
父母の関与に関する規律のあり方や、
子の意思等を尊重するための規律のあり方など
がとりあげられている。
この点に関する制度の見直しは、父母の離婚や別居を経験する子に対して重大な影響を
与えるものであるうえに、同制度のあり方についてはさまざまな意見があるところであり、
適切な検討のためには、エビデンスに基づいて実状に即した議論を進めることが必要不可
欠である。そこで、法務省は、令和2年度に、父母の別居・離婚を経験した子を対象とした
ウェブアンケートの方法による調査分析を実施し、
令和3年3月に
「未成年期に父母の離婚
を経験した子の養育に関する実態についての調査・分析業務報告書(法務省,2021)」(以下,「2021 実態調査報告書」という)を公表した。
上記調査分析の結果によれば、父母の離婚や別居についての子らの捉え方や考え方はさ
まざまであること、子らは、父母に対して、離婚や別居に伴う養育環境の変化について、自
らの希望等を十分に伝達できていない場合も少なくないことが明らかになった。
また、
上記調査研究は量的なものであることから、
一般的な傾向については把握すること
ができるものの、個々の子らについての具体的な境遇、心情、現在の状況等といった個別具
体的なエピソードを把握することはできていない。もっとも、父母の別居・離婚を経験する
子については、
個別の事情に応じてその置かれる状況はさまざまであることから、
この点に
関する法制度の見直しにおいては、
多様な場面を念頭に置きつつ、
いずれの場面でも子の利
益に配慮したものである必要がある。
そのためには、
父母の別居・離婚を経験した子らから、
多様な個別のエピソードを収集する必要がある。
そのため、
この問題についてさらなる検討
を進めるためには、
未成年期に父母の別居・離婚を経験した子を対象として質的調査を行う
ことも必要である。
(2) 目的
上記の背景に基づき、本研究では、未成年期に父母の別居・離婚を経験した子らから、イ
ンタビュー等を通じて具体的なケースを収集することを目的とする。
具体的には、
父母の別
居後又は離婚時点で 6 歳以上 15 歳未満かつ現在 20 歳以上 40 歳未満の者 30 名程度に対す
るインタビュー調査を行い、そこから得られた調査結果について横断的な分析を行うこと
を目的とする。
具体的なケースを収集するにあたり、本調査では、
「未成年期に父母の別居・離婚を経験2した子はどのような体験をとおして、父母の離別にどのような思いを抱くようになるのか」
というテーマを設定した。これは、2021 実態調査報告書における「父母の離婚や別居につ
いての子らの捉え方や考え方はさまざまである」という分析結果に基づき、
「父母の別居・
離婚に対して子ごとに思いが異なるに至るのはなぜなのか?」という点を明らかにしたい
と考えたからである。
「未成年期に父母の別居・離婚を経験した子はどのような体験をとお
して、父母の離別にどのような思いを抱くようになるのか」というテーマを設定し、父母の
離別に肯定的な思いを抱く人、
否定的な思いを抱く人、
肯定的とも否定的ともいえない思い
を抱く人のそれぞれにインタビューを行うことで、
父母の別居・離婚に対して子ごとに思い
が異なるに至る背景を明らかにすることができるのではないかと考えた。
また、
子ごとに思
いが異なるに至る背景のなかに、2021 実態調査報告書の「子らは、父母に対して、離婚や
別居に伴う養育環境の変化について、自らの希望等を十分に伝達できていない場合も少な
くない」という点が影響しているか否かもあわせて検討していくこととする。3II 調査実施方法
(1) 調査対象者の募集方法と選定基準
父母の別居又は離婚時点で 6 歳以上 15 歳未満かつインタビュー調査実施時点で 20 歳以
上 40 歳未満の人を対象として調査協力者を募集した。
協力者を募集する際には、調査会社である株式会社クロス・マーケティングに委託し、下
記のウェブアンケートを実施のうえ選定を進めた。
対面形式のインタビューは、
会場が東京
と大阪、神戸であったことから、その近隣の在住者を対象に協力者を募った。また、オンラ
イン形式のインタビューは、全国を対象に協力者を募っている。
ウェブアンケートでは、性別・年齢・居住都道府県・6 歳以上〜15 歳までの間に父母の別
居および離婚を経験しているかどうか・父母の離別後誰と暮らしていたか・面会交流の有無
と中断の有無・父母の離別への現在の思い(肯定的・否定的・どちらともいえない)
・最終
学歴・未婚既婚・子どもの有無・職業・調査への参加希望をたずねた。ウェブアンケートの
回答において、6 歳以上〜15 歳未満の間に父母の別居および離婚を経験しており、かつ調
査への参加を希望すると回答した人のなかで、
父母の離別への現在の思いについて
「肯定的」
「否定的」
「どちらともいえない」と回答した人がそれぞれ同数程度になるように、かつ面
会交流の有無や面会交流中断の有無が同数程度になるようにバランスを調整し、調査依頼
を行った。その際に、年齢、性別、最終学歴や既婚未婚の別、子どもの有無についても勘案
し、できるだけ調査対象者の多様性を保つよう努めた。
(2) 調査対象者一覧(30 名分)
調査対象者一覧を表 1 に示す。なお、事前のウェブアンケートにおいて、6 歳から 15 歳
までの間に父母の離婚および別居を経験しているかどうかを確認し、
「6 歳から 15 歳まで
の間に父母の離婚及び別居を経験している」と回答した人に調査協力を依頼していた。し
かし、インタビュー調査を行うなかで、別居はしているが正式に離婚しているかどうかは
わからない・別居あるいは離婚時の年齢が 15 歳以上であったという人が何名かみられた。
事前アンケートはウェブ上の簡易なものであったため、質問項目の細かい文字表現まで正
確に確認せずに回答する人が一定数いたと考えられる。別居はしているが正式に離婚して
いるかどうかはわからない・別居や離婚時の年齢が 15 歳以上であったと語った対象者のイ
ンタビュー内容を確認したところ、
6 歳以上 15 歳までに離別を経験した対象者と比べて顕
著な違いはみられず、同等に分析を行って差し支えないと判断し、分析対象に含めること
とした。
事前のウェブアンケートによると、調査対象者の最終学歴は、小学校・中学校(高校中
退も含む)が 3 名、高等学校・高等専修学校が 7 名、短期大学・高等専門学校・専門学校
が 5 名、大学が 12 名、大学院が 3 名であった。職業は、フルタイムやそれに相当する職に
ついている人が 22 名、パート・アルバイト・フリーターが 3 名、専業主婦・主夫が 3 名、4無職が 1 名、自営業が 1 名であった。5〔表 1〕調査対象者一覧
1〜16 父母の離別に肯定的な思いを抱いている群(16 名 男性:5 名,女性:11 名)
17〜22 父母の離別に否定的な思いを抱いている群(6 名 男性:4 名,女性:2 名)
23〜30 父母の離別にどちらともいえない思いを抱いている群
(8 名 男性:6 名,
女性:2 名)
対象者 性別 年齢 両親の離別を体験した時期 調査対象者が認識している離婚理由 同居親 面会交流と中断の有無 養育費の有無
1 女性 25
別居:12-13歳、離婚:
14-15歳
最終的には母の不倫 父→母
当初からあり。母とは週1回の直接交流。父とは隔週〜
2、3か月に1回の直接交流。中断なし。有2 女性 36 別居と離婚:中学3年生 父が仕事をしない 母
当初なし。高校時に偶然会い、その後1回直接交流。社会
人になる頃まで年賀状のみ出していた。その後中断。介
護をきっかけに再開。
なし
3 女性 36
離婚:中学3年生、別
居:16歳
父の借金、パチンコ、DV 母
引越し先等に父が押しかけるといった交流あり。3-4年程
前から年1-2回直接交流。
なし
4 女性 36
別居と離婚:中学2-3年生嫁姑関係の悪さ、母から父への不満父 当初からあり。年3-5回。中断なし。
なし(きょうだいが分か
れて引き取られた)
5 男性 30 別居と離婚:15-16歳
不明(父の飲み歩き? 会話な
し?)
母 一切なし。 不明
6 女性 30 別居:12歳、離婚:不明
事故による障害が父にあり、父が
家族を遠ざけた母当初からあり。中学2年生までは半年に1回程度の直接交
流。中学卒業時直接交流。高校生時は祖父母葬儀時にみ
かける。その後中断。27歳時に1回直接交流。その後再び
中断。有7 男性 28 別居と離婚:10歳頃
父から子どもへの暴力、酒癖の悪さ母
当初からあり。2回程度の直接交流。離別約1年後父逝
去。
不明
8 女性 35
別居:10-11歳、離婚:
15-16歳
不明(おそらく性格の不一致?) 父 一切なし。 不明
9 女性 31 別居と離婚:小学5年生
不明(喧嘩は何回かみたが理由は
わからず)母当初からあり。中学生になるまで年数回の直接交流。そ
の後中断。
不明
10 男性 38 別居と離婚:11-12歳
父のギャンブル依存と繰り返され
る転職母当初からあり。中学3年生までは月1回の直接交流。その
後中断。19-20歳時に1回直接交流。その後再び中断。
ほとんどなし
11 女性 30 別居と離婚:17歳 父の借金とDV、母の金遣いの荒さ
里親→母(半
年のみ。ほ
ぼ友人宅に
いた)
当初なし。26歳から父親と直接交流。高校卒業後に里親
から母親の元へ戻るもすぐ自立。その後母親とは年1回ほ
どの直接交流。28歳から中断。
なし
12 男性 37
実父との別居と離婚:1-2歳
小4時に再婚した義父との別
居と離婚:高校1年生
不明(喧嘩時に父が母に手を出し
て取り返しがつかなくなったので
は?)
母 実父とも継父とも一切なし。 不明
13 女性 34
別居と離婚:小学1-2年生母の不倫
父→母(1週
間)→父
当初からあり。小学4-5年生までは月1回ほどの直接交
流。その後中断。
なし
14 女性 31
離婚:10-11歳、別居:
離婚してから1年後
性格の不一致、母の精神的不調 父
当初からあり。母が遠方時は半年に1回ほどの直接交流。
近くに引越してきてからは月0-1回の直接交流。中断な
し。
不明
(おそらくなし)
15 女性 39 別居と離婚:中学2年生 父の借金(パチンコ) 母
当初なし。20歳代の頃数回の直接交流。その後数か月に1
回ほど父から電話がくる。
なし
16 男性 37 別居と離婚:高校2年生 父の借金(倒産) 母
当初なし。離別数年後約1年間の同居期間あり。同居解消
後1回のみ直接交流。その後中断。
不明
(おそらくなし)
17 男性 30 別居:11歳、離婚:14歳
不明(母の金遣いの荒さ? 父の
前家庭とのトラブル?)母離婚までは直接交流あり。離婚後中断。介護をきっかけ
に再開。
有(継続的でない)
18 女性 31 別居と離婚:中学2年生 父の独立による引越 母
年1回誕生日プレゼントが届く。大学および結婚時に1回
ずつ直接交流。その後直接交流はないが、写真共有アプ
リをとおしてたまに交流あり。有19 男性 33 別居と離婚:10-11歳 父の開業に伴い夫婦喧嘩が増えた 母
当初からあり。18歳まで月1回の直接交流。長期休暇時は
宿泊あり。中断なし。有20 女性 37
別居:7-8歳、離婚:不明
(おそらく大学生の頃)
金銭感覚のズレ、父の子育て不協
力と不倫母当初なし。10歳と12歳頃に直接交流あり、その後は交流
なし。
有(裁判で決定した
額よりは低い)
21 男性 34 別居と離婚:6-7歳
父の家事育児不協力とそれによる
母の精神的不調母当初からあり。高校生頃まで月2-3回母も含めて直接交流
と、長期休暇時に父子のみで直接交流(宿泊あり)。大
学生以降は年に数回の直接交流。中断なし。有22 男性 37 別居と離婚:6歳 父の借金、金銭トラブル 母
別居〜離婚までの数か月、月1-2回電話。離婚後交流な
し。
なし
23 女性 39 別居と離婚:6歳 父の飲酒、暴力 母 なし。10歳で偶然会った。 なし
24 男性 21
別居:中学2年生、離婚:不
明(別居時に離婚するかも
とは聞いていた)
父が母の浮気を疑う、嫁姑関係の
悪さ母当初からあり。月1回の直接交流に1回参加した後は中
断、その後就職時に1回直接交流。有25 女性 37
別居:中学2年生、離
婚:15-16歳
母の多忙 父→母
当初からあり。母とは隔週程度でメールや電話。高校の
頃に1度直接交流。大学から母と同居。父とは1-2カ月に1
回メールや電話。数年に1回直接交流あり。中断なし。有26 男性 31 別居と離婚:7歳 母の不倫
母→児童養
護施設
当初からなし。20歳になり、自分で会いにいった。 なし
27 男性 21 別居と離婚:10歳 不明(喧嘩後父が出ていった) 母
当初はあり。2か月間週1回の直接交流。その後中断。高
校時に父と通学路で会った。
不明
28 男性 24 別居と離婚:高校1年生 父が仕事をしない 母
当初はあり。月1回の直接交流が1年ほど続くが中断。20
歳で一度直接交流。その後、インタビューを受けること
をきっかけに直接交流。有29 男性 36 別居と離婚:小学6年生 最終的には父の不倫 母
当初からあり。20歳前後まで年数回は母も含めて直接交
流。中断を経て30歳頃に電話、30代半ばに直接交流。
不明
(おそらくなし)
30 男性 36 別居と離婚:6歳 母の蒸発
父方祖父母
→父→一人
暮らし→父
→母
小学生の頃は父と週1回の直接交流。母とは離別後交流は
なかったが14歳頃に母から電話があり、その後週1回〜月
1回電話。20歳までは年1回の直接交流も有。20代後半の
頃母親と一時的に同居。
なし6(3) インタビュー調査実施方法・期間
インタビューは 2022 年 7 月〜9 月に実施した。対象者の居住地域と新型コロナウイルス
感染症感染拡大状況を鑑み、対象者の希望によって対面形式かオンライン形式のいずれか
でインタビューを実施した。
インタビューはすべて協力研究者のいずれかが担当し、
研究者
と対象者の 1 対 1 で、プライバシーの保たれる空間で実施した。インタビューに要した時
間は、事前説明を除いて 1 時間〜2 時間(平均 1 時間 17 分)であった。
(4) 質問内容
インタビューにあたって、離別の経緯(わかる範囲で)
、離別時の説明の有無、子どもの
意見を表明する機会の有無、離別時の養育費の有無、面会交流の有無、離別時の気持ち、今
現在父母の離別に対して抱いている気持ち、
離別時に父母がしてくれてよかったこと、
離別
時に父母以外の人がしてくれてよかったこと、ほしかった支援などについての質問項目を
含めて、表 2 のようにインタビューガイドを作成した。なお、調査対象者の語りの流れを重
視して質問の順序を変更したり、新たに質問したりすることもあった。
〔表 2〕インタビューガイド
(1)覚えている範囲で、両親が別居・離婚することになった経緯を教えてください。
(2)別居・離婚するに当たって、親(両親又はどちらか一方の親)から別居や離婚についての説
明はありましたか。
<説明があった場合>どのような説明でしたか。
あなたはその説明を聞いてどのように思いま
したか。
<説明がなかった場合>説明をしてほしかったと思いますか。
(3)別居・離婚について、親(両親又はどちらか一方の親)に自分の意見や気持ちを伝えられる
機会はありましたか。
<伝えられる機会があった場合>何を伝えましたか。伝えやすい雰囲気があったのでしょう
か。そのとき親(両親又はどちらか一方の親)はどのような反応でしたか。その反応を受けて、
あなたはどのように感じましたか。
<伝えられる機会がなかった場合>なぜ意見や気持ちを表明しなかった・できなかったのでし
ょうか。
(4)両親の別居・離婚について、当時どのような気持ちでしたか。
(5)両親の別居・離婚について、今振り返ってどのような気持ちですか。ご自身の思いはより良
くなりましたか。それともより悪くなりましたか。
(6)両親の別居・離婚について、今振り返って先ほどの回答のように思うようになったのはなぜ
ですか。
(次の内容が出てこなかった場合は伺う。i.面会交流(有無、頻度やその内容(間接、直接、
宿泊の有無)
、自分の意見の尊重、中断の有無)
、ii.養育費(有無、伝えられ方)
、iii.両親の関
係性について)
(7)(6)のうち、ご両親の別居・離婚への現在の思いに一番インパクトを与えていると思うのはど
れですか。
(8)両親の別居・離婚当時を振り返ってみて、両親がしてくれたこういうことが良かった、逆に7もっとこうしてもらえたら良かった、と思うことはありますか。
(9)両親の別居・離婚当時を振り返ってみて、両親以外がしてくれたこういうことがよかった、
逆にもっとこういった支援があったらよかった、と思うことはありますか。
(5) 倫理的配慮
調査実施に先立ち、
対象者には本調査の目的と概要、
倫理的配慮について、
口頭と文書(事前説明書)で説明した。具体的には、インタビューを録音すること、録音を逐語録化したも
のを分析に用いるが、
逐語録作成の際に個人情報を削除すること、
個人情報の含まれるデー
タは委託元の公益社団法人商事法務研究会にて厳重に保管すること、調査協力は自由意志
でありいつでも取りやめられること、
などを口頭と文書両方を用いて説明し、
署名による同
意を得た。オンラインでインタビューを行った対象者については、必要書類を郵送し、同意
書は返送してもらった。なお、人を対象とした研究を行う際には、調査対象者の人権や個人
情報の保護を適切に行うために、人を対象とする研究に関する倫理委員会の承認を得る必
要がある。
本調査の実施にあたっては、
日本女子大学人を対象とする研究に関する倫理審査
委員会で承認を得ている(課題番号第 519 号)。8
III 分析方法
(1) 逐語録の作成
インタビューはII(5)倫理的配慮に記述したように、許可を得て IC レコーダーに録音し
た。
録音内容は社会福祉法人日本視覚障害者職能開発センター 東京ワークショップに業務
委託を行い、逐語録化した。逐語録に記載された個人情報を含む固有名詞は商事法務研究
会がすべて削除し、アルファベットに置き換えた。なお、逐語録化を一部業務委託するこ
とは事前説明書により調査対象者に説明され、了承を得ている。また、同センターとは、
秘密保持契約を締結している。
(2) 調査対象者の分類
すべての逐語録の読み込みを行ったうえで、協力研究者 2 名で協議し、調査対象者 30 名
を1父母の別居および離婚に対して肯定的な思いを抱いている群、2父母の別居および離
婚に対して否定的な思いを抱いている群、3父母の別居および離婚に対して肯定的とも否
定的ともいえない思いを抱いている群に分類(群分け)した。前述したとおり、このように
分類し分析することで、群ごとに父母の別居および離婚に対して子ごとに思いが異なるに
至った背景を明らかにすることができるのではないかと考えた。
分類する際、
最も重視したのは調査対象者本人の語りである。
ウェブアンケートの回答に
おいて、父母の離別への現在の思いについて「肯定的」
「否定的」
「どちらともいえない」と
回答した人がそれぞれ同数程度になるように調査対象者を調整したものの、実際にインタ
ビューを開始すると、ウェブアンケートとは異なる気持ちを話す調査対象者が多数みられ
た。ウェブアンケートへの回答とインタビュー時の回答が異なることを質問したところ、
「ウェブアンケートへの回答は父母の離別に対してではなく別居親に対する思いを答えて
いた」
「一般的な離婚という出来事に対する思いを答えていた」といった声が聞かれた。こ
ういった状況も鑑み、分類においては、ウェブアンケートの回答結果ではなく、インタビュ
ー時の調査対象者本人の語りを重視した。インタビューガイド「
(4)両親の別居・離婚につ
いて、当時どのような気持ちでしたか」
「(5)両親の別居・離婚について、今振り返ってどの
ような気持ちですか。
ご自身の思いはより良くなりましたか。
それともより悪くなりました
か」といった質問に対し、語られた内容、特に現在どのような気持ちを抱いているかにそっ
て分類を行った。例えば、父母の離別に対し、離別当時は肯定的とも否定的ともいえない思
いだったが現在は肯定的な思いになっている調査対象者は「1父母の別居及び離婚に対し
て、肯定的な思いを抱いている群」に、離別当時も現在も変わらず否定的な思いを抱えてい
る調査対象者は「2父母の別居および離婚に対して、否定的な思いを抱いている群」に、と
いったように分類を行っている。
その結果、
1父母の別居および離婚に対して肯定的な思いを抱いている群は 16 名
(男性:
5 名,女性:11 名)
、2父母の別居および離婚に対して否定的な思いを抱いている群は 6 名9(男性:4 名,女性:2 名)
、3父母の別居および離婚に対して肯定的とも否定的ともいえな
い思いを抱いている群は 8 名(男性:6 名,女性:2 名)となった。
(3) 分析方法(M-GTA)
データの分析には、木下(2007)1
による修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ
(以下,M-GTA)を用いた。インタビュー調査などの言語データを分析するために確立さ
れている分析方法はいくつかあるが、そのなかの主要なものとして、グラウンデッド・セオ
リー・アプローチ
(GTA)
という方法がある。
グラウンデッド・セオリー・アプローチ
(GTA)
は、
「データに根ざした理論」を構築することを目的とする(岩壁,2010)2
。GTA は言語
データから共通点(カテゴリー)をみつけ出し、理論を生成していくことを目指すのに適し
た方法論の 1 つである。M-GTA は、GTA が持つ特色を継承しつつ、現実に問題となって
いる現象において研究結果がその解決や改善に向けて実践的に活用されることが期待され、
研究対象としている現象がプロセス的特性を持つ研究に適している(木下,2007)
。プロセ
スとは,人と人とのかかわりあい(社会的相互作用)の展開過程のことである。また、GTA
は比較的包括的な理論生成を目指した方法論であるのに対して、
M-GTA はある特定の現象
やフィールドに根差した理論生成を行えるよう、
分析手順にも工夫が行われている。
本調査
は「未成年期に父母の別居・離婚を経験した子はどのような体験をとおして、父母の離別に
どのような思いを抱くようになるのか」
、つまり子どもが父母の離別から現在に至るまでに
父母や周囲の人々とどのようなかかわりあいをしてどのような思いを抱くようになったの
かのプロセスを明らかにすることを目的としており、この点からも M-GTA で分析するこ
とが適切であると判断した。
本調査では、
「未成年期に父母の別居・離婚を経験した子はどのような体験をとおして、
父母の離別にどのような思いを抱くようになるのか」
というテーマにおいて、
さらに分析テ
ーマを1未成年期に父母の別居・離婚を経験した子が父母の離別に肯定的な思いを抱くよ
うになるまでの心理的プロセス、
2未成年期に父母の別居・離婚を経験した子が父母の離別
に否定的な思いを抱くようになるまでの心理的プロセス、
3未成年期に父母の別居・離婚を
経験した子が父母の離別に肯定的とも否定的ともいえない思いを抱くようになるまでの心
理的プロセス、と限定する。前述のとおり、M-GTA は包括的な理論生成を目指すのではな
く、
特定の現象やフィールドなど、
限定的な範囲のテーマを分析するのに適した分析方法で
あり、
このような限定的な範囲において、
子どもの心理的変化や多様性を説明することがで
きる。
また、
明らかになった理論は今後離別を経験する親子や支援者が活用しやすいと考え、
本研究では M-GTA を採用した。1木下康仁 (2007)
.ライブ講義 M-GTA 実践的質的研究法:修正版グランデッド・セオ
リー・アプローチのすべて 弘文堂2岩壁茂(2010).はじめて学ぶ臨床心理学の質的研究:方法とプロセス 岩崎学術出版社10(4) M-GTA の具体的な手順説明
分析は木下(2007)にならい、以下の手順で行った。
(a)M-GTA では分析テーマと分析焦点者の 2 点を重視する。本調査の分析テーマは上
述のとおりである。
分析焦点者とは、
調査対象者を方法論的に抽象化した人間集団のことで
ある。
分析焦点者を設定することで、
研究する人間は特定の対象者のデータを分析しつつも、
直接の対象者ではないが対象者と属性や経験を共有する人間集団全体の行動や認識を、相
当程度説明しうる理論を生み出すよう意識づけられる。
また、
特定的に焦点化された人間集
団の視点でデータを分析することになるため、生成される理論は特定の視点に基づく一貫
性を持ったものになる(山崎,2019)3
。本調査においては、父母の別居・離婚を経験した
子どもの視点からデータを分析することになるが、特に今回は調査対象者 30 名を3群に分
類し、各群の分析テーマおよび分析焦点者を下記のように設定した。
まず、
1父母の別居および離婚に対して肯定的な思いを抱いている群においては、
分析テ
ーマを
「未成年期に父母の別居・離婚を経験した子が父母の離別に肯定的な思いを抱くよう
になるまでの心理的プロセス」
、分析焦点者は「未成年期に父母の別居・離婚を経験し、成
人後父母の離別に肯定的な思いを抱いている子ども」と設定した。つまり、1では、未成年
期に父母の別居・離婚を経験し、
成人後父母の離別に肯定的な思いを抱いている子どもの視
点にたって、データを分析していくことになる。
次に、
2父母の別居および離婚に対して否定的な思いを抱いている群においては、
分析テ
ーマを
「未成年期に父母の別居・離婚を経験した子が父母の離別に否定的な思いを抱くよう
になるまでの心理的プロセス」
、分析焦点者は「未成年期に父母の別居・離婚を経験し、成
人後父母の離別に否定的な思いを抱いている子ども」と設定した。つまり、2では、未成年
期に父母の別居・離婚を経験し、
成人後父母の離別に否定的な思いを抱いている子どもの視
点にたって、データを分析していくことになる。
最後に、3父母の別居および離婚に対して肯定的とも否定的ともいえない思いを抱いて
いる群においては、分析テーマを「未成年期に父母の別居・離婚を経験した子が父母の離別
に肯定的とも否定的ともいえない思いを抱くようになるまでの心理的プロセス」
、分析焦点
者は「未成年期に父母の別居・離婚を経験し、成人後父母の離別に肯定的とも否定的ともい
えない思いを抱いている子ども」と設定した。つまり、3では、未成年期に父母の別居・離
婚を経験し、成人後父母の離別に肯定的とも否定的ともいえない思いを抱いている子ども
の視点にたって、データを分析していくことになる。3山崎浩司(2019)
.修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(M-GTA) サトウ
タツヤ・春日秀朗・神崎真実(編)質的研究法マッピング 特徴をつかみ、活用するために
(pp108-115) 新曜社11次の手順からは、群ごとに分析を行った。
(b)まず、1 人分のデータを読み込み、分析テーマに関連がありそうな箇所に着目し、
着目箇所を分析焦点者の視点に照らして解釈し、
定義および概念名を作成していった。
この
際着目した箇所は具体例と呼ばれ、定義および概念名とともにワークシートと呼ばれる表
に記載した。ワークシートには理論的メモ欄も設け、解釈の際に検討した内容やアイデア、
疑問、対極例を記録した。この理論的メモは、その後、概念間の検討を行ってカテゴリーを
生成する際に参照された。
(c)その後、1 人ずつ分析作業を進め、生成された概念にあてはまる内容があれば具体例
として追加し、
新しい概念が生成されると新たにワークシートを作成した。
定義と概念名は
最適となるように見直し、具体例が十分でない時は他の概念との統合や概念不成立の可能
性を検討した。(d)生成した概念同士は継続的に比較分析し、
サブカテゴリーおよびカテゴリーを作成
した。そのうえで各々の連関に着目し、理論モデルを結果図に示した。12IV 結果と考察
群ごとに実施した分析の結果と考察を以下に記述する。なお、結果と考察は、各群の調査
対象者一覧、
分析によって得られたカテゴリー間の連関を図示化した結果図、
各群における
心理的プロセスを文章で説明したストーリーライン、
各カテゴリーと概念の内容説明、
各カ
テゴリーの具体例を示した概念表という順で示す。
(1) 未成年期に父母の別居・離婚を経験した子が父母の離別に肯定的な思いを抱くよう
になるまでの心理的プロセス
父母の別居および離婚に対して肯定的な思いを抱いている群 16 名(男性:5 名、女性:
11 名)の調査対象者の一覧は表 3 のとおりである。
〔表 3〕父母の離別に肯定的な思いを抱いている群(16 名 男性:5 名,女性:11 名)
調査対象者から得られたデータを M-GTA によって分析した結果、生成されたモデルを
結果図として図 1 に示し、結果図から作成したストーリーラインを述べる。
対象者 性別 年齢 両親の離別を体験した時期 調査対象者が認識している離婚理由 同居親 面会交流と中断の有無 養育費の有無
1 女性 25
別居:12-13歳、離婚:
14-15歳
最終的には母の不倫 父→母
当初からあり。母とは週1回の直接交流。父とは隔週〜
2、3か月に1回の直接交流。中断なし。有2 女性 36 別居と離婚:中学3年生 父が仕事をしない 母
当初なし。高校時に偶然会い、その後1回直接交流。社会
人になる頃まで年賀状のみ出していた。その後中断。介
護をきっかけに再開。
なし
3 女性 36
離婚:中学3年生、別
居:16歳
父の借金、パチンコ、DV 母
引越し先等に父が押しかけるといった交流あり。3-4年程
前から年1-2回直接交流。
なし
4 女性 36
別居と離婚:中学2-3年生嫁姑関係の悪さ、母から父への不満父 当初からあり。年3-5回。中断なし。
なし(きょうだいが分か
れて引き取られた)
5 男性 30 別居と離婚:15-16歳
不明(父の飲み歩き? 会話な
し?)
母 一切なし。 不明
6 女性 30 別居:12歳、離婚:不明
事故による障害が父にあり、父が
家族を遠ざけた母当初からあり。中学2年生までは半年に1回程度の直接交
流。中学卒業時直接交流。高校生時は祖父母葬儀時にみ
かける。その後中断。27歳時に1回直接交流。その後再び
中断。有7 男性 28 別居と離婚:10歳頃
父から子どもへの暴力、酒癖の悪さ母
当初からあり。2回程度の直接交流。離別約1年後父逝
去。
不明
8 女性 35
別居:10-11歳、離婚:
15-16歳
不明(おそらく性格の不一致?) 父 一切なし。 不明
9 女性 31 別居と離婚:小学5年生
不明(喧嘩は何回かみたが理由は
わからず)母当初からあり。中学生になるまで年数回の直接交流。そ
の後中断。
不明
10 男性 38 別居と離婚:11-12歳
父のギャンブル依存と繰り返され
る転職母当初からあり。中学3年生までは月1回の直接交流。その
後中断。19-20歳時に1回直接交流。その後再び中断。
ほとんどなし
11 女性 30 別居と離婚:17歳 父の借金とDV、母の金遣いの荒さ
里親→母(半
年のみ。ほ
ぼ友人宅に
いた)
当初なし。26歳から父親と直接交流。高校卒業後に里親
から母親の元へ戻るもすぐ自立。その後母親とは年1回ほ
どの直接交流。28歳から中断。
なし
12 男性 37
実父との別居と離婚:1-2歳
小4時に再婚した義父との別
居と離婚:高校1年生
不明(喧嘩時に父が母に手を出し
て取り返しがつかなくなったので
は?)
母 実父とも継父とも一切なし。 不明
13 女性 34
別居と離婚:小学1-2年生母の不倫
父→母(1週
間)→父
当初からあり。小学4-5年生までは月1回ほどの直接交
流。その後中断。
なし
14 女性 31
離婚:10-11歳、別居:
離婚してから1年後
性格の不一致、母の精神的不調 父
当初からあり。母が遠方時は半年に1回ほどの直接交流。
近くに引越してきてからは月0-1回の直接交流。中断な
し。
不明
(おそらくなし)
15 女性 39 別居と離婚:中学2年生 父の借金(パチンコ) 母
当初なし。20歳代の頃数回の直接交流。その後数か月に1
回ほど父から電話がくる。
なし
16 男性 37 別居と離婚:高校2年生 父の借金(倒産) 母
当初なし。離別数年後約1年間の同居期間あり。同居解消
後1回のみ直接交流。その後中断。
不明
(おそらくなし)13〔図 1〕未成年期に父母の別居・離婚を経験した子が父母の離別に肯定的な思いを抱くようにな
るまでの心理的プロセス14➢ ストーリーライン(カテゴリーは≪≫、カテゴリーを構成するサブカテゴリーは<>、
概念は太字ゴシックで示す。カテゴリーおよび概念の内容説明は後述する)
≪離別時の離別に対する思い≫は<離別前の生活>に大きく影響される。同居時から別
居親に振り回されていた生活や両親に振り回されていた生活をしていた子どもは離別に賛
成であったり、勝手にすればいいという気持ちを抱きやすい。また、同居時からほとんど交
流がない別居親との生活をしていた子どもはいつか離別すると思っていたと感じる気持ち
が大きい。一方で、子どもからすると問題ない生活を送っていた子どもは、突然の離別に困
惑する。
離別の渦中において、
離別説明および離別理由の説明があることや子どもの意見を
聞く場があった、
もしくは反対意見はなかったことで子どもは離別を一応受け入れる。
また、
離別説明はあったが、
離別理由の説明まではなかった子ども、
そもそも離別自体の説明がな
かった子どもも年齢により状況を察することができている、加えて子どもの意見を聞く場
があった、もしくは反対意見はなかったことで離別を一応受け入れている。
一方で、離別説明はあったが、離別理由の説明まではなかった子ども、そもそも離別自体
の説明がなかった子どものなかには、
状況を察することができる年齢ではなかったり、
子ど
もの意見をいえる場や尊重してもらえる場がないことで、離別時の説明のなさや意見のい
えなさからくるネガティブな感情を持つに至る子どももいる。
その後子ども達は、≪離別後の同居親との生活≫と≪別居親との交流のあり方≫を経験
することになる。≪離別後の同居親との生活≫では、離別後も特に生活に変化はなく、安定
した生活を送る子ども、
離別しばらく後の生活の安定を経験する子ども、
離別後の生活の継
続的な大変さを経験する子どもに分かれる。離別後も特に生活に変化なしの子どもや離別
しばらく後の生活の安定を経験する子どもは、離別後の意見の尊重を同居親から受けるこ
とや≪第三者とのかかわり≫における頼りになる第三者の存在を通して、同居親や周囲へ
の感謝の気持ちを抱くようになる。
月日が流れるなかで、
同居親から別居親の話や離婚理由
を聞くことがあるが、
同居親の別居親の人間性を否定するような悪口はないこと、
周囲から
も離婚理由等を聞くこと、
成長に伴う親事情理解の促進を通して、
一人の人間としての両親
や両親の関係性を捉えるようになる。
一方で、
離別後の生活の継続的な大変さを体験する子どもは、
自分の気持ちを吐き出せな
いと、子どもは自分が我慢する、頑張るしかないという思いを抱える。それでも、離別後の
意見の尊重を同居親からしてもらえたり、頼りになる第三者の存在があった子どもは同居
親や周囲への感謝の気持ちを持つようになる。
しかし、
離別以降も子どもの意見は聞いても
らえない体験を重ねた子どもは、頼りになる第三者の存在があったとしても親への期待は
なくなり、親を反面教師とするに至る。
≪別居親との交流のあり方≫には、
≪離別後の家族の関係性≫が関係している。
離別後の15両親の関係性は良好である場合、無理することなく継続した定期的な面会交流を子どもは
経験しやすい。
無理することなく継続した定期的な面会交流のなかで、
離れたからこそのち
ょうどいい距離感を感じること、人間性を否定するような同居親の悪口を別居親から聞か
ないこと、
養育費をきちんともらっていることを通し、
子どもは離別後のほうが別居親との
関係に心地よさを感じるようになる。
一方で、≪離別後の家族の関係性≫において、離別後の両親の不仲が継続している、自身
が別居親のことを苦手に思うといった理由により、別居親の話題は出さない状況である場
合、
面会交流は決められていなかったり、
実施されたとしても精神的に負担を感じる面会交
流を子どもは経験しやすい。
決められていない面会交流では、
別居親はどうしているのか?
と思う子どももいれば、
会わなくても寂しさはないと思う子どももいる。
精神的に負担だっ
た面会交流をする子どもは自分の意思による交流中断や親の都合による交流中断を経験し、
その後、別居親はどうしているのか? と思う子どももいれば、会わなくても寂しさはない
と思う子どももいる。
交流再開のきっかけにより、
大人になってから改めて別居親を知る子
どももいるが、交流を重ねるなかで別居親との距離を置くことを決定づける出来事がある
と、別居親とかかわりたいとは思わなくなり交流は中断される。そして、周囲からも離婚理
由等を聞くことで、別居親や両親への期待がなくなり、親を反面教師とするに至る。
子どもは成長するにつれ、
≪両親を捉える≫ようになる。
別居親や両親への期待がなくな
り、親を反面教師とする子どもも、そうではない子どもも、成長に伴う親事情理解の促進に
より、一人の人間としての両親や両親の関係性を捉える。
一人の人間としての両親や両親の関係性を捉えることができると子どもは、両親がなぜ
離別したのか納得する。そして、今、家族が平和であることから考えても、離別してよかっ
たと思うに至る。これが、≪現在の離別に対する思い≫である。
➢ カテゴリーおよび概念の内容説明
1 ≪離別時の離別に対する思い≫
子どもが持つ、
離別時の離別に対する思いを表すカテゴリーである。
離別時の離別に対す
る思いは、<離別前の生活>に大きく影響される。同居時に別居親の借金やDV、ギャンブ
ル、酒乱、攻撃的な対応、仕事をせず家にお金を入れない、家に帰ってこなくなるなど別居
親に振り回されていた生活を送っていたり、
両親の関係性の悪さや両親の言動、
両親からの
虐待など、
両親に振り回されていた生活を送っていたりする子どもは、
両親が離別したこと
でホッとする、
解放された気分になるなど離別に賛成であったり、
家庭への諦めの気持ちか
ら勝手にすればいいという思いを抱く。
また、同居時からほとんど交流がない別居親との生活をしていた子どもは同居時の両親
の関係性や家族の関係性から、いつか離別すると思っていたと感じる気持ちが大きい。16一方で、
子どもからすると問題ない生活を送っていた子どもからは、
突然の離別に困惑す
る、両親がそろっていない状況に悲しさを感じる、離別しないでほしかったと思うなど、離
別に困惑する語りが多く聞かれた。
次に、離別の渦中における子どもへの離別説明や子どもの意見を聞く機会についてはさ
まざまな状況が聞かれた。
まず、
両親が離別するという離別説明および離別理由の説明があ
ることや離別時に、
「どちらの親についていきたいか」
「名字をどうしたいか」などの子ども
の意見を聞く場があった、もしくは(その当時の状況に特に)反対意見はなかった子どもは
離別を一応受け入れていた。また、両親が離別するという離別説明はあったが、離別理由の
説明まではなかった子どもやそもそも離別自体の説明がなかった子どもも年齢により離別
前の生活や離別時の両親の様子をみて状況を察することができていること、加えて子ども
の意見を聞く場があった、もしくは反対意見はなかったことで離別を一応受け入れている。
一方で、離別説明はあったが、離別理由の説明まではなかった子ども、そもそも離別自体
の説明がなかった子どものなかには、
状況を察することができる年齢ではなかったり、
子ど
もの意見をいえる場や尊重してもらえる場がないことで、離別時の説明のなさや意見のい
えなさからくるネガティブな感情を持つに至る子どももいる。
彼らは、
離別時に説明がない、
もしくは離別は子どもの責任ではないという説明がなかったり、意見を聞かれずに同居親
が決まったことから、
「離別は自分のせいなのかもしれない」
「別居親は自分と一緒に暮らし
たくないのだ」といったネガティブな妄想が膨らんだり、不安になったりしていた。
このように、
離別前の生活状況、
離別時の説明の有無やその内容および子どもの意見を聞
く機会の有無により、子どもが抱く≪離別時の離別に対する思い≫はさまざまであること
がわかる。こうした思いを抱きながら、子どもの離別後の生活は始まっていく。そして離別
後の子どもは、≪離別後の同居親との生活≫と≪別居親との交流のあり方≫を経験してい
くことになる。
2 ≪離別後の同居親との生活≫
≪離別後の同居親との生活≫とは、子どもが離別後に同居親とどのような生活をしてい
くかを表すカテゴリーである。
≪離別後の同居親との生活≫では、
離別後も特に生活に変化
はなく、安定した生活を送る子ども、離別しばらく後の生活の安定を経験する子ども、離別
後の生活の継続的な大変さを経験する子どもに分かれる。
別居親と同居しなくなったものの、学校や名前の変更、引っ越しなどがなく、離別後も特
に生活に変化なしの子どもや、
離別直後の混乱はあったものの、
離別したことで別居親に振
り回されることがなくなる、同居親の不機嫌が解消される、同居親との関係が改善される、
金銭的に安定するなど、
離別しばらく後の生活の安定を経験する子どもは、
離別後の意見の
尊重を同居親から受けることや頼りになる第三者の存在を通して、同居親や周囲への感謝17の気持ちを抱くようになる。
離別後の意見の尊重とは、
離別後に不安なことを相談できたり、
自分の生活や人生にかかわること、例えば進路などに関して意見を述べた時にその意見を
尊重してもらえたりすることを指す。
月日が流れるなかで、
同居親から別居親の話や離婚理
由を聞くことがあるが、
同居親の別居親の人間性を否定するような悪口はないこと、
周囲か
らも離婚理由を聞くこと、
そして成長に伴う親事情理解の促進を通して、
一人の人間として
の両親や両親の関係性を捉えるようになる。
一方で、離別後に金銭的に生活が制限される、同居親が不安定になる、家事などをしなく
てはならなくなる、
再婚で生活が激変するなど、
離別後の生活の継続的な大変さを体験する
子どもは、自分の気持ちを吐き出せないと、子どもは自分が我慢する、頑張るしかないとい
う思いを抱える。自分の気持ちを吐き出せないとは、祖父母や友人、周囲の人などに自分の
気持ちをいったり、
感情を吐き出すことができなかったりすることを指す。
この気持ちを吐
き出せないことは、離別時の説明のなさや意見のいえなさからくるネガティブな感情を持
つことが背景となっている語りが聞かれた。例えば6氏は、
「やはり 2 人(両親)から明確
に、
こういう理由で離れるからという説明を受けなかったので、
何となく気が付いたらいな
くなっていて、
何となく気が付いたら長く会わなくなっていてという、
その何となくという
ところの何というのでしょう、私のいえない、聞けないにはつながっていると思いますね。
...中略...(いえない、聞けないは)家族関係に問わずということですよね。大事なときに聞
けなかった、いえなかった(ということ)で後悔することというのがすごく多くて」と語っ
ている。それでも、離別後の意見の尊重を同居親からしてもらえたり、頼りになる第三者の
存在があった子どもは同居親や周囲への感謝の気持ちを持つようになる。
しかし、
離別以降
も子どもの意見は聞いてもらえない体験を重ねた子どもは、頼りになる第三者の存在があ
ったとしても親への期待はなくなり、親を反面教師とするに至る。
3 ≪第三者の存在≫
2でも数回記述した頼りになる第三者の存在とは、
祖父母やきょうだい、
里親、
近所の人、
学校の先生、
友人、
心理士など、
よくしてくれ頼りになる第三者の存在があったことを指す。
祖父母が経済的に助けてくれた、
家事を手伝ってくれた、
里親が離別後も普段と変わらない
日常を送らせてくれた、
学校の先生が進路の相談にのってくれた、
友人が普段と変わらず接
してくれ、
遊んでくれたり話を聞いてくれたりしたことが支えになったなど、
多くの語りが
聞かれた。
4 ≪離別後の家族の関係性≫≪別居親との交流のあり方≫
≪離別後の家族の関係性≫と≪別居親との交流のあり方≫は密接に関係しているため、
同時に説明することとする。≪離別後の家族の関係性≫は離別後に両親の関係性や子ども
と両親の関係性がどのような状況だったかを表すカテゴリーである。≪別居親との交流の
あり方≫とは、子どもが別居親とどのような面会交流をしていくかを表すカテゴリーであ
る。18まず、≪離別後の家族の関係性≫において、子育てにおいて両親が連絡し合ったり、同居
親との普段の生活の中でも別居親の話が普通に出てきたりするなど、離別後の両親の関係
性は良好である場合、無理することなく継続した定期的な面会交流を子どもは経験しやす
い。
無理することなく継続した定期的な面会交流では、
子どもが自分のペースで会いたい時
に交流できていたこと、中学生以上などある程度高年齢になった子どもと別居親は同居親
や第三者を介さずに直接連絡していたこと、同居親が面会交流後に不機嫌にならないなど
行きやすい環境を作ってくれていたことなどが語られた。特に子どもが自分のペースで会
いたい時に交流できていたことは多くの子どもから語られた。このような面会交流を体験
することで、
離別時は別居親と仲があまりよくなかった子どもでも、
離れたからこそのちょ
うどいい距離感を感じるようになっていった。
そして、
別居親から人間性を否定するような
同居親の悪口を聞かないこと、
養育費をきちんともらっていることを通し、
子どもは離別後
のほうが別居親との関係に心地よさを感じるようになる。
一方で、
≪離別後の家族の関係性≫において、
離別後の両親の不仲が継続しており子ども
が同居親に気を遣っている、
もしくは、
暴力を受けていたなど子ども自身が別居親のことを
苦手に思っているといった理由により、
別居親の話題は出さない状況である場合、
面会交流
は決められていなかったり、実施されたとしても精神的に負担を感じる面会交流を子ども
は経験しやすい。決められていない面会交流では、別居親はどうしているのか? と思う子
どももいれば、会わなくても寂しさはないと思う子どももいる。
精神的に負担だった面会交流とは、
連絡なく別居親が突然現れる、
警察を呼ぶほどの騒ぎ
になる、離別前に自分に暴力をふるったり、言葉で傷つけたり、苦手意識があったりした別
居親と会うことで混乱し、精神的に負担を感じるような交流を指す場合(a)と、面会交流自
体は楽しかったが、その後離れないといけないという矛盾に気持ちがついていかず精神的
に負担を感じる交流を指す場合(b)がある。(a)の交流を体験した子どもの中には、両親の関
係性は比較的良好だったため、自分が会いたくないと伝えても面会交流を強いられた子も
いた。
離別前別居親から暴力を受けていた7氏は、
「なんで母親は自分たちにこんなこと(面会交流)をするのかとか、僕の場合は会わせたりするの、どちらかというとやめてほしかっ
たので。
そういうところをやっぱり、
ちゃんと話し合ったほうがいいのかなっていうふうに、
親と子どもが話す機会っていうのは、あったほうがいいのかなっていうふうには思います
ね。...中略...僕とかはやっぱり会いたくなかったので、そういう子どももいると思うので。
うーん、
そこは寄り添ってあげてもいいのかなっていうふうには思いますね」
と語っている。
精神的に負担だった面会交流を経験した子どもは、
その後、
自分の意思による交流中断もし
くは、どちらかの親の再婚や養育費の不払い、同居親の判断など、親の都合による交流中断
を経験する。その後は、別居親はどうしているのか? と思う子どももいれば、会わなくて
も寂しさはないと思う子どももいる。19面会交流は、ばったり会った、急に介護をしなくてはならなくなった、自分が成長し大人
になったことで別居親に対応できると思えるようになった、親族の葬儀があったなどの交
流再開のきっかけにより再開することもある。
再開した面会交流を通して、
大人になってか
ら改めて別居親を知る子どももいるが、交流を重ねるなかで別居親との距離を置くことを
決定づける出来事があると、
別居親とかかわりたいとは思わないため交流は中断される。距離を置くことを決定づける出来事とは、人として許せない出来事や現在の生活が乱される
ためもうかかわれないと思った出来事を指す。
5 ≪両親を捉える≫
≪両親を捉える≫とは、子どもが一人の人間としての両親や両親の関係性を捉えるよう
になるまでを表すカテゴリーである。子どもは、同居親との生活や別居親との面会交流、同
居親から聞く話、周囲から聞く話、そして成長して親の事情がわかってくることを通して、
一人の人間としての両親や両親の関係性を捉えるようになる。離別後の生活の継続的な大
変さのなかで、自分の気持ちを吐き出せないまま、自分が我慢する、頑張るしかないという
思いを抱え、
離別以降も子どもの意見は聞いてもらえない体験を重ねた子どもや、
無理する
ことなく継続した定期的な面会交流を体験することなく、もしくは体験したとしても中断
を経験し、
別居親との心理的距離が遠い子どもは、
周囲から聞く離婚理由等の影響も受けつ
つ、別居親や両親への期待がなくなり、親を反面教師とするようになる。このように、別居
親や両親への期待がなくなり、親を反面教師とする子どもも、そうではない子どもも、成長
に伴う親事情理解の促進もあり、一人の人間としての両親や両親の関係性を捉えるに至る。
これは、離別後の生活や面会交流、同居親や周囲から話を聞くこと、そして自身が成長した
ことなどを通して、
一人の人間としての両親を理解し、
両親の関係性を捉えられるようにな
ることを示している。
6 ≪現在の離別に対する思い≫
≪現在の離別に対する思い≫とは、今現在子どもが抱く両親の離別に対する思いを表し
たカテゴリーである。子どもは一人の人間としての両親や両親の関係性を捉えられるよう
になると、両親がなぜ離別したのか納得することができる。そして、いろいろなことがあっ
たが、今、家族が平和であることから考えても、離別してよかったと両親の離別に肯定的な
思いを抱くに至る。20〔表 4〕父母の離別に肯定的な思いを抱いている群の概念表
カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 総数
別居親に振り回されて
いた生活
同居時は別居親の借金やDV、ギャンブル、酒
乱、攻撃的な対応、仕事をせず家にお金を入れな
い、家に帰ってこなくなるなど別居親に振り回さ
れていた生活を送っていたこと
夜とかも暴力を振るったりすると、お母さんとか妹はホテルとかに泊まりにいったりしてたんですけ
ど。私だけ、お父さんと一緒に残されて、取りあえず早く逃げないと、ということで妹だけさっと連れ
ていってたんですけど、私は間に合わなかったいう感じで、いつもどうかしてお父さんと残ってたんで
すけど、お父さんは私に、「そのへん、お母さん探してこい」っていわれて、1人で小さいなか、探しに
いかされたこともあったり。(3さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 8
両親に振り回されてい
た生活
同居時は両親の関係性の悪さや両親の言動、両親
からの虐待等に振り回され、不安定な生活を送っ
ていたこと
離婚する1年くらい前から、俺を介して喋るみたいな感じで。<ああ>それがもう面倒くさくて。<それ
は面倒くさいですね>面倒くさいし、家に帰りたくないというのが結構あって。<家に帰りたくなかっ
た>うん。でも、バイトもできないから金がなくて、家に帰るしかないから。正直、離婚してよかった
なって思いましたよ、そういうときは。(5さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 8
同居時からほとんど交
流がない別居親
同居時は別居親との交流がほとんどなく、関係性
が薄いこと
<それまで、物心ついたぐらいから、あまりお家にはいらっしゃらなかった>ほとんど、何ていうんで
すかね、寝に帰ってくるだけ。<じゃ、2さんとは接触というか>一緒にご飯食べたりとかは、ほとん
どなかったです。(2さん)
〇 〇 〇 〇 4
子どもからすると問題
ない生活
子どもからすると特に問題のない安定した生活を
送っていたこと
本当に仲のいいというか、何かイベントはあるし、誕生日はみんなでパーティーするし、...(中略)...
別れるとか喧嘩するっていうのをみたことがなかったので、(離別は)本当に青天の霹靂というか。と
てもいい関係だと思ってたんですけど。(13さん)
〇 〇 〇 〇 4
離別に賛成
両親が離別したことでホッとする、解放された気
分になる、離婚してほしいと思っていたなど、離
別に賛成であること
正直いって、すごいほっとしたのを覚えています。<あっ、ほっとした>はい。もう、家でしゃべっ
ちゃいけない、何しても怒られるっていう状態が、あっこれで終わるんだと思ったら。宿題とかをやっ
ていて怒るのが、母は怒らなかったんで、父が怒る人だったので。父が出ていくということは、そうい
うことをして怒られるということはなくなるのだなと思って、寂しいよりも正直いってほっとしました
ね。(6さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 10
勝手にすればいい
離別すると聞いても、家庭の状況に散々振り回さ
れていたため、どうでもよい、という諦めの気持
ちがあったこと
<離婚してほしくなかったなとか、そういうような気持ちとかはそんなにはないですかね>ないです
ね。もちろん世間体とかはあったのかもしれないですけど、そもそもの、それ以前の、家族の問題が
あったんで、もう離れようが離れまいが、結構ちょっと私的にはもうどうでもいいってなっちゃってま
した。(11さん)
〇 〇 2
いつか離別すると思っ
ていた
同居当時の両親の関係性、家族の関係性から、い
つか離婚すると思っていたり、別居に至っても仕
方ないと思っていたりしたこと
母の気持ちもすごいわかるので。家にいても何もしない父みたいな形で、ずっとゲームして、全部家事
は母がやってみたいな、すごく嫌気が差す気持ち、すごくわかったので、しようがないなっていう考え
もあって。<お母様は働かれてたんですか>はい。<じゃあ、共働きなのに、家事一切をお母さんがし
ていて、それはお母さんは、それは怒るよなっていう気持ちはわかった>そうですね。ずっと帰ってき
てからパソコンの前に座って、ずっとゲームをしてたんで、それを私たち、子どももみていたので、お
母さんがすごく苛立ってるっていうのをわかってはいたので。(1さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 7
離別に困惑する
両親の突然の離別に困惑したり、両親がそろって
いない状況に悲しさを感じたり、離別しないでほ
しかったと思っていたこと
そもそも離婚っていう言葉が多分まだわかっていなくて、頭が真っ白になって、まだ小さかったので、
両親もそれ以上の踏み込んだ話はせず、よくわからないけど、何か頭が真っ白になったまま寝たってい
う感じですね、その日の夜。<割と何というか、青天の霹靂というか>いきなりという形でしたね。
(13さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 6
離別説明及び離別理由
の説明あり
離別するという説明も、離別する理由の説明も
あったこと
そんな感じでばらばらになったって感じです。<そこで離婚>そうですね。それで、借金も、親父の借
金が丸々、何もなく残っているわけじゃないですか、どうしようもないやつが。これじゃもう全員終わ
るっていう状態になってるんで、とりあえず親父との関係は切らなあかん、戸籍上。だから、とりあえ
ず母親を連れていって、離婚するっていう形です。親父のほうも、別にそれ自体に「あかん」みたいな
ことをいってなかったので、そんな感じですかね。<籍を抜くというか、分けることについては>そう
ですね。生きていくために籍を抜くぐらいの感じですね。別に、仲悪かったとかはなかったんで、そう
いう感じです。(16さん)
〇 〇 〇 3
離別説明はあったが、
離別理由の説明なし
離別することの説明はあったが、離別理由に関す
る詳細な説明はなかったこと
<何か別居や離婚について説明などはありましたか>詳しくはなかったです。でも、そろそろしようと
思うんだみたいなのはあって、聞きにくい雰囲気もあったので、私は別に、その険悪な雰囲気をずっと
するのであればいいんじゃないというタイプだったので、あまり、結果ぐらいしか聞かなかったです。
(4さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 11
離別自体の説明なし
離別時に離別すること自体の説明(別々に暮らす
ようになる、離婚するなどの説明)がなかったこと<お父様から説明は、6さんのほうにはなかった>なかったですね、はい。<さよならとかもなく、急
に>急にでしたね、はい。もう顔はみていたくないといわれたことだけ覚えているんですけれども。<
その後、お母様から何か説明はありましたか>いや、母からも何もなかったです。なので、正直いって
何が起きたのかわからなくて。<うん。そのとき、どんなお気持ちだったか>そうですね、聞いても答
えてもらえないので、何が起きたのかわからない。祖父母に電話しようにも何というのでしょう、その
当時は携帯とかもないので、あのう、どう連絡をとっていいかもわからないので、誰に助けを求めてい
いのかもわからなかったですね。(6さん)
〇 〇 2
離別前の
生活
子どもが
感じる気
持ち
離別時の
離別に対
する思い21カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 総数
状況を察する
離別前の生活や離別時の両親の様子をみて、状況
を察していたこと
そんな詳しい理由とかは特に。私も聞かなかったので。<それはどうでしたか、何か聞きたかったけ
ど、聞かなかったか、もう別に>いや、何か、やっぱりこう、私もお母さんと気持ちが多分近かったの
か、別れたい理由は何となく気付くというか、わかるんで、もう多分そこで聞かなかったと思います。
(9さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 9
子どもの意見を聞く場
があった、もしくは反
対意見はなかったこと
離別時に、「どちらの親についていきたいか」
「名字をどうしたいか」などの子どもの意見を聞
く場があった、もしくはその当時の状況に特に反
対意見はなかったこと
<離婚してほしくないとか、そういうような意見をいえたりとかはしましたか>あっ、めっちゃ聞いて
くれるお母さんで。「私は離婚する、したい」といって、で、「私に付いてきてほしい」みたいな。
「死んでもあんたら3人は絶対守るから離婚したい」って。で、「あんたら3人どう思う」みたいに感じ
で聞いてくれた。(10さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 12
一応受け入れる
完全に納得するわけではないものの、両親の離別
を一応受け入れること
<もし、聞いてくれるような感じだったら、話したかったとか、自分の気持ちを伝えたかったとかあり
ますか>その当時ですかね。あったかな。何かあのときのことを、今、思い出すと、どうだろうな、何
か、あんまり、多分、聞こうというのはなかったかもしれないです。何か、もうどうせみてて別々にな
るのは、結構、目にみえてわかるような雰囲気だったので、別にもう結果はわかって、聞いてもしょう
がないといったらあれなんですかね、何かあんまり聞こうと思わなかったです、何か、なんとなく。
(8さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 14
子どもの意見をいえる
場や尊重してもらえる
場なし
離別時に、子どもの意見を聞く場はなかったこ
と。あったとしても尊重してもらえなかったこと
何というんですかね。親父のほうに行きたいって思ってはいなかったですけど、何ですかね、付いてく
るかも聞かないんだみたいな。選択肢を与えないみたいで、そういう人なんだみたいな。何ですかね、
残念な人だなとは思いました。<それは、お父さんにもお母さんにも、そういうふうに思っているんで
すか>うーん、というか、この人たちのなかですべてのことが決定されて、俺の意見は何も反映されな
いで終わって、でも、親父は俺と暮らしたくないんだなとそのなかで処理されましたね、俺のなかで。
(5さん)
〇 〇 〇 〇 4
離別時の説明のなさや
意見のいえなさからく
るネガティブな感情
離別時に説明がない、もしくは離別は子どもの責
任ではないという説明がなかったり、意見を聞か
れずに同居親が決まったことからネガティブな妄
想が膨らんだり、不安になったりしたこと
母が出て行くっていう、その話のときに、あなたたちが悪いんじゃないんだよ、お父さんとお母さんが
反りが合わなかったり、何でもいいんですけど、だから、お母さんは家を出て行くんだよっていう、そ
の一言は、出て行くときに欲しかったなとは思いますね。<その後、ずっと自分のあれが悪かったか
な、これが悪かったかなって>そうですね。頭ではわかっていても、例えば当時だったら、あのときあ
のお皿を片付けなかったからかなとか、あのとき駄目っていわれたものを触って、こぼしちゃったから
かなとか、そのちっぽけなことが離婚理由なわけはないのですけれども、そういうのがぐるぐる回って
しまうというか、妹と喧嘩したから駄目だったのかなとか、何となくそういう理由があると、そこは私
の悪いところだから、そこを我慢しなきゃって思うと、もっとどんどん何もいえなくなってしまって、
最後の最後まで聞けなかったっていうのがすごくあります。(13さん)
〇 〇 〇 〇 4
離別しばらく後の生活
の安定
離別直後の混乱はあったものの、離別したことで
別居親に振り回されることがなくなる、同居親の
不機嫌が解消される、同居親との関係が改善され
る、金銭的に安定するなど、離別後のほうが生活
が安定したこと
会話ができるようになったといったらいいですかね、離婚してからというか。それまで母親との会話は
なかったんで、そういった意味では戻れたっていうんですかね。親子の関係がある意味で。そういうこ
とかなと思います。(12さん)
〇 〇 〇 〇 〇 5
離別後も特に生活に変
化なし(安定)
離別後も学校や名前の変更、引っ越しなどがな
く、特に生活に変化はないこと
<生活自体は特に変わらず>何も変わらず、お父さんだけがいなくなったという感じでした。(15さん)〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 8
同居親から聞く別居親
の話や離婚理由
離別後に、別居親の話や離婚理由を同居親から聞
くようになったこと
<離婚する理由みたいなのって聞いてない方が結構多いんですけれども、それは何かこう、聞けるよう
な雰囲気だったのか、それとも、お母さんが勝手に言ってきたのか>僕、どっちかというとマザコンな
んで、お母さん大好きっ子なんで、よく2人でご飯食べに行ったりとか、飲みに行ったりとか、ドライブ
したりとか、なんでもう、どっちかいうと、友達みたいな感覚でいてたんで、だからいろいろしゃべっ
てくれた。僕もしゃべりますし、向こうもしゃべったという感じですね。(10さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 6
人間性を否定するよう
な別居親の悪口はなし
同居親が別居親の人間性を否定するような悪口を
話すことはなかったこと
悪口というか、こんなんだったとか、高いビデオカメラを質に入れられたとか、何かそういう感じの。
人間性が悪かったわけではないんですよ、お父さんの多分。性格も優しいですし、言葉はひどく暴力的
なことをいうとか、そういうことをすごくいうわけではない人だったので、お母さんが精神的にダメー
ジを与えられるようなことは、借金以外ではなかったんですよ、多分。暴力的でもないし。だからお父
さんの人間性を否定するような悪口とかはなかったと思います。(15さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 9
離別後の意見の尊重
離別後、不安なことを相談できたり、自分の生活
や人生に関わることに関して意見を述べた時にそ
の意見を尊重してもらえたこと
最終的には、やりたかったことをやらせてもらえたっていうのが、大きいかなとは思います。家を出て
行ってお母さんのほうに行くにしろ、進学にしろ。進学も、最終的には自分で行きたいところを決めた
ので、お金で学費が安いところっていうのは探しましたけど、最終的に東京のほうに出させてもらえ
て、生活も学生のときはやってもらって、今は最終的に自分がやりたい仕事をやって、自分で生活でき
ているので。(1さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 6
同居親や周囲への感謝
成長して両親が離婚することになった経緯や生活
することの大変さを理解し、同居親や助けてくれ
た周囲への感謝の気持ちが湧いてくること
何か多分、おそらくその家政婦さんの存在がきっと大きかったような気が、今、考えたらして、多分、
母親の代わりのような、そういう精神的に支えてくれるような大人がいたから、多分、何か大きく離婚
とかによって価値観が変わったとか、そういうのがなかったかなという、今、考えたらそんな感じがし
ます。(8さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 14
離別時の
離別に対
する思い
離別後の
同居親と
の生活22カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 総数
離別後の生活の継続的
な大変さ
離別後に金銭的に生活が制限される、同居親が不
安定になる、家事などをしなくてはならなくな
る、再婚で生活が激変するなど、生活が継続的に
大変になること
<転校後というか、引っ越し後はいかがでしたか。生活としては>最悪でしたね。学校はすぐに友だち
もできて、転校したときは父と母(継母)もいたので、外部からみる目は普通の転校生。母も、今思え
ば、...(中略)...大変だったとは思うんですけど、家事は一切やらないし、料理も一切やらないし、全
部スパルタで私にやらせたので、もう地獄でしたね。朝起きて、きょうだいのご飯を作って、洗い物を
してみたいなのを、専業主婦を小学生のうちからやった形なので、できなければ平手が飛んでくるし、
もうすごかったですね。(13さん)
〇 〇 〇 3
気持ちを吐き出せない
祖父母や友人、周囲の人などに自分の気持ちを
いったり、感情を吐き出すことはできないこと
やはり2人(両親)から明確に、こういう理由で離れるからという説明を受けなかったので、何となく気
が付いたらいなくなっていて、何となく気が付いたら長く会わなくなっていてという、その何となくと
いうところの何というのでしょう、私のいえない、聞けないにはつながっていると思いますね。...中略
...(いえない、聞けないは)家族関係に問わずということですよね。大事なときに聞けなかった、いえ
なかった(ということ)で後悔することというのがすごく多くて。(6さん)
〇 〇 〇 3
自分が我慢する、頑張
るしかない
離別後の不安定な生活のなかで、自分が我慢する
しかない、頑張るしかないと懸命に頑張っていた
こと
家に帰れば「お母さんがいない」って妹が夜に泣くから、「大丈夫だよ、大丈夫だよ」って、私がいわ
ないと誰も慰めないし、お父さんはそんなことしてくれないから。ただ、みた目だけはいい父親。普通
に裕福な家庭のサラリーマンみたいなスタイルは崩さなかったので、周りも多分、子どもたちが泣いて
いるとは思ってないんだろうなっていうのが子ども心にわかってましたね。<外からみえる家と>そう
です。なので、きっとこれは誰も助けてくれないなっていうのがすごくわかって。かといって母にも連
絡する手段はなかったので、電話番号を知っているわけでもないし、じゃあもう、これでとりあえずや
るかみたいな。変な使命感みたいなのがあったかもしれないです。<自分が本当に何とかしなきゃみた
いな>何とかしないと、もう誰もいないしみたいな。(13さん)
〇 〇 〇 3
離別以降も子どもの意
見は聞いてもらえない
離別以降も、子どもの生活に影響を与える内容を
決める際に、子どもの意見を聞く場はなく、いっ
たとしても尊重してもらえなかったこと
何か(父親の)お見舞いに行くのとかが嫌で。結構泣いてた時期もあったので。何か、当時は学校に行
きたくなってたんですよね、どちらかというと。嫌な気持ちとか忘れたくて学校に行くのが好きになっ
ていたので、逆に。学校を休んでお見舞いに行くっていうのが嫌で。何か、行きたくないっていってた
のはありますね。それは、ちょっと嫌なことだったかもしれないですね。...(中略)...多分、母と子ど
もたちで、ちょっと気持ちの違いがあったんだと思うんですけど。<うーん。じゃあ、もうちょっと子
どもに寄り添って考えてほしかったなっていう>そうですね、当時はそう思ってましたね。<うーん。
うんうん。今も同じ気持ち>そうですね。できることならやらないでほしかったなとは思いますね。
(7さん)
〇 〇 〇 3
第三者と
のかかわり頼りになる第三者の存在祖父母やきょうだい、里親、近所の人、学校の先
生、友人、心理士など、よくしてくれ、頼りにな
る第三者の存在があったこと
友達とかも、転々とさせてくれるぐらいには、みんな親身になって相談を聞いてくれたりとか、家とか
お風呂とか、ご飯をいただいたりとかもしてもらったんで、友達にも恵まれたなと思いますし。その当
時彼女もいたんで、彼女もだいぶ頑張ってくれたなと思います。母親の友達も、さっきいったように家
を提供してくれているぐらいなので、よかったなと思います。僕の友達の家にも借金してるんですけ
ど、そこからも全然変わりなく接してくれてとかもありますし、ばあちゃんは、「もう戻ってき、一緒
に暮らしたほうがいいよ、家族は」といってくれて、まとめてくれたし。この人たちには感謝をしてい
ます。(16さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 13
別居親の話題は出さない別居親の話題を出したら同居親に悪いかなと思っ
たり、別居親の話を出すと同居親と険悪になった
りする、もしくは自分が別居親のことを苦手に思
うため、別居親の話題は口にしないこと
<お母さんにはお父さんのこといったら悪いかなとかっていう気持ちはあったけど>そうですね。それ
は多分、常に持ってましたね。こんだけ頑張ってくれている人に、聞いて嫌な思いをさせるのもなと
か、ありましたね。(2さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 8
離別後の両親の関係性
は良好
離別後の両親の関係性は良好だったこと
何だかんだ連絡とってて、別に何か、縒り戻したいから連絡とってるとかじゃなくて、私たちの教育に
関することだったり。仕事の愚痴とかいいあったりとか。(14さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 7
無理することなく継続
した定期的な面会交流
離別後に、自分が無理することなく、定期的な面
会交流が継続していたこと
私の学校行事に結構母親に出てもらってたんで、プリント渡しに行ったり。何か文化祭とか、チケット
といいますか...(中略)...それ渡しに行ったりとか、夏休みに、部活終わりで暇だから行ったりとかで
すかね。...(中略)...<特に、中断、面会交流しない時期があったというのはそんなになく今までこら
れた感じですか>そうですね。ちょいちょい継続的に会ってました。(14さん)
〇 〇 〇 〇 4
親の都合による交流中断離別後面会交流は実施されていたが、どちらかの
親の再婚や養育費の不払い、同居親の判断など、
親の都合によって面会交流が中断すること
<高校生からは会わなくなったってことですか>何か結婚も、相手が結婚したんのと、あと、お金をあ
んま入れへんかったという感じですね。養育費。何か、3万円やったと思うんですけど、それが全然入れ
へんかったりという感じみたいですね。<では、その再婚と養育費が全然ないということをきっかけ
に、ちょっと会わなくなった>そうですね。(10さん)
〇 〇 〇 〇 4
離れたからこそのちょ
うどいい距離感
離別後のほうが別居親とちょうどいい距離感でつ
きあえたこと
<先ほどお母様とも何か関係がちょっとよくなったという話でしたが、それは何かあったのですか>そ
れは多分、私が離れたから、それまでは何か、母も長女で家のこととか手伝いをやってきたのを、私に
も強いる。兄にはいわないけど、私にはいう。それで必然的に私は母のことを嫌になる。それで結構険
悪な関係になってたのが、離れて、たまに会って話すぐらいの関係がすごいいいです。<なるほど。毎
日のように注意されるとかではなくて>よりかは、もう離れてからのほうがすごい楽です。(4さん)
〇 〇 2
離別後
の同居
親との
生活
離別後の
家族の関
係性
別居親と
の交流の
あり方23カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 総数
人間性を否定するよう
な同居親の悪口はなし
別居親が同居親の人間性を否定するような悪口を
話すことはなかったこと
母親と会ったときに、毎回父親の愚痴をいわれるわけでもなく、いわれたところで、そんなに真剣にい
うでもなく、軽い程度だったんで。<じゃあ、そんなにすごい人格否定してるとか何とかっていう感じ
でもなく>そうですね。もう、そんなのわかってたことじゃんぐらいの。<そうなんですね。じゃあ、
それを聞いてすごい心が痛いとかというわけでもなくという感じなのですかね>そうですね、何かいわ
れもない悪口をいってるわけではないので。(14さん)
〇 〇 〇 3
養育費をきちんとも
らっていること
別居親が養育費をきちんと払ってくれていたこと
半年に1回学費が落ちるんですけれども、「すごく今回いっぱい落ちて、お金ない」みたいな電話がか
かってきて、学費はお父さんが出してるんだなっていう実感がありましたし、生活費のほうは、おそら
くお母さんが出してくれている話を聞いてたので、養育費、2人で生活はやってくれてたのかなって。
(1さん)
〇 〇 2
離別後のほうが心地よ
さを感じる
離別後の距離感がある別居親との関係のほうが心
地よさを感じること
<お母さんともともと仲はよかった>いや、悪かったですね。<そうなんですね。それは、別居されて
からちょっと関係が変わったとかはありますか>あります、あります。<いい方向に>はい。<何が
きっかけで、いい方向に変わったみたいなのは>距離が開いたからですかね。(14さん)
〇 〇 2
精神的に負担だった面
会交流
連絡なく別居親が突然現れる、警察を呼ぶほどの
騒ぎになる、離別前に自分に暴力をふるったり、
言葉で傷つけたり、苦手意識があったりした別居
親と会うことで混乱するなど、精神的に負担を感
じる面会交流を体験すること
急に私の中学校の卒業式に突然現れました。「来たっ」と思った。「二度と顔もみたくない」とかいっ
て、口もきかないぐらいの勢いで出ていった人が、すごい笑顔で現れて、一緒に写真とかを撮るので、
私はすごい混乱したのを覚えています。<何というか、顔もみたくないといわれて出ていかれた後も、
半年に一遍ぐらいは会っていたけど、顔もみたくないというのがすごく傷というか、ちょっと気持ちに
残っちゃっていたということですね>そうですね。やはり、中学校2年生で父の家に行ったのは最後なの
ですけれども、そのときも全身に蕁麻疹が出てしまって、病院に緊急で運ばれるぐらいちょっと、多分
精神的に負担だったみたいで。病院に行ったら蕁麻疹は収まってしまったので、食べ物とかではないね
ということで。(6さん)
〇 〇 〇 〇 〇 5
自分の意思による交流
中断
別居親への苦手意識などから、自分の意思で面会
交流を中断すること
私の年齢的にもかなり微妙な思春期の時期に差しかかって、よりやっぱりお父さんに対しての苦手意識
が強くなって、自然にやっぱ会うの嫌やなってなっちゃって、会わなくなって。...(中略)...中学生ぐ
らいからはもう全然今まで会ってないです。(9さん)
〇 〇 2
決められていない面会
交流
離別後の面会交流は特に決められていなかったこと<面会交流自体はもうない。一切、離婚した後、お父さんと会ったことはないですか>ないです。<1回
もない>ないです。<手紙もないし、電話もない>ないです。(5さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 7
別居親はどうしている
のか?
離別後に別居親はどうしているのか、ふと気にな
ること
高校1年生、だから離婚した翌年の父の日ぐらいにプレゼントを持って、わざわざ家に行った記憶があり
ます。でも、どこに住んでいるかとか、いまいちよくわかんなかったんで、父の実家に住んでいると思
い込んでいて...(中略)...持っていきましたね、確か。...(中略)...でも、そこに住んでなかったんで
すよね。たどり着かなかったんかな、自転車で行って。...(中略)...多分、父の日のいろんな、近づい
てきたらあるじゃないですか、催し。あの段階でとかだと思うんですね。<父の日やなみたいな>そう
ですね。ちょうど父の日と誕生日が近かったのもあって、父の。<そうなんですね。なんかお父さん
が、どうしてんのかなみたいな>そうですね。(2さん)
〇 〇 〇 〇 〇 5
会わなくても寂しさなし別居親と会わなくても、面会交流を中断しても、
特に寂しさなどはなかったこと
<でも、別に会わなくなったとしても、寂しいとはそんなに思わなかったということ>まったくないで
すね。別に今も会いたいともないですし、子どもできても、別にみせたいとか、抱っこしてほしいとい
うのもないですし。(10さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 8
交流再開のきっかけ
ばったり会った、急に介護をしなくてはならなく
なった、自分が別居親に対応できると思えるよう
になった、親族の葬儀があったなど交流再開の
きっかけがあったこと
妹に、「ずっとお父さんと会わへんの」って、結構前からいわれてたんですけど、私はずっと拒んで
て、3、4年前ぐらいから、年1、2回ならいいかなっていうぐらいで、会うようになりました。<年1、2
回ならいいかなって思うようになったのは、何かあったのですか>「何もいうてこうへんし、何もして
こうへんで」って妹がいってたんで、妹......、お父さんがそんなんしてきたところで、お父さんももう
60ぐらいになってるんで、「今やったらやり返せるから大丈夫や」って妹がいってたんで、いいかなと
思うようになりました。(3さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 7
大人になってから改め
て別居親を知ること
大人になってからの面会交流や介護を通して、別
居親を改めて知ること
大人になっても別に、好きかっていわれたら、好きじゃないけど、憎めん奴やなという感じですかね。
<ああ、なるほど。そういうふうに思われるように。それは介護とかを通して交流が増えたから>そう
です、そうです。<憎めないという感じではある>そうですね。というか、「とことん周りの人に恵ま
れている奴やなこいつ」と思いながら、「いろんな人に助けてもらって生活して」と思いながら。(2
さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 7
距離を置くことを決定
づける出来事
今はもう積極的な交流をしなくなった親との間
で、人として許せない出来事や現在の生活が乱さ
れるためもうかかわれないと思った出来事があっ
たこと
私が、全部こっちに来ちゃうと困るから、あんまりかかわらないようにしているといったのは、15年ぐ
らい前に父親が路上で倒れたことがあって。そのときに親族が近くにいないので手術ができないってい
われて、緊急の。そのときに父親が私の連絡先をいったらしくて、そのときに10年ぶりぐらいに電話が
知らないところからかかってきて。...(中略)...そのとき私が仕事を休んで何回も行ったり来たりし
て、父親の実家にも連絡をして。そのときには(父の)お兄さんに来てもらって、入院のセットも何も
ない状態で届けたり、お金にルーズなもので保険証がないという感じから、保険証を取得するのに納め
ていない国民健康保険だとか、そういうのを知らない土地で何十年ぶりに会った伯父と一緒に、電車や
バスに乗って役所を回ってというのもやったので。(15さん)
〇 〇 〇 〇 4
別居親と
の交流の
あり方24カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 総数
別居親と
の交流の
あり方
別居親とかかわりたい
とは思わない
距離を置くことを決定づける出来事を経て、別居
親とかかわりたいとは思わなくなり、面会交流を
中断すること
(結婚の顔合わせの際に、参加すると約束していたのに)顔合せの本当に数日前ぐらいに、突如「行き
たくない」っていわれて、それで理由を聞いたときに、いろいろと家庭が不安定だったんで、そういう
のが恥ずかしいとかではなく、「そういう冠婚葬祭とか、家族がらみの行事に行くのが面倒くさい」と
いわれてしまって。それを今から結婚する娘に対してそんなこといえる親がいるんだなっていうふう
に、本当にそこですごいあきれてしまって、じゃあもういいですって、そこから連絡はもう一切しませ
んというふうになって、もう絶縁状態です。それが本当にもう大きい出来事でして。(11さん)
〇 〇 〇 〇 4
周囲から聞く離婚理由等両親からではなく、祖父母や周囲の大人から離婚
のことや離婚理由、別居親のことを聞くこと
じいちゃん、ばあちゃんと同居していましたので、そのへんから聞いたりだとか。<お母さんが何か
でっかい喧嘩しているらしいとか、手が出たらしいとか>伝え聞いた感じですね。(12さん)
〇 〇 〇 〇 〇 5
別居親や両親への期待
がなくなる
成長して当時の状況を理解したり、離別後の同居
親の態度、面会交流や周囲からの話などを通して
別居親や両親への期待がなくなっていくこと
<そのときまでは、お母さんといたいという気持ちも強かったのですか>強かったですね。...(中略)
...病気だったんですけど、ふたを開けたら、私に大量の生命保険がかかっていて、6個か7個かかかって
いたんですよね。で、受取人が全部母になっていて、私はそれを全然知らなかったのですけれども。
うーん、何というのでしょう、それはそれですごい不思議に思って、ショックはショックだったのです
けれども。逆に、それで母への何というのでしょう、すごい執着ではないですけれども、愛してくれ、
愛してほしい、愛してほしい欲がようやく落ち着きましたね、それをみて。(6さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 10
親を反面教師とする
暴力、借金、虐待、飲み歩くなどをしてきた親を
反面教師として、自分はそうならないようにしよ
うと考えること
何か、そのまま父の影響で自分もどんどん悪い方向に進んでいかなかったので。ちゃんとよくないこと
(暴力)はよくないっていうふうに考えるようになったのが、多分その離婚がきっかけといいますか。
何でしょうね、反面教師じゃないですけど。何かそういうのはよくないというふうに考えるようになっ
たので。その後としてはよかったのかなっていうふうに思いますね。(7さん)
〇 〇 〇 〇 〇 5
成長に伴う親事情理解
の促進
成長し大人になることで、離別した両親の事情等
をより理解するようになること
「お父さんは頼りない」みたいな感じだし、結局、おばあちゃんの愚痴もあったんですけど。「結局お
ばあちゃんだよね」みたいな。「母の家のことはあまり重視してないし、自分の家のことばっかり重視
するしね」みたいな感じの愚痴を(母が)いってるんですが、私としては「お父さんのほうが」とい
う、気持ちというより見方があったので、(母が)いってても、「ふうん」みたいな感じで聞き流して
いるところはありました。今思うと、確かにそういう祖母と同居してたりというのは、そういう気持ち
にもなるよねとは思います。(4さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 12
一人の人間としての両
親や両親の関係性を捉
える
離別後の生活や面会交流、同居親や周囲から話を
聞くこと、そして自身が成長したことなどを通し
て、一人の人間としての親を理解したり、両親の
関係性を捉えられるようになったりしていること
実は、自分が結婚をして子どもを産むまでは、ずっと母のことは嫌だったんですよ。何となくは理解で
きてたけど、結局、子どもを置いて出ていったひどいお母さんみたいな。どうせ私のことは愛してな
かったんでしょ、要らなかったんでしょっていうのが強かったんですけど、1人目を産んだときに...(中
略)...当時を振り返ることができて。今思えば、私のなかでは優しいお父さんだったけど、例えばどこ
か出かければ、競馬の時間になるから早く帰るぞとか、土日はテレビでゴルフをみるか、朝からゴルフ
に行っちゃって、やっぱり今思うと、母を放ったらかしにしていた父しか思い出せないんですよ。...
(中略)...お母さんがすごく我慢してたり、女としての幸せがなかったんだろうなというのがわかる
分、自分のお母さんとしては「何でよ」とか「もう一度会って話してみたかったな」っていう思いがあ
りつつ、同じ女としては、「そりゃあ離婚して逃げたくなるよね」とか「きっとお母さんもどっかでは
会いたいと思ってくれてんだろうな」とか、そういう一歩踏み込んだ感情に思いを馳せるというか、そ
うすることはできるようになりました。(13さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 16
なぜ離別したのか納得
する
一人の人間としての両親や両親の関係性を捉え、
なぜ離別したのか納得すること
幼い頃の両親のあの状態がずっと続いてたとしたらというのを考えると、いやー、確実にいい方向には
向かわないだろうなみたいな感じの思いがあるから、おそらく、今、振り返って、あー、もう別々に
なってよかったんだなっていう感じです。(8さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 14
今、家族が平和である
こと
いろいろなことがあったが、今は一人ひとりの家
族が安定して生活できていること
別れてからのほうが、今お互い伸び伸びと楽しくやっているので、今も仲が悪いわけではなく、そんな
頻繁に連絡をとりあったりっていうことはないですけど。なので今思えば、「あれでよかったんじゃな
いかな」って思います。<ご両親のことを考えると、たぶんそうだと思うんだけど、ご自身の気持ち的
にも、まあ、それでよかったかなっていう感じなんですか>はい。いらいらしている母をみているのも
ちょっと嫌だったっていうのもあって、生活するなかに何もしない父がいるっていうのもすごく嫌でし
たし。(1さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 14
離別してよかった
両親の関係性や当時の状況を理解し、離婚してよ
かったのだと、離婚を肯定的に捉えるようになる
こと
<ご両親の別居とか離婚がよかったなと思っている一番の理由というのは何か>さっきの俯瞰でみての
話とつながるんですけど、性格形成のときに、これ以上壊れていく家族をみせられてもね、きついだけ
なんでっていうのがあるので、ぱっと別れて、こっちで、逆に前向きに頑張っていく感じになるじゃな
いですか、これからまた土台を固めていくみたいな。そのほうが前向きやから、子どもにとってはいい
かなと思うんですよ。だから、離婚してよかったと思います。(16さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 16
両親を捉
える
現在の離
別に対す
る思い25(2) 未成年期に父母の別居・離婚を経験した子が父母の離別に否定的な思いを抱くよう
になるまでの心理的プロセス
父母の別居および離婚に対して否定的な思いを抱いている群 6 名(男性:4 名、女性:2
名)の調査対象者の一覧は表 5 のとおりである。
〔表 5〕父母の離別に否定的な思いを抱いている群(6 名 男性:4 名,女性:2 名)
調査対象者から得られたデータを M-GTA によって分析した結果、生成されたモデルを
結果図として図 2 に示し、結果図から作成したストーリーラインを述べる。
対象者 性別 年齢 両親の離別を体験した時期 調査対象者が認識している離婚理由 同居親 面会交流と中断の有無 養育費の有無
17 男性 30 別居:11歳、離婚:14歳
不明(母の金遣いの荒さ? 父の
前家庭とのトラブル?)母離婚までは直接交流あり。離婚後中断。介護をきっかけ
に再開。
有(継続的でない)
18 女性 31 別居と離婚:中学2年生 父の独立による引越 母
年1回誕生日プレゼントが届く。大学および結婚時に1回
ずつ直接交流。その後直接交流はないが、写真共有アプ
リをとおしてたまに交流あり。有19 男性 33 別居と離婚:10-11歳 父の開業に伴い夫婦喧嘩が増えた 母
当初からあり。18歳まで月1回の直接交流。長期休暇時は
宿泊あり。中断なし。有20 女性 37
別居:7-8歳、離婚:不明
(おそらく大学生の頃)
金銭感覚のズレ、父の子育て不協
力と不倫母当初なし。10歳と12歳頃に直接交流あり、その後は交流
なし。
有(裁判で決定した
額よりは低い)
21 男性 34 別居と離婚:6-7歳
父の家事育児不協力とそれによる
母の精神的不調母当初からあり。高校生頃まで月2-3回母も含めて直接交流
と、長期休暇時に父子のみで直接交流(宿泊あり)。大
学生以降は年に数回の直接交流。中断なし。有22 男性 37 別居と離婚:6歳 父の借金、金銭トラブル 母
別居〜離婚までの数か月、月1-2回電話。離婚後交流な
し。
なし26〔図 2〕未成年期に父母の別居・離婚を経験した子が父母の離別に否定的な思いを抱くようにな
るまでの心理的プロセス
➢ ストーリーライン(カテゴリーは≪≫、カテゴリーを構成するサブカテゴリーは<>、
概念は太字ゴシックで示す。カテゴリーおよび概念の内容説明は後述する)
<離別前の生活>として、
別居親に振り回されていた生活を送っていた子や、
同居時から
ほとんど交流がない別居親であると認知していた子は、離婚に対していつか離婚すると思
っていたり、特に何も感じなかったという経験をしていることが多い。一方で、離別前に子
どもからすると問題ない生活を送っていた子は、離別に困惑する経験をしている。
離別にあたっては、
離別説明はあったが離別理由の説明はない場合が多い。
離別に困惑し
ていた子は、
離別時に子どもの意見をいえる雰囲気ではなかった、
あるいは離別時に子ども
の意見を尊重してもらえる場がなかったことにより、
さらに絶望感を抱えるようになる。また、離別時の説明のなさや意見のいえなさからくるネガティブな影響を長期的に感じるよ
うになる子もいる。一方で、いつか離婚すると思っていた、特に何も感じなかった子は、離
別に対して特段の拒否感情はなく、
そのときは納得して離別を受け入れる。
子どもにとって
タイミングが悪い時期に離別する場合は、その後の進路や生活に悪影響を及ぼすことが多27い。
≪離別後の同居親との生活≫において、
皆離別後の生活の継続的な大変さを経験する。別居親の話はしづらい状況や離婚のことをいいたくない・知られたくないという気持ちから、
自分 1 人で辛い状況・感情を抱えることになる。離別以降も子どもの意見は聞いてもらえ
ない状況が続くと、離婚によってネガティブな影響を受けていると感じるようになる。
離別後に意見を尊重してもらえる機会が蓄積されると、
【同居親や周囲への感謝】
に至る。
しかし、その場合も離別後の生活の継続的な大変さが続く/新たな大変さが出てくるとい
う状況が解消されないため、離別によってネガティブな影響を受けていると感じる。また、
≪第三者とのかかわり≫においては気にかけてくれる第三者の存在に支えられていた人も
いるが、離婚のことをいいたくない・知られたくないという気持ちから、離別や家族関係の
悩み、自分の思いを吐露するには至らない。
≪別居親との交流のあり方≫では、無理することなく継続した定期的な面会交流が続く、
子どもの意向を無視した交流が続く、交流がない・必要な支援をしてくれないの 3 パター
ンがある。
また、
別居当初は交流があったが離婚成立後交流が途絶える経験をしている子も
いる。交流がない・必要な支援をしてくれない場合、養育費をもらっていない、取り決めよ
りも明らかに少なすぎる養育費しかもらっていないといった理由により別居親にネガティ
ブな印象を持つ。
大人になってから改めて交流する経験をしている子については、
養育費が
充分でなかった(養育費をもらっていない・少なすぎる養育費)ことや、再会した別居親へ
のネガティブな印象が変化しないことにより、別居親にネガティブな印象を持つようにな
る。一方で、無理することなく継続した定期的な面会交流が続いた子は、養育費をきちんと
もらっていることもあり、別居親との交流自体にポジティブな感情を持つ。しかし、面会交
流やその際のやり取りを通して、
両親の間で板挟みになる状況や、
両親が子どもを通してし
かやり取りできない状況を繰り返し経験し、それらが改善しないために離別によってネガ
ティブな影響を受けていると感じる。さらに、両親の間で板挟みになる・子どもを通してし
かやり取りできない状況を改善できない両親(同居親・別居親それぞれ)に対して、ネガテ
ィブな感情を持つようになる。
このように、
子は同居親と別居親のいずれか、
あるいは両方にネガティブな感情を持つよ
うになり、
さらに未だに離婚理由がよくわからなかったり、
成長してから離婚理由を知るこ
とはできたもののその離婚理由に納得できない(もっと他にやりようがあったのではない
か)と感じてしまうことにより、離別に対して未だに納得がいかない気持ちを抱える。それ
により、離別に対して否定的な思いを抱くに至る。
➢ カテゴリーおよび概念の内容説明
1 ≪離別時の離別に対する思い≫28子どもが持つ、
離別時の離別に対する思いを表すカテゴリーである。
<離別前の生活>で
は、
暴力や借金があり、
子どもや家族全体が別居親からネガティブな影響を受けていた状況
を表す別居親に振り回されていた生活、
仕事が忙しい・生活時間帯がずれているなどの理由
により別居親と交流がない状況を表す同居時からほとんど交流がない別居親、両親間の夫
婦仲がどうであったかはさておき、子ども自身は同居親や別居親に大きな不満はなく生活
にも支障がなかった状況を表す子どもからすると問題のない生活の 3 つの概念が得られた。
なお、これらの概念は明確に線引きできるものではなく、別居親が家にいる時間が少なく、
ほとんど交流はない状況だけれども子どもからすると問題ない生活で、子ども自身も別居
親のことを好きである場合などもあった。
<離別に対して子どもが感じる気持ち>は、<離別前の生活>をどう認知していたかに
影響を受ける。
いつか離別すると思っていたは、
別居親の暴力や両親間の喧嘩を目の当たり
にして、いつか決定的な別れの瞬間がくるだろうということを子どもが予感していたこと
を表す概念である。また、それほど明確に予感していなかったが、離別すると聞いても特に
何も感じない、否定的な感情も肯定的な感情も強くわかず、しいていえば「へえ、そうなん
だ」
と思うくらいであった状況を表す特に何も感じなかったという概念も得られた。
離別に
困惑するという概念は、
離別に対して驚いたりショックを受けたりとても悲しんだりと、離別に対してネガティブな感情を抱いたことを示す概念である。
この中には
「何か取り返しの
つかないことが起こっている」
「すごいショック」といった語りが含まれており、子どもか
らすると、離別は青天の霹靂のように感じられていた。また、離別時の子どもの年齢によっ
ても、
どこまで両親の不仲を深刻なものとして捉えているかが異なっていた。
一般的に年齢
が高い子のほうが、
両親間の不仲から離別の可能性を予期していることが多く、
年齢が低い
子の場合は、両親の不仲を感じ取っていても「離婚って何かよくわからない」
「離婚するほ
どまでとは思っていなかった」など、離別の現実的な可能性は予測しておらず、その分困惑
の度合いが大きいことが多いようであった。
離別時に子どもの意見をいえる雰囲気ではなかったは、離別説明の場が非常に重い雰囲
気であったなどの理由により、子どもが意見表明をしたり質問をしたりしにくい状況であ
ったことを表している。
特に年少の子の場合、
その場の雰囲気に圧倒されて心配や不安を適
切に言語化できなかったり、離別することでどのようなことが起こるのか想像がつかない
ゆえに質問ができなかったりすることもある。離別時に子どもの意見を尊重してもらえる
場がなかったは、少なくともどちらか一方の親に「離婚してほしくない」などの思いや意見
は伝えられたが、
親がとりあってくれない・話をきちんと聴いてくれないと感じられる状況
を表している。
そして離別に対して子ども自身は何もできない状況に対して、
絶望感を感じ
るほどに追いつめられていた。このように、一生懸命訴えてもどうせ聞いてもらえない、い
っても無駄だ、という経験が刻み込まれることにより、その後の人生においても「肝心な時
に感情をぶつけられない」
「自分の意見を引っ込めてしまう」など離別時の説明のなさや意
見のいえなさからくるネガティブな影響を感じ続けていることもあった。29一方で、ある程度年長で離別を予測していた場合や離別に対して特段の困惑を感じなか
った場合など、
いったん離別を受け入れていた子もいた。
この状況を表しているのがそのと
きは納得するという概念である。
しかし、
その後の生活のなかで大変な状況が続くことによ
って、後々離別に対して否定的な思いを抱くことにつながっていく。
子どもにとってタイミングが悪い時期に離別するは、離別のタイミングが子どもに及ぼ
す悪影響を表す概念である。
受験など進路の大切な時期に離婚の話が出てきて、
両親の喧嘩
に気を取られて受験勉強ができずに進路(ひいてはその後の人生)に悪影響が及ぶ場合や、
幼少期に離別による絶望感を味わったことで「素直に成長できなかった」
「絶望感がずっと
残ったまま大人になった」と感じている場合などが含まれている。
2 ≪第三者のかかわり≫
これは親戚や友達、先生、コミュニティなどと、子どもを取り巻く周囲とのかかわりを示
すカテゴリーである。父母の離別に対して否定的な思いを抱くに至った群では離別のこと
をいいたくない・知られたくないという気持ちを強く持っている人が多く含まれていた。本研究対象者は 10 年以上前に離別を経験している人が多いためか、
「当時は、離婚はそんな
にカジュアルじゃなかった」
「ほかの家族と違うっていう気持ちがずっとあった」などと語
られることが多く、離別に対する社会の偏見を敏感に察知していた。さらに周囲から「親が
離婚しているからかわいそう」
と思われないようにするため、
離別のことを隠し通そうとし
ている子もいた。
祖父母や仲のいい友達、
友達の家族など気にかけてくれる第三者の存在に
支えられているという語りも得られたが、その第三者に家族関係の悩みを話したという経
験や、それによって救われたという経験は語られなかった。
3 ≪離別後の同居親との生活≫
このカテゴリーは、
離別後の同居親との生活の状況を表している。
離別後の生活の継続的
な大変さは、離別後経済的に厳しい状況が続いた、離別時に感じた寂しさや不安、絶望感が
解消されずそれらを抱えたまま日常生活を過ごさざるを得なかった、父母の離別をきっか
けに同居している家族の関係も不安定になった、
といった状況を表している。
上述のとおり
「大変さ」
といってもその内情は多様だが、
少なくとも離別前の生活と比べても何かしら子
どもにマイナスの影響が及び、それが長期間続いていた。別居親の話はしづらいは、離別や
別居親の話がタブーになってしまう状況などを表している。
こういった状況も影響して、自分 1 人で辛い状況・感情を抱えるようになっていた。親が子どもへの配慮をしてくれない
ので 1 人で頑張らざるを得ない場合もあれば、
同居親も大変なことがわかっているため
「自
分 1 人で何とか頑張ろう」と頑張っている場合もあった。
同居親との生活においては、離別以降も親の意見が優先となってしまう状況を表す離別
以降も子どもの意見は聞いてもらえないという概念と、現実的にできないことは多々ある30ものの親が子どもの意見を尊重しようという態度を示してくれる離別後の意見の尊重とい
う概念がある。
後者のように意見を尊重してもらえる体験が蓄積されていくと、
子どもは同
居親や周囲への感謝の気持ちを抱くようになっていた。
一方で、
生活上の大変さは解消され
ずに続いている場合が多くみられた。離別後の生活の継続的な大変さが続く/新たな大変
さが出てくるは、
子ども自身が感じる大変さが長期間継続していたり、
成長することで新し
い問題が出てきたりする(別居親の介護を担わされるなど)ことを示している。この影響も
あり、離別によってネガティブな影響を受けていると感じるに至っていた。
4 ≪別居親との交流のあり方≫
このカテゴリーは、
別居親との交流のあり方を示している。
無理することなく継続した定
期的な面会交流は、子ども自身が楽しいと自然に感じられる交流が定期的に継続していた
ことを示す概念である。この場合、養育費はきちんと支払われている(養育費をきちんとも
らっている)ことが多く、子どもと別居親のいい関係が保たれていた。
子どもの意向を無視した交流は、
別居親のしたいことが優先され、
子どもからすると楽し
くない/しんどい思いをする交流を表している。離婚成立後交流が途絶えるに示されるよ
うに、別居時は何かしら交流があったものの、離婚が成立したと思われる時期から交流が 0
になる経験をしている子もいた。交流がない・必要な支援をしてくれないは、離別後交流が
ほぼない状態で、子どもにとって必要なタイミングで必要な支援をしてくれなかったこと
を表している。
ただ交流がないだけではなく、
求めたときに支援が得られなかったことによ
り、さらに別居親へのネガティブな印象が強まっていた。このプロセスには養育費がない・
少なすぎる(養育費をもらっていない・少なすぎる養育費)ことも影響を与えていた。大人
になってから改めて交流するは、
別居親の介護等の理由で、
大人になってから交流が再開す
ることを示した概念である。しかし、この場合も子どもの意向は汲み取られず、別居親側の
ペースで物事が進むことによって、
別居親へのネガティブな印象は変わらず
(別居親へのネ
ガティブな印象が変化しない)
、別居親へネガティブな感情を持つに至っていた。
5 ≪両親間の関係≫
離別後の両親の関係を示すカテゴリーである。
両親の間で板挟みになる・子どもを通して
しかやり取りできないは、離別後も両親間の葛藤に子どもが巻き込まれ続けてしまう状況
を表している。
滞っている養育費を催促してくるよう頼まれるなど、
両親間のメッセンジャ
ーのような役割を担わざるを得ない状況が続くことによって、子どもはだんだんと離別に
よってネガティブな影響を受けていると感じるようになり、
ひいては同居親、
別居親双方に
ネガティブな感情を持つようになっていた。
6 ≪離別に対する現在の思い≫
離別に対する子どもの現在の思いを示すカテゴリーである。
親への思いとしては、
同居親
にネガティブな感情を持つ、
別居親にネガティブな感情を持つという概念が得られた。
ここ31でいう「ネガティブな感情」は、
「もうできるだけかかわりたくない」と親を忌避するよう
なものから、
親子として日常的に交流しているものの、
ふとした瞬間に親の悪い面ばかりが
目に付いてしまいイライラしてしまうといったものまでを含んでいる。本群に含まれる対
象者は、
同居親に対しては感謝を感じている人もいたが、
別居親に対しては皆何かしらのネ
ガティブな感情を持っていた。
離別理由については、
未だに離婚理由がよくわからない、
成長してから離婚理由を知るの
2 パターンがあった。成長してから離婚理由を知った場合でも、それで納得できずにもっと
他にやりようがあったのではないかと感じてしまうことによって、離別に対しては未だに
納得がいかない気持ちを抱えていた。そして、離別に納得できておらず、かつ離別によって
生活が大変な状況が長期的に続いたことによって(人によっては現在も大変さが続いてい
ることによって)離別に対して否定的な思いを抱くに至っていた。32〔表 6〕父母の離別に否定的な思いを抱いている群の概念表
カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 17 18 19 20 21 22 総数
別居親に振り回されて
いた生活
同居時は別居親の暴力(精神的なものを含む)、
身勝手なふるまいなど別居親に振り回されていた
生活を送っていたこと
まあ、物心がついたときからなのですが、何か保育園で両親の絵とか描くじゃないですか。そのときのテーマが父
親の似顔絵を描かなければいけなくて、ちょうどそれが父親の誕生日だったのですよ。それを描いて出したら、目
の前で破られて。<えっ、目の前で破られて>そうそう、こんなガラクタ要らねえよみたいな感じで破られて、何
かもうそこからすごく父親が。<嫌いになってしまった>はい。<それは嫌いになりますね>そこから父親との関
係性が悪化してしまってという感じですね。(18さん)
〇 〇 〇 3
同居時からほとんど交
流がない別居親
同居時は別居親との交流がほとんどなく、関係性
が薄いこと
やっぱり自分の幼い頃に父がいなくなったので、もうあまり自分の人生のなかで父の存在というのがなくなってい
たから、どうでもよくなったというか、今いなければ、それを振り返ってもしょうがないというふうに、関心がわ
かなかったです。(20さん)
〇 〇 〇 3
子どもからすると問題
ない生活
子どもからすると特に問題のない安定した生活を
送っていたこと
そういう家族のイベントみたいなものはほとんどなかったですし、なので仲がいいという認識はあまりなかったで
すけれども、ただ、もっと仲が悪いというんですか、一緒に住まないぐらい仲が悪いっていう状況であることを、
その場で初めて理解したという感じですね。(21さん)
〇 〇 2
いつか離別すると思っ
ていた
同居当時の両親の関係性、家族の関係性から、い
つか離婚すると思っていたり、別居に至っても仕
方ないと思っていたりしたこと
離婚した当時は、とうとうこういうふうになってしまったかぐらいに思ってました。もともと、あまり仲はそこま
でよくはなかったようにみえていたんで、遅かれ早かれ、こういうふうになっちゃうのかなと思っていました。
(17さん)
〇 〇 〇 3
特に何も感じなかった
離別すると聞いても、特段肯定的な感情も否定的
な感情もわかなかったこと
僕、まだ6歳やったんで、正直離れ離れになるっていわれて、えーっとは思ったんですけど、すごい悲しみみたい
な感じはなかったですね、そんときは。(22さん)
○しろまる 〇 〇 3
離別に困惑する
両親の突然の離別に困惑したり、両親がそろって
いない状況に悲しさを感じたり、離別しないでほ
しかったと思っていたこと
ただ、ただ悲しかったですね。とても悲しくて、泣いたというのを覚えていますね。<そうなんですね。会えない
ことはないけれども、今までよりは頻度も減るようなことを>はい、変わっちゃうようなことを。今までは、当然
その制約みたいなのは何もなかったのですけれども、これからはいつもと同じような感じで会うことができなく
なっているということで、とても悲しくなりました。(21さん)
〇 〇 〇 3
離別説明はあったが、
離別理由の説明はなし
父母が離れて暮らすことやどちらかが出ていくこ
となど、離別することの説明はあったが、離別理
由に関する詳細な説明はなかったこと。離別に関
してもあいまいな説明のみだった場合もある
経緯は大人になってから聞いて、当時はよくある、別れること、離れることになるから、お父さんとお母さん、
どっちと一緒に住みたいという、もう、いきなりいわれたんで。何でこうなったかという説明なかったと。(22さん)〇 〇 〇 〇 〇 〇 6
離別時に子どもの意見
をいえる雰囲気ではな
かった
離別説明の場の雰囲気が重い、親が意見を聞いて
くれるような雰囲気ではないなどの理由により、
離別に関して意見をいえなかったこと。子どもの
発達段階の影響もあり、離別の影響を見通せな
かったり、言語化ができなかったりする場合もあるその時点で、離婚ということが一体何なのかというのがまずわかっていないですし。会えない、会う以外の思いつ
くことが、変な話ですけれども、生活上の例えばお金の心配であるとか、例えば懇談会があるのでお父さん来てく
ださいとか、例えば運動会があるのでお父さん来てくださいとか、そういうイベントってあると思うのですけれど
も、そういうお父さんがいるイベントとか、これからの生活でお父さんがいないことで困ることというのがまず理
解できなかったので、そういう部分を聞くことはなかったですね。(中略)厳かというんですか、すごく重々しい
雰囲気だったので、何かいわれても安心感を感じないというんですか、そういうのはありました。(21さん)
〇 ○しろまる 〇 3
離別時に子どもの意見
を尊重してもらえる場
がなかった
離別しないでほしいなどの意見は伝えたものの、
親がそれを尊重してくれない、向き合ってくれな
いと感じていたこと
特に自分は父が好きだったので、離婚はしてほしくなかったのですけれども、ただ母が、もうあの人とは、何とい
うのですかね、話合いができないから、もう無理なのだの一点張りで、子どもの自分が離婚をしてほしくないとい
う話をしても、一切受け付けてくれないような態度だったり、話の持っていき方を母はしていました。(19さん)
〇 1
そのときは納得する
完全に納得するわけではないものの、そのときは
両親の離別を受け入れること
当時は父親に脅えてたところがあったんで、あまりかかわりたくはないと思っていたので、特に説明がなくても平
和が訪れるならいいのかなみたいな、そんなふうに思っていました。(17さん)
〇 〇 〇 〇 4
絶望感を抱える
離別してほしくないという思いにもかかわらず離
別が避けられないことを知り、絶望感を抱えること絶望感ではないですが、やはり自分がまだ小学生のときは、そこまで周りに親が離婚している家庭も少なかったと
思うのですけれども、やはりちょっとその学校の友達とかに知られたくないという思いが一番ありまして、何かそ
こがちょっと周りにばれるのではないかというような、何か恐怖というか、そういうもので、日々、学校に行って
いたというのは記憶していますね。(19さん)
〇 〇 2
離別時の
離別に対
する思い
離別前の
生活
子どもが
感じる気
持ち33カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 17 18 19 20 21 22 総数
離別時の説明のなさや
意見のいえなさからく
るネガティブな影響
離別時に説明がない、もしくは離別は子どもの責
任ではないという説明がなかったり、意見を聞か
れずに同居親が決まったことからネガティブな妄
想が膨らんだり、不安になったりしたこと。成長
するにつれて、離別によるネガティブな影響を受
けていると感じるようになることもある
やはり母が父を拒否していたというのを察して、ちょっと自分も、何というのですかね、自分の意見、離婚してほ
しくないというような自分の意見をいう、素直に成長できなかったなというのがすごいありますね、大人になって
からも。<素直に成長できなかった>相手の顔色をうかがうのが強くて、自分の意見はなかなかいうことが苦手と
いうか、自分の意見をいえない人に育ってしまったというのがありますね。通らないのではないかというのもあっ
て、自分はこう願っているのだけれど、それは絶対にかなわないものだよという、何か刷り込みが頭のなかにある
ので、何か周りに協調してしまうことが多いですね、何事も。そこらへんを何か深掘りしていったときに、やはり
小さい頃からそういうふうにしてきた癖が、ずっとついてきちゃっているのかなというのを、大人になって思うよ
うになりました。(19さん)
〇 〇 〇 〇 4
子どもにとってタイミ
ングが悪い時期に離別
する
幼くて離別についてちゃんと理解できない、受験
と離別が重なるなど、離別時期の影響によって悪
影響が大きくなったと感じられていること
高校受験で志望校を丸ごと変えなければいけなくなってしまったので。<そうだったのですか>そうですね。それ
が一番大きい要因です。<それは、ちょっと費用とかの問題でということですか>そうです、そうです。公立を受
けたりですとか、あとは、ちょっとそういう部分もあったりですとか、ので、変えなければいけない。<変えなけ
ればいけなくなったというのが、一番影響があったということですね>そうですね。というのと、両親が毎日喧嘩
しているのでうるさくて、全然勉強できなくて、ちょっと成績も下がってしまったというのも結構ありますね。
(18さん)
〇 ○しろまる 〇 3
離別後の生活の継続的
な大変さ
離別後経済的に厳しい状況が続く、留守番が多く
なる、離別時に感じた寂しさや不安を抱え続け
る、離別をきっかけに同居家族との関係も不安定
になる、など、離別したことで生活上に何らかの
大変さが現れ、それが継続的に続いていくこと
家族がバラバラになってしまうという、そういうショックの強さみたいな、インパクトというのがすごくありまし
たね。それがすごく嫌な気持ちという、悲しい気持ちになって、寂しい気持ちになってみたいなのは思ったところ
があったので、そういうのは離婚ということによって受けた一番大きなダメージですね。あとは、やはり小さい頃
の寂しさみたいなのはありますね。先ほどいったように、家に帰っても誰もいないのが普通になってしまったとい
うことで。それもだんだん慣れてきたら、我慢できるといいますか、小さい頃と捉え方が変わってきたので、ある
程度大きくなったら、別に帰っても誰もいないことが悲しいわけではないのですけれども、やはり最初の頃という
のはやはり悲しかったですね。なんとなく家に誰もいないというのは、すごく寂しい気持ちでした。(21さん)
〇 〇 〇 〇 〇 〇 6
別居親の話はしづらい
離別後の生活で別居親の話がまったく出ないな
ど、離別や別居親の話をしづらい雰囲気が漂って
いること
私自身はあまり父の存在が自分のなかになかったから、あえてその話をする意味もないというか、母親がきっと嫌
がるというのはわかっていたし、なのでそれはしなかったです。(20さん)
○しろまる ○しろまる 2
自分1人で辛い状況・
感情を抱える
離別やそれに伴う生活上の辛い状況や感情を、誰
にもいえずに1人で抱えること
金銭面の、生活もそうですし、小学校、その震災で引っ越しして母親の実家に行ったんですけど、よくある転校生
いじめに遭ったんですけどね、でも、母親みて、めっちゃ大変な思いしてるんみてるんで、仕事詰めでね。で、そ
の、いじめられてるのも、まず、絶対いいたくないです、子どもながらに。そんな記憶はありますね。もう、困ら
したくないし、で、その、引きこもりもなくて、耐えれる小学生やったんで、もう、家帰ったら何事もなく過ごし
てたんですけど、やっぱ母親だけやったら、はけ口じゃないですけど、その相談したいところとか、やっぱ我慢し
ちゃうんで、余計、頑張ってる姿みちゃってるんでね。迷惑かけたくないっていうのもあるし、学校も楽しくない
状態で行ってるっていう態度も、なかなかみせれんかったんで。だから、やっぱ、ひとり親になると、そういう大
変さが出てくるんで、子どもって、めっちゃみてますね、今、思えば。だから大人になっても、すごい気遣いじゃ
ないですけど、顔色をよくみたり。(22さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 6
離別以降も子どもの意
見は聞いてもらえない
離別以降も、子どもの生活に影響を与える内容を
決める際に、子どもの意見を聞く場はなく、いっ
たとしても尊重してもらえなかったこと
母親も、いったつもりはないけど金はもらうみたいな、そんなスタンスで。あと、自分の子どもは基本的に消耗品
というか、ひどいいい方をすると、ATMではないですけど、そういう目的で子どもを生んだみたいなんで、だか
ら、あまり母親のなかでは、ひどいことをしたというふうに思ってないですね、多分未だに。(17さん)
○しろまる ○しろまる 2
離別後の意見の尊重
離別後、不安なことを相談できたり、自分の生活
や人生にかかわることに関して意見を述べた時に
その意見を尊重してもらえたこと
ずっとスポーツできたんで、体育教師の免許とるために、教職のある大学を選んでいって、私立しか駄目やったん
ですけど(中略)でも全然喜んでくれて、奨学金借りましたけど、学費って何百万かかるじゃないですか、大学っ
て。年間の。下宿、アパート暮らしやったんで、そっちに奨学金使っていく感じで、ほぼ学費なんかも母親が用意
してくれてて、それはすごいなと思って、多分、お金ずっとためてて、だから、そこらへんで、高校ぐらいからそ
の我慢させられたっていう記憶ないです。(22さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
同居親や周囲への感謝
成長して両親が離婚することになった経緯や生活
することの大変さを理解し、同居親や助けてくれ
た周囲への感謝の気持ちが湧いてくること
小学校高学年ぐらいから活発なんで、サッカーやってたんもそうですし、キャッチボールとかも母親が相手してく
れてたんですよ。だから多分合わしてくれてたんですよね、ほかの友達やったら、父親で激しく遊べるんですけ
ど、それを母親が、下手くそながらにやってくれてた記憶すごいあるんすよ。中学校行っても、陸上部入ってたん
すけど、練習とかも付き合ってくれてたり、父親代わりじゃないですけど、多分、あったんでしょうね、やってあ
げなっていうの。それがうれしかったですね。うれしいし、ようやってくれてたなあと思います。(22さん)
○しろまる ○しろまる 2
離別後の
同居親と
の生活
離別時の
離別に対
する思い34カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 17 18 19 20 21 22 総数
離別後の
同居親と
の生活
離別後の生活の継続的
な大変さが続く/新た
な大変さが出てくる
離別による生活への悪影響が数年以上にわたって
続いていたり、成長につれて新たな大変さが出て
きたりすること
姉がかなりショックで精神的におかしくなっていたのとか、結構私もそれで苦労した、家族全員が苦労したんで
す。それがあったから、そう思うと、根本的には父親が原因ではあったので、そのことに対して、今となっては憎
いとか恨む気持ちもあるけども、子どものときにはそれは触れちゃいけないというか、考えてもいけないというふ
うに思っていたので。(20さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 6
離婚のことをいいたく
ない・知られたくない
離別したことを知られることで、周囲からの今ま
でと異なるようにみられるのではないかと感じ、
離別をできるだけ隠そうとすること。社会からの
偏見を感じとっていることもある
マイナスイメージ、ちょっと自分も、その小学校3、4年生のときは、結構明るいタイプだったのですが、そこから
一気に、何というか、「あいつんち、離婚してるんだぜ」というふうにうわさとかが広まる、ばれるのじゃないか
というのがすごい恐怖でしたね。(19さん)
○しろまる ○しろまる 2
気にかけてくれる第三
者の存在
祖父母や近所の人、学校の先生、友人、友人家族
など、よくしてくれる第三者の存在があったこ
と。しかし、離別に関する悩みや家族に関する悩
みを打ち明けるには至っていない
おじいちゃんとおばあちゃんはずっと。母親の代わりにおばあちゃんが料理してご飯食べさせてくれて、家事も
やって、おじいちゃんは父親の代わりのように遊びに連れていってくれてとか、いろんなことを教えてくれてとい
う役割をしてくれてたので、それは祖父母のいない普通の母子家庭に比べたら、そこは幸せだったと思います。<
自分の辛い気持ちみたいなのを話す相手はいましたか>それは誰にも話せなかったですね。<おじいちゃんやおば
あちゃんにも話せなかった>それは悲しませちゃうと思ったし、ほかのまったく他人とかにも何かそれで自分が不
利というか、ほかよりも劣っているというところをさらけ出すのも何か嫌だったし、そこは話さなかった。(20さん)○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 4
両親間の
関係
両親の間で板挟みにな
る/子どもを通してし
かやりとりできない
両親の葛藤が高い状態が続き、子どもが板挟みに
なったり、子どもを介してしか話ができない状況
が長く続いていること
ただですね、父が養育費はちゃんと払ってくれてはいたのですけれども、やはり遅れがちになっていたときとか時
期がありまして、そのときに母親から、兄弟のなかで自分だけ、ちょっと父と仲がよかったというのもあったの
で、母親からではなくて、私から父に対して催促をかけるようなことを命じられたのが何度か。<それが嫌だった
とか、そういうことですね>そうですね、当時は拒否していたのですが、何かそこを強制させて、やらされていま
した。<それはかなりいいにくいですよね、お父さんに対しては>そうですね。<だけれど、ちょっといわない
と、絶対いってこいみたいな感じでお母様にはいわれていたという感じですか>そうですね、何で俺だけなんだと
かいっていたのですが、あんたしかいえないからとか、いろいろな理由をつけて押しつけられていました。(19さん)○しろまる ○しろまる 2
無理することなく継続
した定期的な面会交流
離別後に、自分が無理することなく、定期的な面
会交流が継続していたこと
いろいろなところに連れていったりはしてもらったので、父との関係は良好だったわけで、そこまで何かマイナス
な記憶というのはないですね。<マイナスな記憶はなし>はい。<何か交流にいくときに、お母様との関係が
ちょっとぎくしゃくするとか、そういうこともなかったわけですか>そういうのはなかったですね。<ではお母様
も、もう行っておいでみたいな感じで>まあ、そうですね。(19さん)
○しろまる ○しろまる 2
子どもの意向を無視し
た交流
面会交流が子どもの意向に沿ったものではなく、
親のタイミングやしたいことに付き合わされてい
るような交流だったこと
父親が山が好きで登山が好きだから、それに付き合わされて、何回か山は登ったりとかはしました。多分それが面
会交流にあたると。<それは年1回とか、年2、3回ぐらい>年に2、3回のときもあれば、毎月登らされているとい
う。<毎月登らされている。毎月登るのは大変でしたね>はい。<17さんは別に登山が好きなわけではない>あま
り好きじゃないですね。事故に遭ってそのまま事故死とかも嫌だったので、どちらかというと嫌いです。<嫌い
だった。だけど、お父さんが来いというから、しようがないから行ってあげたみたいな>後々何があるかわからな
いので怖かったというのが、当時ありました。(17さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
離婚成立後交流が途絶
える
別居期間中は交流があったものの、離婚が成立し
たと思われる以降は交流が途絶えること
電話のみでしたね。<電話はどれぐらいあったんですか>でも、めっちゃ少なかったです。最初は引っ越しして、
別居してから月に1、2回あって、3か月、電話だけしてたのは。3か月後ぐらいには、もう全然しなくなりました
ね。母親が拒否してたのかわかんないですけど、僕自身もしゃべりたい、1か月目ぐらいはお父さんと電話せえへ
んのみたいな聞いてたんですけど、母親に。でも、3か月、4か月たったら、もう、そういう習慣もなく、なくなり
ましたね、電話も。(22さん)
○しろまる ○しろまる 2
交流がない・必要な支
援をしてくれない
離別以降別居親とほとんど交流がなく、必要なと
きに必要な支援もしてくれなかったこと
それ(養育費)はとても少ない金額だし、何も。それで払っているって自分で満足されてほしくないなとは思った
し、それも嫌でしたね、そんな少ない金額が来るっていうことが。<少ない金額でそういう気持ちになられるぐら
いだったら、払わないでくれたほうがいいという感じ>それはありました。<ちゃんと払うんだったら、払ってほ
しかったということですね。わかりました。ご両親の関係性は、もう別居してからは本当に少ないというか>まっ
たくないです。そうですね。でも、やっぱり姉が大変なときとかも、電話しても出てくれないとかいうのは聞いて
いたので、あまりなかったと思います。(20さん)
○しろまる ○しろまる 2
養育費をきちんとも
らっている
別居親が養育費をきちんと払ってくれていたこと
しっかりお金をもらえないと僕らは生活していけないというのがあったので、ちゃんとそこはしていたので安心し
たというか、よかったというのはありますね。<いつぐらいでしたか、その養育費のことを聞かれたのって>えー
と、考えたのは高校生ぐらいですかね。大学へ行くのでという段階で、そういうことになったときに、やはりお
金って要るねということをようやく自覚するようになって、それで初めて聞きましたね。<そうなんですね。そし
たら、ちゃんともらっているから大丈夫と>はい、そうです。(21さん)
○しろまる ○しろまる 2
大人になってから改め
て交流する
大人になってから別居親と交流する機会ができる
こと
もう私はiPhoneに変えたかったので、当時ガラケーだったので、それを変えたくて手続したいというふうに伝えた
という感じです。当時は未成年だったのですよね。なので、親の同意書とかが必要で、それで手続を一緒にしても
らったという記憶があります。(18さん)
○しろまる ○しろまる 2
別居親と
の交流の
あり方
第三者と
のかかわり35
カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 17 18 19 20 21 22 総数
養育費をもらっていな
い/少なすぎる養育費
養育費をもらっていないか、取り決めより明らか
に少なすぎる額であったこと
もう、この人は、もうこんな、あてにできひんってなって、母親からも、多分、母親から、(養育費は)要らんっ
ていったらしい。<そうなんですね>くれないというよりは、多分、母親から、もう、いいっていうこといったら
しいです。(略)いやいやいや、何でと思いましたね、その、聞いたときは。こんだけ大変な思いしてんのに、何
で数万でももらっとかへんかったんとは、もう、いいましたね。自分が大変な思いしてるのに、向こうの悪い、向
こうのお金関係でトラブルで別れてんのに、何で生活費全部お母さんが負担せなあかんのんって、ちょっと、喧嘩
になるぐらいまでいいましたね。(22さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
別居親へのネガティブ
な印象が変化しない
成長してから別居親と交流する機会があっても、
以前から抱いていたネガティブな印象が変化せ
ず、変わらず別居親にネガティブな感情を抱くこと<(介護によって)お父さんへの意識がちょっと変わったとか、もうちょっと会話が深まって少しお父さんと仲良
くなったとか、そういうようなことはありますか>それはあまりないのですよ。ただ、病気になって弱っているか
ら、そこまで怖くはなくなったかなというのはあります。結局、口喧嘩とかすると大体負けちゃうんで、あまり会
話しないようにはしているのです。<なるほど。かなり口が達者なお父さん>口が達者というか、子どもの頃、暴
力はなかったけど、言葉の暴力的なものは結構多かったから、精神的には結構追いつめられているような状態では
あります。(17さん)
○しろまる ○しろまる 2
離別によってネガティ
ブな影響を受けている
と感じる
離別によって自分の人生にネガティブな影響があ
ると感じていること
今は自分の人生観というか、それにすべて影響されているなって。年をとるたびにそれは大きくなっていて、離婚
してなければよかったって今となっては思っています。(中略)子どものうちって何も考えず、ほかのいろんな人
生の初めてのことだらけで忙しくてそんなこと考える暇はなくなるけども、本当に辛くなってくるのって、自分の
経験上は、だんだん大きくなって自分と周りを社会的な役割で比較したときに、自分の立ち位置がどうかとか、何
かマウントをとられたりとかするときに立ち返ると、そういうことがベースだったからだと思ってしまうので。無
邪気に笑える幼いうちはいいと思うんです。大人になって自分で生きてくときにどうかというところが影響が出て
くると思うから、遠い先まで考えなきゃいけないとは思います。(20さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 6
同居親にネガティブな
感情を持つ
離別後の自分と同居親との関係や、両親の関係性
を通して同居親に対してネガティブな感情を持つ
ようになること
母は言動が、お母さんとのほうの生活が長いのですが、いっていることが二転三転する。昨日と今日とで、いうこ
とが180度変わるというのがよくあるんですけれどもね。最近は、父親もそういうのが嫌だったのかななんて思っ
たりします。まあ、私も嫌ですけれども。いっていることが変わられると、昨日はこういってたのに、今日はまっ
たく違うことをいい出すと、すごく喧嘩になりますね(略)おかしいなと思っていても、何がおかしいのかをちゃ
んといえないというのが、多分小さいときにはあったと思うのですね。子どものほうでちゃんといえないという、
それが今になると、何がおかしいのかがちゃんといえるようになったので、そういうのを今改めてみると、腹が立
つというのはありますね。(21さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 4
別居親にネガティブな
感情を持つ
離別後の両親の関係性や別居親の態度、成長して
から知る別居親の状況などを通して、別居親に対
してネガティブな感情を持つようになること
父に対しては、そうですね、やっぱり何か人生うまくいかなかったりしたときには考えてしまいます。何かいろい
ろ突き詰めると、原因はあの人だと思ってしまったりもします。<お父様にどんなことをいいたいとかありますか
>うーん、そうですね、晩年は反省してほしい、後悔してほしいといいたいです。(20さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 6
未だに離婚理由がよく
わからない
未だに離婚の理由がよくわからないままであることやっぱり離婚にあたる説明というか経緯は、ただ出ていくとかそんな感じだったんで、どうして出ていくかという
ふうな理由をちゃんと説明してほしかった。じゃないと、何が原因だったかというのが、結局、わからないという
のは、(家族)個人個人で変なふうに考えて、そこからまた変な方向にいっちゃうような感じもしちゃってた。(17
さん)
○しろまる 1
成長してから離婚理由
を知る
離別理由を知らずに成長し、大きくなってから親
のどちらか(多くは同居親)に初めて離別理由を
聞いたこと
大学ぐらいに下宿で離れ離れになって、就職が決まる前ぐらいに話してみようかなっていうことで、何で別れたか
を聞いたら、大きな借金はないんですけど、借金ができて、それで母親、共働きが大変になって、で、母親も一生
懸命働いて、何とか払い終えて、借金がなくなった後に、今度は母親のお金を、何か、こう、せびるじゃないけ
ど、になってからお金に関してのトラブルで、もう離婚に至ったという形らしいんです。<ああ、そうなんです
ね。それは、じゃあ、大学にいかれたくらいの年代で初めて聞かれた>初めて、そうですね、正直あんまり深く聞
きづらいのもあって、理由を。ちょっと、ずうっと先延ばしにして、で、姉としゃべったときに、1回ちょっと聞
きたいな。あっ、姉も知らなくて、1回ちょっと話してみたいなあということで。(22さん)
○しろまる ○しろまる 2
もっと他にやりようが
あったのではないか
親の離別理由を聞いても納得ができず、もっと他
の選択肢があり得たのではないかと思ってしまう
こと
そうですね、本当に暴力とかで父親を嫌いになっての離婚のほうが、よほど楽だったなと今は思いますね。もう少
し話し合いとかで、何とか保てたのではないかなと。(19さん)
○しろまる ○しろまる 2
別居親と
の交流の
あり方
現在の離
別に対す
る思い36カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 17 18 19 20 21 22 総数
未だに納得がいかない
気持ちを抱える
離別によりネガティブな影響を受けていると感
じ、現在も離別に対して納得できない気持ちを抱
え続けていること
<ご両親の離婚に対する思いみたいなものは、今どう思われているとかはありますか>いいようには思っていない
ですね。プラスには捉えていなくて、今もなんとなく厳しくあたってしまうといいますか、やはりそういうのって
ありますね。何気ないところでも、母親自身に対して厳しくあたってしまうというか、何かこう根底にそういう、
この人は離婚して、迷惑をかけられたっていうんですかね。そういう感情がどこかにあって、それでやはり日々の
何気ないところで厳しくあたるというのはやはりありますね。(21さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 6
離別に対して否定的な
思いを抱く
いろいろなことを考えたうえで、やはり離別は自
分にとってよくなかったと思っていること
今は自分の人生観というか、それにすべて影響されているなって。年をとるたびにそれは大きくなっていて、離婚
してなければよかったって今となっては思っています。<じゃあ、ちょっと悪くなっているということですか>は
い。<その悪くなっているのに一番影響、インパクトを与えているのは何ですか>自分のこれまでの恋愛も結婚感
も、あと、社会に出てみていろいろ成功している人とかをみたときには、家庭が平和だったり円満だったりという
ことが結構多かったりすると、自分には最初からその土台が欠損してたんだというふうに思ってしまって、うまく
いかなかったりしても、やっぱり自分はそういう育ちだからなって思ってしまうことが多々あります。(20さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 6
現在の離
別に対す
る思い37(3) 未成年期に父母の別居・離婚を経験した子が父母の離別に肯定的とも否定的ともい
えない思いを抱くようになるまでの心理的プロセス
父母の別居および離婚に対して肯定的とも否定的ともいえない思いを抱いている群 8 名
(男性:6 名、女性:2 名)の調査対象者の一覧は表 7 のとおりである。
〔表 7〕父母の離別に肯定的とも否定的ともいえない思いを抱いている群(8 名 男性:6 名,
女性:2 名)
調査対象者から得られたデータを M-GTA によって分析した結果、生成されたモデルを
結果図として図 3 に示し、結果図から作成したストーリーラインを述べる。
対象者 性別 年齢 両親の離別を体験した時期 調査対象者が認識している離婚理由 同居親 面会交流と中断の有無 養育費の有無
23 女性 39 別居と離婚:6歳 父の飲酒、暴力 母 なし。10歳で偶然会った。 なし
24 男性 21
別居:中学2年生、離婚:不
明(別居時に離婚するかも
とは聞いていた)
父が母の浮気を疑う、嫁姑関係の
悪さ母当初からあり。月1回の直接交流に1回参加した後は中
断、その後就職時に1回直接交流。有25 女性 37
別居:中学2年生、離
婚:15-16歳
母の多忙 父→母
当初からあり。母とは隔週程度でメールや電話。高校の
頃に1度直接交流。大学から母と同居。父とは1-2カ月に1
回メールや電話。数年に1回直接交流あり。中断なし。有26 男性 31 別居と離婚:7歳 母の不倫
母→児童養
護施設
当初からなし。20歳になり、自分で会いにいった。 なし
27 男性 21 別居と離婚:10歳 不明(喧嘩後父が出ていった) 母
当初はあり。2か月間週1回の直接交流。その後中断。高
校時に父と通学路で会った。
不明
28 男性 24 別居と離婚:高校1年生 父が仕事をしない 母
当初はあり。月1回の直接交流が1年ほど続くが中断。20
歳で一度直接交流。その後、インタビューを受けること
をきっかけに直接交流。有29 男性 36 別居と離婚:小学6年生 最終的には父の不倫 母
当初からあり。20歳前後まで年数回は母も含めて直接交
流。中断を経て30歳頃に電話、30代半ばに直接交流。
不明
(おそらくなし)
30 男性 36 別居と離婚:6歳 母の蒸発
父方祖父母
→父→一人
暮らし→父
→母
小学生の頃は父と週1回の直接交流。母とは離別後交流は
なかったが14歳頃に母から電話があり、その後週1回〜月
1回電話。20歳までは年1回の直接交流も有。20代後半の
頃母親と一時的に同居。
なし38〔図 3〕未成年期に父母の別居・離婚を経験した子が父母の離別に肯定的とも否定的ともいえな
い思いを抱くようになるまでの心理的プロセス
➢ ストーリーライン(カテゴリーは≪≫、カテゴリーを構成するサブカテゴリーは<>、
概念は太字ゴシックで示す。カテゴリーおよび概念の内容説明は後述する)
<離別前の生活>として、
別居親に振り回されていた生活を送っていた子や、
同居時から
ほとんど交流がない別居親であると認知していた子は、
いつか離婚すると思っていたり、離別に賛成していたり、特にいいとも悪いとも思わなかったりすることが多い。一方で、離別
前に子どもからすると問題ない生活を送っていた子は、離別に困惑することが多い。
離別に困惑する経験をしていた子のなかで、離別説明はあったが離別理由の説明はない
場合、離別自体の説明がない場合、離別時に子どもの意見を聞いたり、尊重してもらえる場
がなかった場合には、子どもは離別に対して納得いかない気持ちを抱える。
一方で、
離別説明はあったが離別理由の説明はない、
離別自体の説明がない場合であって
も、両親の喧嘩や、出ていく決定的な瞬間などの状況をみていた場合は、ある程度納得して39離別を受けいれる。また、離別時に子どもの意見を聞く場があったことによっても、納得感
が高まることが多い。
≪離別後の同居親との生活≫においては、離別後の生活の継続的な大変さを経験してい
た場合と、離別後も特に生活に変化がない場合の 2 パターンがある。離別後の生活の継続
的な大変さを経験している場合、別居親の話題は出さない・出せないことによって、あるい
はほかの人に離婚のことをいいたくない・知られたくないことによって自分が我慢する・頑
張るしかないと思い、大変さを 1 人で抱える。同居親がある程度子どもの大変さを慮って
くれたり、
子どもの意見を尊重しようとする様子をみせてくれたりなど、
一応子どもの意見
は尊重される場合でも、同居親の大変さを気遣い、本当の自分の気持ちをいわない・いえな
いという選択をして、自分 1 人で頑張っている。また、子どもの頑張りが労われず、子ども
の意思も尊重されずに離別以降も親中心の生活が続く場合には、同居親に対してネガティ
ブな印象を持つようになる。
生活上の大変さが解消されない、
あるいは新たな大変さが出て
くる(生活の継続的な大変さが続く/新たな大変さが出てくる)ことによって、自分や家族
が離別によってネガティブな影響を受けていると感じるようになる。
離別後も生活に変化なしのパターンでは、
離別前と比べて、
経済的にも感情的にも大変さ
が増すことはない。また、親が子どもの意見を尊重してくれる(離別後の意見の尊重)こと
も多い。そのように、自分自身の生活はいったん安定していたものの、その後の生活のなか
で新たな大変さが出てくることによって、あるいは離別による悪影響を顕著に被っている
家族メンバーがいることによって、自分や家族が離別によってネガティブな影響を受けて
いると感じるようになる。
また、
離別後も生活に変化なしのパターンで、
かつ≪別居親との交流のあり方≫において
も継続した定期的な面会交流が続けられ、養育費をきちんともらっていた場合に、
「なぜ両
親はわざわざ離婚という選択をしたのだろう」
という疑問が続き
(離別に納得しきれない思
いが残る)
、離別しなくてもよかったのではないかと思うようになる。この場合、離別によ
って特段の悪影響があったわけではないが、
両親の離別に納得はできておらず、
離別してよ
かったと思えた経験もないため、離別に対してよかったとも悪かったともいえないという
思いを抱く。
≪別居親との交流のあり方≫では、継続した定期的な面会交流、交流する機会・手段がな
いのパターンがある。
継続した定期的な面会交流があっても、
自分の意思や親の都合によっ
て交流が中断することも多い。交流が中断する、交流する機会・手段がない場合には、別居
親に対して会いたいと思う子もいれば、会わなくても寂しさはないと感じている子もいる。
これらの子たちは、
成長してから別居親と会う機会があり、
それによって成長してから改め
て別居親を知ることができる。
子どもの別居親に対する印象や感情は、
別居親との再会した
ときの状況によってさまざまである。再会して別居親に対してネガティブな印象を持った40場合には別居親とかかわりたいとは思わないと感じ、以降積極的な交流はしないようにな
る。
周囲や同居親から別居親の話や離婚理由を聞く、
養育費をもらっていないという状況も、
別居親へのネガティブな印象に影響を与える。
一方で、
別居親との再会によって別居親側の
事情を知ることができると、離別は仕方なかったと思うようになることもある。しかし、別
居親との再会で両親の仲が悪い状況を目の当たりにするという経験をし、その印象が強烈
に残ると、自分や家族が離別によってネガティブな影響を受けていると感じるようになる。
≪離別に対する現在の思い≫は、≪離別後の同居親との生活≫≪別居親との交流のあり
方≫≪第三者とのかかわり≫にそれぞれ影響を受ける。
この思いは、
大きく分けて離別しな
くてもよかったのではないかと思う人と、自分や家族が離別によってネガティブな影響を
受けていると感じる・大人になって俯瞰的に両親を捉える・離別は仕方なかったと思うよう
になるの 3 つの思いをぐるぐると循環している人に分けられる。前者については前述のと
おりである。後者の人たちは、その時々の状況によって離別に対する考え方が異なりつつ、
自分なりの気持ちの置き所を模索している。
また、
離別によってネガティブな影響を受けて
いると感じる一方で、
離別したからこそ得られた経験もあると感じられることで、
離別した
ことでよかったことも悪かったこともあると感じ、父母の離別に肯定的とも否定的ともい
えない思いを抱くようになる。この離別したからこそ得られた経験があると思えるように
なる背景には頼りになる第三者の存在があり、その第三者に支えられたり励まされたりし
たことで、離別後の経験を肯定的に捉えることもできるようになっていると考えられる。
➢ カテゴリーおよび概念の内容説明
1 ≪離別時の離別に対する思い≫
子どもが持つ、
離別時の離別に対する思いを表すカテゴリーである。
<離別前の生活>で
は、
暴力や借金があり、
子どもや家族全体が別居親からネガティブな影響を受けていた状況
を表す別居親に振り回されていた生活、
仕事が忙しい・生活時間帯がずれているなどの理由
により別居親と交流がない状況を表す同居時からほとんど交流がない別居親、両親間の夫
婦仲がどうであったかはさておき、子ども自身は同居親や別居親に大きな不満はなく生活
にも支障がなかった状況を表す子どもからすると問題のない生活の 3 つの概念が得られた。
<離別に対して子どもが感じる気持ち>は、<離別前の生活>をどう認知していたかに
影響を受ける。
いつか離別すると思っていたは、
別居親の暴力や両親間の喧嘩を目の当たり
にして、いつか決定的な別れの瞬間がくるだろうことを子どもが予感していたことを表す
概念である。子ども自身も別居親に対してネガティブな思いを持っている場合などは離別
に賛成している場合もあった。
特にいいとも悪いとも思わないは、
離別をポジティブにもネ
ガティブにも思わないというだけでなく「両親間の葛藤だから自分は関係ない」
「巻き込ま
ないでほしい」といった突き放すような意味合いも含んだ概念である。特に中学生・高校生
の時期など、
年齢が高くなって離別を経験した場合に多くみられていた。
離別に困惑すると
いう概念は、
離別に対して驚いたりショックを受けたりとても悲しんだりと、
離別に対して41ネガティブな感情を抱いたことを示す概念である。
特に、
離別することについては説明があ
ったが離別理由の説明がない(離別説明はあったが、離別理由の説明はなし)ことにより、
「何で家族がバラバラにならないといけないんだろう」
と理不尽に思ったり、
離別すること
について明確に言葉で説明されないままである場合(離別自体の説明なし)
、子どもの訴え
をまったく取り合ってもらえなかったり意見を聞く場自体がなかったりする場合(離別時
に子どもの意見を聞いたり、尊重してもらえる場がなかった)には、子どもは離別に対して
納得がいかない気持ちを抱えるようになっていた。子どもの意見としては、
「離別してほし
くなかった」
「お父さんと住みたいと訴えたのにお母さんと住むことになった」といった語
りが得られた。
2 ≪第三者とのかかわり≫
これは親戚や友達、先生、コミュニティなどと、子どもを取り巻く周囲とのかかわりを示
すカテゴリーである。
この群では離別のことをいいたくない・知られたくないという気持ち
を強く持っている人が一定数含まれていた。
離別に対する社会の偏見や
「親が離婚している
からかわいそう」
と思われないようにという意識が働き、
できるだけ離別のことをいわない
ようにしている子もいた。
祖父母や仲のいい友達、学校や養護施設の先生など頼りになる第三者の存在に支えられ
ているという語りも得られた。
家族関係のことも含めて、
第三者に悩みを打ち明けることが
でき、それに支えられたという人もいれば、離別に伴う悩みはあくまでも人に話さず、自分
1 人で抱えているという人もいた。
3 ≪離別後の同居親との生活≫
このカテゴリーは、
離別後の同居親との生活の状況を表している。
離別後の生活の継続的
な大変さは、離別後経済的に厳しい状況が続いた、同居親が不安定になってしまった、虐待
を受けた、といった状況を表している。別居親の話題は出さない・出せないには、離別や別
居親の話がタブーになってしまう状況だけでなく、
同居家族の間で
「別居親の話をしないよ
うにしよう」と決めるなど、自主的に別居親の話をしないことも含まれている。この場合、
自分が望むと望まないとにかかわらず、
別居親の話はしにくい状況になるため、
結果として
自分が我慢する・頑張るしかないと思い、1 人で大変な状況を抱えて頑張っていた。一応子
どもの意見は尊重されるは同居親のできる範囲では子どもの意見が尊重されるが、子ども
自身の負担も少なくない
(家計や学費の一部を子ども自身で担うため、
日夜アルバイトに励
まざるを得ないなど)
状況を示している。
この場合、
子どもは同居親の配慮は感じるものの、
現実的な負担が続いており、本当の自分の気持ちをいわない・いえないようになっていた。
この場合自主的に「いわない」選択をしている場合もあれば、いうと家族が不安定になるな
どの理由により「いえない」と感じている場合もあった。一方で、離別以降も親中心の生活
が続くは、
子どもの意思がまったく尊重されず、
親の意向が優先となって物事が決められて
いく状況を表している。
この状態が続くことで、
子どもは同居親に対してネガティブな印象42を持つようになっていた。
「もうこの人は変わらない」と同居親に見切りをつけていると思
われる場合もあれば、
「いつかはわかってくれるのではないか」と同居親への期待を持ち続
けていると思われる場合もあった。
一方で離別後も特に生活に変化なしの状況の人もいた。
この場合、
離別によって特段苦労
することはなく、今までと大きく変わらない暮らしをできていると感じられていた。また、
親が子どものことを尊重してくれる(離別後の意見の尊重)と感じている人も多かった。離
別後の生活に変化がない状況であっても、成長につれて新たな大変さが出てくることもあ
った。例えば、経済的理由により大学をあきらめざるを得なくなった、などの経験により、
「離別していなければもっと別の進路もあり得たのでは」
と感じることで、
離別によるネガ
ティブな影響を受けていると思うようになっていた。
離別に納得しきれない思いが残るは、離別によって生活上の特段の変化・苦労はなく、同
居親との関係も別居親との関係も変わらず良好であるゆえに「なぜ離別しなければいけな
かったのか」
「生活や関係が変わらないのであれば離別しないでもよかったのではないか」
という気持ちを示す概念である。
離別したことでネガティブな変化はなかったが、
ポジティ
ブな変化を感じられたわけでもなく、両親間の関係が修復不可能なほど悪いわけでもない
と感じているため、離別に対して納得できていない思いが強く残っていると考えられる。
4 ≪別居親との交流のあり方≫
継続した定期的な面会交流は子どもにとって無理なく過ごせる交流の機会が続いたこと
を表している。
養育費をきちんともらっていることによっても、
別居親へのいい印象は保た
れているようであった。しかし、途中で交流が中断することも多くみられた。交流中断の理
由として、自分が忙しくなったり会いたくなくなったりするなど自分から中断する場合も
あれば、同居親からもう会わないようにといわれるなど、親都合で中断する場合もあった。
中断の理由は何であれ、その後会わなくても寂しさはないと感じる子もいれば別居親に会
いたいと思う子もいた。
交流する機会・手段がないは、面会交流についての取り決めがなされないまま離婚した、
離婚後同居親が勝手に引っ越した、などの理由により別居親との交流の機会が失われたこ
とを示す概念である。
この場合も、
特段会わなくても寂しさはないと感じる子もいれば別居
親に会いたいと思う子もいた。
交流が中断する、交流する機会・手段がない場合でも、多くの人は成長してから別居親と
会う機会を経験していた。
そして、
その時の様子や再会後に交流が続くことで成長してから
改めて別居親を知るようになっていた。
このとき別居親の常識はずれな言動をみるなど、ネガティブな側面をみた場合には別居親に対してネガティブな印象を持つようになっていた。
養育費がなかったことを知る(養育費をもらっていない)
、同居親を含む周囲の人から別居43親のネガティブな側面を聞かされる
(周囲や同居親から別居親の話や離婚理由を聞く)
とい
った状況があると、
別居親へのネガティブな印象がさらに強まっていた。
それによって別居
親とかかわりたいとは思わないようになる人もいた。
一方で、
成長してから改めて別居親を知ることができた場合で、
別居親にネガティブな印
象を抱かず、
別居親といい関係を築けるようになった人もいた。
なぜ離別したのかわからな
かった場合でも、
別居親が理由を話してくれたことで別居親側の事情を知ることができ、離別に対する思いが変化する(離別は仕方なかったと思うようになる)こともあった。
5 ≪離別に対する現在の思い≫
大きく 2 つのパターンがある。1 つは離別しなくてもよかったのではないかと思うため
に、
離別してよかったとも悪かったともいえないと感じているパターンである。
離別に対し
て納得しきれない思いが残る一方で、離別によって特段不利益を被ったわけでもないので、
よかったとも悪かったともいえないと思うに至っていると考えられる。
もう 1 つは、自分や家族が離別によってネガティブな影響を受けていると感じる、大人
になって俯瞰的に両親を捉える、離別は仕方なかったと思うようになるの 3 つの思いを循
環しているパターンである。自分や家族が離別によってネガティブな影響を受けていると
感じるは、離別によって自分自身が、あるいは家族メンバーの誰かが、ネガティブな影響を
受け続けていると感じていることを表している。
ネガティブな影響としては、
離別したこと
で金銭的な負担が続いている(奨学金の返済、同居親の生活費などを自分で担っている)こ
とや、離別をきっかけに家族メンバーが精神的不調に陥り自殺未遂を繰り返しその対応に
追われていたこと、虐待を受けたこと、希望の進路に進めなかったこと、などがあった。大
人になって俯瞰的に両親を捉えるは親をいい面も悪い面もある 1 人の人間として捉えよう
としていることを示す概念である。特に親のネガティブな側面を冷静にみつめなおすこと
で、親に振り回されすぎずにいられるようになると考えられた。本や TV、他の人の話など
からいろいろな知識を得ることも、
両親を俯瞰的に捉える動きに影響を与えていた。
離別は
仕方なかったと思うようになるは、
別居親側の事情を知ったり、
親を俯瞰的に捉えるように
なったりしたことで、
離別自体は避けられないことだった・両親にとって離別はよかったと
思えるようになることである。しかし、大人になって俯瞰的に両親を捉える、離別は仕方な
かったと思うようになると同時に自分や家族が離別によってネガティブな影響を受けてい
ると感じることも多々あるため、
一概に離別を肯定的に捉えることはできず、
よかったこと
も悪かったこともある/よかったとも悪かったともいえないと思うようになっていた。ま
た、
「離別により経済的に自立しようと頑張ったために今の自分がある」
「虐待を受けて児童
養護施設に行ったから出会えた人・できた経験がある」など、離別したからこそ得られた経
験がある場合には、離別の肯定的な側面にも着目していた。しかし、よかったことがあった
からといってネガティブな経験が消えるわけではないため、よかったことも悪かったこと
もある/よかったとも悪かったともいえないという思いを抱くようになっていると考えら44れた。45〔表 8〕父母の離別に肯定的とも否定的ともいえない思いを抱いている群の概念表
カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 23 24 25 26 27 28 29 30 総数
別居親に振り回されて
いた生活
同居時は別居親の暴力(精神的なものを含む)、
身勝手なふるまいなど別居親に振り回されていた
生活を送っていたこと
自分が悪いことをしてないのに叩かれたりしてたんですよね。小学校になってからは、そうないのですけど、だか
ら保育園とか保育園行く前とかだったら、お姉ちゃんと一緒に縄で縛られてたりとかしてたり、だから、あーそう
なんだっていうぐらいにしか感じてなかったです。お互いそれぐらいの感じです。<誰もそれぐらい>姉です。<
お姉ちゃんもそれぐらいの気持ちで>そうです。<では、そんなにさみしいとかいうわけじゃなくって>なかった
ですね。どちらかというと、もう母親は家にいないことが多かったので、でも、いつもだったら帰ってくるぐらい
の時間になっても帰ってこないね、そうだねみたいな。大おばさんもまだお仕事されてたので、大おばさんが帰っ
てきても、まだ帰ってこない、父親が帰ってきても帰ってこないってなって、で、父親と母親の部屋に離婚届が置
いてあった的な。(30さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 5
同居時からほとんど交
流がない別居親
同居時は別居親との交流がほとんどなく、関係性
が薄いこと
性格合わなかった、僕もあんまり、まあ僕に興味ないっていうと変ですけど。必要最低限のことしか、例えばどっ
かに遊びにいくとか、子ども思いの人ではなかったですね、今考えれば。なんで、別に最低限の、今どんな感じぐ
らいのことを1週間に1回しゃべるかしゃべらんかぐらいだったんで。そんなに仲はよくなかったんで、はい。<
へー。その、一緒に暮らしている間も>はい。まあ、生活がえらかったんで。向こうは夜勤のトラックの運転手
だったんで。<あー、はいはい>僕たちと生活が真逆だったんで。会う機会もそんななかったんで、はい。そんな
感じですかね。(28さん)
○しろまる ○しろまる 2
子どもからすると問題
ない生活
子どもからすると特に問題のない安定した生活を
送っていたこと
中学の3年生の頃に、まあ、ちょっと、私たちは別居というのを知らなかったというか、母、うちは共働きで、母
は結構仕事が忙しくて、なかなか家に帰ってこれなかったりして、会社に泊り込んでいたりとかすることもあっ
て、そういうのが結構忙しい時期が続いたので、私はちょっと別居って思っていなかったんですけど、徐々にそこ
から別居になって、中3のときは母親のほうが帰ってきていなかったので、多分そういうのが続いて、ちょっと別
居になっていったような感じだと思います。(25さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
いつか離別すると思っ
ていた
同居当時の両親の関係性、家族の関係性から、い
つか離婚すると思っていたり、別居に至っても仕
方ないと思っていたりしたこと
しゃべってるところも、あんまりみずだったんで。まあ、ぎすぎすしてるなって僕たちは思ってましたね。<そう
なんですね。ありがとうございます。じゃあ、別居、離婚されることになったのは、高校1年生のとき>はい。<
いつぐらいですか>高校1年の5月、6月ぐらいですね。<ああ、そうなんですね>はい。<ありがとうございま
す。その、別居とか離婚されるにあたって親御さんから何か説明とかはありましたか>軽くはありましたけど、ま
あ、薄々はわかってたんで。ああ、そうかっていう感じでしたね、僕は。(28さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 4
離別に賛成
離別してほしいと思っていたり、離別することで
安心したりすること
もともと私自身が父親と仲が悪かったっていうのがあったので、それに関しては、ちょっといい方は悪いんですけ
ども、せいせいしたというのはあって、ただ、今になって考えると、ちょっと残念だなっていう気持ちはありま
す。<そうなんですね。その当時としては、結構せいせいしたというか、苦手なお父さんとちょっと距離を置ける
みたいなのがよかった>そうですね。ちょっと距離を置けたというのはありがたかった、ちょっと助かったという
のがありますね。(24さん)
○しろまる ○しろまる 2
特にいいとも悪いとも
思わない
離別すると聞いても、特段肯定的な感情も否定的
な感情もわかなかったこと
まあ、ぎすぎすしてて、普段から仲もよくはなく。これといって家族でどっかに行ったっていう記憶もないので。
まあ別に、そうなのって。何も躊躇はしなかったですね。<あっ、へぇー、そうなんですね。じゃあ、ああ、そう
なのっていう感じで>はい、そうですね。<何でしょう、肯定的とか否定的とか、どちらでもないとか>そうです
ね、はい。どちらでもないですね、別に。はい。(28さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
離別に困惑する
両親の突然の離別に困惑したり、両親がそろって
いない状況に悲しさを感じたり、離別しないでほ
しかったと思っていたこと
例えば母親が父親を悪くいう、父親が母親を悪くいうとか、そういうことが一切なかった。あの人がこうしたから
私たちは離れるのよとか、そういう説明が一切子どもにはなくて、だから子どもとしては、好きな父親と急に離れ
る、急にというか、うすうす感じてはいても、実際に離れる日は本当に急だったんで。今日、これから出ていくよ
みたいな、鞄1つで出ていくよみたいな感じじゃないですけど。だから、何ていうんでしょうね、大人風にいえ
ば、置いてけぼり状態だったということです。蚊帳の外。(略)理由がわからないから、私としては葛藤という
か、理由がわからないのに好きなほうと離れるから、それが嫌だったという。そこしかいってないんですけど。
(26さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
離別説明はあったが、
離別理由の説明はなし
離別することの説明はあったが、離別理由に関す
る詳細な説明はなかったこと
そのとき(離別当時)は、何か一緒に暮らせなくなったみたいなことをいわれて。協議離婚とかそういう難しい言
葉は全部省いて、後で要らないといわれたぐらいの感じのことを中学生ぐらいのときに母からいわれて、思春期
だったのですごくショックを受けて、要らないといわれてもなあって。(23さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 6
離別自体の説明なし
両親が離れて暮らすことや、どちらかが出ていく
ことなど、離別自体に関する説明がなかったこと
そもそもなんですけど、聞いてもないですね。何となくこう自然に、直接、離婚したとはいわずに、自然な空気で
はそういうふうになった、そういうことになったんだなというふうに思いました。<何も説明はされてないけれど
も、空気で何となくもう離婚したということがわかった。それは何でわかったんですか>そうですね、そのときで
すが、父親の話をしようとすると本当にすごい威圧込めて、そういうのはやめろというふうなことを何度も何度も
いわれました。(27さん)
○しろまる ○しろまる 2
離別時の
離別に対
する思い
離別前の
生活
子どもが
感じる気
持ち46カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 23 24 25 26 27 28 29 30 総数
状況をみていた
離別に至るまでの喧嘩や、決定的な瞬間をみてい
て状況を把握していたこと
父親の携帯を勝手にみて、女性とのやりとりをみつけたっていう、それがとどめです。(略)喧嘩してるわという
か、もう、一言でしたね。もうさすがにいい逃れできなかったんでしょうね、母親が一言、「出ていけ」って。そ
れだけです。<そうなんですね。で、お父さん出ていって、で、それもみて>はい。あーっていう、そういうこと
かって。<そうなんですね。何か特にそれについて説明はなかったってことなんですが、何か説明>僕もその場に
いたんで、僕も結局みたので、携帯。(29さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
離別時に子どもの意見
を聞いたり、尊重して
もらえる場がなかった
離別時に、子どもの意見を聞く場はなかったこ
と。あったとしても尊重してもらえなかったこと
もう、幼少期はほぼ母の意思で、お父さんのほうについていきたいとかいっても母が親権をとるっていうのがあた
り前の世の中なので、そんなの選べないし。というか、私自身も、何だろう、相談員が母のほうへいけばいいで
しょうぐらいな感じで片づけられてしまうので、ほぼ私の意思は聞かれていないし、名字を変えることも私の意思
も聞かれずに自動的に母の姓になっちゃったので、幼少期はほぼ聞かれていないですね、反映されていないです。
大人になってきたら、何か会いたかったなとか、意見はいえるようになった感じですね。寂しかったとか。(23さん)○しろまる ○しろまる 2
離別時に子どもの意見
を聞く場があったこと
離別時に、どちらと住みたいか、苗字や転校につ
いての希望など、子どもの意見を聞く場があった
こと
私としては、正直なところ別居することになって、住む場所ももちろん変わったんですけども、なるべく当時住ん
でた地元の学校に行きたいっていう意見はいいました。<そうなんですね。それについてはいかがでしたか。何か
どんなふうにいわれたとか、対応されたとか>それについては、もちろん快くOKしてくれまして。<そうなんです
ね。じゃあ、別居されることになった家もそこまで遠くないというか、同じ校区に通えるぐらいのところなのです
か>はい、一応別の市に移ったんですけれども、それでも全然通える範囲ではありました。(24さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
ある程度納得する
両親の離別をある程度納得して受け入れること。
人によって、発達段階によって、納得度合いに差
はある
暴力とかすごかったので、逆にほっとしたというか。私とか妹もいつぶたれるかわからないので、ちょっとほっと
したというのはありますね。<じゃ、ちょっと幼い心にも、お父さんに対する何か恐怖心というか、そういうのは
あったという感じなのですか>そうですね、何か常に暴力から逃げる方法とか、何か暴れたらどうやって家から逃
げるかとか、そんなことしか考えていなかったです。<わかりました。何というか、お父さんがいなくなって寂し
いとか、ちょっと行かないでとか、そういうような気持ちはそんなに持っていなかったということですね>そうで
すね。後々小学校へ上がってきて、周りのお父さんと比べて寂しいなとか思うことはありましたけれども、その時
点ではよかったなみたいな、もう暴力はふるわれないみたいな。(23さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 5
納得いかない気持ちを
抱える
離別に対する困惑やショックが大きく、離別を受
け入れられずに納得いかない気持ちをしばらく抱
えていること
その離婚、何で離婚したんだろうっていうところは、ちょっとそのときは幼かったのでどうでもよかったんですけ
ど、ただやはりショックだったっていうのは、本当に大きいです。<ショックだった>その幼いからなんだとは思
うんですけど、やはり家庭には母親もいて、父親もいてというふうに、そういうのがあたり前だと思ってたんで、
まさか母親だけになるとはっていう、あまり仲良くできなかったのかなっていうふうに思ってたことはありまし
た。(27さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
離別後の生活の継続的
な大変さ
離別後経済的に厳しい状況が続く、留守番が多く
なる、離別時に感じた寂しさや不安を抱え続け
る、離別をきっかけに同居家族との関係も不安定
になる、など、離別したことで生活上に何らかの
大変さが現れ、それが継続的に続いていくこと
母がやはりキーキーキーキー怒っていたし、会うとまた裏切られたとか。何でしょう、負のオーラというか、雰囲
気が悪くなるからいい出せなかったというのはありますね。<お母様は、先ほどもキーキーとおっしゃっていまし
たけど、割とやはりキーキーと>押していく。<お仕事が大変だったからですかね>やはり、おばあちゃんから、
出戻りの娘といわれて。<えっ、おばあちゃんから>それで、叔母も結構否定的だったので、孤立無援みたいなと
ころがあって、金のかかる孫を連れてきてみたいな。まあわかるんですけど。というので、ずっと肩身の狭い思い
をしていて。<ああ、そうだったんですね>うん。結構おばあちゃんが女帝で、牛耳っていたので。うん、そうで
すね。(23さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 5
別居親の話題は出さな
い・出せない
離別後の生活で、別居親の話題がタブー扱いに
なっているため話せなかったり、子どもが自主的
に話さないようにしていたりすること
本当にタブー扱いでして、そのとき学校で使っている日用品、大体フルネームで書いてありますけど、そこの名字
の部分を修正液だったり、マッキーペンだったりでガーッと消したり、徹底的に元お父さんの関連物はなかったこ
とにしてたんで、到底話せるような雰囲気じゃなかったです。<では27さんの持ち物で、お父さんの名字のところ
を消したってことですか>はい。すべて消されました。わかりづらいかもしれませんが、その当時トモダチコレク
ションっていうゲームで、自分でキャラクターを作って遊ぶゲーム、それでも元夫の関係者全員削除されてました
ね。いつの間にか。<勝手に>はい。(27さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 4
自分が我慢する、頑張
るしかない
助けになってくれる人がおらず、自分が我慢して
頑張ればその場が収まると思い、1人で辛い状況や
感情を抱えること。あえて助けを求めずに1人で頑
張っている場合もある
例えば夏休みとか、小学校2年生の夏休み、長期休暇のときに、母親が朝から仕事にいく、父親(継父)はちょっ
と遅めの出勤だったりして、弟は保育園、母親は仕事のときに保育園に連れていく。つまり、私と今の父親が1対1
になる時間ができるんですよ。もう地獄ですよ。「お母さんいかないで」って、もちろん、そんなこといったら、
後からボコボコにされるので、心のなかで「お母さんいかないで、何で助けてくれないの」、ずっと念じるってい
うか、念を送るというか、してました。(26さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 4
一応子どもの意見は尊
重される
同居親が子どもの意見を尊重してくれようとする
が、生活上の制約などもあり、子どもへの負担も
少なからず残り続けること
<学費とかのことも親御さんからいわれたわけではなく>学費は自分で。<はい>まあ、払ってとはいわれてない
んですけど。<はい>ちょっと、してほしいみたいな感じやったんで。<ああ、そうなんですね>じゃあ、自分の
分は自分で払うわっていったんは覚えてますね。(28さん)
○しろまる ○しろまる 2
離別時の
離別に対
する思い
離別後の
同居親と
の生活47カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 23 24 25 26 27 28 29 30 総数
離別以降も親中心の生
活が続く
離別以降も子どもの意見を聴いてくれるような雰
囲気はなく、親中心の生活が続いていること
<とにかくお母さんに自分の意見を尊重されたっていうような気持ちはあまりないって感じですか>はい。ないで
すし、あちらもそもそも眼中になかったと思います。<眼中になかった>はい。<眼中になかったっていうのは、
あまり気にしてなかったっていう>はい。父親との関係に関しましても、そういった息子だったり、家族だった
り、迷惑もおかまいなしに、本当に自分が嫌だからっていうふうにあたってましたね。(27さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 4
本当の自分の気持ちを
いわない・いえない
離別後の大変さや、それにまつわる気持ちを誰に
もいわずに・いえずに1人で抱えていること
<その、ご自身のそういった気持ちを、お母様とかにいったこととかはありますか>うーん、何かちらっと、「最
速離婚しそうだから、私、いいわ」とかいって、普通にいっていて、「スピード離婚しそうだから私はいいよ」と
かって、冗談ではいっていますけど。何か、出戻りでまたぎゃあぎゃあ始まるとかはいっていないですね。<お母
さんたちの、10歳のときにみたそういうのがあるとか、そういうこともまだいっていない>うん、いっていない。
<そういう違和感がある、ということはいっていない>いっていないですね。(23さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 5
同居親に対してネガ
ティブな感情を持つ
離別後の生活を通して同居親の身勝手さに気づ
き、ネガティブな感情を抱くようになること
助けてほしかったです。明らかに、子どもがボコボコになっているのはわかっているんです、母親も。でも別れな
い。つまり、あれだけ子どもを引き取るっていったけど、子どもと今の父親、不倫相手を天秤にかけたときに、天
秤にかければ、今の父親のほうが比重は重い。大事なんです、愛する人なんですね。だったら、子どもなくてもよ
かったやん。だったら2人で愛し合って、子ども2人作ってるんだから、それでいいやんという思いもあり、だから
助けてほしかった。大人になってからの総合的なまとめでいえば、あなたたちは子どもの幸せを......、あなたたち
にとっての子どもの幸せって何だったんだ。(26さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 4
離別後も特に生活に変
化なし
離別後も離別前と比べて特段生活の変化はなかっ
たこと
別に離婚したからといって、誰かのそんな、おじいちゃんやおばあちゃんとか、おばさん、おじさんとか連絡をと
らなくなるとか、一切なかったんですね。そのへんがもう全然変わらなくて、きちっと母親自体も連絡はとりあっ
てはいたので、何か本当に周りも、別にする必要なかったのにね、みたいなことはいっていましたね。(25さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
離別後の意見の尊重
離別後に、同居親や一緒に住んでいる家族が子ど
もの意見を尊重してくれたこと
(父方祖父母は)戦争経験者の方だったのですごい厳しく育てられたんですけど。でもその分、礼儀作法とかちゃ
んと仕込まれたんで、全然、僕は。父親も父親で、好きにしたらいいんじゃないのみたいな、最初はいろいろいっ
てましたけど、学校に行かなかったことに関してとかもそうですけど。(30さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
離別に納得しきれない
思いが残る
離別しなくてもよかったのではないか、と離別に
納得しきれない思いが残ること
やっぱり母と父は連絡自体はとってくれていたんですよね。妹とか私の進路とかのことについて。なので、まった
く離婚したからといって、そこからもうすぐに、絶縁という感じじゃあなかったので、自分的にはそんな、離婚し
ちゃっているのですけど、別にしなくてもよかったんじゃないかなって。結局連絡とかもとって、お金の問題とか
も両親で話し合っていたみたいで、別に紙を出さなくても、うちはよかったんじゃないかなっていうのはあったん
ですけど。そうですね。なので気持ちがよくも悪くもなってはいないんですかね。(25さん)
○しろまる 1
生活の継続的な大変さ
が続く/新たな大変さ
が出てくる
離別による生活への悪影響が数年以上にわたって
続いていたり、成長につれて新たな大変さが出て
きたりすること
母親は、うーん。母親が父親と別れてから、母親がパニック障害になって、ODとかしたりとか、そんなんがあった
んで。で、それを僕も同じことをしてしまったし、まあ自殺未遂もしたし、4階から飛び降りて、それで車椅子
やったんですよ。(29さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 6
離婚のことをいいたく
ない・知られたくない
離別したことを知られることで、周囲から今まで
と異なるようにみられるのではないかと感じ、離
別をできるだけ隠そうとすること。社会からの偏
見を感じとっていることもある
私自身も離婚しましたというのは公にいったことはないので、そこまで何かしてもらった覚えはないです。<そう
なんですね。先ほど確かにおっしゃってましたけれども、それはあえていいたくないというか、いわないほうがい
いかなというふうに思われた>そうですね。友達も何人かいたので、そういったことがばれるのはちょっと私とし
ても嫌だなと思ったので。<そうなんですね。何かばれるのが嫌だなと思われる理由とかって何かありますか>何
でしょう、離婚したんだっていう感じの目でみられるのが嫌だったというのがあったので、できれば、離婚はし
ちゃったんだけれども、そういったことはあまり話さずに、そのままでいいかなっていう感じです。<何かそれに
よって周りからのみる目が変わったりとか>そうですね、はい。接し方が変わるのが嫌だったので。(24さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
頼りになる第三者の存在小学校の先生が、結構思慮深い方で、普通、離婚した家庭の子どもって腫れ物に触るような感じで扱ってくる時代
だったので、今ほど多くはなかったので、普通の子と同じように扱ってくれたのが。いじめられても、「違う
よ」っていって、「多様性」っていって、ちゃんと扱ってくれていたのがうれしかったですね。校長先生もいい人
で、片親だからこの職業に就けないとか、思考が偏っているとかっていわないでくれたのはありがたかったです。
片親だと、どうしても不良になるとか、何かいろいろあるのですけれども、いわれたりするのですけれども、何か
自分のせいでないのに、そうやって決めつけてレッテルというか、価値観、不良になるという価値観ではなくて、
いろいろな可能性のある子だからみたいな感じで扱ってくれたのはありがたかったですね。(23さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 7
離別後の
同居親と
の生活
第三者と
のかかわり48
カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 23 24 25 26 27 28 29 30 総数
継続した定期的な面会
交流
離別後に、自分が無理することなく、定期的な面
会交流が継続していたこと
多分2週間に1回ぐらいは、天気とか気温のこととか、そういうことで、気軽なことで連絡はしていまして、でも
やっぱり、もう母は東京に出ちゃっていたので、会うってなると、なかなか会えないですかね。<2週間に一遍ぐ
らいは、電話とかメールはしていたけれど、会うとなると、どれぐらいの頻度でしたか>そのとき、母が1年に1
回、地元のほうに戻ってこれるときに会っていたというぐらいで、1年に1回あるかないかという感じですかね。
(25さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 4
交流が中断する
離別後面会交流は実施されていたが、親の都合や
自分の都合によって面会交流が中断すること
週1で会うことが、大体2か月ぐらい続きました。<週1が2か月>はい。<その後、どんどん減っていったというこ
とですか>これはもう目にみえて、ぶつっと切れました。<週1回が2か月あって、その後、もう一切会わなくなっ
た>はい。<それは何かきっかけがあったんですか>きっかけですか、これは直接理由なのかわかりませんが、会
い始めてから2か月ぐらい経ったときに、夏休みだからちょっと1泊2日でどっか旅行行かないかというふうに、元
父親のほうから誘いがありまして、その話を進めていてたところ、いざその日に近づいてきたときに、もう会うな
というふうに、母親のほうからいわれました。<お母さんから会うなっていわれた>はい。<それで会わなくなっ
たということですか>それからめっきり会わなくなりました。(27さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 4
交流する機会・手段が
ない
面会交流について取り決めがされていない、遠方
への転居などの理由により、別居親と交流する機
会や手段がなかったこと
というか、夜逃げをしたから、住所とかも知らなくて、年賀状とか、そういうやりとりも一切できない。だから、
父親としても、例えば養育費代わりにお年玉をあげたりしてあげたいとしても、何もできなかったんですよね。...
...消えちゃったから。で、母方の親族からは、年賀状のやりとりというか、うちの娘というか何ていうんでしょう
か、親戚からすると、うちの姪っ子が本当に申し訳なかったみたいな。親戚が、姉妹が結構多くて、そこからは何
回も葉書とか年賀状とかが来たことがあるんですけど。<お父さん方のほうに>はい。だから、引っ越したとかっ
ていうのは、教えてなかったというか、そこは知らなくて、便りがないのは元気な証拠というふうに思っていたと
いわれました。(26さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
会わなくても寂しさは
ない
別居親と交流がなくなっても特に寂しさを感じな
かったこと
まあ、せっかく向こうがねえ、いってきてくれるから会おうかぐらいの程度なので。<はいはい>若干、無理して
たのかなと今、ふと振り返って思いますね。<へー。じゃあ、わざわざ月1回も会うほどでもない>会うほどでも
ないかなと、はい。(28さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 4
別居親に会いたいと思う別居親と会いたいと思っていたこと
(母と)2人で外に出ながら、実は、実のお父さんに会いたいんだっていう話をして、そのとき住所っていうか、
「今、どこに住んでいるかは知らないよ」っていうのはいわれて、素っ気なくあしらわれたんですけど(略)その
ときは東京まで行くお金もなかったんで、施設のルールで携帯電話とかは持てなかったので、パソコンもなければ
携帯電話もない状態で、行くのはリスキー過ぎるということで、結局、いろいろ責任はあるけど自由になれる、成
人を迎えたら行こうということで。(26さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
成長してから別居親と
会う機会がある
成長してから別居親と交流する機会ができること
最後に会ったのが、私が専門学校を卒業して、今就職してるんですけども、学校卒業を機に私も県外に就職が決
まったので、県外に出る前に1回だけちょっと会おうってことで、今年の3月に1回会いました。<そうなんです
ね。そのときはいかがですか。どんな感じだったというか>そうですね、久しぶりに会えたというのもあったの
で、わりと新鮮な気分でしたね、そのときは。<そうなんですね。新鮮な気分で、そんなに反抗期も薄れ、嫌だっ
た気持ちみたいなものもなく>なくて、普通に単純に久しぶりに会えたねっていう感じで、重い感じじゃなくて、
楽しく話ができたと思いますね。(24さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 7
成長してから改めて別
居親を知る
別居親との交流がない/中断していたが、成長し
てから別居親と交流する機会があり、それによっ
て小さい時には知らなかった別居親側の事情など
を知ることができること
俺は、自分はすぱっといえるタイプだったんで、今さら母親づらされても困る、対応に困る。母親としてみてほし
いっていってくるんだったら、俺はもう二度と連絡とりたくねえ、という。<そういってた>「わかったわ」みた
いな。そこからはそう母親づらしてこなかったんですけど(略)こう自分から僕たちのこと捨てといて、すり寄っ
てくるのは何か違くないっていうので、それはそこがずっとあったんで、それをいきなりこうやられたりすると、
やっぱりこうおかしいなっていう。<では、根底にというか、いろいろお話はもちろんしてあげるけど、何ていう
か、ずっとこう小さいときに受けた傷つきみたいなのがあって>そうそう、そういうのが癒えるわけじゃないよっ
ていって。<もちろん、それはそうですよね。それはそうですよっていい方もすみません、あれですけど。そうだ
と思います、本当に。なので、何か正しい反応だと思います>そのままこう母親づらしなくて、お友達みたいな感
じだったら、まだよかったほうな、いい方向に進んだかもしれないです。(30さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 6
養育費をきちんとも
らっている
養育費をきちんともらっていること
<養育費は受けとってらっしゃったかとかいうことはわかりますか>お母さん曰く、一応ちゃんと払ってるらしい
です。私自身がみているわけでもないので。一応聞いてみたら、ちゃんと払ってるよというのは聞きました。(24
さん)
○しろまる ○しろまる 2
両親の仲が悪い状況を
目の当たりにする
離別後に両親の仲の悪い状況、大喧嘩している様
子やあからさまに他人行儀にしている様子を目に
すること
向こうから歩いてきたのが父親で、母がばつの悪い顔をしていて、父もちょっとばつが悪い顔をしていて、ちょっ
と表現はあれなのですけれども、男と女みたいな感じになっていて、ちょっと子ども心にすごく衝撃だったのを覚
えていて。今でも覚えていて、あっ、他人なんだって。私にとっては父と母なのだけれども、父親と母にとっては
もう他人なんだみたいな感覚になったのはすごく覚えていて。何か2人の会話がよそよそしいし、それが最後に
会ったときですね。それ以降はもう全然会っていないですね。(23さん)
○しろまる ○しろまる 2
別居親と
の交流の
あり方49カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 23 24 25 26 27 28 29 30 総数
別居親側の事情を知る 離別に関する別居親側の事情を知ること
私、20歳のときに実の父親に会いにいったんです、1人で。そこに住んでるかもわからないし、電話番号も何も知
らない状態だったんですけど、会いたいっていう気持ちがずっと強くて、20歳で一応成人もしたから、母親のほう
も止める術はないというか、勝手にしたらっていうことで。戸籍謄本みれば、実家のほうの住所はわかるんで、そ
れで行ってみたら、実家に祖父、祖母、父親がいたという。<そうなんですね>7歳で離婚して、その13年間でし
たから、当時の離婚の話を聞くことができて、そこで初めて(離別理由が母の)不倫だったっていうのを知れたん
ですが、そういう時系列があって。(26さん)
○しろまる ○しろまる 2
別居親に対してネガ
ティブな印象を持つ
別居親との交流を経て、別居親に対してネガティ
ブな印象を持つこと
要するに僕ら捨てられちゃったわけじゃないですか、子どもとしては、なので、そんな感じですね。あなたの境遇
もわかるけどみたいな。<もう大人になってるから、そういわざるを得ないっていうか、そんな感じですよね>そ
うですね。だから、最終的にはもう下の名前で呼んでたんですけど、たまに、お母さんって呼んでよとかいってく
るけど、えっていう、僕はちゃんと母親から電話かかってきたら相手してあげてたほうなんですよね。でも、姉に
はそんなにやっぱりいい切れないみたいな、その母方のしがらみを全部お姉ちゃんに押しつけた形になるから
(略)俺は別におじいちゃん、おばあちゃんからちゃんと、厳しかったけどちゃんと優しく育ててもらったので、
そんなのはなかったけど、あんたが辛かった思いは全部うちの姉ちゃんがかぶってるんだけどみたいな。(30さん)○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
別居親とかかわりたい
とは思わない
別居親へのネガティブな印象により、別居親と積
極的に交流したいとは思わなくなること。できる
だけかかわりたくないという場合から、積極的に
会おうとはしないという場合まで、幅がある
やっぱり考えてることがわからなかったんで、おかしいことばっかりやってたんで、父親は。それに対して、もう
ふざけるなって。<それは離婚の後>離婚の後です。<そうなんですね>うん。<差し支えなければ、どんなこと
とか、どんなことだったんですか、何かよくわからないっていうか、お父さんのやっていることっていうのは>
うーんとね、もうすべてがもう、気にくわなかったんで、うん。仕事にしろ、まあ、普段の行動ですね。<その気
にくわないっていうのは、何かちょっと一貫性がないというか、何か、何でそんなことするのと>一本筋が通って
いなかったんで、何でこれするんやろうとか、何でこれ、せえへんのやろうとか、何で何でっていうのが、子ども
じゃないけど、大きくなった今でもわからないぐらいなので、うーん。だから、今はもう全然会いたいとも思わな
いですね、うん。(29さん)
○しろまる ○しろまる 2
養育費をもらっていない養育費をもらっていないこと
だから、もう、今までの養育費とか、そういう問題はうちはなかったので、今までお正月とか、もらってないお年
玉のぶん頂戴みたいに僕はせびってます。僕はせびれるタイプの人間だったので。(30さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 4
周囲や同居親から別居
親の話や離婚理由を聞く祖父母などの周囲の大人や同居親から離婚のこと
や離婚理由、別居親のことを聞くこと
中学生ぐらいのときに、電話をかけてくるのがすごく多くて、高校生の、晩年ぐらいになるともうかかってこなく
なって、母が「多分父親じゃないか」っていう話になって。昔は、ナンバーディスプレイというのがなかったの
で、番号が出ないんですよね。おそらくそうではないかという話をしていて、大人になってから、実は私が小学校
とか中学校へ行っている間にふらっと現れたって、父親が家に訪ねてきたっていっていて。<ええっ>「ええっ」
とかいって、「娘に会いなさいよ」って叔母がいって、「いや、いいんだよ僕は」とかいいながら去っていく、と
いう話を大人になってから、20歳を超えてから聞きました。(23さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 4
離別しなくてもよかっ
たのではないかと思う
離別してもあまり父母それぞれとの関係性が変わ
らなかったため、あえて離別という選択肢をとら
なくてもよかったのではないかと思うこと
でも、やっぱり、離婚しているので、私はお父さんの家に泊まるんですけど、母は泊まれないですよね。だから別
にホテルとか借りたりしていたんですけど、そこで離婚していなければ、普通に母も一緒にみんなで会えたのに
なっていう、何かもどかしさみたいなものがあります。そこが、もう離婚の特徴みたいな、行けなくなっちゃった
みたいに。(25さん)
○しろまる 1
自分や家族が離別に
よってネガティブな影
響を受けていると感じる自分や家族メンバーの誰かが離別による悪影響を
受けていると感じること。悪影響には、経済的な
負担や、離別による家族関係の悪化、精神的負
担、虐待などが含まれる
<やっぱりその、別れて住んだことによって、結構その>はい、負担はありましたね。負担っていうか、そうです
ね、ちょっとはありましたね。<やっぱり家賃とか>家賃とか、あと多分、最悪自分は、離婚しないでなら、私学
に行ってても学費は多分、出してくれてたんじゃないかなと、2人で生活してれば。生活費も入れることはなかっ
たんじゃないかなと、はい。<あー、なるほど。そうしたら、バイトするにしても自分のことに基本使えるってい
う>そうそう、そんなに、がっつり週5ぐらい入らんでも、週2、週3ぐらい、自分の好きな小遣稼ぎ程度になるん
じゃないかなとは思うんで、ちょっと待ってほしかったですけど、はい。<ああ、そうなんですね。それは、いつ
ぐらいから思ってたとか、ありますか>高校のときぐらいからですね。口にはしなかったですけど。もうちょっと
辛抱してくれよと思いましたけど。まあまあ、しゃあなかったですね。(28さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 7
大人になって俯瞰的に
両親を捉える
成長し大人になることで、両親それぞれの性格や
事情等をより理解するようになること
非常に踏み込んだことをいうと、そもそもの話、両方とも結婚するべきではなかったっていうふうにも思ってます
けど。<では、ご両親の性格とか、人となりとか、一人の人間としてみるようになってきて、そう考えるとやはり
合わなかったんじゃないかなと思われるっていうことですかね>はい、そうですね。母のほうが非常に我の強い性
格の方でして、自分の意見を絶対に曲げないタイプの人間でして、なおかつ不良気質なところもございまして、前
のお父さんも今のお父さんも両方とも、そういった危ない雰囲気の方でもありましたので。(27さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 7
離別は仕方なかったと
思うようになる
さまざまな状況を知り、両親にとって離別は仕方
なかった、離別は避けられなかったと思えるよう
になること
どっちにしても、多分そんなにうまいこといく夫婦じゃなかったと思うんで、今、振り返れば。はい。多分16歳の
ときにしなくても、また高校を卒業してからとか、そういう多分、感じでやってたと思いますね。<ああ、そうな
んですね>はい。<どこらへんが合わなかったとかあるんですか、お父さんとお母さんで>性格ですかね、はい。
そんな感じじゃないですかね、はい。<どんな性格というか、すみません>どんな性格、大雑把と細かい。きれい
好きと。母はきれい好きで。父はそんなに。大雑把。で、そういう細かいことの性格の、うーん多分、考え方とか
違いとかでそうなってましたね。(28さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 7
別居親と
の交流の
あり方
現在の離
別に対す
る思い50カテゴリー サブカテゴリー 概念 概念の定義 具体例 23 24 25 26 27 28 29 30 総数
いろいろな知識を得る
成長とともにいろいろな知識を得て、両親の離別
を違う側面からも捉えられるようになること
本ばかり読んでいたので、理屈っぽい子になってしまうんですけれども。そうですね、何かいろんな話が、小説と
かでも不仲とか出てくると思うので。新潮文庫とか岩波文庫とか読んでいるような人だったので、昔から多分永遠
のテーマだったのだろうなと思うのですけれども。ああいえばこういうみたいな知識がどんどん蓄えられていった
ので、それで多分いい返せるようになったような気がします。<でも、いい返せてちゃんと会話がいっぱい続いて
いることで、お母様も今では、何というか、あの人も愛していた人だからっていえるようになったとか、そういう
感じなのですかね>うーん、少なからず、私がいうことによって意識が変わっていっているのかなというのは少し
はありますけれども、多分このまま、何だろう、父が100%悪いみたいな言動を繰り返すことは、何もしなかった
ら多分今でも100%父が悪いになっていたと思うのですけれども、だんだん娘2人にいわれて、考えが変わってきて
いるなというのはありますね。(23さん)
○しろまる ○しろまる 2
離別したからこそ得ら
れた経験がある
離別したからこそ得られた経験があり、その経験
が現在の自分にもいい影響を与えていると思うことただ、その人生を考えるって、虐待を受けたからこそ児童福祉に興味を持ったり、結局、私、児童福祉の仕事に就
けなかったんですけど、児童福祉に興味を持って大学にいって、卒論も書かせてもらったりとか、自分が卒業した
高校に行ったのも、施設でいろいろな人に出会って、いろいろな経験......、親が離婚して虐待を受けた、そういう
すべての人生の、それがあったからこそ、今の自分があるのかなっていうような見方を、中学生ぐらいからしてい
たので、何ていうんでしょうね、どうなってたんだろうとは思いつつも、そっちだったら、今いるこの人たちと出
会うことはなかったんだよねじゃないですけど。(26さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる 3
よかったことも悪かっ
たこともある/よかっ
たとも悪かったともい
えない
両親の関係性や当時の状況、離別後の自分の人生
を考え、離別に対して肯定的とも否定的ともいい
きれない思いを抱くこと
離婚しなかったらっていうのを考えたことないですね。離婚しているから今があるわけだから、そんなんを想像す
る余裕もなかったですね、考えるっていう。だから、やっぱりいい面もあれば悪い面もありました。ありますよ。
<そうなんだ。ありがとうございます。そういった何かいい面と悪い面、何か歳を重ねるにつれて、どっちが多く
みえるようになったとかは>やっぱ、そのときそのときの出来事によって違いますね。<はい、はい。そのときい
いことがあったら、いい面もみえるし>そう。例えばこういう話をできるっていう機会がもらえたっていうこと
は、いい面やと思うし、もしこれが離婚しなかったら、こういうことはなかったわけやから。(29さん)
○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる ○しろまる 8
現在の離
別に対す
る思い51V 総合考察
1 各プロセスの共通点・相違点
本節では、結果と考察で示した 3 つのプロセスの特徴を記述し、その共通点と相違点に
ついて検討していく。そして、各プロセスを比較検討することで、父母の離別に対して子ご
とに思いが異なるに至る背景を明らかにしていきたい。
(1) 各プロセスの特徴
本項では、まず本研究で得られた各プロセスの特徴についてまとめる。
最初に、父母の離別に肯定的な思いを抱くようになるまでの心理的プロセス(以下、「『肯
定的』プロセス」と呼び、
「肯定的」プロセスに属する人を「肯定的群」と呼ぶ)の特徴を
あげる。
「肯定的」プロセスの特徴として、離別前より離別後の生活のほうが安定する(離
別後しばらくしてから安定する人も含む)
、離別前とあまり変化がない(変わらず安定して
いる)経験をしていた人が多いことがあげられる。別居親との面会交流においても、離別後
のほうがいい関係を築けている人が一定数いたことも特徴である。離別後も生活の大変さ
が継続した場合や、
別居親と距離を置くことを選択した場合でも、
頼りになる第三者の存在
に支えられ、親への期待がなくなり、親を俯瞰的に捉えるようになっている。これらのプロ
セスを通して、
父母が離別に至った理由に深く納得しており、
現在家族が平和に暮らせてい
ることもあり、
「離別してよかった」と離別に対して肯定的な思いを抱くに至る。
次に、父母の離別に否定的な思いを抱くようになるまでの心理的プロセス(以下、「『否定
的』プロセス」と呼び、
「否定的」プロセスに属する人を「否定的群」と呼ぶ)の特徴をあ
げる。
「否定的」プロセスでは、皆、離別前より離別後の生活のほうが大変になるという経
験をしている。離別による悩みを打ち明けられる人がおらず、大変さを 1 人で抱え続ける
ことで、
離別によってネガティブな影響を受けていると感じている。
両親間で板挟みになる
状況が続いていた人がいたことも、
「否定的」プロセスの特徴である。これらのことから、
親(少なくとも一方の親)をネガティブに捉え、離別に対して納得がいかない気持ちを抱え
ている。それによって、離別に対して否定的な思いを抱くに至る。
最後に、父母の離別に肯定的とも否定的ともいえない思いを抱くようになるまでの心理
的プロセス(以下、「『どちらともいえない』プロセス」と呼び、
「どちらともいえない」プ
ロセスに属する人を「どちらともいえない群」と呼ぶ)の特徴をあげる。
「どちらともいえ
ない」プロセスでは、離別前と離別後で生活はよくも悪くも変わらなかったが、なぜ両親が
離別したのか納得できていないために「どちらともいえない」人と、自分や家族が離別によ
ってネガティブな影響を受けていると感じる気持ち・両親を俯瞰的に捉えようとする気持
ち・離別は仕方なかったと思う気持ち、の 3 つを循環している状態であるため「どちらとも
いえない」人がいる。前者においては両親の離別に納得できない気持ちが強いため、後者に
おいては、
離別は避けられなかったと思う一方で離別後の悪影響
(自分だけでなく家族への52悪影響も含む)も大きかったと感じられているため、離別に対して「どちらともいえない」
(肯定的とも否定的ともいえない)思いを抱くに至る。
次項からは、これら 3 つのプロセスを比較検討した結果、父母の離別に対して子ごとに
思いが異なるに至る背景に影響を及ぼしていると考えられる重要な論点について考察して
いく。そのなかで、各プロセスの共通点と相違点、父母の離別が子どもに悪影響を及ぼさな
いために必要な事項についても記述する。
(2) 離別前の生活の影響
離別前の生活を子どもがどのように捉えていたかは、離別時に子どもが感じる気持ちに
大きな影響を及ぼす。この部分は「肯定的」プロセス、
「否定的」プロセス、
「どちらともい
えない」プロセスに概ね共通している。
離別前の生活は、
別居親/両親に振り回されていた生活、
同居時からほとんど交流がない
別居親、子どもからすると問題のない生活、に大別される。
別居親/両親に振り回されていた生活では、子どもは、別居親の借金や暴力・酒乱・両親
の関係の悪さ・両親からの虐待などの悪影響を被っており、
「別居親がいること/両親が揃
っていることによってこの大変な状況が続いている」と感じている。そのため「毎日離婚し
てほしい離婚してほしいってお母さんにいってました」
(肯定的3さん)と子どものほうが
積極的に離婚を望んでいたことや、
「いろいろ殴られたりしてたのもあったと思うんですけ
ど...(中略)...(離別することを聞いて)えーっとは思ったんですけど、すごい悲しいみた
いな感じはなかったですね、そのときは」
(否定的22さん)と特に離別に反対する気持ちは
起きなかったことが語られている。
また、
同居時からほとんど交流がない別居親であった場合も
「何かこうそんなにあんまり
お父さんと何やろう、
仲良く過ごしたみたいな記憶があんまりなくって、
何か別にいなくな
るっていうのを聞いても、
そんなに。
ああ、
そうなんやっていうぐらいで」
(肯定的9さん)
というように、特段ショックや反対する気持ちも起きずに離別を受け入れている。
一方で、
子どもからすると問題のない生活であった場合、
子どもは離別に対して困惑する
ことが多い。
「妹だけは先に寝かされていて、普段起きてはいけない時間に私だけ起きてる
から、何でかなと思ってたら、食卓で、お父さん、お母さんと私の 3 人で、お母さんが家を
出ていくっていう話を聞きました。...(中略)...そもそも離婚っていう言葉が多分まだわか
っていなくて、頭が真っ白になって、まだ小さかったので、両親もそれ以上の踏み込んだ話
はせず、よくわからないけど、何か頭が真っ白になったまま寝たっていう感じですね、その
日の夜。...(中略)...その次の日にはもう母が出て行ったので。なので、本当に何が何だか
わからないまま、父との生活が、どんと始まったという形で」
(肯定的13さん)というよう53に、突然離別についての説明があり、状況をのみこめず困惑した状態のまま、離別後の生活
が始まることもある。このように、離別前の生活が安定していて、子どもからすると問題の
ない生活である場合、離別についてより丁寧に説明していくことが必要になる。この点は、
次項(
(3)離別に関する説明)で改めて述べる。
離別前の生活をどのように捉えていたのかは、子どもの発達段階によっても大きく異な
る。DV や虐待といった暴力があり、別居親から子どもへの悪影響が甚大な場合には、幼少
期であっても子どもは離別して「ほっとする」ことが多い。しかし、借金や性格の不一致と
いった理由で離別に至る場合、幼少期の子(主に小学校低学年頃までに離別を経験した子)
は両親間の不和をそこまで深刻なものと認知しておらず、離別に非常に困惑したという経
験が多く語られている。一方で、中学生・高校生の時期に離別を経験した子で、両親間の不
和が長く続いていた場合には、
喧嘩内容や不和の原因も概ね察知しており、
いずれ離別する
だろうことを予測していることが多い。発達段階の影響は、次項以降で改めて検討する。
(3) 離別に関する説明
離別に関する説明があるかないか、ある場合、どのように説明されるかによっても、子ど
もの離別に関する気持ちや納得感に影響を及ぼす。この部分も、3 プロセスに概ね共通して
いるが、一部異なる部分もみられた。
まず、離別に関する説明がない場合である。子どもが大きく、両親間の喧嘩や不和の原因
を察知していたり、
離別に至る決定的な瞬間をみていたりした場合には、
説明がなくてもあ
る程度納得して離別を受け入れることもある。
一方で、
何も説明のないまま別居親が去って
いくなど、何が起こっているのかわからないまま困惑しているという経験をしている人も
いる。6さん(肯定的)は、離別時の様子について「ある日突然、まあ、母には説明があっ
たのかもしれないのですが、私には特に何もないまま、そのまま出ていってしまいました。
(中略)
(母に父のことを)聞いても答えてもらえないので、何が起きたのかわからない。
祖父母に電話しようにも何というのでしょう、その当時は携帯とかもないので、あのう、ど
う連絡をとっていいかもわからないので、誰に助けを求めていいのかもわからなかったで
すね。それこそきょうだいとか親戚も近くにいなかったので、はい。それなので、何をどう
したらいいのだろうっていうのをずうっと悩んでいました」と語っている。この場合、子ど
もの困惑や悩みは大きく、
自分なりに何とか状況を把握しようと頑張るものの、
聞いても答
えてもらえない・何が起こっているのか理解できないために、
「自分が悪かったから離婚し
たのかも」と自分を責めるようになるなど、後々の人生にも悪影響を及ぼすことが多い。
離別することに関する説明
(父母が離れて暮らすことや、
引っ越す場合にはその説明など)
はあるが、離別理由までの説明はない場合も多い。子どもが大きく、両親間の喧嘩や不和の
原因を察知している場合には、
ある程度納得して離別を受け入れるが、
子どもが年少であっ
たり、離別前の生活が安定していたりする場合には、
「何で離別しなければならないの?」54という困惑が大きくなりやすい。例えば、19さん(否定的)は、
「特に自分は父が好きだっ
たので、離婚はしてほしくなかったのですけれども、ただ母が、もうあの人とは、何という
のですかね、話し合いができないから、もう無理なのだの一点張りで、子どもの自分が離婚
をしてほしくないという話をしても、
一切受け付けてくれないような態度だったり、
話の持
っていき方を母はしていました」
と語っている。
離別理由がわからないために離別に納得で
きないと感じていた子は、
19さんのように頑張って自分の意見を伝えようと試みるが、
それ
がうまくいかないことにより、
絶望感に至ったり、
離別によるネガティブな影響を長期的に
感じたりするようになる。
離別に関して納得できるような説明がなかったことによる悪影響は、13さん(肯定的)も
語っている。
「親の離婚の原因っていうのはちゃんとわかってたほうが、子どもは未来的に
はいいなと思います。...(中略)...小学生でも、ある程度は理解しているんだよって、わか
ってないふりしてるのは親だけだよっていう。
わからない言葉だったとしても、
真剣に説明
をしてくれてるっていう事実はきっと残るから、
そこのけじめ。
けじめというか区切りとい
うか、だらだらだらだら相手を思い続けなきゃいけないのって、すごい疲れるんですよね。
今も会いたいな会いたいなって思うけど、結局会おうと思えば、戸籍を調べて、産みの親ま
でいけるじゃないですか。でも、やっぱりいけないのは、結局そこに答えがないから。会っ
て、
「いやいや、原因はあんたが嫌いだったのよ」なんていわれたら、もう立ち直れないと
思って、今さら聞きたくないみたいな。そういう妄想ばかり膨らんじゃう。...(中略)...明
るい未来の想像には一切つながらないけど、
会いたい、
知りたいっていう思いだけは残って
しまうので、
これは自分がおばあちゃんになるまで残り続けるんだろうなっていう。
この呪
縛を解いてあげられる立場なら、解いてあげてほしいなと思います」という語りからは、子
どもが必要としているときに必要なケア
(説明やその後のフォローなど)
が得られなかった
こと、その苦しみが今でも「呪縛」のように13さんを苦しめ続けていることがうかがえる。
13さんは、
父母以外の人から離別理由を聞くこととなったが、
その説明はやはり親自身から
ほしかったという。
「母が出ていくっていう、その話のときに、あなたたちが悪いんじゃな
いんだよ、お父さんとお母さんが反りが合わなかったり、何でもいいんですけど、だから、
お母さんは家を出ていくんだよっていう、
その一言は、
出ていくときに欲しかったなとは思
いますね」と語り、
「子どもは悪くない」という言葉がなかったからこそ、延々と「自分が
お皿を片づけなかったから」
「妹と喧嘩しちゃったから」お母さんが出ていってしまったの
かも...と自分を責め続け、それによってさらに聞きたいことを聞けなくなってしまったと
いう。そして、そのいえなかった思いが13さんのなかでくすぶり続け、今でも呪縛のように
残っていることが語られていた。
このように、
離別に関して適切な説明がない場合、
その後の子どもの人生に長期的にネガ
ティブな影響を及ぼし得る。この点は次項(
(4)子どもの意思確認・意見表明)で改めて述
べる。55一方で、
離別理由や今後の生活の見通しまで含めて離別の説明があった場合は、
子どもは
ある程度納得して離別を受け入れる。このような説明の仕方は、
「肯定的」プロセスでのみ
語られている。
なぜ離別するのか、
これからどうなるのかといったことまであわせて説明が
あり、
かつ子どもの意見を聞く場も設けられることにより、
子どもの離別への納得感は高ま
っていく。
その時は完全に納得できなくても、
聞いたら親は説明してくれると思えることで、
聞きたいときに離別について質問することができ、より納得感が高まると考えられる。
なお、本研究対象者から語られた説明の場の形態として、父母同席で説明があった場合、
父母それぞれから説明があった場合、父母のどちら一方(多くは同居親)から説明があった
場合、第三者から聞いた場合があった。一方で、子どもにとっては離別説明の場やその後の
生活において子どもの意見をいいやすい雰囲気も非常に重要である。そのような雰囲気が
形成されるよう、親自身が余裕を持って子どもと相対できるような説明の場の形態をとる
ことが大切であると考えられる。
さらに、離別後の生活において離別理由や別居親の話がどの程度できるかも子どもの納
得感に影響を及ぼす。否定的群、どちらともいえない群はもちろんのこと、肯定的群であっ
ても、聞きたいのに別居親の話ができなかったことにより、1 人で悩みを抱えることが多く
みられている。
離別や別居親の話題をタブーにしないことで、
子どもは成長に応じて離別理
由を理解し、離別に納得できるようになることが多い。
また、次項(
(4)子どもの意思確認・意見表明)でも述べるが、離別の説明は一度きりで
終わらせるのではなく、
子どもの発達段階や理解度、
納得度にあわせて何度も繰り返し説明
していくこと、その時々で子どもの疑問にきちんと答えていくことも大切である。
(4) 子どもの意思確認・意見表明(納得感)
子どもの意思確認(父母どちらと住みたいか、学校をどうするか、苗字をどうするか、など)は、
どのプロセスにおいても、
行われている場合もあれば、
行われていない場合もある。
前項(
(3)離別に関する説明)で述べたとおり、離別することについて何らかの説明があ
った場合には、その場で、あるいはその後の生活のなかで、子どもの意思確認がされること
も多い。親が選択肢を与えて聞いてくれた、個別に話す時間をとってくれた、かなえられる
希望はかなえてくれ、どうしてもかなえられない希望については理由をつけて説明してく
れた、といった経験は、子どもにも「親がしてくれてよかったこと」として残っているよう
であった。親が子どもの意見に真摯に耳を傾けようとする姿勢は子どもにも伝わっており、
そのような姿勢があると、子どもは意思や意見を伝えやすくなっていた。
一方で、
離別に関する説明自体がない場合、
説明はあったが決定事項を伝えられるだけで、
子どもへの意思確認はない場合もある。子どもにとって納得できるような離別理由がない56/説明されていない場合には「離婚してほしくない」「(お母さんと住むよういわれたが)お
父さんと住みたい」と、子どもなりに懸命に意見を主張する場合もあるが、多くの場合、そ
れは聞き入れられず、子どもは辛い思いを抱えることになる。
このように意見が聞き入れられずに辛い思いを経験した人として、
26さん
(どちらともい
えない)の例を紹介する。26さんは離別当時、離別することは聞かされたものの、その理由
(母の不倫)については説明がなく、納得できない思いを抱えていたという。どうしても離
別するなら父と一緒に住みたいことも主張したが、
母も26さんを引き取ることを譲らず、話し合いは平行線をたどり、最終的に父が折れる形で26さんは母に引き取られることになっ
た。
その当時の状況について、
26さんは
「みんながバラバラになるのが嫌だったというのと、
あとは父親がいろいろと、
キャンプに一緒に行ったり、
行事に行ったり、
買い物に行ったり、
父親と過ごす時間が長かったので、あとは父方の祖父母が、例えばスイミングの、習い事の
送り迎えとかしてくれたりとか、
そういう父方の祖父母や、
父親と離れるというのがすごい
嫌だった。何でお父さんと離れなくちゃいけないの。でも、当然、小学校 1 年生の子ども
に、
「私が不倫しました」なんていうことはないでしょうし、不倫なんていわれてもわかん
ないですしね、
子どもには。
なので、
何ていうんでしょう、
父親も私を悲しませないために、
いい嘘をついたというんですかね。アメリカに行かなくちゃいけなくなったからっていう」
と語っている。最終的に父方祖父から「残念だけど父とは暮らせない」といわれたこと、父
から「アメリカに行くから会えなくなるけど、いい子にしていたら会いにいく」という嘘の
説明を受けたことにより、
26さんは状況を変えられないことを知り、
納得いかない気持ちを
抱えつつも離別後の生活が始まることとなった。
26さんのように、
納得いく説明がない場合
には、
「とにかく説明がほしかった」
「その年齢の子どもにわかるように(嘘をつくのではな
く)説明してほしかった」という声が多かった。
また、離別に関する説明の場、子どもの意見を聞く場の雰囲気も重要である。21さん(否
定的)は、6〜7 歳の頃の、離別の説明を受けた場の雰囲気の重々しさが未だに印象に残っ
ているという。
「なんとなくすごく、何か心のなかが揺れ動くといいますか、胃が締まると
いいますか、すごく変な緊張感といいますか、そういうのを感じましたね。
(中略)厳かと
いうんですか、
すごく重々しい雰囲気だったので、
何かいわれても安心感を感じないという
んですか、そういうのはありました」
(21さん)と語っている。辛うじて、別居親とも今後
会えるのかたずねることはできたものの、
「会えるよ」といわれても安心できず、ショック
と悲しさで圧倒され、他に聞きたいことも思い浮かばなかったという。また、21さんは、当
時の悲しさや絶望感は癒される機会がないまま現在に至っていると感じている。その後継
続して面会交流はあり、
父母と子ども全員で会う機会もあったものの、
いつまで経っても子
どもを通してしかやりとりできない両親をみることにより、当初の悲しさ・絶望感が、徐々
に両親への怒り・ネガティブな感情へと変化していった。
そのような自分の傷つきの癒され
なさ、
両親へのネガティブな感情から、
離婚に対して否定的な思いを抱いていることを語っ
ていた。5721さんの例は、
説明の場の雰囲気とあわせて、
小学校低学年という発達段階による影響も
あったと考えられる。(2)(3)でも述べたとおり、子どもの発達段階に合わせた説明や、フ
ォローも重要である。
年少の子どもの場合、
離別に対するショックや困惑をうまく言葉で表
現できなかったり、21さんのようにその場の雰囲気に圧倒されてしまったりすることも多
い。さらに、子どもは両親の様子をよくみていて、
「この話は聞いちゃいけない」と忖度し
て、自分 1 人で悩みや疑問を抱え込んでいることも多い。21さんは「表現に気を付けなけれ
ばいけないですけれども、ちゃんと包み隠さず、ちゃんというということと、時間をとって
定期的に気持ちの面を聞くというのは大事なのかなと思いますね。聞いているつもりでも
聞いていないというのがあると思うので、定期的に、特に小さいうちは気持ちの面で、直接
そのことを聞くというのは、嫌なことを何回もしつこく聞くのってよくないかなと思うの
ですけれども、
日々の生活のなかで心情的に変化がないのかどうかみたいなところは、
逐一
チェックしていたほうがいいのかなと思いますね。どこでわだかまりを持っているかとい
うのは、小さい時ってそれがわだかまりというのがわからないので、大きくなって初めて、
わだかまりかと思うのですけれども、わだかまりを何十年後に気付いても解消できないの
で、そのときどきでないと、わだかまりは解消できないので、極力そのとき気付いてあげら
れるように、いろいろしてあげなければいけないのかなあと思いますね」
(否定的21さん)
とも語っている。大人側から子どもに「聞きたいことはある?」とたずねる、発達段階にあ
わせて丁寧に何度も説明をする、
繰り返し話せる場を作る、
といったフォローが大切であり、
そのようなフォローがあることによって子どもの傷が癒され得ると考えられる。
前項((3)
離別に関する説明)の13さんの語りにもあったように、
「離別は子どものせいではない」こ
とがきちんと子どもに伝わっていない場合、それは呪縛のように子どもを苦しめ続ける可
能性もある。丁寧に何度も説明する、話しやすい場を作ると同時に、
「離別は子どものせい
ではない」ことを、親が子どもにしっかり何度も伝えていくことも大切である。
(5) 離別後の生活
(1)で述べたとおり、離別後の生活がどうであったかは、現在の離別に対する思いに大
きな影響を与えている。
離別前の生活と比べて離別後の生活のほうが安定した、当初は大変だったがしばらくし
て生活が安定した、という語りは肯定的群で多くみられている。この「安定」には、別居親
の暴力から解放された、経済的に安定した、両親の喧嘩をみなくてよくなった、離別後親が
元気になった、
などの内容が含まれている。
離別前と比べて離別後のほうが子どもにとって
落ち着いた生活を送れていると感じられることによって、離別に対する肯定的な思いにつ
ながっていくといえる。
離別前と比べて生活状況が悪化した、生活で大変な状況が継続した、という語りは、否定
的群、どちらともいえない群で多くみられている。この大変な状況には、経済的な大変さ、58進路に影響が出る、虐待を受ける、いじめにあう、離別の影響を受けて不安定になった家族
の行動に振り回される、離別による感情を誰にも打ち明けられない、などが含まれている。
特に、
離別と受験の時期が重なったり、
経済状況の悪化により希望進路を変更せざるを得な
くなったりした場合には、その後の人生全体への悪影響と感じられることが多いようであ
る。このように、離別前と比べて、離別後の生活状況が悪化したり、その状況が長く続いた
りする場合には、離別による影響をネガティブに評価するようになる。
「肯定的」プロセス
のなかにも生活が大変な状況が継続したと語る人がいたが、彼らは頼りになる第三者の存
在に支えられ、
親への期待がなくなること、
どこかのタイミングで離別に納得できるように
なることによって、離別を肯定的に捉えるようになっていた。
離別前と比べて生活に変化がなかった、という語りは、
「肯定的」プロセスと「どちらと
もいえない」プロセスでみられている。しかし「肯定的」プロセスでは、生活に変化がなか
ったことを肯定的に捉えるような語り(
「変化しなかったからよかった」など)が多かった
のに対し、
「どちらともいえない」プロセスでは変化がないことを必ずしも肯定的に捉えて
いないと思われる語りもあった。25さん(どちらともいえない)の例を紹介する。25さんは
「離婚したからといって、そこからもうすぐに、絶縁という感じじゃあなかったので、自分
的にはそんな、
離婚しちゃっているのですけど、
別にしなくてもよかったんじゃないかなっ
て。結局連絡とかもとって、お金の問題とかも両親で話しあっていたみたいで、別に紙(離
婚届)を出さなくても、うちはよかったんじゃないかなっていうのはあったんですけど。そ
うですね。なので気持ちがよくも悪くもなってはいないんですかね」と語り、両親との関係
性も含めて離別後の生活に変化がなかったことにより、
なぜわざわざ離別したのか、
と離別
に対して納得できない思いが残っているようであった。
(6) 面会交流
別居親との面会交流の体験も子どもによってさまざまである。どのプロセスにおいても
面会交流があった場合と交流自体がなかった場合が聞かれた。
ここでは、
各プロセスで出て
きた面会交流があった場合の内容から、
【子どもにとって無理なく継続する面会交流】と【子
どもにとって負担となる面会交流】とは何かについて考察する。
【子どもにとって無理なく継続する面会交流】
まず、
特筆すべきは、
各プロセスすべてに無理なく継続する面会交流を経験した子どもが
いたことである。無理することなく継続した定期的な面会交流では、(a)子どもは自分のペ
ースで会いたいと思う時に交流できていたこと、(b)ある程度高年齢になった子どもと別居
親は誰も介さずに直接連絡していたこと、 (c)子ども自身が楽しいと自然に感じられる交流
であったこと、(d)同居親が面会交流後に不機嫌にならないなど行きやすい環境を作ってく
れていたことなどが語られている。
(a)子どもが自分のペースで会いたい時に交流できていたこと59「
(面会交流は)離婚してすぐとかはあまりなくて、でも、お盆の時期とか年末年始のお
正月の時とかは母方の家族とも会うというのをずっとしてるので、それには行ってました。
そのときに行くという感じで。
そういう集まりのときに行って会う。
墓参りとかに行って会
うみたいなのはありましたね。でも、それも年に多分 3 回か 4、5 回で、高校のときもそん
なに頻繁に行ってなくて、
大学になって私が下宿し始めて、
そのときもそんなにないんです
けど、実家に帰るときに、父のところに帰るときに母のところにも帰るというのをやって、
その辺ぐらいから多分、
母とも打ち解けてではないけど、
ちょっとずつ気まずさはなくなっ
ていった気がします。...(中略)...私はそうだった(回数は少なめだった)んですけど、妹
は頻繁に行ってました。
妹は父に怒られたら母のところに行ってというので、
最終的には母
と一緒に暮らすことになったんですけど、その辺の行き来が結構、頻繁に妹はありました
(肯定的4さん)」こういった語りからはきょうだいによっても交流したい頻度が異なり、子どもが自分の
ペースで会いたい頻度に親が柔軟に対応していたことがわかる。
このように、
無理なく面会交流を継続してきた子どもは、
自分のペースで会いたい時に交
流ができていたと考えられる。
(b)ある程度高年齢になった子どもと別居親は誰も介さずに直接連絡していたこと
「携帯とか、家の電話とかで、連絡は、とりあえず(とっていました)
。週に 1 回ぐらい
は会っていた気がします、確か(肯定的1さん、離別当時 12-13 歳)」「父親は介さずに、母
と。当時携帯持たせてもらってたんで、それでやりとりして、行くわ、みたいな(肯定的14
さん、離別当時 11-12 歳)」「多分 2 週間に 1 回ぐらいは、天気とか気温のこととか、そう
いうことで、気軽なことで連絡はしていまして、でもやっぱり、もう母は遠方に住んでいた
ので、会うってなると、なかなか会えないですかね。<2 週間に一遍ぐらいは、電話とかメ
ールはしていたけれど、会うとなると、どれぐらいの頻度でしたか>そのとき、母が 1 年に
1 回、地元のほうに戻ってこれるときに会っていたというぐらいで、1 年に 1 回あるかない
かという感じですかね(どちらともいえない25さん、離別当時 15-16 歳)」こういった語りからは、思春期以降などある程度高年齢になった子どもと別居親は誰も
介さずに直接連絡していたことがわかる。誰かを介さずに直接やりとりできることは、(a)
子どもが自分のペースで会いたい時に交流するためにも必要なことだと考えられる。一方
で、直接のやりとりは、親からの自由なアプローチもできるということであり、親が頻繁に
連絡をとり、子どもが負担に感じるという可能性もあることは考えておく必要があるだろ
う。本調査から、
「無理なく継続する面会交流を経験したと考えられる子どもはこういった
経験をした」ということはいえるが、
「同じような要素を揃えれば、誰もが無理なく継続す
る面会交流を経験できる」
ということは難しい。
小さい頃は同居親や第三者が間に入って面
会交流の調整を行い、
高年齢になってきたので直接連絡に移行する場合でも、
高年齢時に離
別し面会交流が始まる場合でも、自分の連絡先を伝えて直接連絡したいかまず子どもの意
見を聞くということは大切なことだろうと考える。60(c)子ども自身が楽しいと自然に感じられる交流であったこと
「中学校の時とかは別に普通に毎月ご飯食べにいったり、
あと、
お小遣いくれたりしてた
んで、1 か月 2000 円とか 1000 円とか、なんで、いい人やなという感じですね、そのとき
は(肯定的10さん)」「やはり夏休みとかに山とか川とかに連れていってくれたことですね。
それは、
やはり思い出として今もあるので、
いい経験になったのではないのかと思っていま
す。<それは、お父様ですかね>はい、そうです。<一緒に何か>キャンプとか。<宿泊も
して一緒に遊ぶ機会があったというのはとてもよかった>それは、よかったのかなと思い
ます(否定的21さん)」こういった語りからは、子ども自身が楽しいと自然に感じられる交流の大切さが伝わっ
てくる。また、肯定的群で別居親が母親だった1さんや14さんからは、別居親が日常生活の
買い物にまめにつきあってくれたことや文化祭などの学校行事に来てくれたことなどもあ
げられた。このことから、子ども自身が楽しいと感じられる他、子どもの生活に寄り添った
面会交流の内容は子どもの助けになると考えられた。
(d)同居親が面会交流後に不機嫌にならないなど行きやすい環境を作ってくれていたこと
5人きょうだいが2人と3人に分かれて両親と同居した4さん
(4さんは父親と同居)は次のように語っている。
「行きやすい環境作りみたいなのは、
あったほうがいいと思います。
向こうに行っても何か後ろめたくないとかというのは、
あったほうがいいと思います。
父は
あまり何もいわなかったので、私は行けてました。...(中略)...母のほうは態度に出てたん
だと思うんですけど、小さい頃は。...(中略)...<弟さんや妹さんが、お母さんの家からこ
っちのお父さんの家に来ようとするときには、ちょっと何か>ちょっとあったと思います。
ちょっといい顔して帰ってきたから、ちょっと機嫌悪かったり、みたいなのは、ちらっと聞
いた気がするんですよね、小さい時に。<ごきょうだいから>はい。そういうところ、今も
たまに気をつかって、
お父さんの家で楽しかった話とかはしないようにはしています、
お母
さんの家で(肯定的4さん)
」また、14さん、19さんは次のように語っている。
「多分父親的
には、
離婚をしたけど子どもたちの母親であることは変わりないみたいな、
確かそういうス
タンスだったと思いますね
(肯定的14さん)」「いろいろなところに連れていったりはしても
らったので、
父との関係は良好だったわけで、
そこまで何かマイナスな記憶というのはない
ですね。<マイナスな記憶はなし>はい。<何か交流に行くときに、お母様との関係がちょ
っとぎくしゃくするとか、そういうこともなかったわけですか>そういうのはなかったで
すね。<ではお母様も、もう行っておいでみたいな感じで>まあ、そうですね(否定的19さん)」
上記の語りからは、同居親が面会交流を認めている態度が子どもが面会交流をしやすい
環境を作っていると考えられた。
このように、無理することなく継続した定期的な面会交流では、(a)子どもは自分のペー
スで会いたいと思う時に交流できていたこと、(b)中学生以上などある程度高年齢になった
子どもと別居親は誰も介さずに直接交流していたこと、 (c)子ども自身が楽しいと自然に感61じられる交流であったこと、(d)同居親が面会交流後に不機嫌にならないなど行きやすい環
境を作ってくれていたことなどが語られている。このような交流は、肯定的群、否定的群、
どちらともいえない群それぞれにみられた。
無理することなく継続した定期的な面会交流をしていてもこのように両親の離別に思い
が異なる背景の1つとしては、両親間の関係性が考えられる。肯定的群の子どもで、無理す
ることなく継続した定期的な面会交流を経験した子どもの両親間の関係性は、離別したと
はいえ、
子どもの教育に関する相談や仕事の愚痴をいいあえるなど比較的良好であった。一方で、
無理することなく継続した定期的な面会交流を経験した子どもでも、
否定的群の子ど
もの両親間の関係性は、
葛藤が高いと思われるものであった。
否定的19さんは次のように語
っている。
「いろいろなところに連れていったりはしてもらったので、父との関係は良好だ
ったわけで、
そこまで何かマイナスな記憶というのはないですね。
<マイナスな記憶はなし
>はい。<何か交流に行くときに、お母様との関係がちょっとぎくしゃくするとか、そうい
うこともなかったわけですか>そういうのはなかったですね。...(中略)...ただですね、父
が養育費はちゃんと払ってくれてはいたのですけれども、やはり遅れがちになっていた時
とか時期がありまして、そのときに母親から、3 人いる自分の兄弟のなかで自分だけ、ちょ
っと父と仲が良かったというのもあったので、
母親からではなくて、
私から父に対して催促
をかけるようなことを命じられたのが何度か。
<それが嫌だったとか、
そういうことですね
>そうですね、
当時は拒否していたのですが、
何かそこを強制させて、
やらされていました」
このように、
両親の間で板挟みになったり、
子どもを通してしか両親がやりとりできない
状況、
つまり、
離別後の両親間の葛藤に子どもが巻き込まれ続けてしまうと子どもはだんだ
んと離別によってネガティブな影響を受けていると感じるようになり、
ひいては同居親、別居親双方にネガティブな感情を持つようになっていった。
本調査からは、
無理することなく
継続した定期的な面会交流を続けたとしても両親間の葛藤が高くその板挟みになっている
場合は、
子どもに負担が生じやすいという可能性が考えられた。
両親間の葛藤を低めるため
に両親がどのようなことに取り組むとよいか、社会がどのような支援を行っていけるかに
ついては今後の検討課題になるだろう。
【子どもにとって負担となる面会交流】
子どもにとって負担となる面会交流は、肯定的群、否定的群でみられた。子どもにとって
負担となる面会交流では、(a)離別前後の別居親の態度が影響を与えていること、(b)連絡な
く別居親が突然現れたり、警察を呼ぶほどの騒ぎになること、(c)子どもの意向を無視した
交流であったこと、(d)交流自体は楽しかったがその後離れないといけないという状況の辛
さ、などが語られている。
(a)離別前後の別居親の態度が影響を与えていること
顔もみたくないといわれて別居親が出て行った後に面会交流があった6さんは次のよう
に語っている。
「中学校 2 年生で父の家に行ったのは最後なのですけれども、そのときも全62身に蕁麻疹が出てしまって、
病院に緊急で運ばれるぐらいちょっと、
多分精神的に負担だっ
たみたいで。
病院に行ったら蕁麻疹は収まってしまったので、
食べ物とかではないねという
ことで(肯定的6さん)
」また、離別前に別居親から暴力を受けていた7さんは、「(別居親
の入院先に)お見舞いに行くのとかが嫌で。結構泣いてた時期もあったので。...(中略)...
行きたくないっていってたのはありますね。
それは、
ちょっと嫌なことだったかもしれない
ですね。...(中略)...多分、母親はそれほど(別居親を)嫌っていなかったので、多分、母
と子どもたちで、ちょっと気持ちの違いがあったんだと思うんですけど(肯定的7さん)」と語っている。
このような語りからは、
離別前の別居親の言動が子どもの心に傷を与えており、
その経験
が影響して子どもが面会交流を負担に感じている様子が伝わってくる。
また、6さんはその後の交流でも、次のような経験もしている。
「中学校の卒業式とかに
来てくれたときに、
私は高校の第一志望には合格ができなかったのですけれども、
そのこと
をすごく何というのでしょう、
『勉強頑張らなかったお前が悪いんだ』というようなことを
急にすごく罵倒していったり。何でしょう、何かにつけて『お前が悪いんだ』というのを、
結構両親ともいうのが癖のようにあったので、
そのときにもいわれて。
それをちょっと残し
たまま 27 歳の時に病気になった時にも、
『病気になったのはお前が悪いんだ』って、10 年
ぶりに会った父親にいわれて、
『えっ』となってびっくりしました(肯定的6さん)
」また、
離別後中学生になるまでは交流を続けていた9さんは、
「すごいお父さんのなかで、めっち
ゃ子どものまま私が多分成長してないんやろうなっていう感じで、ものすごい子ども扱い
じゃないですけど、をされるのが多分、ちょうど微妙な時期(思春期)の私にとっては、...
(中略)...居心地が悪くて、それで余計に一緒にいたくないっていうので、会うのいいわみ
たいな感じになったんやと思います(肯定的9さん)
」と語っている。
6さんのように、面会交流中に別居親から傷つく言葉をいわれるような交流は子どもに
とって負担になる。また、9さんのように、思春期に行われる面会交流では、別居親の何気
ない言動に子どもの気持ちが左右され、負担に感じる可能性があることも理解しておく必
要があるだろう。
(b)連絡なく別居親が突然現れたり、警察を呼ぶほどの騒ぎになること「(別居親が突然来て)チェーンをしてるんで、入ることはできないんですけど、ポスト
が外れたりとかしたんで、
そこからのぞかれてたりとかはしてました。
<すごいこわいです
よね>そうですね(肯定的3さん)」「
(面会交流が中断して数年後に、通学路に突然父が現
れ)嬉しいとかそういった気持ちはないです。ただただおっかないなっていう。<おっかな
い>こっちの情報を知ってたのもこわいですし、
そうやって通学前に押しかけてきて、
サラ
リーマンだったはずなのに金髪に染めたお父さんがやってきて。<急なことですごいびっ
くりしたし>びっくりしましたし、こわかったです。<こわかった>その当時、タメ口で話
せばいいのか、
敬語で話せばいいのかわからなかった。
本当にめちゃくちゃな会話してまし
たね(どちらともいえない27さん)」こういった語りからは、
連絡なく急に別居親が来ても戸惑いが大きく、
子どもに負担がか63かる可能性が考えられる。また、3さんは、別居親が何度も突然家に来ることから警察を呼
ぶこともあった。
別居親が突然家に来る際に3さんがいないこともあったが、
その様子は家
族から共有され、別居親に恐怖心を持つに至っている。
(c)子どもの意向を無視した交流であったこと
「父親が、山が好きで登山が好きだから、それに付きあわされて、何回か山は登ったりと
かはしました。...(中略)...<そこでお父さんがいろいろ、学校、どうだ最近とか、そうい
うのを聞くわけでもなく>聞くわけでもなかった。
どちらかというと、
逆に放置されていた。
何か仕事で急な用事があると、先に帰るからっていわれて頂上で置いて帰られたこともあ
りました。頂上付近で置いていかれて、しょうがないから知らない人に事情を話して、テン
トで一夜明かして頑張って帰りましたけど。死にたくない思いで(否定的17さん)」「基本的
には、やはり自分主体でしか考えてくれなくて、私がどうしたいみたいなのとかを、常に聞
いてくれていない気がしていました、
ずっと。
<それは離婚後にプレゼントを送ってくるの
に対してもそうだし>そうですね、何か押し付けられている感じしか、基本、しないのです
よ、子どもの頃から。それはありますね(否定的18さん)」こういった語りからは、
別居親のしたいことが優先され、
子どもからすると楽しくない/
しんどい思いをする交流であることがわかる。
(d)交流自体は楽しかったがその後離れないといけないという状況の辛さ
この交流は別居親との交流自体は楽しかったという点で、
前述した(a)〜(c)の交流とは異
なる。
「会いたいし、楽しいし、うれしいけど、帰りの車に乗ったら、その楽しいひと時は
終わりじゃないですか。
別々の家に帰る。
じゃあ、
このひと時って何なんだろうみたいな。
だって、会ってくれるし、心配してくれるし、プレゼントもくれるし、優しい言葉もくれる
のに、いらないんだみたいな。物ではないけど、結局私たちはいらない子なんだよねみた
いな。
じゃあ何で、
何なんだろうねじゃないけど、
矛盾がうまくいい表せないんですけど、
何でというか、天国から地獄じゃないけど。というのも何となく薄々感じてたから、もし
かしたら回数が減ってたのかもしれないし、態度に私たちも出してしまっている。最初は
うれしかったけど、だんだん話すこともなくなるし、何の時間なんだろうみたいなのにな
っていったのかなって、何となく思います(肯定的13さん)
」といった語りからは、子ども
の複雑な気持ちが伝わってくる。
特に13さんは、
子どもからすると問題ない生活をしており、
小学 1-2 年生時に離別を経験
した。また、離別理由は聞かされておらず、子どもの意見をいえる場や尊重してもらえる場
はなく、
「離別は自分のせいなのかもしれない」といった感情を抱えていた。
「結局私たちは
いらない子なんだよね」といった感情も離別理由の無さや子どもの意見をいえる場がなか
ったことが影響している可能性が考えられる。
また、説明といった観点では、"なぜ面会交流をするのか"という説明も大切である。離別
前別居親から暴力を受けていた7さんは、
「なんで母親は自分たちにこんなことをするのか
とか、僕の場合は会わせたりするの、どちらかというとやめてほしかったので。そういうと64ころをやっぱり、
ちゃんと話しあったほうがいいのかなっていうふうに、
親と子どもが話す
機会っていうのは、あったほうがいいのかなっていうふうには思いますね。...(中略)...僕
とかはやっぱり会いたくなかったので、そういう子どももいると思うので。うーん、そこは
寄り添ってあげてもいいのかなっていうふうには思いますね」と語っている。
特に面会交流を嫌がっている子どもには、細やかな説明が必要になるだろう。そして、何
が不安でなぜ会いたくないのか細やかに意見を聞いていくことが大切だと考えられる。離
別前後の別居親の態度から面会交流を嫌がる場合、離別前後の同居親の態度から面会交流
を嫌がる場合、
両親の高葛藤に巻き込まれるため面会交流を嫌がる場合など、
子どもが面会
交流を嫌がる背景はさまざまであり、複数の要因が併存している可能性もある。さらに、意
見を聞かれても、子どもが答えられる場合もあれば、答えられない場合、答えられたとして
も本心ではない場合も考えられる。
こういった子どもの繊細な心の動きを、
子どもの言動は
もちろんのこと、両親の言動、家族内の関係性を見立てながら適切に捉え、どのようなかか
わりがその家族に必要であり、子どもの利益につながるかという視点を持つことが支援者
にとって重要となってくるだろう。
前述してきたように、子どもにとって負担となる面会交流では、(a)離別前後の別居親の
態度が影響を与えていること、(b)連絡なく別居親が突然現れたり、警察を呼ぶほどの騒ぎ
になること、(c)子どもの意向を無視した交流であったこと、(d)交流自体は楽しかったがそ
の後離れないといけないという状況の辛さ、などが語られている。このような交流は、肯定
的群、否定的群で語られており、どちらともいえない群も、成長してから別居親と会う機会
があるなかで、同じような体験をすることがあった。本調査の子どもたちの語りからは、面
会交流はすればいいというものではなく、その内容(親の態度や交流内容)が重要であるこ
とが伝わってくる。
一方で、別居親は日々の生活をともにしている同居親と異なり、
「今日子どもに厳しい言
葉をいってしまった。
明日説明してフォローしよう」
といった機会がほとんどないといえる。
面会交流という限られた時間のなかで子どもと関係性を築いていかなければならないとい
う点で非常に難しい立場であると考えられる。
別居親をどう支援し、
子どもといい関係性を
構築していってもらうか、これは社会として取り組んでいくべきテーマであると考えられ
る。
(7) 養育費
養育費に関しては、
各群ともに、
養育費をきちんともらっていることが子どもにポジティ
ブな影響を、
養育費をもらえていない、
もしくはもらえていたとしても少なすぎることが子
どもにネガティブな影響を与えていると考えられた。
6さんは、
面会交流では別居親から望むような対応を受けられていなかったが、
養育費は
きちんともらっており、かつ6さんが病気で入院した時に入院費や個室代を別居親が出し
てもいいといってくれたことについて、
「やはり心配してくれている、まったく心配してい65ないのではないかと思っていたのが、実は少しは心配してくれたんだなっていうところは、
はい、うれしいとか思いました(肯定的6さん)
」と語っている。
一方で、養育費がまったくなかった22さんは、
「暗い、雰囲気、しんどくて、母親がね。
やっぱ、こう、笑顔もないんすよ、やっぱり。毎日毎日毎日、こう、遅くまで働いてたら余
裕もないんで。
だから気持ちだけで何とかなるっていうレベルじゃないんで、
お金あるのと、
ないので全然違うんすよね、生活。精神的なところも。だから、もう、お金は払えよってい
う感じです(否定的22さん)
」と語っている。また、養育費が決められた額より少なかった
20さんは、
「毎月 2 万円を 20 歳になるまで払ってたというのは聞いてましたが、それは裁
判でいわれた金額より全然少ないと。...(中略)...それはとても少ない金額だし、何も。そ
れで払っているって自分で満足されてほしくないなとは思ったし、
それも嫌でしたね、
そん
な少ない金額がくるっていうことが。<少ない金額でそういう気持ちになられるぐらいだ
ったら、払わないでくれたほうがいいという感じ>それはありました(否定的20さん)
」と
語っている。このように、養育費をもらえていない、もしくはもらえていたとしても少なす
ぎる場合は、別居親にネガティブな印象や感情を持つことに影響を与えていた。
(8) 第三者の存在・かかわり
第三者の存在とは、祖父母や親戚、友人、学校の先生、近所の人などのコミュニティとい
った子どもを取り巻く親以外の存在のことを指す。
肯定的群では、
特に第三者の存在や第三
者への感謝の気持ちが多く聞かれた。
「おばあちゃんには、ほんまにいろいろ助けてもらい、経済的にも。助けてもらったかな
と思いますし、かわいがってもらったなって。遠方なんで、そんなしょっちゅう会えるわけ
ではなくて、
でも、
夏休みとかにおばあちゃんちに行ったりするのは、
すごい楽しみでした。
ご近所さんには恵まれてたなと思います。父と母が一緒に住んでいたときの近所の人とみ
んなでキャンプ行ったりとか、バーベキュー行ったりとか、父抜きで。...(中略)...母も周
りの人に助けてもらってました
(肯定的2さん)」「もともとお父さんの友だちなんですけど、
お父さんの性格を知ってからは、
お父さんと友だちをやめて、
お母さんとか私とかを遊びに
連れていってくれたりとかしてた人がいるので、その人に感謝してますね。しょっちゅう、
お父さんよりも遊んでくれた思い出があるんで(肯定的3さん)」「結構、家のことをよくや
ってくださっていた家政婦さんみたいな人が、
何か家のことだけじゃなくて、
私たちの何か
いろいろ話を聞いてくれたりとか、学校のこととか、そういうのを聞いてくれて、結構、親
身になってくれたのは本当にありがたかったかなと思って。母親代わりみたいな感じの存
在に近かった存在なので、何かそれが本当にありがたくて(肯定的8さん)
」といった声が
聞かれた。
このように、肯定的群の子ども達は、経済的、生活的、心理的、といったさまざまな側面
のサポートを第三者から受けていた。66一方、否定的群にも、祖父母や仲のいい友達、友達の家族など気にかけてくれる第三者の
存在がいたものの、その第三者に家族関係の悩みを話したという経験やそれによって救わ
れたという経験は語られなかった。その反面よく語られたのは、離別のことをいいたくな
い・知られたくないという気持ちである。
「その時、あんま離婚してる親が少なかったんで、ちょっと変、うちの家庭はちょっと変
なんかなみたいな、そういう感覚はあります。でも 1 人、片親だけなんで、お母さんしかい
ないんで、すごい友達も、何でお父さんおらへんのとか、いろいろ、やっぱ、悪気もなく聞
いてくるんですけど。うん、いない、いいひんのよ、で終わらしてて、深く聞いてほしくな
いみたいな感情はあります。ありましたね(否定的22さん)
」といった語りが聞かれた。
どちらともいえない群でも、離別のことをいいたくない・知られたくないという気持ち
を強く持っている子どもが一定数含まれていた。
「クラスメイト、
小学校の子たちはそんな、
何か昔って、離婚することは悪みたいな、今みたいに、いい方はあれですけれども、カジ
ュアルに離婚するみたいな感覚ではなくて、何か恥みたいなのがあったので、他の子と違
うのだというのを強烈に思ったのは、小学校入学の時に思ったんですよね。<なるほど。
それは、何かそういうことはいわないようにって、親御さんにいわれたから、恥みたいな
ふうに思ってしまったのか、それとも周りから何かいわれたのか、何かそういうエピソー
ドはあったのか>親も、父親がいないということをあまりいうなということをいっていま
したし、まわりも何か片親だというので偏見の目がすごくて、そういうのもあって隠して
いたというのもありますね(どちらともいえない23さん)」このように、否定的群およびどちらともいえない群では、離別に対する社会の偏見を敏
感に察知していた声や、周囲から「親が離婚しているからかわいそう」と思われないよう
にするため、離別のことを隠し通そうとしている声が多く聞かれた。また、祖父母や仲の
いい友達、学校や養護施設の先生などの頼りになる第三者の存在に支えられているという
語りも得られたが、離別に伴う悩みはあくまでも人に話さず、自分 1 人で抱えているとい
う人もいた。
このように、肯定的群は他の2群より、第三者の存在が多く、加えて頼もしい存在として
語られることが多かった。
(9) 1 人の人間としての両親や両親の関係性を捉える
1 人の人間としての両親や両親の関係性を捉えるとは、離別後の生活や面会交流、同居親
や周囲から話を聞くこと、そして自身が成長したことなどを通して、1 人の人間としての両
親を理解し、両親の関係性を捉えられるようになることを示している。肯定的群では、この
語りも多く聞かれた。67「当時はやっぱ、別れないでほしいっていう思いはあったんですけど、今となっては、別
れてよかったんじゃないかなって思っていますね。
何もしない父と、
それに腹が立つんです
けど、いえない母みたいな。で、考え方も、今思えば、2 人に相違があったんだろうなって
いうのがわかるので。
例えば旅行が結構好きで一緒によく行ったんですけど、
父はキャンプ
とか車中泊とか B 級グルメとか、でも母は、
『本当はあれは嫌だった』っていってて、泊ま
るんだったらホテルに泊まりたかったし、
旅館がよかったし、
美味しいその場のご飯が食べ
たかったって。あ、全然考えが違ったんだなって(肯定的1さん)」「私たちがもっと大人に
なって、離婚しないでとか何かいったら、関係は変わってたのかなと今は思います。...(中略)...私は父の味方とか、
お兄ちゃんは母の味方みたいな感じの雰囲気も多分出てたんです。
私はあまり何か母に対しても父寄りだったから、そういう態度も母は多分嫌だったんだと
思います。そこを多分、私とかが『お母さん』ともっといって、母を立ててあげる。...(中
略)...母もストレスがたまってたんだろうなとは思います。話を聞いてあげたりとか、そう
だよねってお母さんの味方になってあげれば、
多分、
子どもたちがもっと母の味方になって
あげてたらよかったんだろうなと思いますね(肯定的4さん)
」といったように、1 人の人
間として俯瞰的に両親を捉え、当時の両親の関係性を捉えているような語りが聞かれた。
このような俯瞰的に両親を捉える語りは、
どちらともいえない群でも聞かれた。
子どもた
ちは、親をいい面も悪い面もある 1 人の人間として捉えようとし、特に親のネガティブな
側面を冷静にみつめなおすことで、親に振り回されすぎずにいられるようになっていた。
一方で、否定的群では、俯瞰的に両親を捉えているような語りは聞かれなかった。その代
わり、未だに離別理由がよくわからないという声が聞かれた。
「経緯はあまりよくわかって
ないですけど、母親が、金遣いが荒かったから、それで出ちゃったのかなあというふうに私
は思ってはいるのですけど、具体的な理由は、ちょっと聞いてはいない。...(中略)...やっ
ぱり離婚にあたる説明というか経緯は、
ただ出ていくとかそんな感じだったんで、
どうして
出ていくかというふうな理由をちゃんと説明してほしかった。
じゃないと、
何が原因だった
かというのが、結局、わからないというのは、個人個人で変なふうに考えて、そこからまた
変な方向に行っちゃうような感じもしちゃってた(否定的17さん)
」このように、離別理由
がわからないことで、子ども自身が離別にまつわる出来事を整理して捉えなおすことがで
きない場合、子ども自身の人生や家族関係に悪影響を及ぼす可能性があると考えられた。
(10) 離別への納得感と現在の両親の離別への思い
1 人の人間としての両親や両親の関係性を捉えることができると、
両親がなぜ離別したの
かを納得することができる。
肯定的群の子どもからは、
「大人になって、母や、介護をしていくなかで父と接するよう
になって、それはそうやろうって納得というか、してきましたね(肯定的2さん)」「さっき
の俯瞰でみての話とつながるんですけど、
性格形成の時に、
これ以上壊れていく家族をみせ
られてもね、きついだけなんでっていうのがあるので、ぱっと別れて、こっちで、逆に前向68きに頑張っていく感じになるじゃないですか、
これからまた土台を固めていくみたいな。そのほうが前向きやから、子どもにとってはいいかなと思うんですよ。だから、離婚してよか
ったと思います(肯定的16さん)
」といった両親の離別に納得している声が多く聞かれた。
そして、
「別れてからのほうが、今お互い伸び伸びと楽しくやっているので、今も仲が悪
いわけではなく、そんな頻繁に連絡をとりあったりっていうことはないですけど。なので、
今思えば、あれでよかったんじゃないかなって思います(肯定的1さん)
」といった語りか
らもわかるように、今、家族が平和であることから考えても、離別してよかったと両親の離
別に肯定的な思いを抱くに至っている。
どちらともいえない群でも、離別は仕方なかったと離別に納得する声も聞かれている。
「仕方がなかったのかなっていう気持ちは、
肯定に入るんですかね、
と思っています。
ただ、
子ども心にいうならば、
どうにかできなかったのかなっていうのも、
その当時の26の気持ち
で考えると、再構築なり何なりできなかったのかなと。ただ、では 20 歳になっていろいろ
知った状態だったから、いや、それは無理だよと。再構築っていうか、そこまで裏切られ続
けて、
ずっとだまされ続けてっていうのがあれば、
それは仕方がなかったっていう気持ちは。
だから、否定的から、どちらでもないと肯定的の間ぐらいの気持ちに、成長過程で...(どち
らともいえない26さん)」一方で、
どちらともいえない群と肯定的群の違いは、
肯定的群が今現在家族が落ち着いて
いることに対して、どちらともいえない群は自分や家族が離別によってネガティブな影響
を受けていると感じることが今も多々あることであると考えられる。
「僕、結構、お姉ちゃ
ん子なんで、
お姉ちゃんにされたことに対してのほうの怒りっていうか、
もやもやのほうが
強かったんで。あんたが出ていったせいで、姉ちゃんがすごいことなったんだよって。<そ
れはでも結構ちゃんといったんですよね、
お母さんに>姉はしゃべりたがらないので、
あん
たのせいでこうこうこうで、
こんなことになってんだよっていいました
(どちらともいえな
い30さん)」また、どちらともいえない群には、離別に納得しきれない思いが残り、離別しなくてもよ
かったのではないかと思うことから、両親の離別に肯定的とも否定的ともいえない思いを
抱えている子どももいた。これについては「
(5)離別後の生活」の25さんの例で述べたとお
りである。
そして、
否定的群では、
未だに離別理由がよくわからない子どもと成長して離別理由を知
った子どもがいたが、
離別理由を知った後でも
「もっと他にやりようがあったのではないか」
という気持ちが残り、両親の離別に未だに納得がいかない気持ちを抱える子どもが多かっ
た。
この納得がいかない気持ちが離別に対して否定的な思いを抱くにつながっていた。
父が
仕事人間で家庭に協力しない状態が続いたことが理由となって離別したと大人になってか69ら聞いた21さんは、次のように語っている。
「もっとこう、離婚をせずになんとかできなか
ったんだろうかと。
(離婚より)もっと前の話になるのでしょうけれども、そういうところ
から、もっと家庭の状況とか、そういうのも考えて、なんとかできなかったんじゃないのか
と、そういうふうに思いますね。...(中略)...結果的に離婚という形になってしまっている
ので、その前に、もっとこう何か、分岐点ではないのですけれども、いろいろあったと思う
のですけれども、細かいことが。そういうところで、もっと家族が続けられるように、継続
するようなことって何もできなかったのかなあっていう(否定的21さん)」(11) 父母の別居・離婚に対して子ごとに思いが異なるに至る背景にあると考えられるもの以上、各群(各プロセス)の比較をしながら、共通点と相違点について記述した。
両親の離別という同じ体験を経験しても、
「父母の離婚や別居についての子らの捉え方や
考え方はさまざまである
(2021 実態調査報告書)」という点は本調査においても同様であり、
さまざまなエピソードを収集することができた。
そのうえで、本調査では、
「未成年期に父母の別居・離婚を経験した子はどのような体験
をとおして、父母の離別にどのような思いを抱くようになるのか」というテーマに基づき、
調査対象者を 3 群に分けて分析、比較検討を行った。
その結果、父母の別居・離婚に対して子ごとに思いが異なるに至る背景には、離別前の生
活、離別に関する説明、子どもの意思確認・意思表明、離別後の生活の安定、面会交流、養
育費、第三者の存在、1 人の人間としての両親や両親の関係性を捉えられるか、両親の離別
に納得感を得られているか、といった点が影響を与えている可能性が高いということが考
えられた。表 9 に前述した父母の別居・離婚に対して子ごとに思いが異なるに至る背景に
あると考えられるものと子どもたちの語りから考えられる考察事項を簡単にまとめる。70〔表 9〕父母の別居・離婚に対して子ごとに思いが異なるに至る背景にあると考えられるもの
語りから考えられる考察事項
離別前の生活
・離別前の生活が子どもからすると問題のない生活である場合,離別に困惑することが多いた
め,より丁寧な説明をすることが求められている。
離別に関する説明
・離別すること,なぜ離別するのか(特に「子どものせいで離別するのではない」とはっきり
伝える),今後の生活の見通し(どこで暮らすか,学校はどうなるのか,別居親と会えるのか
など)を伝えることは子どもの納得につながりやすい。
子どもの意思確認・
意思表明
・離別に関する説明をしたうえで,子どもが離別についてどう思うか,父母どちらと暮らした
いか,心配なことを聞くなど,子どもの意思確認をすることは子どもの納得につながりやす
い。
・かなえられる希望はかなえる,難しい希望については理由をつけて説明することは,真摯に
耳を傾けてくれた経験として子どもに残る可能性が考えられる。
・子どもが意見をいいやすい雰囲気をつくることが求められている。
・離別の説明と子どもの意思確認は一度きりでなく,子どもの発達段階や理解度・納得度にあ
わせて何度もくり返し説明し,その時々で子どもの疑問に答えることが求められている。
離別後の生活
・DVからの解放,経済的安定,両親の不和をみなくなる,離別後親が元気になるなど,離別
後のほうが落ち着いた生活ができると離別が肯定的な思いにつながりやすい。
・離別後の生活状況の悪化,経済状況の悪化による希望進路の変更などは離別への否定的な思
いにつながりやすい。
面会交流
・子どもにとって無理なく継続する面会交流が求められている。
・上記のような面会交流を実施していても,両親間の葛藤が高くその板挟みになっている場合
は子どもに負担がかかる可能性が考えられる。
養育費
・養育費をきちんともらっていることは子どもにポジティブな影響を与えやすい。
・養育費をもらえていない,もしくはもらえていたとしても少なすぎることは子どもにネガ
ティブな影響を与えやすい。
第三者の存在
・両親以外の第三者(祖父母,親戚,先生,友人,コミュニティの人々)からの経済的,生活
的,心理的支援は子どもの支えになる。
・一方で,離別のことをいいたくない・知られたくないと思う子どももいる。匿名で相談でき
るような仕組みも求められている。
1人の人間としての両
親や両親の関係性を
捉えられるか
・離別後の同居親との生活や別居親との面会交流,離別理由を聞くこと,自身の成長などから
1人の人間としての両親を理解し,両親の関係性を捉えることは,離別への納得感につなが
る。
・離別理由がわからず子ども自身が離別にまつわる出来事を整理して捉えなおすことができな
い場合,子ども自身の人生や家族関係に悪影響を及ぼす可能性が考えられる。
離別への納得感
・両親の離別への納得感と今現在の家族が平和に暮らせていることは離別に対し肯定的な思い
を抱くことににつながりやすい。
・両親の離別に納得がいかない気持ちを抱える子どもは離別に対して否定的な思いを抱くこと
につながりやすい。712 プロセスには出てきていない重要事項(その他語りから考察できる重要事項)
ここでは、1の未成年期に両親の離別を経験した子がその離別にどのような思いを抱え
ていくかのプロセスには入らなかったが、本調査を実施するにあたり語りに出てきた「(親の)再婚」と「介護」について紹介・考察する。この2つのテーマは、親の離別を経験する
子どもにとって重要なテーマだと考えられたためである。
また、
インタビューのなかでは、
あってよかった支援、実際なかったが必要だと思う支援についてもうかがった。その内容
を以下に記述する。
(1)再婚(再婚時に必要な配慮など)
再婚は、
離別と同様、
子どもの生活に大きな変化を与えるものである。
本研究においても、
再婚に関する語りは多く聞かれた。
その内容を、
同居親の再婚と別居親の再婚に分けて記述
する。
【同居親の再婚】
同居親の再婚は、再婚相手(およびその家族)と一緒に住むという点で、子どもにとって
非常に大きな変化であり、
新しい環境への再適応が求められるものである。
その新しい環境
の内容次第では子どもに大きな負担がかかる場合がある。
まず、再婚を受け入れ喜んでいる人の例として、肯定的3さんのエピソードを紹介する。
肯定的3さんの両親は別居親の借金、ギャンブル、DV といった理由で離別をしている。同
居親の再婚相手は、
両親が離別する前から同居親や肯定的3さん、
きょうだいを助けてくれ
ていた人であった。
公園や健康ランドなどに連れていってもらったり、
同居親の相談にのっ
てくれたりしていたというエピソードが話されている。
「お母さんのほうのおじいちゃんが
倒れて救急車で運ばれたって、
おばあちゃんのほうから連絡があったんで、
そのときにお父
さんは友だちが家に来てたんで、
『友だちが来てるから行かれへん』いうたんですけど、で
も、さっき話してた人(再婚相手)は、そのとき自転車しかなかったんですけど、自転車で
おじいちゃんのところに様子をみにいってくれたりとかして、お母さんにとって......大き
かったんやろなと思います。...(中略)...その支えてくれた人が、今お父さんになっている
ので。
お母さんが再婚して 10 年。
初めからこの人と結婚してほしかったって。
お母さんも、
これで幸せになれると思ったんで。
私たちも、
ずっと小さい頃からよう遊んでくれた人やっ
たんで、すごいうれしかったです。<複雑な思いとかは特になく>そうですね。一切それは
なかったです(肯定的3さん)
」このように、離別前から家族を支えてくれていた人との再
婚は、子どもにとって受け入れやすいように考えられた。
次に、当初再婚に困惑したが、現在は受け入れている人の例として、肯定的2さんのエピ
ソードを紹介する。
肯定的2さんの両親は別居親が仕事をしないこと、
借金をつくることと
いった理由で離別をしている。
同居親の再婚相手は、
きょうだいの同級生の父親だったとい
うことで、
元々知っている人であった。
説明なくなんとなく一緒に過ごす時間が増えていく72ことや母親は母親だけれども女の人でもあるということに複雑な感情を持ったというエピ
ソードが話されている。一方で、再婚後 15 年ほどたち、その時間のなかで、肯定的2さん
が別居親の介護で大変だった時は同居親と一緒に再婚相手の人も手助けしてくれたり、き
ょうだいの子どもの面倒をよくみてくれたりしたといった体験を通して、今は再婚を受け
入れているとの語りが聞かれた。
このように、
離別前に特に関係性が構築できていない場合
の再婚は子どもに負荷がかかりやすいが、その後信頼関係を構築できるような出来事を通
して、子どもは再婚を受け入れていく可能性が考えられた。
最後に、
再婚後の新しい環境に大きな負担があった人の例として、
肯定的12さんと肯定的
13さんのエピソードを紹介する。まず、肯定的12さんは、実父との離別は 1-2 歳の幼少期で
あり、小学 4 年時に同居親が再婚、そして高校 1 年時に同居親と再婚相手の離別を経験し
ている。
実父との離別は記憶にないとのことで、
本研究では同居親と再婚相手との離別に対
してインタビューを実施している。
再婚時は再婚相手が遊んでくれ、
父親という存在に憧れ
もあったことから再婚を受け入れていた。
しかし、
同居親と再婚相手との間に子どもが産ま
れてからは、
同居親と再婚相手の肯定的12さんへの関心は薄れ、
肯定的12さんは孤立感を感
じるようになった。
「頑張って(高校受験で)合格したけれども、それを報告しにいっても
『そう』ぐらいの感じだったのは、今でも覚えてます。もう本当に興味がないんだなという
のを実感したのを、すごく覚えていて。やっぱり子どもですっていっても、興味を持っても
らいたかったかなあというぐらいですかね。
そういうのが積み重なって、
こっちの興味がな
くなったっていうのがあるんですけど(肯定的12さん)
」その後、同居親と再婚相手は離別
したが、年月がたった今、再婚する家庭へのアドバイスとして、連れ子に対して、たとえ新
しい子どもが産まれたとしても、当初の(優しい)態度を変えるのは絶対によくない、子ど
もが裏切られたような気持ちなる、と語っている。また、大なり小なり配慮が必要になると
も語っていた。
続いて、
肯定的13さんは小学 1-2 年時に別居親の不倫がきっかけで両親の離
別を経験し、小学高学年時に同居親の再婚を経験している。再婚後の生活は、説明のないま
まの引越し、転校に加えて、再婚相手にも連れ子がおり、再婚相手は連れ子ばかりかわいが
り、家事全般を肯定的13さんと13さんのきょうだいに押しつけるなど、
「最悪でしたね(肯
定的13さん)
」と語っている。さらに新しい子どもが産まれた際は育児も肯定的13さんが担
うようになった。また、再婚をきっかけに別居親との面会交流はなくなってしまった。
これらのエピソードからは同居親の再婚は子どもに非常に大きな影響を与えることが読
みとれる。再婚時には、再婚自体の説明、再婚後生活はどのようになっていくかの説明、別
居親との面会交流はどうなるのかの説明をしたうえで、子どもが新しい環境に慣れるよう
にサポートしていくことが必要だと考えられる。
また、
再婚後に新しい子どもができたとし
ても、変わらずに子どもに新しい子ども同様に愛情を注ぐことが何より重要になっていく
だろう。
【別居親の再婚】73別居親の再婚は、
同居親の再婚よりは子どもの生活に直接の影響を与えないものの、
子ど
もにとって精神的に大きな出来事である。面会交流が途切れるきっかけにもなりやすいた
め、配慮が必要である。
別居親の再婚をきっかけに面会交流が途切れた人の例として、肯定的10さんのエピソー
ドを紹介する。肯定的10さんの両親は別居親のギャンブル依存や繰り返される転職が理由
で離別をしている。離別後も月 1 回程のペースで家族でご飯を食べるなどしていたが、別
居親の再婚と養育費の不払いがきっかけで面会交流が途切れた。
また、
再婚には至らなかっ
たが、
別居親が再婚するかもしれないという話を聞き、
関係がギクシャクし始め面会交流が
途切れた例(肯定的9さん)もあった。
別居親の再婚は子どもにとって精神的に大きな出来事である。特に面会交流が継続して
いる場合は、
再婚後面会交流はどうなるのか、
聞きたいけど聞きづらいという子どももいる
だろう。
再婚時、
別居親は再婚自体の説明、
面会交流はどうなるのかの説明をきちんと行い、
子どもと自分の関係は何も変わらないことを伝えていく必要があるのではないだろうか。
(2)父母の介護
父母の介護も子どもにとって重大な問題である。
父母が離別していることで、
それぞれの
介護をもう一方の親に担ってもらうことはできず、子どもや親戚が介護を担う必要が出て
くる。
「いずれ自分が介護をするんだろうな」と予測している場合もあるが、突然介護を担
わなくてはならなくなる場合もある。特に離別後別居親と交流がなかった/交流が中断し
ていたのに、
突然別居親の介護を担う必要が出てきた場合、
子どもにとって介護は非常に負
担の大きい出来事となる。
突然別居親の介護が必要になった人の例として、2さん(肯定的)と17さん(否定的)の
エピソードを紹介する。2さんは、別居親が入院したという連絡を受け、お見舞いに行った
ことから別居親の介護を担うこととなった。きょうだいと2さんだけが別居親のことを知
っている状態で、
比較的近距離にいて融通がつけられた2さんが主に介護を担い、
その相談
はきょうだいとの 2 人だけで行っていたという。いろいろな制度を使いながらの介護とは
いえ、
特に介護の知識や経験があったわけでもなく、
自分もフルタイムの仕事をしているな
かで度々各種手続にいったり、別居親の様子をみにいったりすることには大きな労力が必
要だった。
「誰か、次やってくれるっていうんやったらお願いしますっていうけど、誰も物
理的に無理な状況やって、
(自分が)しなしゃあないなっていう」
(2さん)気持ちだけで頑
張っていたという。
しかし介護度が徐々に上がっていくなかで、
きょうだいと2さんだけで
はどうしようもなくなり、同居親に相談することにした。同居親は"離別していなかったら
自分が担うべきだったことを子どもたちに背負わせてしまった"と、さまざまな援助をして
くれるようになった。別居親の介護を通じて、別居親の人を"どうしようもないけれども憎
めない人""周りに恵まれている人"だと感じ、
「あまり交流がない別居親のままという思い出74のままじゃなくて、
介護している間、
しんどかったけど接点持つことができてよかったなっ
て」思うに至ったという。そう思えるようになった背景には、途中で事情を知った同居親が
2さんたちの苦労を慮ってくれ、介護に協力してくれたことも大きく影響しているようで
あった。
17さん(否定的)は、別居親からの養育費を受けとる代わりに17さんが介護を担うように
いわれ、突然別居親の介護を担うことになった。そして、介護を担わざるを得なくなったこ
とにより、17さんの進路選択も大きな影響を受けた。同居親もその状況は知っていたが、17
さんをかばってくれたり協力してくれたりすることはなかったという。きょうだいもいた
が、きょうだい間で知っている事情がそれぞれ異なるために相談しづらく「なるべく自分 1
人で何とかできるように、収まるように」頑張っていた。介護だけでなく、他の家族間で起
こった出来事についても父母からきちんとした説明はまったくなく、大変な状況を17さん
が 1 人で抱えることも多かった。17さんは「きつかったといえばきつかったけど、結局誰か
が火中の栗を拾わないといけないからな。
で、
結局分散したところでみんな潰れちゃうんだ
ったら、最後、私 1 人だけ潰れればいいのかなと、そう思って行動してました」と語ってい
る。17さんの場合、進路の大切な時期に突然別居親の介護を担わざるを得なくなったこと、
その経緯もとても納得できるものではなかったこと、介護を通しても別居親への印象や関
係性は変わらなかったことにより、介護への負担感はさらに大きく感じられているようで
あった。そして、介護の件も含めて、離別によるネガティブな影響が続いていると感じてい
た。
2さん、17さんに共通することとして、突然介護を担わざるを得なくなったことにより、
生活が激変し、自分の負担が増し、他に頼れる人もいない(2さんの場合は途中から同居親
が協力してくれるようになった)ことがあげられるだろう。
一方で、交流がない別居親の介護を自分たちだけで引き受けざるを得ない状況をつくら
ないように、
あえて別居親との交流を持たないようにしているという声もあった。
例えば15
(肯定的)さんは、別居親が倒れたときに連絡がきて、一時期介護を担うことになりとても
大変だったという経験から、現在は別居親やその親戚と連絡をとらないようにしていると
いう。15さんの場合は、他に別居親の介護を担える別居親側の親戚がいて、現実的にもそち
らに介護を任せたほうがスムーズであるという事情もあるようであった。
他にも16
(肯定的)
さんは、
介護だけでなく金銭的な面も含めて今後思わぬ問題に巻き込まれないように、
別居
親との連絡をとらないようにしていることを語っていた。
このように、
現実的に起こり得る
可能性を見越して、別居親との交流を考えている人もいた。
また、
現時点では父母の介護をするには至っていなくても、
今後介護が必要になるだろう
状況に対して不安を感じている人も多い。例えば4さん(肯定的)は「父の介護、母の介護
となったときに別々だとどうなっていくんだろう。
お金の面とかもあるし、
最終的にきょう75だいが多いので、
誰かが最終的に一緒に住んでいくってなるんだろうな、
世話していくんだ
ろうなというようなのが何となく流れているんですけど...(中略)...2 人(父母)は別れて
離れて過ごすことで、結構そういうコツや労力の部分が心配になってくるなとは思います」
と語っている。4さんのようにきょうだい間で介護の分担ができそうだと感じられていた
り、
他のきょうだいがメインで介護を担ってくれると思えていたりする場合もあるが、
他の
きょうだいの事情から自分がメインで介護を担わなくてはならないと感じていたり、
1 人っ
子であったりする場合もある。
後者の場合、
同時期に父母の介護が必要になったときにどう
したらよいかがより現実的な不安として感じられていた。例えば、28さん(どちらともいえ
ない)は現在の一番の心配は父母の老後だと話す。
「きょうだいで話しても、難しい問題や
ねって。同居親は自分が今、一緒に住んでるんでみれますけど。例えば、別居親が倒れたっ
てなって、
誰が面倒をみんねんっていう話をたまにしたら。
僕がまだ近いところに住んでる
んで、僕かなとかって話をしながら、でも、そんなんなあと思いながら、こっちも生活ある
しなと思いながら」
(28さん)と、きょうだい間でも時折そういう話題は出しつつも、きょ
うだいの反応から自分が主に介護を担わなければいけない可能性を感じていることを語っ
ていた。そして別居親にもその懸念を直接伝え、別居親から老人ホームへの入居費用など、
介護に必要な資金は用意している旨を聞けたので一応安心したことを語っていた。
また、介護とともに相続関係の心配をしている人もいた。このように、父母の離別は後に
なってから思わぬ形で子どもに影響を及ぼすことがある。離別後の父母の介護や相続とい
った問題は、今後検討していくべき大きな課題であろう。
(3)あってよかった対応・支援
インタビューからあがってきた、あってよかった対応・支援は、同居親からしてもらえた
こと、別居親からしてもらえたこと、第三者(祖父母や親族)からしてもらえたこと、第三
者(周囲のコミュニティ)からしてもらえたことの 4 種類に大別された。
【両親(同居親)からしてもらえてよかったこと】
お金に不自由をさせないでくれたことや自分のものを我慢してでも子どもに食べ物や物
(プレゼント含む)を買ってくれたこと、旅行に連れていってくれたこと、行きたい進路を
応援してくれたことといった経済支援から、家事をしてくれたことといった生活支援まで
さまざまな声が聞かれた。また、自由にやらせてくれたこと、不登校になっても見守ってく
れたことなど心理的支援に対する感謝の声も聞かれた。別居親の介護をしなくてはならな
くなった際に、
その介護を手伝ってくれた同居親もおり、
そのことに子どもが感謝している
声も聞かれた。
【両親(別居親)からしてもらえてよかったこと】
主に面会交流が継続した子どもから、こまめに会って日々の生活が回るように買い物な
どを一緒にしてくれたこと、
学校行事に来てくれたこと、
別居先を家の近くにしてくれて行76き来しやすいようにしてくれたこと、アウトドアや普段行けないようなところに連れてい
ってくれたこと、といった声が聞かれた。また、養育費をきちんと支払ってもらえていた子
どもからはそのことへの感謝の声も聞かれた。
一方で、
親からしてもらえたことでよかったことはない、
思いあたらないと答える人もお
り、そういった人たちからは、離別の経緯や反省点をきちんと説明してほしかった、意見を
いえる場がほしかった、
離別をするタイミングをもっと考えてほしかった、
養育費を払って
ほしかった、離別は子どもに後々まで影響を与えることだということをきちんと考えてほ
しかったなどの声が聞かれた。
【第三者(祖父母や親族)からしてもらえてよかったこと】
祖父母や親族からしてもらえてよかったこととしては、経済的な支援や家事などの生活
支援、外食や遊びに連れていってくれたこと、かわいがってくれたこと、気にかけて何かに
つけ親身になってくれたこと、不登校で難しい時期に逃げ場所になってくれたことがあげ
られた。
【第三者(周囲のコミュニティ)からしてもらえてよかったこと】
周囲のコミュニティからしてもらえてよかったこととしては、ご近所さんが一緒にキャン
プや BBQ をしてくれたこと、学校の先生が朝食を食べさせてくれたり、進路相談にのって
くれたこと、
現在同居親の再婚相手になっている人が遊んでくれたり、
相談にのってくれた
りしたこと、
家政婦さんや里親さん、
児童養護施設の職員さんの温かなかかわり
(家事支援、
心理支援)
、心理士が話を聞いてくれたこと、などがあげられた。また、友人が話を聞いて
くれたり、腫れ物扱いせずに一緒に遊んだり普通に接してくれたことをよかったこととし
てあげている声も多かった。恋人の存在が支えになったと話した子どももいた。
(4)必要な支援
必要な支援としては、父母に対して行ってほしい支援と、子ども(本人)に対して行って
ほしい支援の 2 種類に大別された。
【父母に対する支援】
父母に対する支援としては、(a)居住や面会交流などを適切に取り決めるための支援、(b)離別について子どもが納得できるようにするための支援、(c)家族内の関係調整のための支
援、
(d)父母間の葛藤低減のための支援、
(e)親が家族問題や心身の健康について相談でき
る場所、
(f)養育費の支払いが確実に実施されるための支援、
(g)生活基盤を安定させるた
めの支援、があげられる。
(a)居住や面会交流などを適切に取り決めるための支援としては、父母のどちらと一緒
に住みたいか、面会交流の頻度をどうするか、子どもの希望も聞きつつ、現実的な父母の養77育能力も見極めつつ、
合理的に判断してくれるような支援が望まれている。
居住について自
分やきょうだいの希望が通らなかった場合、面会交流をしたいのに機会がなかった/望ま
ない形の面会交流が続いた場合に、
このような支援を切望する声が多い。
子どもの意向を尊
重しつつ(b)にもつながるが、それを子どもが納得できるような形で説明してほしい、と
いう子どもの切実な願いが込められていると考えられる。
(b)離別について子どもが納得できるようにするための支援としては、離別すること、
離別理由、
離別後の生活の見通しをきちんと説明する、
子どもの理解度や発達段階に応じて
繰り返しフォローする、
などの対応を親がとれるように支援してほしい、
親がそのような役
割を担えない場合には第三者にそのような役割を担ってほしい、
という声があった。
具体的
には、
離別時の子どもの気持ちや必要な対応などを親に伝えていくような、
心理教育や親ガ
イダンスにあたると考えられる。子どもが必要としているときにきちんと説明をすること
で、子どもが悩んだり自分を責めたりすることなく離別を納得して受け入れられるように
なる、
と語る人も多く、
そのような説明がなかったゆえに苦悩してきた子どもたちが多いこ
とをうかがわせる。
(c)家族内の関係調整のための支援としては、離別後家族関係が不安定になってしまう
など、機能不全の状態に陥っている家族に対して、家族内に入ってきて、関係調整を担って
ほしいという声があった。
子どもが年少であるほど、
自分から外の機関に援助を求めにいく
ことは難しい。また、勇気を出して児童相談所に相談してみたが、家族の状況をうまく表現
できず、取りあってもらえなかったという経験をしていた人(否定的17さん)もいた。家庭
内の状況は外からみえづらいことも多く、親や周りの大人に問題意識がないと支援につな
がることは難しい。しかし、子どもが外部に SOS を発信できる方法、子どもの SOS を受け
止めて、子どもに害が及ばないような配慮をしつつ必要に応じて支援につなげていくよう
な仕組みが求められている。
(d)父母間の葛藤低減のための支援としては、離別前から離別後まで続く父母の葛藤を
少しでも低減させ、子どもがそれに巻き込まれずにすむようにしてほしいという声があっ
た。特に否定的群や、どちらともいえない群では、離別後も父母間の関係が改善せず、その
間で板挟みになる、
父母の仲が悪い様子が強烈に印象に残る、
という経験が多く語られてい
た。葛藤が続く場合でも、葛藤を子どもにみせない・巻き込まない配慮があれば、子どもへ
の否定的影響は和らぐ可能性もある。父母の高葛藤が子どもに及ぼす悪影響についての知
識啓発や、
父母が葛藤を低減できるような心理教育やカウンセリング、
父母が直接やりとり
しなくてもすむような支援(面会交流支援など)が必要である。(e)親が家族問題や心身の健康について相談できる場所については、
離別後親が身体的・
精神的不調に陥ってしまう、余裕がなくなってどんどん疲れていく様子を目の当たりにし
ていた子から、
「親自身が気軽に相談できる場所があったらよかった」という声が多く聞か78れた。離別にまつわる悩み・心配・困りごとを包括的に相談できる窓口や、離別後忙しい・
余裕がない親が気軽に立ち寄り健康相談をできる場所、
というのは少なく、
あったとしても
アクセスしづらいと感じられている。現在はオンライン上のピアグループなども多く出て
きているが、
親がケアされることによって、
結果的に一緒に住んでいる子どももケアされる
ことになるという視点は忘れてはならないだろう。
(f)養育費の支払いが確実に実施されるための支援をしてほしいという声が多く聞かれ
た。本調査からも、養育費をもらえていない、もしくはもらえていたとしても少なすぎる場
合は、別居親にネガティブな印象や感情を持つことに影響を与えることが明らかになって
いるため、養育費の支払いが確実に実施されることは必要なことだと考えられる。
養育費は当初支払われていても段々支払われなくなってしまう、もしくは額が少なくな
っていってしまうなどの状態になることもある。また、離別時、特に別居親の暴力などの問
題がある場合は、
離別さえしてくれればいいという気持ちにもなりやすく、
養育費について
そもそも話しあわれない場合もある。そして、養育費が滞った場合、面会交流をしている子
どもに養育費を催促するようにさせる親もおり、そのことは子どもにネガティブな影響を
与えやすい。
上記のことを考えると、養育費の支払いを確保するための支援が重要になってくると考
えられる。
(g)生活基盤を安定させるための支援について、(f)養育費の他にも、年金制度を見直し
てほしいという意見や、
医療費を無料にするなどの支援も大事だが、
生活を安定させるよう
な支援や教育に関する支援をもっと考えてほしいとの意見が出た。奨学金制度は助かるが、
返さねばならないため負担になりやすいこと、家族の医療費がかさんで実際にお金がない
のに所得制限で切られてしまい奨学金をもらうことができなかったことなどが語られた。
また、
現在日本では母親が同居親になる割合が高いが、
専業主婦のまま離別しシングルマ
ザーになった場合、
さらに年齢が高い場合、
仕事をみつけるのが困難であるとの意見も聞か
れた。子育てしながら安定的な収入が得られる仕事をみつけられる支援をしてほしいとの
声が聞かれた。
【子どもに対する支援】
子どもに対する支援としては、
(a)相談ができる第三者(機関)の設置、
(b)奨学金や学
費免除の申請などを知る機会、があげられる。
(a)相談ができる第三者(機関)の設置について多くの子どもから話が出た。小さい頃
は家族の離別の相談をしていいのか、
するとしてもどこにすればよいのかわかりにくい。また、子どもの生活の場からアクセスしやすい場所に第三者(機関)があると心強いという声
があがった。
本調査において信頼できる第三者として、
祖父母や友人の他に学校の先生など
があげられたが、学校の先生には友人に知られたくないという思いから相談しにくかった79という声も聞かれた。
離別ということが何なのかまだよくわからない子どもにとっては、アクセスしやすい場所でかつ内密に相談できる、という点が重要になってくるのかもしれな
い。学校生活から少し離れた距離でかつ子どもがアクセスしやすい場所として児童館や学
童(民間学童も含む)などが考えられる。そういった場所にいる大人に対し、離別後の子ど
もをどう支援していけばよいかの研修などを行っていくことは、子どもが相談できる場所
を増やすという意味で意義があるように考えられる。
また、
学校では虐待やいじめ相談 SOS
といった紙はよく配布されるが、
家庭の悩み相談というものはなかったため、
そういった匿
名の相談窓口があるといい、
という声も聞かれた。
今の状況が一体どのようになっていくの
か、
両親からの説明があまりなされず不安になる子どももいる。
そういった子どもに対して
匿名の電話相談・SNS 相談は力になっていくだろう。また、肯定的13さんは、こういった子
どもの味方になってくれる機関や番号がある=子どもも自分の意見をいっていいというメ
ッセージになるのではないかと語っている。
こういった相談機関を設置し、
子どもにわかり
やすく周知するということが求められている。
(b)奨学金や学費免除の申請などを知る機会がほしかったという声も多く聞かれた。そ
ういったことがあることを知らず、たまたま同じように両親が離別した友人に教えてもら
ったという子どももいた。
奨学金の情報などは、
本当に困窮している人は調べる余裕もない
と思うため、情報が確実に届くような仕組みをつくってもらいたいという声が聞かれた。
(5)本調査の意義と限界
最後に、本調査の意義と限界について述べる。本調査では、性別、年齢、最終学歴、同居
親の性別、などに可能な限り多様性を持たせて調査協力を依頼した結果、借金や暴力、アル
コールといった、
日常生活の安心・安全感の根本にかかわるような離別理由を持つ人のエピ
ソードを多く収集することができた。さらに離別への現在の思いが「肯定的」
「否定的」
「ど
ちらともいえない」
プロセスごとに検討することで、
各プロセスの特徴と父母の離別に対し
て子ごとに思いが異なるに至る背景を明らかにできたことが本調査の意義である。
本調査の限界としては、
回顧的調査であること、
調査対象者の偏りがあることが挙げられ
る。本調査は 6 歳〜15 歳未満の間に父母の離婚を経験しており、かつ調査時に 20 歳以上
40 歳未満の人を対象としている(なお、
「II 調査実施方法」でも述べたとおり、事前のウ
ェブアンケートでは上記対象にあてはまる人に調査協力を依頼したが、実際には父母の離
別を 15 歳以上で経験した人も何名か含まれている)
。本調査対象者には 10 年〜30 年以上
前に離別を経験している人も多く含まれている。
回顧的調査であるため、
出来事の時系列を
正確に覚えていない、
強烈に印象に残っていることと、
覚えていないことが混在しているこ
とも多くみられた。
上述のとおり、
時代背景や社会制度の違いにより、
面会交流や養育費について積極的な取
り決めをしないで離別に至っている人が一定数いるのが特徴である。養育費については、
「わからない」
「多分もらっていない」と答える人も多かった。また、面会交流を継続して80行っていた人であっても、
その頻度は年数回程度であることが多かった。
定期的に頻回に面
会交流を行っていた人も数名いたが、肯定群において定期的に頻回に面会交流を行ってい
た人の離別後の両親の関係性は良好であったことがほとんどであり、両親の葛藤が高いう
えで定期的に頻回に面会交流を行い、両親の離別に肯定的な思いを抱いている調査対象者
は今回みられなかった。
したがって、
そういった方のプロセスは本調査では明らかにされて
いない。両親の葛藤が高いうえで定期的に頻回に面会交流を行う子どもも一定数存在する
と考えられるため、そういった子どもの心理プロセスに焦点をあてて検討していくことも
今後必要になっていくだろう。