全国被災建築物応急危険度判定協議会
被災建築物対策の経緯
応急危険度判定・被災度区分判定の経緯
応急危険度判定は、余震による二次災害を防ぐために地震発生後出来るだけ迅速に行われる被災度の判定です。この様な判定は、過去には、行政担当者、建築士、学識経験者などによりそれぞれ独自の判断で個別に行われてきました。しかしながら、この様な判定を独自に行うのはそう簡単ではありません。経験と直感で被災建物の安全、あるいは、危険を短時間に判定しなければならないからです。災害の規模が小さいときは個別の判定でよいが、災害の規模が大きくなると判定が必要な建物の数も多くなります。恐らく従来の個別対応では間に合わなくなるでしょう。この様な考えより、震後の被災建物の危険度の判をあらかじめ用意されたマニュアルにより、トレーニングされた技術者により組織的に行うシステムの必要性が1980年頃より認識され始めました。
1980年(昭和55年)南イタリア地震の際、被災度判定がやや組織的に行われたことを契機として、国内では建設省(当時)が1981年(昭和56年)から総合技術開発プロジェクト「震災構造物の復旧技術の開発」を進め、木造、鉄骨造、鉄筋コンクリート造建築物の被災度判定法から復旧技術までの一貫した手法の開発が推進されました。
この間、1985年(昭和60年)にメキシコ地震が起こり、ほぼ完成していた鉄筋コンクリート造建築物の被災度判定法を適用して国際協力として実施され、その成果が検証され、その妥当性が確かめられました。これを機に米国でもその重要性が認識され、1989年(平成元年)に「ATC-20」と呼ばれる被災度判定マニュアルが作成され各自治体では判定体制の整備が進められ、その後発生したロマプリータ地震やノースリッジ地震等では大きな成果をあげた経緯があります。
国内では、総合技術開発プロジェクト「震災構造物の復旧技術の開発」の終了後、その成果の普及版として、平成3年に一般財団法人日本建築防災協会より「震災建築物等の被災度判定基準及び復旧技術指針」(応急危険度判定及び被災度区分判定)が発刊された。その後応急危険度判定については、兵庫県南部地震等での実施体験を踏まえ、応急危険度判定が迅速かつ適切に行えるよう平成8年に「被災建築物応急危険度判定マニュアル」が作成されました。
また、技術的な基準が整備された後、実際に判定活動を行う応急危険度判定士を養成、登録する応急危険度判定士認定制度が1991年(平成3年)に静岡県、1992年(平成4年)には神奈川県で制度化され、その他の各自治体においてもうごきが広がりました。国内で初めて応急危険度判定が実施された阪神・淡路大震災以降、応急危険度判定体制全国的な整備が進められ、平成8年に全国被災建築物応急危険度判定協議会が設立され、その後各地で発生した地震において成果をあげています。
応急危険度判定・被災度区分判定の歴史
(ロスアンゼルス市、サンタモニカ市)
3月、5月 鹿児島県薩摩地方を震源とする地震において応急危険度判定の実施 鹿児島県宮之城町、鶴田町
全国協議会