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jica 独立行政法人 国際協力機構 jica 独立行政法人 国際協力機構

日本の支援

1.日本政府およびJICAの平和構築支援

日本のODAによる紛争予防と平和構築支援は、人間の安全保障の視点から、紛争の予防・復興・開発まで切れ目のない支援を重視し、非軍事的手段で世界の平和と安定に貢献することを目的としています。また、地雷除去や難民支援などの人道的課題にも積極的に取り組み、国際社会との協調を通じて日本の安全と繁栄にも資する支援を展開しています[1]。

JICAは、恐怖と暴力のない平和で公正な社会を目指して、誰ひとり取り残さない平和な社会を実現するため、紛争を発生・再発させない強靭な国・社会づくりに貢献する活動を、アフリカ、中東、アジア、欧州等の国々で実施しています。
JICAの平和構築の主要な取り組みは、以下のとおりです。

1.紛争の予防・再発防止を目的に、強靭で包摂的な社会づくりを支援し、地方行政の能力強化や社会的結束の促進を通じて信頼醸成を図っています。
2.地雷・不発弾対策や難民支援などの人道・開発・平和の連携(ネクサス)を重視し、被災リスクの低減と社会参加の促進に取り組んでいます。
3.人間の安全保障の視点から、保護・能力強化・連帯を組み合わせた支援を展開し、暴力的紛争の根本原因に対処する包括的なアプローチを採用しています。

JICAの平和構築支援について、詳しくはこちら

2.ミンダナオ和平と開発を支えるJICAの歩み

和平プロセスの詳細については、こちら


インフラ整備から始まったミンダナオ和平支援

JICAのミンダナオ支援は、1990年に始まりました。当初の支援は、フィリピン政府の国家開発政策に沿ったものであり、ミンダナオ地域が抱えるインフラ・経済開発の遅れや、他地域との格差是正を目的としていました。特に、長年の紛争の影響を受けた地域において、安定した生活基盤の構築が急務とされていた中、JICAは電力や灌漑などのインフラ整備を中心とした支援を展開しました。

この時期の重要な枠組みの一つが、フィリピン政府とMNLF(モロ・民族解放戦線)との間で1996年に締結された和平合意に基づき設定された「平和開発特別地域(SZOPAD:Special Zone of Peace and Development)」です。JICAはこのSZOPADにおいて、道路建設機材整備を支援しました。特に、道路の整備状況が悪く、住民の生活に深刻な影響を与えていた地域を対象に、地方自治体(LGUs)による道路整備を支援することで、地域の移動や物流の改善を図り、フィリピン政府とモロ・民族解放戦線間の和平プロセスを支援しました。

また、当時は他のドナーが紛争影響地域のLGUsへの直接支援を控えていた中で、JICAは現地職員がSZOPAD内のLGUsを訪問し、課題やニーズの情報収集を行いながら、案件形成を進めました。このような現場重視のアプローチは、JICAの支援が地域住民の実情に即したものであることを示す象徴的な取り組みでした。

和平へのコミットメント:緒方理事長の訪問とJ-BIRDの誕生

2002年12月、小泉総理(当時)が「平和と安定のためのミンダナオ支援パッケージ」を発表。その後、2006年7月には日比国交正常化50周年を記念し、麻生外務大臣(当時)が新たなミンダナオ支援策を表明し、2004年に結成された国際停戦監視団(IMT:International Monitoring Team)への要員派遣を開始するなど、日本政府による包括的な支援を本格化させました。

このような中、JICAによるミンダナオ支援が更に強化されるきっかけとなった出来事が、2006年9月に行われた緒方貞子JICA理事長(当時)によるモロ・イスラム解放戦線拠点キャンプ・ダラパナンの訪問です。緒方理事長は、紛争影響地域の現場に自ら足を運び、モロ・イスラム解放戦線のムラド議長と直接対話を行いました。政府軍も立ち入れない軍事拠点に、JICAのトップが自らの提案で訪問したことは、和平への強いコミットメントを示すものであり、モロ・イスラム解放戦線側からも真剣な姿勢と支援への期待が表明されました。緒方元理事長は理事長を退任した後に、「直接話し合ったことで、互いの信頼が生まれた」と振り返っています[2]。

さらに、緒方理事長はマニラにてアロヨ大統領(当時)とも面談を行い、開発支援がミンダナオ和平を後押しするものであるとの認識について、政府・モロ・イスラム解放戦線双方から同意を得ました。この一連の行動は、JICAのミンダナオ支援が、和平と開発を結びつける戦略的な取り組みとして位置づけられる大きな転機となりました。

そして同年12月には、安倍首相(当時)のフィリピン訪問に際し、「日本バンサモロ復興開発イニシアティブ(J-BIRD:Japan- Bangsamoro Initiatives for Reconstruction and Development)」の立ち上げが正式に発表されました。は、紛争影響地域およびムスリム・ミンダナオ自治地域(:)(当時)を対象に、日本のODAを通じて和平と開発を連動させる支援を体系的に進める枠組みとして設計され、のミンダナオ支援の方向性をより明確にするものとなりました。

この時期には、JICAはARMMに地域開発専門家を派遣し、自治政府の制度構築や行政能力強化に向けた技術協力が開始されました。保健・教育・農業などの分野におけるサービス改善を通じて、紛争影響地域の住民の生活の質を向上させることを目的とした支援が展開され、は現地のニーズに即した支援を通じて、和平の定着と持続可能な開発の両立を目指しました。

外交の舞台裏:成田で交わされた歴史的トップ会談

2000年代後半、フィリピン政府とモロ・イスラム解放戦線との和平交渉は、一定の進展を見せながらも、2008年に合意寸前まで至った「先祖伝来の領域に関する合意覚書(MOA-AD:Memorandum of Agreement – Ancestral Domain)」がフィリピン最高裁により違憲と判断されたことで、交渉は深刻な停滞に陥りました。この判断は、ミンダナオにおける自治の枠組みや領域に関する合意内容が、憲法上の手続きや国民的合意を欠いていたとされたことによるもので、以降、政府とモロ・イスラム解放戦線の間には不信感が生じ、和平プロセスは数年間にわたり膠着状態となりました。

このような状況の中でも、JICAはミンダナオの紛争影響地域において、職員及び日本人専門家を派遣した技術協力を通じて、和平の土台となる開発支援を継続していました。現場に根ざした支援と中立的な立場からの関与は、政府・モロ・イスラム解放戦線双方から高く評価され、JICAは和平交渉の信頼醸成においても重要な役割を担うようになっていきました。

さらに、日本政府は外交的な側面からもミンダナオ和平を後押ししてきました。その象徴的な取り組みの一つが、2009年に設立された「国際コンタクトグループ(ICG:International Contact Group)」への参加です。ICGは、日本、イギリス、トルコ、サウジアラビアの4か国と、Conciliation Resources、Centre for Humanitarian Dialogue、Muhammadiyah、The Asia Foundationの4つの国際NGOから構成される、外交団とNGOが協働する世界初のハイブリッド型の和平支援メカニズムです[3]。日本はICGの一員として、和平交渉の促進、当事者間の信頼の醸成、情報の提供などを通じて、政府とモロ・イスラム解放戦線の合意形成を後押しし、JICAによる現地支援と連動する形で、和平プロセスの持続的な推進に寄与しています。

こうした背景のもと、2011年8月、フィリピンのベニグノ・アキノIII大統領とモロ・イスラム解放戦線のムラド議長による歴史的なトップ会談が、千葉県成田市で実現しました。この会談は、第三国での非公式な対話の場として設定されたものであり、日本政府とJICAはその調整・実現において重要な役割を果たしました。両者は、和平の加速と開発の連携について意見を交わし、信頼関係の構築に向けた大きな一歩を踏み出しました。

成田会談は、日本政府・JICAの長年にわたる現地支援と信頼構築の成果が、和平プロセスの節目において外交的にも活かされた象徴的な出来事であり、翌2014年のバンサモロ包括和平合意(CAB:Comprehensive Agreement on the Bangsamoro)につながる流れを形成する重要な契機となりました。

和平合意後の展開:ARMMからBARMMへの移行支援

2014年3月、フィリピン政府とモロ・イスラム解放戦線との間でCABが締結され、ミンダナオ和平プロセスは大きな節目を迎えました。この合意により、ARMMからバンサモロ・ムスリム・ミンダナオ自治地域(BARMM:Bangsamoro Autonomous Region in Muslim Mindanao)への移行と新たな自治政府の樹立が正式に位置づけられ、恒久的な自治の枠組みが構築されることとなりました。

JICAはCAB締結以前から、ARMMにおける制度構築やサービス改善を支援してきましたが、CAB後はその支援をBARMMへの移行に対応させる形で強化しました。

また、JICAはCAB締結後の初期段階において、地域住民が「平和の配当」を実感できるよう、Quick Impact Project(QIP)を実施しました。これは、紛争影響地域における緊急復旧・復興を目的とした小規模インフラ整備や社会サービスの提供を通じて、和平の成果を住民の生活に直接届けることを目指した取り組みで、地域の平和と安定の促進に貢献しました。

一方で、治安維持に関しては、モロ・イスラム解放戦線兵士の身元照合武装解除のために海外・国内専門家からなる独立武装解除執行組織 (IDB:Independent Decommission Board)が2014年に設置されました[4]。日本も2022年から参加し、2025年まで要員を派遣していました。

その他、日本政府は現地および国際NGO、地方公共団体、教育機関、医療機関等が実施主体となる「草の根・人間の安全保障無償資金協力」を多く実施してきました。また、国際機関と協力しながら、武装解除や女性のエンパワーメント、有権者教育等のプロジェクトを通して、邦人渡航が限定される地域にも日本の支援を届ける取り組みを続けています。

自治への移行を支える現在のJICA支援:政治・正常化トラックの両輪で

2018年、フィリピン議会においてバンサモロ基本法(BOL:Bangsamoro Organic Law)が成立し、翌2019年の住民投票を経て、ARMMに代わる新たな自治地域としてBARMMが発足しました。これに伴い、バンサモロ暫定自治政府(BTA:Bangsamoro Transition Authority)が設立され、自治政府への移行が本格的に始まりました。

BOLでは、和平合意の履行に向けた枠組みとして、「政治トラック」と「正常化トラック」の2つの柱が定められています。政治トラックは、自治政府の制度構築、各種法律の制定などを通じて、民主的な統治体制の確立を目指すものであり、正常化トラックは、武装解除、元戦闘員の社会復帰、治安維持、移行期正義などを通じて、紛争の影響からの回復と社会の安定化を図るものです。

現在JICAは、この2つのトラックに沿って、BARMMの制度的基盤の整備と地域の安定化に向けた支援を展開しています。政治トラックにおいては、BTAの行政能力強化、政策形成支援、財政管理、人材育成などを中心に、自治政府が住民に対して安定的かつ包摂的な公共サービスを提供できるよう、技術協力を進めています。またバンサモロ開発計画(BDP:Bangsamoro Development Plan)との整合性を重視しながら、教育、保健、農業、インフラなどの分野での支援を継続しています。

一方、正常化トラックにおいては、JICAはモロ・イスラム解放戦線の元戦闘員やそのコミュニティに対する職業訓練や生計向上支援を通じて、社会復帰と地域の安定化を支援しています。

JICAの現在の支援の詳細は、次頁以降でご紹介します。


(注記)本ページについては独立行政法人国際協力機構「ミンダナオ支援の包括的レビュー」 (2021年)を主に参照しております。

その他の参考資料についてはこちら。
[1]外務省 平和構築支援分野をめぐる国際潮流
[2]中坪央暁 (2015) 国際開発ジャーナル「ミンダナオ和平構築支援の現場から」
[3]Conciliation Resources「International Contact Group on Mindanao」
[4] INDEPENDENT DECOMMISSIONING BODY「Detailed Verification and Decommissioning Process」

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