作業療法士
INTERVIEWvol.016
体の機能だけでなく、心の回復にも寄り添っていきたい
伊東 佑美HIROMI ITO
医療法人輝山会 輝山会記念病院
総合リハビリテーションセンター副主任 作業療法士
医療科学部リハビリテーション学科 / 2014年卒業
- 取材日
DESCRIPTION
長野県飯田市にある輝山会記念病院は、南信地域の医療を支える199床の中規模病院だ。なかでもリハビリテーションは、100床の回復期病棟を備え、外来から在宅までを一貫して支援するなど、県内でも有数の実績を誇っている。 今回紹介する伊東さんは、作業療法士としてこの病院で働き始めて11年。中学時代に人間関係で悩んだ経験から、「誰かを支える人になりたい」と、身体と心の両面からアプローチできる作業療法士の道を選んだ。 インタビューしたこの日の飯田市は、鉛色の雲が覆い、ちらちらと雪が舞っていた。「大丈夫ですか? 寒くないですか?」。病院の玄関前で出迎えてくれた伊東さんが開口一番にかけてくれたのは、私たち取材班を気遣う言葉だった。きっと早くからここで待っていてくれたのだろう。寒さで赤くなった手をそっと隠しながら笑顔を向けるその姿に、普段から患者さんひとり一人を思いやり、寄り添っている様子が自然と伝わってきた。
周囲に支えられた経験が、支える側をめざす原点に
─まずは、作業療法士の仕事について教えていただけますか?
病気や怪我、高齢などの理由で日常生活に必要な動作ができなくなった方に、「作業」を通じてその人らしい生活が取り戻せるよう、訓練や支援を行うのが作業療法士です。例えば、脳卒中で半身が動かなくなった方が再び食事や着替えができるように訓練したり、精神的な不調で社会生活が難しくなった方が職場復帰できるよう後押ししたり...。一人ひとりの希望はもちろん、住宅環境や家族構成などさまざまな要素を踏まえた上で、リハビリのプログラムを立て、実践していきます。
─具体的には、どういう訓練をするわけですか?
洋服のボタンを留める、包丁を持って料理をする、文字を書くなど生活する上で必要な細かい動作すべてです。なかでも「まずは自分でトイレに行けるようになりたい」とおっしゃる患者さんが一番多いですね。トイレって下着の上げ下げや、トイレットペーパーを巻き上げて使うなど、私たちは何気なくやっていることですが、意外に動作は複雑なんです。そういう方に、さまざまな道具などを使って手や指が動く訓練し、その動作ができるようにしていくわけです。
─なるほど、日常の「できる」を取り戻すのが作業療法なんですね。
うちの病院の場合、地域性もあると思いますが、「畑仕事に戻れるように」って言われることもよくあります。そういう方には、病院の中庭で野菜を育てているので、そこで土を耕す練習をしてもらったり、訪問リハビリテーションでは実際の畑作業をやってもらうことも。私は畑作業の経験がなかったので、患者さんに「こうやってやるんだ」って教えてもらいながら一緒に学んでいます(笑)。
─先ほど、精神的な不調にも対応されているとおっしゃっていましたが、心身両面からサポートするんですね。
作業療法士は、身体の機能回復だけでなく、そういう"心のリハビリ"も大切な役割なんです。患者さんは、これまで当たり前にできていたことができなくなるわけですから、ショックは大きいだろうし、なかなか気持ちの整理がつかないのも無理はありません。あまり知られていませんが、作業療法士ってリハビリ設備のある病院だけでなく、精神科や介護福祉施設などでも活躍しているんですよ。
─そもそも伊東さんが作業療法士になろうと思ったのはどうしてなんですか?
身体機能だけでなく、精神面のリハビリもできると知ったからですね。
─先ほどお話しされていたことですね。精神面のケアというと臨床心理士が思い浮かびますが...。
最初は臨床心理士も考えていました。でも、都会ではないので就職先を探すのが難しいという現実や、自分の性格を考えた時に、心身からアプローチできる作業療法士の方が向いているかなと思い、この道を選びました。
─なるほど。それは何かきっかけになるような出来事があったんでしょうか?
中学生の頃に人間関係で悩んだことがあって、保健室の先生や友人、家族など周囲の人たちの支えで何とか乗り越えることができました。それがバネになって、自分も「誰かを支えられる人になりたい」と考えるようになりました。
─支えられた経験が、支える側になろうと思った原点なんですね。では、医療職への関心を持ったのはいつ頃ですか?
2歳ぐらいから小学校高学年ぐらいまで小児喘息の発作がひどくて、毎週のように注射を打つために通院していました。その病院のスタッフの方たちがすごく優しくて...。それに白衣とかユニフォーム姿もビシッと決まっていて、病気も治せる。漠然と「医療の仕事ってかっこいいな」って思うようになりました。
大学での実習で、この仕事の責任の重さを実感
─本格的に進路を決めたのは?
医療者というのは決めていたんですけど、注射が苦手なので看護師は無理だし。それでいろいろ調べると作業療法士という仕事があると知って、「めっちゃいい! この仕事だ!」って(笑)。それが高校1年の時ですね。化学や数学は苦手だったんですけど、2年生からは理系に進み、それからはずっと作業療法士になることだけを目標にしてきました。
─それで本学に?
母の知人の息子さんが本学の卒業生で、「すごくいいところだよ」って勧めてくれたんです。それで確か高校2年の夏に、友達と本学のオープンキャンパスに参加したんです。今でも覚えていますが、キャンパスに一歩足を踏み入れた瞬間に圧倒されました、建物も設備もすごくて。「夢のキャンパスライフが待ってる〜(笑)」ってワクワクしましたね。
─その息子さんは、具体的にどういう点がいいって言ってましたか?
教育体制がしっかりして、挨拶や礼儀作法といったマナーに厳しいところですね。私の通っていた高校が道徳教育に力を入れていたので、大学もそういうちゃんとしたところがよかったんです。それに実習が多いと聞いていたので、しっかり技術が学べると思いました。母親もそれだけしっかりしているところだったら安心だということで。
─実際、大学時代を振り返るとどうでしたか?
自分が望んでいたこととはいえ実習に追われ、発表やレポートもあって、優雅なキャンパスライフではなかったかも(笑)。授業の内容を実際の場で試される緊張感、患者さんと接する緊張感、いろんな人に見られる緊張感...。すごくプレッシャーがありました。それでもやっぱり大学生活は楽しかったですね。
─勉強漬けの日々だったんですね。
確かに勉強が中心でしたけど、少し余裕ができてからは洋菓子店で販売のバイトもしてました。
─洋菓子店ですか、いいですね。
大学の近くって結構、洋菓子店があるんですよね。バイト探してたら雰囲気のいいところが募集していて、「いいじゃん、余ったの食べられるかな」なんて下心もありながら(笑)。他には、学友会に入って球技大会の審判や学友祭の運営なんかやったりしてましたね。学友会は、あまり考えずに入ったんですけど、他学部の先輩・後輩や他大学の子とも仲良くなったりして、いろんなつながりが持てたことは、すごく良かったなって思います。
─ちなみに大学時代は、どういう授業が好きでしたか?
患者さんが行う作業療法のトレーニングを実際に自分たちで体験する授業ですね。例えば片手での調理訓練や、革細工とかの手工芸はすごく楽しかったですね。
─子どもの頃からモノづくりが好きだったんですか?
母がよくミシンで洋服を作っていたのを見ていたせいか、手を動かして何かを作るのは今も好きですね。小学生や中学生の頃は、よくノートに好きな芸能人の写真やプリクラ貼って、デコレーションしたりしていました。
─とくに印象に残っている実習などはありますか?
1年生の夏休みにあった作業療法の見学実習ですね。作業療法っていっても実際は理学的なアプローチも多く、仕事の幅の広さに驚きました。当時は、入学したばかりで知識もないので、リハビリって病院の中で取り組んで、そこで完結、治ればOKぐらいに安易に考えていたんです。でも実際はリハビリって日常生活や社会、つまり病院の外に出るためにやるわけです。それぞれ住宅環境も家族構成も違うじゃないですか。そこまで全部、考えなきゃいけない。「責任の重い仕事なんだ」って、身が引き締まる思いがしました。
─その経験が今の伊東さんの土台となっているんですね。
そうですね。それと、これは失敗談なんですが、認知機能の低下している高齢の患者さんに子どもと接するような話し方をしてしまい、実習先の先生にズバッっと指摘されたことがあります。社会人として、言葉遣いを注意されたことは本当に反省しましたし、一番記憶に残っていますね。今、後輩や学生さんを指導する時も、この失敗談を伝えるようにしています。
その人らしい生活を支えていくために
─卒業後は、すぐに輝山会記念病院に就職したわけですか?
実家がここから1時間ほどの岐阜県にあり、藤田医科大学リハビリテーション部門の連携病院で先端的なリハビリに取り組めるということもあって、ここに就職することにしました。藤田医科大学から医師が派遣されているのも安心材料でしたね。
─自然が豊かで空気もきれい。気持ちがいいです。
リハビリテーション室の窓からは天竜川や山々が望めて、春は桜も。雪もそんなに積もらないし、四季によっていろんな景色が見られるのは、すごくいいなと思います。
─今は作業療法士として11年目ということですが、この仕事の難しさや、やりがいを教えてください。
作業療法は、今だけなく病状が落ち着いたその後、例えば自宅や施設での生活を見据えることが大切なんです。一人ひとり住宅環境も家族構成も違う中で、一人ひとりに合わせてどう支援していくのか。身体機能だけでなくて、その人らしい生活を支えていくのがこの仕事の難しさでもあり、やりがいや魅力でもあると思います。
─退院後のその先、ということですね。
そうですね。それには、医師、看護師、介護士、相談員、ケアマネージャー、臨床心理士、栄養士、薬剤師など他職種との連携が欠かせません。自宅の構造や家族関係などプライベートなことに立ち入る必要もありますし、チームで情報共有しながらより良い方向へつなげていくという感じでしょうか。
─他職種との連携ではどういうことを心掛けていますか?
やはり挨拶ですね。それがコミュニケーションの第一歩ですから。もう一つが、一緒に仕事をする仲間の名前を覚えること。ちゃんと名前を覚えて、介護士さんでも誰でも何かを依頼する時は「○しろまる○しろまるさん、お願いしてもいいですか?」って、必ず前に名前をつけるようにしています。そのせいか「伊東さんはいつも名前で呼んでくれるね」って言っていただいたり、向こうから話しかけてくれたりすることも多いですね。患者さんに対しても同じです。名前はなるべく早く覚えるようにしていますし、訓練に取り組む前には毎回必ず、「伊東です、お願いします!」って自分の名前を伝えています。
─そういう小さな積み重ねが信頼につながっていくんですね。では、これまでの仕事する中でうれしかったことは?
初めての入院で、介護保険も使っていなかった高齢の方が、最初はデイサービスとか好きじゃないって拒絶していたんですけど、集団活動から少しずつ慣れてもらうようにしたら、退院前に「あなたのおかげでデイサービスに行こうと思えるようになった」って言ってもらえて。あれは本当に嬉しかったですね。正論ばかり押し付けるのではなく、その人に一番いい答えをご本人やご家族と一緒になって考えていくことが大事なんだと実感しました。
─なるほど。最後に今後のキャリアプランについて教えていただけますか。
その時々で「これやりたいな」って思う分野が変わるんですけど、がんのリハビリや「高齢者が住みやすい環境をどう作るか」っていう、訪問リハビリを含めた社会的な視点のある分野には興味ありますね。この地域は高齢者が多く、「運転できなくなったらどうしよう」っていう声もよく聞きます。だったら、移動手段をどう確保するかとか、生活のインフラまで含めてリハビリできたらいいなって思いますね。
私の相棒
Mr.ChildrenのCD
小学5年生ぐらいの時にテレビから流れてきた「ヒーロー」という曲に衝撃を受けて以来、ずっとミスチルの大ファンです。今も通勤の車の中では、毎日必ず、彼らの「終わりなき旅」を聴いています。仕事や人生で悩んでいても、この曲を聴くと歌詞が心にグサグサ刺さってきて、「何とかできる! マイナスをプラスに変えて前に進まなきゃ」って思えるんですよね。もう、私への応援歌だと勝手に思っています(笑)。
取材を終えて外へ出ると、雪は激しさを増していた。玄関前で伊東さんに今日のお礼を言い、撮影機材を車に積み込みんで、病院を後にした私たち取材班。数百メートル先の高台のカーブを曲がったとき、ふと病院の方に目をやると、雪の中、車に向かってずっと手を振る伊東さんの姿が見えた。その手のひらは、これからもきっと多くの人の心を温めていくに違いない。