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私が研究分野としているのは、ドイツ現代史とユーゴスラヴィア史です。とりわけ、第一次世界大戦以降の中央ヨーロッパとバルカンにおいて、各国の国民がどのように作られていったのか、逆に、国民として認めてもらえない住民はどのように排除されていったのかということについて研究を進めています。よき隣人として人生の大半を共に過ごしてきた住民、血を分けた同じ家族のメンバーが共生することを許されないような民族主義、人種主義のメカニズムは歴史的にどのように生起するのでしょうか。その点に関して、ヨーロッパ周縁の多民族社会において人と人との関係が劇的に変化する重要な画期となった、ヒトラーのドイツによるユーゴスラヴィア解体、セルビア占領、ボスニアを含む「クロアチア独立国」の創設について、セルビア語やクロアチア語、ドイツ語で書かれたオリジナル史料を発掘して分析しています。
実は、「民族」や「人種」はどの社会においてもアプリオリに存在するものではありません。多民族社会と見なされていたユーゴスラヴィアでは、同じ人でもアイデンティティが重層的です。自分がどの「民族」に帰属すると考えるのかは、時に宗教的な理由で決まり、場合によっては生き残るために選ばれることもあります。将来的願望が決定打になることもありました。内戦直後にボスニアで出会ったセルビア人のある母親は、ムスリム人の夫と離婚したあと苦労して育ててきた娘二人が急にムスリム人であると自己申告したそうです。その結果、娘二人はドイツに難民として受け入れられ、自分だけがボスニアに取り残されたと語りました。この場合は、ドイツがその地域の難民の扱いを民族的帰属(ムスリム人かセルビア人か)により変えていたことが背景にあります。さらに、それぞれの権力が自ら定める「民族」のカテゴリーも時とともに変わりました。
私自身、ユーゴスラヴィアとクロアチアにおいて日本国大使に随行して外交の最前線に身をおいた経験があります。NATOによるユーゴスラヴィア空爆における複雑で混沌とした外交プロセス、そして政権交代を現場で体験しました。ミロシェヴィチ大統領が逮捕された日には催涙ガスも浴びました。この時、日本はドイツの利益代表を引き受けた形となっており、現代史がG8を中心とする国際社会によって面白いように作られていく仕組みを目の当たりにしました。
西洋史専攻では、単純化された「国民史」にとらわれずに、歴史上の社会をなるべく総体として把握し、私たちの生きる現代の世界を多面的かつ複合的に見る眼と姿勢を養うことを大切にしています。歴史的事実とされているものも国際社会を代表するような国の情報操作によるものかもしれません。それぞれの「概念」や歴史叙述の背景にさまざまな意図と歴史があることに留意すると、考古学や中世史までもが現在有力な国や立場に沿って書き換えられている現実に気づくでしょう。
慶應義塾大学文学部の良い点は、積極的に歴史的史実に迫ろうとする熱心な学生が多いことです。自由な学風のなか、他専攻の先生方と議論するチャンスも多くあります。学生は、多角的に史料を読める語学力を身につけ、教科書や一般的な概説にとらわれない実証的な史実構築に取り組んでいます。
※(注記)所属・職名等は取材時のものです。