第26次消防審議会
(第1回)
日時:平成23年6月27日
場所:スクワール麹町 1第26次消防審議会(第1回)
平成23年6月27日
1 開 会
【課長補佐】 定刻になりました。
根本委員は少し遅れるというご連絡がありましたので、
ただいまから、消防審議会を開催させていただきます。
本日は、大変お忙しい中、ご出席賜りまして誠にありがとうございます。しばらくの間
事務局で進行させていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
まず、
会に先立ちまして、
消防庁長官の久保から挨拶をさせていただきたいと思います。
【長官】 消防庁長官の久保でございます。消防審議会の委員、そして、専門委員に快く
ご就任をいただきまして、皆様方には心から感謝申し上げます。
まず初めに、3月11日に発生いたしました東日本大震災でお亡くなりになられました
方々に心からご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された方々に心からお見舞い申し
上げます。また、私どもの仲間である消防職団員の多くの方がその任務を遂行している中
でお亡くなりになっておられまして、そのご尽力に心から敬意を表して、また、ご冥福を
お祈りしたいと思います。
只今、申し上げましたように、3月11日に発生しました東日本大震災は、いろいろな意
味でまさに未曾有の震災であったと思います。その規模は、極めて甚大、広範囲なもので
ございましたし、特徴的なことは、その人的被害、物的被害の多くは、ほとんどと言って
いいと思いますけれども、津波によって起きたということでございまして、いろいろな意
味で今回の大震災を契機に、私どもの消防防災体制を築き直さなければいけないのではな
いかと痛切に感じております。
震災発生と同時に、平成15年の消防組織法で法制化されて以来、初めて、消防庁長官の
指示で、緊急消防援助隊の出動をお願いいたしまして、特に岩手、宮城、福島、この被害
の大きかった3県に対しましては、その他の44県から緊急消防援助隊が応援に入ったとい
うことでございます。
緊急消防援助隊は、この6月6日に最後の活動を終えましたけれども、この間、総数で
2万8,000人の消防職員が、
全国から緊急消防援助隊の活動に参加したということでござい
まして、2度、3度入ったという職員も稀にはあろうかと思いますが、おそらく実員ベー 2スでも2万人を超える2万数千人のオーダーで、
全国15万9,000の消防職員の5人から6人
に1人が被災地に入ったということでございます。
今回の消防審議会、昭和34年に発足して以来、これは任期2年でございますから、数え
てみますと26次の消防審議会になります。今から2年間、皆様方にいろいろな観点でご審
議いただきたいと思っておりますが、最初の今年、年内には、やはり東日本大震災を踏ま
えた消防防災体制のあり方に集中してご議論いただきたいと考えております。
それぞれの分野といいますか、私どもも、この消防庁の課室で、例えば、防災部であれ
ば、これは室﨑先生に会長になっていただきましたが、地域防災計画も練り直さなければ
いけないということで、そのご議論をいただいております。
また、例えば、救急の分野でもそういった観点、東日本大震災を踏まえた救急体制で見
直さなければいけないことがあれば、それを議論していただく。予防の分野でもそうです
し、危険物の分野でもそうでございます。そういった各分野でもご議論を色々いただいて
おりますけれども、それをこの消防審議会で有機的に結びつけていただいて、全体として
の東日本大震災を踏まえた、今後の消防防災体制のあり方をご議論いただきたいと思って
おります。
そして、それが終わりましたら、残された任期の中で、市町村消防で日本の消防を行っ
ておりますが、その足らざるところは、広域化とか、あるいは応援といったことで補って
いるのが今の日本の消防の仕組みでございまして、それをもう一度原点に立ち返って、や
はり地域を支えるのは市町村の消防である。おそらく、それが原則であることは変わらな
いと思いますけれども、消防の行うべき活動として消火、救急、救助がございます。
それ以外で、この大震災が起きる前に議論があったのは、豪雪に対して消防は何をすべ
きなのか。あるいは、霧島の火山に対して何をなすべきなのか。鳥インフルエンザは、消
防は関わらなくていいのか。消防組織法でいう災害には、そういったものも入るのではな
いかといった議論も、私どもの中でやっておりましたものですから、東日本大震災のご議
論の後には、消防というのは果たして何をなすべきなのかということから始まって、市町
村消防のあり方、そして、たまたまと言いますか、消防組織法に明定されております市町
村消防の広域化の指針が、来年いっぱいで切れるということになりますので、今の指針の
後、何をすべきなのかといったこともご議論いただきたいと思います。
東日本大震災との関わりで言いますと、先ほど言いましたように、緊急消防援助隊を初
めて指示という形で全国的な規模で展開していただいたものですから、その検証も今、急 3いで行わせますし、そのことについてのご議論も当然していただいた後で、そして、先ほ
どの東日本大震災の後の消防のあり方の中でも、それを踏まえて、緊急消防援助隊は制度
的に改正すべき点があるのかないのかといったことも、併せてご議論いただきたいと思っ
ております。
本日の審議会は、まず第1回目でございますので、今回の震災における被害の状況と消
防の活動の概要をまず皆様方にご紹介して、今後の審議会につながるような第1回目にし
たいと思っておりますので、委員の皆様方のご協力を心からお願い申し上げまして、私か
らのご挨拶とさせていただきます。誠にありがとうございます。
【課長補佐】 昨次の消防審議会の前委員の任期は平成23年3月31日で満了しております。
皆様方におかれましては、本年6月16日付けで新たに今次、第26次の消防審議会の委員に
ご就任いただいたところでございます。
今回は、大幅な委員改選後、最初の審議会でもございますので、委員の皆様方を50音順
でご紹介させていただきます。
まず、新井雄治委員でございます。
【新井委員】 新井でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
【課長補佐】 続きまして、国崎信江委員でございます。
【国崎委員】 国崎でございます。よろしくお願いいたします。
【課長補佐】 続きまして、田村圭子委員でございます。
【田村委員】 田村でございます。よろしくお願いします。
【課長補佐】 続きまして、永坂幸子委員でございます。
【永坂委員】 永坂です。よろしくお願いします。
【課長補佐】 根本委員は現在、こちらに向かっていらっしゃるというご連絡がございま
す。
続きまして、室﨑益輝委員でございます。
【室﨑委員】 室﨑でございます。よろしくお願いいたします。
【課長補佐】 続きまして、山本忠委員でございます。
【山本(忠)委員】 山本でございます。よろしくお願いいたします。
【課長補佐】 続きまして、山本保博委員でございます。
【山本(保)委員】 山本でございます。よろしくお願いします。
【課長補佐】 吉井博明委員でございます。 4【吉井委員】 吉井でございます。よろしくお願いいたします。
【課長補佐】 なお、本日は欠席ではございますが、石井正三委員、小出由美子委員、棚
橋信之委員、茂木なほみ委員の4名を加えて、第26次消防審議会を進めてまいりたいと考
えております。
なお、消防審議会会長の互選につきましては、事前に吉井委員にお願いするということ
で各委員の皆様方からご承認をいただいておりますので、吉井委員に引き続き会長をお願
いしたいと思っております。
また、今次の消防審議会では、先ほどもありましたように、
「東日本大震災を踏まえた消
防防災のあり方」について審議を行っていただくことになっております。吉井会長とその
進め方についてご相談をさせていただきました結果、消防審議会令第8条の規定に基づき
まして、震災や津波、大規模災害時における消防の活動等について、専門的知識を有して
いらっしゃる5名の方に専門委員としてご参画いただくことになりました。こちらも50音
順にご紹介いたします。
まず、財団法人日本消防協会の秋本敏文理事長でございます。
【秋本専門委員】 よろしくお願いいたします。
【課長補佐】 続きまして、東北大学大学院の今村文彦教授でございます。
【今村専門委員】 今村です。どうぞよろしくお願いいたします。
【課長補佐】 続きまして、群馬大学大学院の片田敏孝教授でございます。
【片田専門委員】 片田でございます。よろしくお願いいたします。
【課長補佐】 続きまして、富士重工株式会社顧問の山根峯治氏でございます。
【山根専門委員】 山根でございます。よろしくお願いします。
【課長補佐】 なお、本日は欠席ではございますが、名古屋大学大学院の福和伸夫教授に
も専門委員としてご参画をお願いしております。
幹事につきましては、お手元に名簿を添えておりますので、ご確認願います。
それでは、以後の議事進行につきましては、吉井会長にお願いいたします。
【吉井会長】 3回目になるのですけれども、当審議会の会長を務めさせていただきます
吉井と申します。よろしくお願いいたします。
委員の方、専門委員の方も含めまして、大変多数の方にご出席いただいたので、今日は
できるだけ審議の時間を長くとりたいと思いますので、一言だけ申し上げますと、私も長
年、この隣にいる室﨑先生とともに防災の調査とか研究をしてまいりましたけれども、今 5回の大震災で非常に大きなショックを受けたわけです。
一番は、
マグニチュード9.0という大きな地震であるということ以上に津波で多数の方が
犠牲になられた。消防団員の方、あるいは職員の方も多数殉職された。そういうことに非
常に衝撃を受けた次第でございます。
我々の防災研究というのは、いろいろやってきたわけですけれども、なかなかうまくい
かない。どこに原因があるのかということをぜひとも知りたいということでございます。
原子力の問題ももちろんありますけれども、この審議会におきましては、数回にわたり
まして東日本大震災の教訓をおそらく学ぶ。どこに問題点があって、どうすれば我々はも
う少し災害の被害を少なくすることができる、そういう社会を実現できるのか。そういう
ことに関しまして、専門委員5人の方も加えまして、できるだけしっかりしたまとめをし
ていきたいと思います。
委員の皆様方は、それぞれの専門の第一線でご活躍の方ばかりですので、なかなか一同
に会すのは難しいわけですけれども、ぜひご協力をお願いしたいということを申し上げま
して、私のご挨拶とさせていただきます。
それでは、以後の進行については、座らせていただきますけれども、幾つか議事が用意
されております。まとめて、資料のご説明をいただくということで、最後に1時間程度審
議の時間をとりたいと考えております。よろしくお願いいたします。
議事に入る前に、この消防審議会令というものがございまして、第3条第3項に基づき
まして、会長代理を決める必要がございます。私から事前に室﨑先生にお願いしておりま
す。ということで、室﨑先生に会長代理にご就任いただきたいと思いますけれども、いか
がでございましょうか。
( 拍 手 )
【吉井会長】 よろしいでしょうか。ありがとうございます。では、室﨑先生、よろしく
お願いいたします。
それでは、早速議事に移りたいと思います。
まず最初に、議事次第のところにあります議題の1から4まで、株丹次長からご説明よ
ろしくお願いしたいと思います。
2 議 事 6【次長】 消防庁次長の株丹でございます。よろしくお願いいたします。
特に、
資料について、
資料4を中心にご説明をさせていただきたいと思ってございます。
早速でございますが、資料4をめくっていただきまして、目次、その下に1ページ目、
ページはちょうど真ん中辺の下のところに小さな字で書いてございます。ちょっと見づろ
うございますけれども、ご容赦いただきたいと思います。
被害の状況でございます。
先ほど長官の挨拶にあったとおり、
未曾有の大災害であって、
津波による大変な人的被害のみならず、経済的な被害があったということで、ここはもう
すぐ次のページに行かせていただければと思います。
2ページ目以下、数枚入れておりますのは、消防庁そのものの資料というよりも、政府
全体として大災害を中心とした災害にどういう備えをしていたのかということの関連の資
料という趣旨でございます。
2ページ上半分は、後ろの色が強いので字が見づろうございますけれども、地震調査委
員会等のご作成の資料をアレンジしたものでございます。地震調査委員会は、本来であり
ますれば、大災害の前から4月にこういった発生懸念の想定を新たにするというご趣旨で
あったので、
その前のものをここでお出しするのは、
若干あれかもございませんけれども、
地震の発生前にこういうふうに政府としては見ていたという一つの参考でございます。多
くの大地震を想定してございます。活断層もいろいろ入ってございます。その中で、今回
の大震災の地域では、右側の日本海溝、千島海溝、周辺海溝型地震ということで、宮城県
沖地震など切迫性が指摘されているということがございました。
これに対して、3ページをご覧いただければと思いますけれども、政府全体として純粋
に被害の想定を人的、あるいは経済的に見通しを立てて、さらに、ここでは10年間という
目標を想定して、その間に減災をする。左側、人的被害でありますれば、死者の数、4割
ないし5割を減ずるということを、いろいろな施策を打つことによって対応するのだと。
日本海溝型のここのエリアについては、8つのパターン。これもちょっと字が小さいので
すけれども、これを想定いたしまして、それぞれについて人的被害、これぐらいになるの
ではないか。
こういう想定を置いてございます。
最大は明治三陸タイプ。
これは、
津波型、
津波だけで約2,700名の方が亡くなられるという想定を置いておったわけでございます。
次のページをご覧いただきたいと思いますけれども、それに対して応急対策、むしろ今
のページの方がややロングスパンでございますが、仮に今すぐ起きたとしても、応急対策
の活動を政府全体としてこのようにするということも決めていたわけでございます。 7ここでは、消防を含めた危機管理系統の役所、これは決して国だけではございませんけ
れども、消防は特に市町村が中心でございますが、様々な活動をするという前提を置いて
ございます。そういう中での今回の災害ということでございます。
ちなみに5ページでございますが、政府全体として今申し上げたような事前に大災害を
想定し、そのために応急対策、長期的な対策をとっていくことについては、他のエリアに
ついても多く計上されているわけでございます。
現実に、地震が起きたことの資料を、以下、何枚かご覧いただければと思います。
6ページでございます。震災が起きた時の震度の分布。日本全体が揺れたと申し上げて
も過言ではない状況でございます。それから、同じページの右の方に書いてございますけ
れども、例えば、宮城県沖という想定とは違って、ほかの地域にまで断層の破壊が次々に
及んでいった。こういうことが現実に起こったわけでございます。
津波の被害に関して、7ページ、8ページに、これも地図の中に赤い色を塗った国土地
理院作成の資料でございますけれども、浸水の範囲をご覧いただくということでございま
す。数字がきちんと入ってございませんけれども、浸水の面積は、ここに出ております岩
手、
宮城、
次のページの福島まで及ぶエリアだけではなくて、
青森なり茨城なり千葉なり、
そういうところも含めまして、561平方キロの広さでございます。山手線の内側で言えば、
およそ9倍、なおかつ面積的な浸水の想定もやっておったわけですが、その想定の2倍ぐ
らいの浸水面積であったということが現実に起こったわけでございます。
9ページから、津波の時間の関係を少し入れてございます。気象庁が作成された資料、
9ページ、10ページでございますけれども、これはどちらかというと、どれぐらいの高さ
の津波が来るのか。それの警報の時間的な推移を追いかけていったことのご説明の資料で
ございますけれども、
それがブルーのラインで示されておりますが、
同時に黒い波線が入っ
てございます。これが、ある意味で最大の波の高さを示す。これがどれぐらいの時間的な
余裕があったのかというのも、
ある意味でご覧いただければ読み取れると思っております。
宮古の場合でいきますと、途中で欠測ということ、これから先は測れていないというこ
となのですが、
別添の資料でいくと、
地震が起きてから35分後が最大の高さになっている。
場所によって、こういうものについては相当な違いがございます。ここでは読み取りにく
いのですけれども、
例えば、
同じ宮城県の中でも北部の方、
それから、
仙台よりも南の方、
松島よりも南の方ですと、奥まった感じになっておる関係で、より時間がかかって津波が
到達することもございますが、いずれにしても相当なスピード感で津波があった。今後の 8東海以降の地震も考えますれば、もっとより短い時間で地震があった後、津波が来ること
も考えられるわけです。
12ページに飛ばせていただきたいと思います。これは、いろいろなところで使われてお
る資料でございますけれども、浸水高、あるいは遡上高、それと事前に津波の高さを予想
したこととの対比をさせようという趣旨だと理解しております。浸水高と言いますのは、
各地の地表面からの水面の高さ。
遡上高というのは、
実際に津波が到達した最高の標高で、
これらはそれぞれ、今回、丸、あるいは青い三角で示されておるわけでございます。
それが、最大のところでは35メートル、実測では35メートルを超えているような地域も
あったはずでございますけれども、そのぐらいまで達している。他方で、従来からの想定
として、三陸沖の北部、あるいは宮城県沖の地震、さらに明治三陸のタイプの地震の後の
津波ということになったときに、どれぐらいの高さが来るだろうかということでございま
す。
これの読み方といたしましては、もちろん岩手のところで非常に遡上高、浸水高が高い
わけではありますけれども、事前の予想との関係でいきますと、むしろ岩手県の陸前高田
よりも南の方で大きく予測と違っている。ある方のご説明でいきますと、その予測と大き
く違っているところで、今回亡くなった方が多くおられるのだというご説明もあったと存
じております。
13ページから、火災の関係でございます。各地で火災は発生しております。13ページ左
側では、303件という数字が出ておりますが、私どもは、今の時点では312件と見ておりま
す。必ずしも津波に関連するものだけとは限らず、内陸部でも発生しております。宮城県
が163件で一番多いのですが、その次は茨城の37件ですとか、東京都の34件ですとか、そう
いうところも続いてございます。問題として考えられる点、1つには、ここに書いてあり
ます広域火災が発生しておるということでございます。
昨今では、1万坪を1つの目安として、火災の広さ、大きさを考えるわけでございます
が、阪神大震災のときにかなりの規模のものがあった。それ以降は、それほどその規模の
ものがない状況でございますけれども、ここに岩手から宮城にかけて4つ挙げさせていた
だいておりますが、非常に広範囲にわたっての火災があった。
14ページ以降に、
写真、
あるいはコメント、
赤枠の中に入れてございますように、
瓦礫、
あるいは地域が水没することによって、消防車両が現場に近づけない。結果として、なか
なか消火活動が思うようにできない状況もあったということでございます。 9それから、飛びまして、18ページに進めさせていただきたいと思います。こちらにご案
内の方が多いわけでございますが、改めて掲げさせていただいておりますのは、消防につ
いては、18ページの上にありますように、市町村がこの責任を負っておられるということ
がございます。図を見ていただきますと、市町村長のもとに「常備消防」と呼ばれます普
通の消防士さんたちの集団と言いましょうか、イメージされるところのグループがおり、
火災あるいは防災については、同じ趣旨の仕事をいただく右側の消防団、消防団員の方々
がおられる。消防団員の方々は、別にそれぞれ職業をお持ちの中で、地元の安心・安全の
ためにご活躍をいただく。
「非常備」という言い方をしております。数が左右に書いてござ
いますけれども、消防本部のほうは市町村の区域を超えて広い範囲を1つの消防本部単位
として活動するというケースも多々ございます。消防団のほうは、むしろそれぞれの市町
村単位ぐらいで活動をいただいている。
こういうことをまず前提といたしまして、今回の実際の消防機関の活動をもう少し見て
いただきたいということで、20ページでございます。
実は、被災から3カ月以上経ってございますけれども、まだ現地は大変な状況でござい
ます。消防機関の中で一番活動いただいたのは、地元の消防職員の方々、消防団員の方々
でありますけれども、細かい、どのような活動をどうやってやったのかという記録を整理
する状況にはございません。そういう中でのある種のデータということでお受けとめいた
だきたいと思っております。
実際に、その全てではありませんけれども、ご報告いただいた救助の活動を挙げていき
ますと、21ページのような格好になっておりますが、被災直後から活動いただいています
ので、この程度で全部であるとは私も到底思っておりません。
それから、もう一点は、20ページの一番下のところに挙げておりますように、消防機関
自体が被害を相当受けております。会長のお話にもありましたけれども、職員、団員の方
の多数の死者、行方不明者が出ておりますし、消防本部、消防署など、本来、機能を従前
に果たすために不可欠な部分についても、様々な被害を受けております。車両についても
流される。宮城県の防災ヘリは、県のヘリコプターの基地自体が被害を受けたということ
で、ヘリ自体も飛べなくなったということもございます。
その関連で、亡くなられた方々について、22ページ、23ページに消防職員の方の状況を
挙げてございます。消防団員の方についても後ほどご覧いただきますが、こういった方々
の実際に被害に遭われたときの状況をつまびらかにはまだできておりません。ほとんどの 10方は、公務として水門を閉めに行ったり、あるいは避難の誘導をされたりという中で被害
に遭われたと思っておるわけでございますが、詳細な認定作業のようなものを今まだやっ
ている最中でございます。
消防団の関係については、24ページ、25ページに関連する部分を入れてございますが、
特に消防団については、まだまだお仕事自体をなくされた方々もいらっしゃる大変な状況
でございます。活動状況全般というのはわからないところが多いのですが、宮城県に関し
まして、一部私ども現地に参りましてヒアリングしたものを参考として、25ページに挙げ
させていただいております。
石巻市の事例でございます。
石巻市は実は最近合併して1つの市になったということで、
消防団といたしましては、左側にありますように、いわば旧来の市町村の単位でそれぞれ
活動を継続しておるということでございます。このうち5つの消防団が海に面した地域を
それぞれ持っております。石巻、河北、雄勝、北上、牡鹿なのですが、そのうち3つは、
水門、あるいは陸閘を閉鎖する活動を普段からの任務として持っておりますし、現実に発
災があって、
そういう活動もされている。
さらに、
避難誘導等を懸命にやっていただいた。
こういうことのご報告を頂戴しております。
1つの事例として、26ページから消防団の方々の被災の状況を挙げさせていただいてお
ります。もちろん、どのような状況でお亡くなりになったのかというのは、これからの精
査をまたお願いしなければいけないわけですけれども、あまりにも多くの方の損害があっ
た。人命を救う最前線にいらっしゃる方ではありますけれども、こういうことがやはり繰
り返されてはいけないという視点に立って、具体的にどうすればいいのかということを検
討しなければいけないのではないかと思っております。
一般的には、避難活動を率先してまず逃げるというのが、最近特に有効だと言われてい
るわけでございますが、消防団の場合、消防職員の場合、そういうことでいけるのかどう
かということも含めて、あるいは先ほどの水門、陸閘を閉じなければ、被害それ自体が非
常に広範囲にわたってしまう。他方で、津波の場合に、ごくわずかな時間しか残されてい
ない等々、いろいろな問題があろうかと思ってございます。
それから、29ページ以下でございます。長官の挨拶にもございました、緊急消防援助隊
の活動でございます。これの趣旨といいますか、置かれているイメージは、30ページの方
が少し分かりやすいかと思います。
1ページ、一旦先のページを見ていただければと思います。30ページ、3つ枠を囲って 11ございますが、左側の上の枠が、通常の火災・事故・災害の場合です。これももちろん、
平時ではないわけですけれども、ほとんどの場合は、それぞれの市町村が持てる力でもっ
て対応する。これが基本でございます。
むしろ、昔はこの基本しかなかった。それを幾つかの災害を踏まえて、大規模な火災な
り事故なり災害の場合は、それぞれの市町村だけでというわけにはいかない。むしろ、相
互に事前に応援をする約束をしておいて活動する。これが良いとして、今、全国的にそう
いうふうになってございます。それでも大変厳しかったということが、実際に阪神大震災
で起きたということでございまして、阪神大震災のときも全国の消防は駆けつけたわけで
はありますが、
必ずしも横の連絡が十分ではない、
事前にそういう準備まではしていない、
できなかったということがあります。
その反省を踏まえて、緊急消防援助隊ができ、これは先ほどの長官の話のように、実は
法律で
「必ず出なさい」
という趣旨の指示をしたというのは初めてではありますけれども、
現実には「求め」という言い方をしますが、依頼をして、これまでも活動してきていただ
いていたということでございます。
特に、今回が典型的でありますけれども、非常に広範囲の大災害でありますので、地元
の消防はもうほとんど手いっぱい、今回のように被災を多く受けているということで、通
常の活動能力よりも下がる中で、他の地域から応援をしていくものでございます。
当然、事前にそのためにさまざまな準備もしているということでありますが、それらに
ついて今回うまくいったのかどうか、こういう点も非常に大きな問題点だということでご
ざいます。例えば、29ページをご覧いただきますと、地図がございまして、色分けをして
おります。もともと、今回の大震災が起きた場合、津波を含めた災害対応というのは、東
日本の消防機関で応援をするという考え方でございました。今回、災害があって、それで
はとても足りないということは分かっておって、第1次として赤い色のところの範囲にま
ず出動の指示をしておりますが、それでも足りないということで、次々に色が変わってお
りますけれども、逐次、応援の依頼の範囲を広げていった。こういうことをやってござい
ます。
現実に出動したのは、大変な数にはなったわけであります。もともとの想定でいきます
と、
この地域で震災があるときには、
およそ3,000人強ぐらいの応援を出すということだっ
たのですが、最初からその規模を大きく上回る4,000人強の人数が、初日に出ております。
ただ、現実には最大の人数になりましたのは、さらにもう少し時間がかかっているとい 12う状況がございます。
具体的に見てまいります参考として、31ページから、それぞれの県ごとの活動の概要を
出させていただいております。左側の陸上部隊、消防車両を走らせて現地に入っていった
ということでございますが、これの一番多い日数、最大部隊数が、17日でございます。
ヘリコプターの方は、
もう少し迅速に活動が行われておりますので、
その関係もあって、
12日で統一して活動状況のお示しをしてございます。
もちろん、今回、ご記憶にあろうかと思いますけれども、お考えいただかなければいけ
ないのは、地域は3つの地域だけの被害ではなくて、他県でも多くあり、さまざまな余震
などもあって、例えば、一部の緊急消防援助隊が現地に駆けつける途中で、長野で大きな
余震があって、どんな状態になっているかわからないので、そこにまず入っていただいた
りということをやってきたということでございますが、結果として見たときに、もっと早
く着けなかったのだろうか。あるいは、先ほどの火災でいうような瓦礫なり水没なりとい
うところで、どういう有益な、有効なことができるのか。こういったことも大きな問題点
かと思います。
34ページと35ページにヘリコプター関係の活動を非常に簡単にまとめてございます。
通常から消防、あるいは防災のヘリコプターといいますのは、さまざまな用途に活動す
ることにしております。今回も最初の段階では、空から状況を見るということもございま
すし、救助活動をやる。さらに救急、このようにいろいろな分野で活動してございます。
他方で、ここには出てきておりませんけれども、他の実力部隊、自衛隊ですとか警察で
すとか、言葉は実力部隊にはそぐわないわけですけれども、ドクターヘリという存在もご
ざいます。こういったところとどういうふうに連携しながら最適な活動をしていくのかと
いうことも、大きな課題ではなかろうかと思っているわけでございます。
こういう緊急消防援助隊が、
救助活動をした事案も100%全部記録がとれているかという
問題がございますけれども、36ページ、あるいは37ページに計上させていただいておりま
す。具体的な活動の写真なども掲げさせていただいております。非常に大変な作業をいた
だいたわけでありますけれども、もっと早く効果的に、あるいはできたかもしれない、こ
ういうところが論点ではなかろうかということでございます。
最後に、原子力災害について数枚、災害関係としてつけさせていただいております。
原子力災害は、現在もなお事態は進行中でございまして、もちろん政府としての事故調
査は始まってはおりますけれども、消防審議会でこれの本格的な審議はなかなかまだ難し 13いのではないかという気持ちもございます。
そういうことで、41ページに事故の概要を書かせていただいた後、42ページ、43ページ
に関連をして、消防が対応したところを計上しているだけでございます。もちろん、大変
厳しい状況の中で、東京消防庁を始めとする政令市などの消防が、原子力発電所に対して
放水活動をしたということはございます。そういう点では、大変なご活動をいただいたわ
けでありますけれども、少し目立たない格好ではありますが、例えば、除染の支援をして
いる、あるいは、避難する際の救急搬送を手分けして行っている。
さらに、43ページでございますけれども、現地消防本部と書いてございますが、原発が
ある地域の地元の消防本部は、現在も活動を継続しております。
市町村自体の中には、
役場も含めて完全にほかの地域に移っている状況もございますが、
幸い、ここは一部事務組合で、一部事務組合のエリアの中に20キロ圏の外側にある出張所
などもあって、
そこに全部の職員が残って、
消火活動、
あるいは救急活動を継続している。
大変厳しい中でご活躍をいただいているということもございます。
ちなみに、原子力発電所の中には、5,000人ぐらいの方が、今、活動を継続している。そ
ういう方々の、いわば支援という意味合いも非常にあるわけでございます。
44ページは、ご参考のご参考ですが、補正予算として災害の復旧的な意味合い、あるい
は、今回初めて国としての指示を出したということがありますので、消防活動の出動経費
等を含めて、
600億円余の補正予算が成立しているということを出させていただいておりま
す。ただ、これはより前向きに何かをするというのではなくて、現状、損壊等を受けたと
ころを補てんする、あるいは必要な活動経費を補てんするという趣旨に止まるものでござ
います。
資料4が大体ある種のベースになろうかと思いますけれども、まだまだ資料として不十
分な点が多々あろうと思います。今日、委員の先生からご指摘を踏まえて、さらに必要な
作業をやらせていただきたいと思っております。
資料の1、大きな審議事項の流れ、あるいは資料2、特に今年度といいましょうか、先
立ってご議論いただきたい部分を4点にまとめたもの、その関連で私どもそれぞれの検討
会など作業としてやっておるというご紹介については、先ほどの長官のご挨拶の中で概ね
ご説明、ご紹介させていただいたと思っておりますので、長くなってはいけませんので、
また不足があればご指摘を踏まえて説明をするということで、雑駁ではございますが、資
料の説明とさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。 14【吉井会長】 ありがとうございました。
それでは、
引き続きまして、
議題の5番目、
「宮城県における緊急消防援助隊の活動報告」
について、札幌市消防局清田消防署の田岡署長さんから、よろしくお願いいたします。
【札幌市消防局】 清田消防署の田岡でございます。よろしくお願いいたします。
それでは、資料5になります。宮城県における緊急消防援助隊の活動について概要を報
告させていただきます。
私は、緊急消防援助隊の指揮支援部隊長ということで、宮城県に入る応援部隊を統括し
たわけでございますけれども、第一の任務としては、その応援部隊がいち早く現場で活動
できるように関係機関と調整を行うのが私の任務でございます。
2ページをご覧ください。これは宮城県内の消防本部ですけれども、消防本部の管轄区
域を示したものです。県内12消防本部中、特に津波等で被害を受けた、赤枠で示している
7消防本部の区域に緊急消防援助隊が応援に入りました。右に示すとおり、最終的には25
都道府県隊が応援に入ったということでございます。
3ページをご覧ください。札幌市消防局では、地震発生後、直ちに計画に基づいて出動
準備に取りかかりました。15時には派遣者を決定いたしました。15時30分には、当時、私
は中央消防署の警防課長をしておりまして、消防局の2階に事務所がございます。15時30
分にはそこを出発して、航空隊のある基地とその消防局のちょうど中間付近に札幌市消防
学校がありまして、そこでドッキングをして、16時08分、発災から1時間20分ほどで長官
の指示に基づいて指揮支援部隊が出動したということでございます。途中、函館空港で燃
料を補給して、19時に岩手の花巻空港に入ったわけです。何とかその日のうちに宮城県、
仙台入りしたかったのですが、目指すところの受け入れ態勢等、調整がうまくとれない。
それから、天候も悪くなってきた。暗くなってきた。そういったことから断念をして、
隣町の北上市の消防本部にお世話になって一夜を過ごしたということでございます。12日
は早朝から動いて、幸い天候もよくて、上空から県内を見ることができましたので、特に
津波による被害の状況ですとか、火災の状況も確認できましたので、全体的なイメージを
持って入ることができました。結果的にはそうしたことがよかったのかなと思っておりま
す。
4ページには、JX日興日石石油の火災が、本当に赤く、真っ黒な煙を上げて燃えてお
りました。
ここで宮城県の火災は194件と書いてございますけれども、
総務省消防庁の発表
では163件でございます。 15県庁の災害対策本部に朝入ったわけでございますけれども、既に緊急消防援助隊の調整
本部が設置されていまして、既に到着しておりました東京消防庁の指揮支援隊長さんが部
隊長代行ということで初動の体制をとっていただいておりました。特に混乱することもな
くうまく引き継ぎができたのかなと思っております。
地上部隊もその日のうちから、
消火、
人命、検索活動を開始しております。
5ページは、緊急消防援助隊が発災から1週間の間にどういった形で現地入りしたかと
いうものでございます。14日のところに点線が入ってございますけれども、これは発災か
ら72時間、すなわち、それを過ぎると生存率がぐっと下がると言われているもので、それ
までに多くの部隊が到着して活動に着手しているということでございます。発災から3日
目、72時間には619隊、2,455名が到着して活動しているということでございます。なお、1
4日以降も救出した例もあります。
札幌隊としても2名を救出しておりますし、
15日には石
巻市で男性が96時間ぶりに救出されたということで大きく報道をされております。なお、
山梨県隊と兵庫県隊に色をつけてございますけれども、これは県内の移動をしたというこ
とで、わかるように色をつけております。
6ページは、宮城県庁に設けられました災害対策本部の様子です。県が行っている大規
模地震災害訓練の時の配置といいますか、レイアウトがそのまま生かされて設定されてお
りました。私どもが朝入ったときには、こういった写真のように、各機関のブースと言い
ますか、テーブルが配置されて、テレビだとかパソコン、無線等々が全部機能しておりま
した。すごいなと思ったのは、配線が非常にない。電気の配線ぐらいでもって、あとは無
線LANとか、そういった無線端子もテーブルの近くまで来ていて、過去に有珠山噴火災
害の時に伊達の市役所がそういった災害対策本部になったのですけれども、
その時は配線、
配線で歩く場所がないぐらいの配線がございましたが、今回は本当にすっきりした感じで
機能しておりました。
それから、調整活動を行っている上で最も緊張した場面がございますので、紹介したい
と思います。7ページをご覧ください。上段に書かれていますように、部隊がその日はど
んどん入ってくるということで、活動場所の選定ですとか、進出拠点となる場所の確保で
すとか、さらにちょうどその頃には外国部隊だとか民間の災害救助犬だとか、その他の民
間の団体も活動の申し入れがあって、いろいろ調整が輻輳している中で事が起きたという
ことで、11時01分に福島でそういった爆発があった。
その矢先に、
これは自衛隊さんからの情報だったと思うのですが、
潮位が下がったといっ 16た情報があって、大津波警報が出たと記憶しております。それで、これは大変だというこ
とで一時退避という指示を出したのですけれども、無線の届く範囲も限られております。
電話はなかなか通じないということで、あらゆる手を使って連絡をしたのですけれども、
果たして末端の隊員に、現場の隊員に伝わっているかどうか。そういった確認がすぐにと
れなかったということで、非常に緊張した状況が1時間ほど続きました。
次に、8ページをご覧ください。これは、先ほど各部隊がいつの時点で活動場所に入っ
たかということを見ていただきましたけれども、何十台の車が移動するとなると、相当な
時間がかかるわけで、宮城県に入った中では、鹿児島県隊は36隊、36台の車両で来たので
すが、途中3回の野営をして、出発から4日がかりで現地に入ったということでございま
す。ちなみに、北海道の利尻消防はフェリーを2回乗って、途中、旭川消防という、北の
方の拠点の消防本部ですけれども、そこに寄っていろいろ訓練を積んで、また現地に入っ
た。熊本県隊などは、14日の昼過ぎに出まして、15日の晩までずっと夜通しで走ったとい
う話も聞いてございます。
9ページは、消防部隊の進出拠点の紹介でございます。県内には大体10カ所ぐらいの進
出拠点が設けられました。中でも石巻市の総合運動公園は非常に広くて、地理的にもよく
て活動場所の中心的になった場所です。
自衛隊と共存した場所で、公園の案内図にありますように、消防は、Max5件140隊も
入ったのですけれども、使った場所は、図面でいう下の方のごく一部で、あとはほとんど
自衛隊さんが使用したというか、既に押さえられていた感じでございます。
それから、
3月中は非常に寒くて、
特に南方から来た部隊は、
予想はしていたけれども、
寒くて寝られないということで、非常に疲れ切った顔をしておりました。
10ページでございます。ここからは各活動を紹介いたします。火災が一番多かったのは
気仙沼市ですけれども、そこでは東京消防庁さんが、12日に入ったその日から現場で3交
代をして、24時間で消火、人命救助を夜通し何日もやったと聞いております。
消防防災ヘリコプターですけれども、最初は学校の屋上に避難した方々をいち早く救助
したということで、非常に多く活躍をいたしました。
11ページは、人命救助の活動の様子です。一番上の写真は、何かをのぞいておりますけ
れども、これは高度救助資機材といったものを使っているところです。これは、先端にカ
メラがついた棒を差し込んで確認している状況です。その先端で二酸化炭素とか、人間の
吐く息だとか、アンモニアといったものを検知すると、デジタルで表示されるものでござ 17います。
それから、水難、潜水による救助活動もかなり行われました。重機との連携も多く行わ
れました。
次に、12ページをご覧ください。当初一番心配されていた燃料の補給の関係ですけれど
も、これは、燃料補給車、総務省消防庁から貸与いただいたものでございます。初めてこ
の車を見たときは、タンクがちょっと小さくて、活躍する場面があるのかなと思っており
ましたけれども、小回りもきいて、今回、非常に活躍した車でございます。
下の方は自衛隊の様子ですけれども、
これは有珠山噴火災害などでも同じ光景でしたが、
部隊を起動というか、動かすための後方支援といいますか、調整といいますか、そういっ
たものは非常に驚くばかりでございます。
それから、当初、自衛隊とか民間の重機が入る前は、とても消防車で現場まで行かれな
いということで、行くところまで行って、あとは装備を全部担いで2キロ、3キロずっと
歩いて現場へ入った日が続いたのですけれども、重機が入ってからは道を開いていただい
て、消防車もかなり前まで行けるようになったということでございます。
最後に、私が指揮支援部隊長という任務を通じて感じたことを、率直に記載させていた
だきました。今後に向けてということではいろいろあるとは思いますけれども、ここでは
4つのことについて説明したいと思います。
まずは、初動体制ということで、緊急消防援助隊の出動スキームが見直されて、地震等
の被害は、
災害の規模とか発災地に応じた出動態勢がとられた、
強化されたということは、
普段からのモチベーションが上がるといいますか、体制が強化されて、いち早い出動につ
ながったと思っています。
それから、2番目としては、過去に私もいろいろ経験させていただきました。国レベル
のそういった研修とか、ブロック単位の訓練に参加することによって、顔の見える関係が
できました。本当にそういったことは、今回の活動においても非常に大きな心の支えと感
じました。
3番目は、調整の難しさということで、部隊長の大きな役目は調整することでございま
すけれども、いろいろ国としての方針ですとか、受援側、派遣側の事情もいろいろ把握し
て、その上で調整しなければならない。また、調整が電話でございますので、通常であれ
ば1時間ぐらいで調整できるものが、1日かかっても調整できない。連絡がつかない状況
があって、非常にストレスが溜まりました。 184番目は、連携の必要性で、生存者の救出が有効とされる初動時の救助体制をいち早く
確立するためには、国レベルの連携強化が一層望まれるのではないだろうか。ちなみに、
北海道隊がすぐ12日に出発しましたけれども、当初大津波警報が出て、ルートである苫小
牧港は閉鎖されまして便がなかったのですが、フェリー会社の厚意といいますか、急遽小
樽港から秋田港に便を出していただいたのです。それを知ったときには、ほとんど自衛隊
さんで押さえていて、消防車両があまり乗れなかった。もっと初動がうまくできれば、大
部隊を送ることもできたのではないかなと感じております。
あとは、
活動拠点の確保とか、
燃料の確保も今後に向けた大きな課題であろうと感じておりました。
以上でございます。
【吉井会長】 ありがとうございました。
以上で、資料のご説明を終えまして、次回以降、もう少し内容を絞った議論をしていき
たいと思いますけれども、今日はフリーディスカッションということで、委員の皆様方か
ら忌憚のないご意見、ご質問をいただきたいと考えております。いかがでございましょう
か。どなたからでも。最初話すのはちょっとあれかもしれませんけれども、どなたでも結
構です。
それでは、新井委員、どうぞ。
【新井委員】 全消会の会長を仰せつかっております新井でございます。
私どもは、参考資料として先般の総会時の緊急要望等を資料としてそこに入れさせてい
ただきました。現在、緊急消防援助隊の活動等の検証をしておりますので、その結果も踏
まえて、またこの会議等でもいろいろお願いをしていきたいと思っております。
1つだけ、最初にお願いしたいと思っておりますのは、先ほど久保長官、そして今、田
岡署長さんからもお話がございましたように、緊急消防援助隊という制度が阪神淡路大震
災の後できまして、その後改正がなされ、今回、非常にある意味ではすばらしい活動がで
きたのではないかなと思っております。ただ、その中で一番気になっておりますのは、先
ほどもお話がありましたように、今回はある意味では、緊急消防援助隊にとっては不幸中
の幸いというところがございまして、それは仙台市さんを除く大都市消防が被災地になっ
ていなかったということがございます。
後々、
話が出てくると思いますけれども、
今、
懸念されております東海、
あるいは南海、
東南海、日向灘沖地震、4連動とか5連動と言われておりますが、この災害になりました
時には、大都市地震が大きな被災都市になってしまうという時に、今の緊急消防援助隊が 19そのまま今回のような対応ができるのかというと、これは非常に大きな懸念があります。
そういったことも踏まえて、さらにこの緊急消防援助隊の制度をどうしていくのか。あ
るいは、この緊急消防援助隊以外の大規模災害対応を考えていく必要があるのではないの
かと考えておりまして、審議会の中でも検討いただければ大変ありがたいと思っておりま
す。
以上です。
【吉井会長】 ありがとうございました。緊急消防援助隊は、まさに阪神後、非常に画期
的な組織としてできたと思うのですけれども、今回はある意味、幸運なところもあったと
いうことは、今後のことを考える時に、今回うまくいったからいいのだというのではなく
て、もうちょっといろいろな災害、特に連動とか、次々に起こる場合が一番困ると思うの
ですが、そういうところも含めて考えるべきだというご意見だと思います。
他に、いかがでございましょうか。どうぞ。
【今村専門委員】 東北大学の今村でございます。この地におきまして、地域の方々と防
災活動を支援させていただきましたし、先ほどの資料4の12ページ目に、今回の国の被害
想定、また今回の結果、この被害想定におきましては、私も中心的に参画させていただき
ました。
残念ながら本当に過小評価結果であり,
多くの被害が出たことに責任を感じております。
昨日、
ちょうど中央防災会議の専門調査会で中間報告も出ましたが,
当時なぜ1,000年に
1回の地震、津波が評価として入らなかったのか。また、それがなくとも、今回のこのよ
うな評価において、何ができて何ができなかったのか。今、整理しているところでござい
ます。今回の場で,地震、津波というハザードの評価に加えて、防災対策の課題を、まさ
に皆様方と一緒に考えたいと思っているところでございます。
また、
本日のご説明、
丁寧にいただきまして、
私も仙台に、
当日はいなかったのですが、
翌日に戻ることができました。
先ほどの報告により、2日目、3日目、その状況を自分自身でも思い出しまして、改め
て災害の難しさ、また対応の課題の大きさを感じているところでございます。本日は2つ
だけ、確認等、課題の整理ということで挙げさせていただきたいと思います。
1つは、門扉、水門等の閉める話がございました。
実は、
宮城県においては、
水門等は、
陸閘も含めてできるだけ事前に使わないところでは閉めておこうという運動が県を中心に
あったかと思いますが、今回の実態を見ますと、そういう状況が有効に行動に結びついて 20いなかった状況があったかと思います。今後、これは全国で非常に重要なところであるか
と思います。水門、門扉等はやはり閉めないと、津波の影響がありますし、その閉められ
る時間は非常に限られている。であれば、必要でないところはできるだけ閉める。こうい
う運動がどの程度今回のものに有効であったのか。私も確認したいと思いますし、検証を
お願いしたいと思います。
もう一つは、今回、津波ということで、捜索活動の難しさがあるかと思います。
従来、我が国の災害は,神戸での都市型災害で地震、または中越での地滑りでございま
すので、その救命活動および捜索の範囲がある程度わかったかと思いますが、しかしなが
ら津波の影響は広域であり、かつ流れにより移動するということなので、かなり意外な場
所まで流出され、また、場合によっては,土砂などの堆積物の中にご遺体が移動している
場合もあります。陸地におきましても、水域に関してもそうでございます。抜本的にそう
いう捜査範囲をどういう形で推定し迅速な活動を支援するのかが重要であると思います。
特に、リモートなどの遠隔で評価出来る技術を利用する必要があると思い,数値解析な
どの予測地とリンクしながら、検討していく必要があるかと思います。
いずれもまだ検討課題でございますけれども、2点だけ。
【吉井会長】 ありがとうございました。
事務局で何かありますか。よろしいですか。
では、片田さん。
【片田専門委員】 群馬大学の片田でございます。
まず、少し議論の方向を最初に整理しておく必要があると思っております。1つは、緊
急援助隊をはじめ、被災した後にどう広域的な支援をしていくのか。また、救助活動等々
を行っていくのかという枠組みの話と、もう一つは、ご当地の消防団の方や消防の方はた
くさん殉職されており、また、一般の方々も多くの人の命が奪われているわけですが、そ
こにおいて消防が果たす役割、もしくは消防の方々自身が命を守るという話、この枠と分
けて話す必要があるのであろうと思います。
阪神・淡路大震災以降、日本の防災について総じて何が言えるかというと、もちろん阪
神・淡路は日本の防災に大きな影響を与えたわけですが、特に被災者支援法だとか、ボラ
ンティア元年とも言われるように、被災した後に地域がどう立ち上がっていくかというこ
とに対して、援助を含めて非常に多く事が進んだのだと思います。
しかし、
非常に欠落していたなと思うのは、
「人が死なない防災」
ということをやってい 21なかったのではないかと。やられたところがどう立ち上がっていくかということについて
は、
さまざまな支援が入るようになったと思うのですけれども、
今回も2万3,000人に及ぶ
方々が亡くなったわけですが、今、現場に行きますと、やはり目の前に被災者がおられ、
そしてそれを多くの方々がご支援している。
これそのものは、阪神以降、大変よくなったことであり、よかったのですけれども、そ
れでもやっぱり2万3,000人死んだという事実は、
我々最も重く受けとめなければいけない
ことなのだろうと思うのですね。
そういう観点から言いますと、人の命を守るという、人が死なない防災をどう展開する
のかということに対して、消防がどうかかわるのかという観点は非常に重要な観点として
あると思うのです。1つの大きな枠として、今、緊急援助隊をはじめ、支援、援助、こう
いったものをどう効率化、実効性を高めるかという話、こういう枠組みと、もう一つは、
人が死なないということに対して、消防がどう役割を果たすのかという、この枠の話は必
要であろうと思います。
そんな中で、殉職者の中にこれだけ多くの消防関連の方々がおられる。消防職員でも27
名、消防団員ですと地元の一般の方々なわけですが、死者・行方不明者が249名になります
かね、膨大な方々が亡くなっております。この方々の命をどう守るかという話と、さらに
消防団員が一般の方々の命をどう守るのかという2系統の話があると思うのですね。最初
に殉職の方々の話をしておきたいのですけれども、僕は消防の方々の非常に高い意識とい
うのをほんとうに日ごろから敬服しております。
特に、
水門を閉めに行くために、
みんなが逃げる方向なのに逆に向かって走っていって、
懸命に水門を閉めてこられる。その中で殉職しておられるという状況を見るときに、本当
に消防の方々の高い意識に対して、感謝と敬意を表したいと思うのですね。
その一方で、それでも殉職者をどう減らすのかということに対して、最大限の努力を払
うことは、今、本当に必要ではないかなと思います。これは消防の話ではないのですが、
南三陸で最後の最後まで避難の呼びかけをしておられて亡くなった方のご家族のコメント
がすごく象徴的で、
「今、
これだけ褒めていただいているけれども、
褒めていただくよりも
生きていて欲しかった」と、そういうことなのだろうと思うのですね。本当にそこですご
く敬意は表すものの、僕はあんまり殉職を美談に仕立てていただきたくないなと思うので
す。
やっぱり死ぬべきではないというのか、死なない方向を何とか探るべきであって、そこ 22においてどういう対応がなされるべきなのかということ。特に、状況下における指揮者の
方々がどういう指揮をされるのかということに対して、とかく消防の方々、危なくても、
それを顧みず飛び込んでいってしまう傾向が強いものですから、どうそれをうまく指揮さ
れるのかというところは、非常に重要なポイントとしてあると思います。
後は、消防の方々が、市民の方々を誘導して守った命は、本当に大きいと思います。
これは、最後の最後までそれをやっておられて殉職されるなんていうこともあって、非
常にバランスの難しい問題ですけれども、
ただ、
今現在、
消防職員、
消防団員の方々が救っ
た命が本当に多いと思います。ここの部分をどう効率化、避難誘導という面、もしくはそ
れはどういう形なのか検討していく必要があると思うのですけれども、避難という問題に
対して消防が果たす役割はどういうところにあるのか。安全を確保しながらというところ
は、1つ大きな課題として考えていただきたい。
したがって、話題はある程度2つに分ける必要があって、やられた後にどう援助するか
という、緊急援助隊を始めとするここの部分を効率化していくのかという、実効性を高く
していくのかという部分の話。これは事後の話ですから、それは1つ切り分けていただい
て、そして、もう一つは、その日その時、どう多くの命を守るのかという観点の2つの系
統でご検討いただければと思います。
【吉井会長】 ありがとうございました。
では、関連して。
【秋本専門委員】 片田先生の話に全く同感でありまして、そして、そういう消防職員、
団員の殉職について、お気持ちをお述べいただいたことに感謝申し上げたいぐらいの気持
ちでございます。
今回のようなたくさんの方がお亡くなりになるということは、2度とあってはならない
と思うのですが、そのためには、今回の災害のいろいろな経験を整理しながら、これから
の対策に役立てていかなければならないと思うのですけれども、今のところは非常に断片
的な話しかわからないということもございますし、もう一つは、緊急援助隊の場合は、阪
神以後、装備を持って遠隔地からも出動できるような体制になりましたけれども、消防団
の場合はそういう装備を持っていません。
ところが、全国の消防団の皆さん、自分たちも行きたいという非常に強い気持ちを持っ
ていながら、しかし行けないという人がたくさんいますので、実はこの7月の30、31日両
日にわたって、今回の大震災で、地元で活動された消防団の方々5人、それから緊急援助 23隊の方、室﨑先生にもご協力いただき、消防庁にももちろんご協力いただいて、今回の震
災についての報告、研修会をやって、情報をできるだけもう少し整理してみたいと思って
おります。そして、またシンポジウムも2時間ぐらいやりながら、何とかこれからの対策
に役立てるような方向に持っていきたいと思っているのですけれども、これはご希望の方
がございましたら、できるだけご参加いただけるようにいたしたいと思います。
そういうふうにやる中で、私は阪神の経験だとかを踏まえて今回のことを考えますと、
今回の場合は、消防の中の問題もあると思いますけれども、狭い意味で言うと、消防の外
の問題と申しますか、さっきご説明いただいた資料の中に津波警報のことがございました
が、津波警報がもし仮に結果として襲ってきことがもっと早くわかっていたら、おそらく
消防団員も職員も水門に向かって走っていくということはしなかったかもしれない。ある
いは、住民の皆さんもこんなに大きな津波が来るということがわかっていたら、もっと別
の行動をとっていたかもしれない。
これは、
技術的にはおそらく難しいのだろうと思いますけれども、
今回の経験の中では、
この津波警報、正確なものをどれだけみんなにきちんと伝えていくか。一般の方に伝える
ことが難しいのならば、
せめて消防職員、
消防団員といったリーダーになる人、
それから、
ほんとうに矢面に立って行かなければいけない人には、何とかもう少し伝えることができ
ないかといったこと。あるいは、緊急援助隊も同じだったと思うのですが、特に消防団の
場合は、地元の住民の皆さんの一部でもあるわけです。
今回の場合のように、最低限度必要な生活物資の確保をするために、相当の時間を要し
たといったこと。これは難しかったのだろうと思いますけれども、もう少し何とかできな
いのか。そういうことができるだけ早く何とかなれば、消防活動にしても、あるいは住民
の皆さんの生活にしても、おそらく相当変わってきたのではないかといったような、狭い
意味での消防の世界以外の問題が、今回の場合はかなりあるような気がいたしまして、そ
ういったことも、先ほど申しました報告会、研修会の中で出てくるのではないかという気
がいたします。
それから、
また、
先ほど久保長官がこれからの問題としていろいろお話しになった中に、
消防活動としてどこまでのことを取り上げるか。
これは非常に大事な問題だと思いますが、
なかなか現場では、これは少なくとも消防団は扱わないとは言いにくくて、生命、身体、
財産を守るために何とかしてくれと言われると、消防団の場合、何でも受けなければいけ
ないということにどうしてもなってしまうわけです。 24それをやるとした時、
どういうふうに動くことができるかということについての装備を、
さっき情報関係で札幌のお話からございましたけれども、情報関係で非常に苦労した。今
回も同じですが、そういったことについて、例えば、消防団は情報を受ける側とだけ今ま
で言われていますが、私、時々申し上げてきているのですけれども、情報を発信する側と
して、消防団がもっと位置づけられるべきではないか。そうすると、それに応じたような
装備があって、
今回の場合も地域の状況がしばらくわからないということがありましたが、
消防団が情報発信者になれるということにしておけば、もっと早い時点で状況が分かっ、
早い時点で救助・救援活動もできたかもしれない。そういうことも含めて、地域の中の全
体の情報関係をどうしていくかといった、狭い意味での消防にあんまりこだわらない、幅
広いことが必要ではないか。
そうしますと、消防審議会で一体どこまでやるのということになるかもしれませんが、
そういう問題意識を持ちながらやっていく必要が今回はあるのではないかなという気がい
たしております。
【吉井会長】 ありがとうございました。片田先生と秋本さんのお話の中でも、私、全く
同感なのですけれども、やはり準備というところが相当いろいろ問題を含んでいて、消防
団の活動の問題もそうですが、どういう準備をするか、どういうことをしなければいけな
いか。そこが非常に問題でして、今回のいろいろな犠牲者の行動とか、あるいはどういう
意識だったかということを分析すると、多分、事前の準備、いろいろしておけばよかった
という点がたくさんあるのではないか。
先ほど、津波警報のことも出ましたけれども、ああいう形で津波警報が出てきて、あん
まり想定していなかったところがありますよね。最初、岩手で3メートルだなんてね。こ
れだけ大きな地震で3メートルが最初に出るというのは、どういうわけかと。そういうこ
とを、だんだん大きくなってくる可能性はありますよと、ある程度知らせておいてもらえ
れば、またいろいろ準備があったということもありますし、いや、それだったらもっと別
の形で出してもらった方がいいと。片田先生みたいに、もう大津波だったら1本でやった
方が、メートルはかえって逆効果だということもありますし。逆に、我々が調査した結果
によると、津波警報をきっかけにして避難した人もかなりいらっしゃるのですね。
だから、津波警報が役に立った人もいるし、逆に非常に詳細に知っているだけに、逆の
効果だった人もいる。その辺をもう少しきっちりした調査に基づいて、どういう準備が必
要なのか。命を失わないためにどういう準備をしていけばいいのかということも含めて、 25ここでできるだけ幅広く議論して、ここでできる、実際に対策としてとれることは限られ
てきますけれども、ほかの関連のところに是非要望していく、その他の方法でまとめてい
きたいと思いますが、他にいかがでございましょうか。どうぞ。
【根本委員】 フリーアナウンサーの根本と申します。
私は、
以前、
宮城県でアナウンサー
をしておりまして、防災のことはすごく先輩にも言われて、入社の日からかなり訓練をし
ていました。警報に関しても、津波に関しても、すごく訓練をして、それこそ1カ月に1
回必ず防災の練習をするぐらい、それぐらいの危機感を持っていたにも関わらず、今回の
ことになった。
私としては、正直、今、宮城を離れてしまって実際の現場のことはあまり分からないの
ですけれども、聞いた話によると、マスコミのヘリがいっぱい飛んでいるにも関わらず、
消防の応援が来てくれないという気持ちになった被災者の方がいらっしゃった。
何かそういうマスコミの利点というか、情報が早いという部分と、消防の活動との連携
をとれないのかなというのを、今、お話を聞きながら思ったということと、私、娘がいる
のですけれども、やっぱり自分の手元から離れて幼稚園なり学校なり娘、息子が出かけて
いる場合というのは、その避難の状況は一体どうなっているのかと、親心としてはとても
心配だと思うのですね。
今回も、被災してしまった子供たちも多かった中で、事前に訓練していた子たちはうま
く逃げられたという話も聞きます。ですので、消防の機関、皆さんと学校が連携して、何
か全国で訓練のようなものをできないのか。そこにマスコミだったり、すべてのものが関
連して動けるような流れをつくれないのかなと思いました。
今、全国的に皆さん、危機感を持っている時だと思うので、今だからこそ、子供たちも
真剣にやるのではないかなと思うので、この機会に迅速にそういうプランができたらなと
思っております。以上です。
【吉井会長】 ありがとうございました。
それでは、山本先生、どうぞ。
【山本(保)委員】 ありがとうございます。
私、東京臨海病院の院長をさせていただいておりますけれども、DMATとか、あるい
は国際緊急援助隊とか、災害学会で仕事をしている者でございますが、私、今回のこの津
波災害は、どういう死因でどうしてこうなったのかというのをもう少し考えてみなければ
いけないのではないのかというところから話をさせていただきたいと思います。 26それは、災害のときによく死亡者、あるいは死亡不明者分の負傷者というのを、モータ
リティー・モビリティー・レシオといって、国際的によく出ます。
例えば、阪神のときには、6,400人ぐらいがお亡くなりになって、そして3万5、6,000
人の人が負傷した。大体、6ぐらいです。今回は2万3,000人ぐらいの人が亡くなって、分
子のほうの負傷者は、5,2、300です。0.2です。この0.2というのは、異常に低いデータで
す。そんなのは聞いたことありません。これは、津波そのものがそれほどすごいのか。あ
るいは、
Preventable Deathとよく言いますけれども、
救えた命があるのではないのかとい
うところを考えないといけないのではないのかと私は思います。
私、インドネシアのバンダ・アチェにも行っておりましたけれども、あの時に大変多く
の人が海に流されておりました。今回は、山に最初に行ってしまったからなのかも知れま
せん、分かりません。あの中のデータ的には分かっておりませんけれども、多分相当違い
があると思います。その辺のところをぜひお考えをいただきたい。考えていこうではない
かという意味です。
それから、緊急援助隊とDMATの関係でございますが、あまり仕事ができなかったと
いう中には、
やはり情報というものがあって、
情報が現場のところまで全く伝わってなかっ
たというところで、
行きようにも行かれなかったというのがあったのではないのかなと私、
つくづく思います。
災害の時に、
CSDATと特に言いますけれども、
コーディネーション、
コオペレーショ
ン、セキュリティーをどういうふうに考えるのか。連絡、調整、指揮、命令、そこのとこ
ろが医療の面にも防災の面にもみんな亡くなってしまったところが、とても大きな教訓で
はないのかなと思いますので、その辺も考えながら、少し勉強させていただければありが
たいと思います。ありがとうございました。
【吉井会長】 ありがとうございました。
では、山根さん。
【山根専門委員】 山根でございます。阪神淡路大震災の頃から比べますと、広域対応は
すごく良くなっていると感じておりますけれども、今回、先ほど札幌の田岡さんのお話も
ありましたとおり、集まるのは相当努力して早く集まっています。ところが、今、山本先
生のDMATのお話にもありましたとおり、集まったけれども、情報がなく、あるいは運
用がなかなか効率的にできていないというのが実態だと思います。
私も、現地を何カ所か見てまいりました。まさに情報があればできた。待っているけれ 27ども、使ってもらえないという状況があったのは、事実であります。
これをいかにして無くすかというのが、本当の広域対応になると思います。今は、シス
テム的に非常にうまく動いてきてはいるのだけれども、集まったが使われない。これを何
とか是正する方法はないのかというのが、今回ぜひ検討していただければなと思います。
それから、今回、特徴に挙げられていますとおり、津波災害が甚大であったわけです。
この津波災害は、
従来考えていましたような災害とは違って、
海、
陸、
空が一体となって、
先ほど山本先生もおっしゃいましたが、海をもっと探さなければいけなかったのではない
かということも含めて、その捜索域というか、救助対象域が変化しているのではないか。
これは、首都直下型とか、東南海、南海地震の日本の沿岸部における災害では、十分考
慮しておく必要があると思います。したがって、それに本当にどうしたら対応できるのか
ということは検討しておく必要があるのではないかと考えました。
以上です。
【吉井会長】 ありがとうございます。
それでは、近くの永坂委員から。
【永坂委員】 私は、初めてここに参加させていただきまして、まず一番びっくりしたの
が、この資料なのです。細かくいろいろなことが書いてありまして、これを作るのにも大
変だったのではないかなというのが本当に思いました。
こんなにきちんとしたことができていること自体が、この資料をもらった時に分かりま
した。そして、私、クラブ員として今、皆さんのお話を聞いていますと、消防団だとか、
消防隊という話よりも、まずクラブ員としては、いろいろこの勉強をしなければいけない
のだなということが分かりました。
まず、私たち地元の子供にも大人にも、それぞれが一人一人勉強させなければ、逃げる
こともできないし、守ることもできないということが、まずこの中で分かりました。皆さ
んは、大きいことの方へ動いていますので、私は地元の一市民として、皆さんに一生懸命
何かを教えなければいけないという時に、ちょっと聞いたことですが、小学校なのか中学
校の子たちが先生に教えられて、
「自分の命は自分で守れ」
と言われたということで、
子供
たちが助かったということを聞きまして、それは私も小さい子供にはちゃんと教えなけれ
ばいけないなと。今、若い人は勤めに出ていますので、家に残っている人たちは高齢の人
ばかりなのです。残った人たちを守るためには、まずちゃんと教えてあげなければいけな
い、
逃げなければいけない、
人の命を助けなければいけないという意見も出ていますので、 28私はこれから帰って、防火、防災の勉強をきちんとやらなければいけないということを地
区に訴えて、地区の方たちに動いていただいて、まず、自分を守ろうとすることを教えた
いなと思っていました。
それで1つ寂しいなと思ったのは、消防団員の方たちとか、消防クラブの方たちが亡く
なったというのは、ここの表の中に出ていますけれども、女性防火クラブの人たちの安否
は1つも載っていませんので、これからは調べていきたいなということを今思っておりま
す。ごめんなさい。ありがとうございました。
【吉井会長】 ありがとうございます。女性消防団員の方、あるいは関連する消防クラブ
の方の安否なども、できるだけ資料として提供したいと思います。
【永坂委員】 ありがとうございます。
【吉井会長】 では、国崎委員。
【国崎委員】 危機管理教育研究所の代表を務めております国崎です。
お伝えしたい点は、
大きく分けて4点ございます。
手短に話をしたいと思いますが、最初に長官がおっしゃったように、求められる活動範
囲はどこまでなのかなと思うのですね。活動範囲を求められていたから、そこまでしかや
らないよということではなくて、社会の期待が非常に高い。それに対して、非常に懸念さ
れているのが、装備がしっかりなされていないということなのですよね。原子力発電所に
おける対応に関しましては、必要な装備は何なのかとか、それに対する訓練や研修はどれ
ほどしているのかというところがあるわけです。線量計も個人に1つ配布されていない中
で、しかも防護服というか、安全服もしっかりと準備できない中で、どうやって確保しよ
うかというところから始まったりという話も聞いています。なので、今後は、消防という
機関は、この大規模災害時には、複雑で多様な活動を求められるという認識のもと、我が
国としてどのような装備をつけていくのか。標準として設置していくのかということを見
直していかなくてはならないと思います。活動の中で、皆様があの時あれがあったらとい
うのは、たくさんあったと思うのです。
それが、例えば重機ですよね。あの重機さえあれば、もっともっと効率的に、迅速的に
活動できたのではないか。だったら重機を持たせたらいいのではないか。そのための訓練
もされたらどうかと思いますし、それから、実際に、津波の中で水難救助活動に弱い部隊
があるわけです。そういった水難救助活動に対しての訓練であったり、装備であったりと
いうものも、あわせて見直す。すべて一つ一つ求められている活動に対して、どれだけの 29装備や訓練・研修の体制が整えられているのかというところの見直し。
見直すだけでなく、
それを実際に機能していくために、
着実にその体制をとっていくことが必要かと思います。
私は、できるのであれば、期待といたしましては、自衛隊に近い自己完結の体制をとっ
ていただきたいと思っております。緊急消防援助隊はもちろんのこと、日ごろから消防体
制において自己完結を意識した体制は必要だと思うのですね。
これは、おそらく皆様とはちょっと違う視点でお話をしますと、様々な自己完結の機能
が求められる中で、おろそかにされているのが食事なのです。
例えば、大船渡消防がやっと初めて食事したものがおにぎりで、3日後に初めて食べた
と。飲まず食わずでほとんど寝ることもせず、これは美談じゃないですよね。さっき片田
先生がおっしゃったように、
これを美談にして、
「そこまで頑張ってくれた消防隊員、
あり
がとう」じゃないのですよ。危機管理でいったら、情けない話ですよね。
やはり、この活動エネルギーに対して必要な栄養素をとっているのかということをしっ
かりと意識しながら、それだけの活動量がありながら、質素な、もしくは3日間も食べて
いないということになりますと、体だけでなく、メンタル面でもぼろぼろになるのです。
一度ぼろぼろになると、立ち上がるのに非常に時間がかかる。それは、我が国にとって
は貴重な人材を確保する中では、そういった対応を増やしていくのか。それとも、やはり
自己完結でしっかりと食事面でも支援体制ができているようにしておくのがいいのかとい
うことは考えていかなくてはならないと思います。
日ごろから食事は調理で、その日のうちの食材しか予算として認められていなくて、そ
の日の食材を入れているのですけれども、災害時にはその食材納入業者は来ません。そう
いった時に、やはり飲まず食わずになってしまうことがあるわけなのですけれども、その
食事面でまず大きな改革が必要かなと思います。
それから、同じく岩手県でのことですけれども、もともと水門を閉めておくというアイ
デアもありました。また、そうなっていたという話もありましたが、実は遠隔操作で閉め
るシステムはあったのですよね。ところが、停電やその他の何らかの事由により作動しな
かったと言われております。これが作動していたら、わざわざ消防団が我が身の危険を顧
みずに行くこともなかったかと思います。改めて大規模災害に耐え得る設備、システムの
確立が望まれるかと思います。
先ほど来から、消防団が活躍したのだという話を伺っておりますけれども、私も地元木
更津の女性消防団です。木更津市で初めての女性消防団ですけれども、いろいろ活動して 30いて思いますのは、やはりこれも消防本部と同じように、今後もきっと様々な期待がある
かと思います。それに対して、団員の確保が非常に難しい現状があります。そういった意
味では、今、女性防火クラブ、女性消防団という組織もありますが、これが市町村によっ
ては、女性は広報や啓発活動を教育しておけばいいですよ。
私は、
実動なのですが、
実際に私は実動をやりたい、
ポンプ車の操作とかやりたいと言っ
ても、市町村によっては、それは女性はやらなくていいのだよというところもあります。
もっと、実動部隊として活動できるような場を設けて、もっともっと消防団の機能を、待
遇面を含めて強化していかなくてはならない。現在は、ボランティアのような待遇に対し
て、本部職員のような意識や活動がなされているということがあります。先ほど、秋本さ
んがおっしゃっていましたが、実際に消防団として被災地で活動したいという声もありま
したけれども、一方で消防本部が装備や知識・技術を被災地にいち早く持っていく。
そして、手薄になった地域を消防団が守るのだと。ここで火災があった時には、我々消
防団が守るのだという強い意識を持って、だから残るという消防団もいました。そういっ
た意味では、やはり手薄になったその地域の消防を守るためには、こういった消防団を機
能強化していく。研修面でも体制面でも強化していくことが求められると思います。
以上です。
【吉井会長】 ありがとうございました。
では、室﨑さん、お願いします。
【室﨑会長代理】 済みません、ちょっと途中で中座しないといけないかもしれません。
ほとんど各委員が言われていることの繰り返しなのですけれども、1点目は、私も消防
の常備と消防団の装備を広域災害という視点から見直さないといけないなと思っています。
いつも、自衛隊がうらやましいと思います。先ほど、寒くてテントで寝られなかったと
いう話を聞くと、いかに消防の装備が貧弱かということなので、それはぜひ、予算の問題
もありますけれども、広域災害に対する消防の装備の問題を考えていただきたい。
2点目は、これは秋本さんが言われたことですけれども、僕は消防団の広域応援をぜひ
考えていただきたい。というのは、被災地で消防団が家族を亡くしながら、遺体の検索も
あるのですけれども、それから、泥棒の警戒みたいなことを、ずっとパトロールをやって
いる。それから、避難所にガソリンを運んだり、消防団しかできない仕事が結構たくさん
あって、それを非常に限られた人数の中でやっておられ、そうすると消防団が消防団を応
援していくということは、お互い被災地の消防団にとっても心強いですし、かつ負担の軽 31減にもなる。他方で言うと、消防団を応援に行きたい。
僕は、七ヶ浜等へ行ったのですが、消防団が来ているのですけれども、消防団は一般の
ボランティアとして泥かきに来ています。それだったら、消防団は消防団を応援するよう
な形の1つのシステムを作った方がいいと思いますので、これも1つ検討材料、費用負担
が出てくるかもしれませんけれども、非常にボランティア的なものでもいいから、消防団
が消防団を応援する仕組みを是非作っていただきたい。
それから、第3点目は、これはまた私の専門、被害想定の話に戻りますけれども、津波
の被害想定が不十分であったということは、
次は、
津波の問題はないのかもしれないと思っ
ています。次は、火災かもしれない。火災の被害想定、本当に正しいのか。
例えば、東京で60万、80万もいて、死者が6,000人ということは絶対にありません。これ
は、一番最初から間違っている問題です。ということで言うと、火災の被害想定というの
は、想定外というか、本当に正しいのかどうかということを、これは消防の者がきちんと
チェックしないといけない。残念なことに、今度、内閣府の津波の検討委員会ですけれど
も、
火災の専門家が1人も入っていません。
だけど、
津波が起きれば火災が起きるのです。
危険物のタンクも燃える。そういう状況の中で、そこの津波と火災の連動のメカニズムを
明確にしながら、火災の被害想定をするということになると、また火災の話がどこかに消
えてしまいますし、南海地震もあるのですけれども、私は首都直下が非常に怖いと思って
いますので、それに対して言うと、ぜひこの火災に関する被害想定の見直しを検討してい
ただきたいと思います。
4番目は、それに関連するのですけれども、やはり今回の津波で危険物施設が相当たく
さん被害を受けました。相当というのは、たまたまではないと思います。危険物施設、津
波対策の共通に持っているいろいろな弱点がそこに、既に分かっていることかもしれませ
んけれども、津波が入ってしまうと、危険物施設は非常に弱いということが分かってきて
おりますし、これがもっと巨大なコンビナート地域であったらどうだろうかということも
ありますので、少し津波と危険物施設の関係については、消防研究センターにお願いする
かもしれませんが、ぜひそれは重要なことだと思うので、よろしくお願いしたい。
以上でございます。
【吉井会長】 ありがとうございます。私も室﨑先生と同じように被害想定に関わってき
たことがあるので、非常に残念なところもあります。特に、1つの数字を決めなければい
けないので、
非常に激甚なケースというのはなかなか扱えないというか、
その辺も含めて、 32手法面も含めて被害想定については見直す必要があると思います。
火災の問題もまさにそのとおりで、毎回違った形で災害が来るので、その辺を含めた、
少し先取り的な考え方で我々はやっていかなければいけないかなと思います。
それでは、田村先生。
【田村委員】 山田町に行き、市の幹部の方にお話をお聞きした時点で、発災後1カ月半
ぐらい経っていたのですけれども、役所の皆様方のまだショックは非常に大きいものでし
た。なぜかと言うと、津波の後で役場の高いところに逃げるのですけれども、周りが火災
で囲まれてしまって、それはそれは怖かったそうです。結局のところ、裏に実は避難路が
あったという話やら、
無かったという話があるのですが、
結局、
退路を断たれてしまって、
津波から逃げたのに、そこからまた何か避難をしなければならないということがあり、ま
た、これまでは石油タンクみたいな燃えるもの以外は、残っている物がくすぶって燃えて
いるのかなぐらいのイメージしかなかったもので、津波後にそのような大きな火災が市街
地でおこったということは非常にショックでした。
そのあたりの危険性については、皆さん方にそれをお知らせしていく必要もあるととも
に、2次避難、つまり揺れから避難し、津波から避難し、火災からどう避難するかと、実
は3段立てで考えなければいけないのだということを、ぜひ消防からアピールしていただ
ければと思います。
現在、全国で津波の想定の見直しが始まっていて、とはいえ、なかなか逃げるところは
ない。では、高層のマンションがあるからそこへ逃げればいいのではないかという話も実
は全国で見聞きしたりもします。
そうすると、建築構造物というのは、津波避難タワーと違って、火災の危険性があるの
ではないかということは今般の震災で明らかであり、もちろん建築構造物の賢牢性という
津波に対する根本的な課題をクリアしたとしても、その後の火災発生についてはどう考え
ればいいかということについても、是非ここで指針を示せればよいのかなと思います。
【吉井会長】 ありがとうございました。今日は初回なので、出席されている委員の方に
は全員お話しいただこうということで、多分、あと山本忠さんが残っているかと思います
が、よろしくお願いいたします。
【山本(忠)委員】 最後になりましたけれども、私、消防団長を務めております山本で
ございます。それぞれの委員の先生方、本当に消防団員に対する目といいますか、ありが
たい考え方で見ていただいておることに対して、お礼を申し上げたいと思うわけでござい 33ます。
1点だけお願いがございます。災害時、あるいは平常時の消防団員に対する身分の保障
等々について今後検討していただきたいと思うわけでございます。先ほど申し上げました
ように、いろいろな立場での皆さん方のご意見については、再度お礼を申し上げたいと思
います。よろしくお願いいたします。
【吉井会長】 ありがとうございます。
皆さんのご協力で全員の方に一応1回はお伺いしたのですが、あと予定の時間、2、3
分残っておりますので、どうぞどなたでも。
山本先生、どうぞ。
【山本(保)委員】 私、情報の問題で、先生方、消防はもう少し装備をしっかりさせ、
情報網をしっかり、通信機器等々もしっかりさせろと、そういう流れというのは当然あっ
てもいいと思いますけれども、今のこの経済を考えると、そこまで予算はないよというの
は必ず出てくるのだろうと思いまして、そりよりも私は、災害時に自衛隊、警察、消防、
あるいは海保も入れて、情報の共有化、あるいは装備の共有化、いろいろなところで連携
をする場面は出てくるのではないかと思います。その辺のところも今回を契機に考えなけ
ればいけないのではないのかと私は思っておりまして、それもどこかで入れていただけれ
ばと思います。
以上です。
【吉井会長】 ありがとうございます。情報の問題で言えば、消防団の装備の問題ももち
ろんありますけれども、
最近は、
スマートフォンを始めとして、
いろいろな通信機器もあっ
て、うまくやればお金のかからない方法も少しはあるかなという気がいたします。
災害情報の問題、たくさん出ておりますけれども、毎回出てきてなかなか改善はできな
いのですが、一番大きな点は、現場からなかなかうまく集約した形で検討、確認にいかな
いと。先ほど山根さんからお話がありましたけれども、緊急消防援助隊もたくさんヘリを
用意して待っていたのだけれども、
100%活用できたかというと、
まだまだできないところ
があったのではないかというお話だったと思います。それも現場から情報をどうやって上
げて、それなりに優先順位をつけてその場所に出動させていく。消防、警察、自衛隊、海
保とあるわけですけれども、
そういうところの持っている力を100%発揮できたのかどうか
というのも今回大きな点で、その時に、一番災害対策で難しい組織間の連携の問題とかそ
ういうものにおいては、まだまだ課題があった。 34消防の中の問題、消防団の問題もありますけれども、先ほど秋本委員のおっしゃったよ
うに、周辺のところとの関係も大変重要な問題で、今後検討していければと思っておりま
す。
それでは、一応フリーディスカッションの時間が参りましたので、その他の事項につい
て、事務局から何かございますでしょうか。特によろしゅうございますか。
次回以降、今回の予定では数回実施すると、数回はよく分からないところなのですが、
3、4回実施するということですか。
3 その他
【総務課長】 はい、そんなペースで考えていきたいと思います。
【吉井会長】 次回、大体どういう日程でございましょうか。
【総務課長】 8月から9月ごろに次回を考えたいと思っておりまして、日程調整につき
ましては、後日また調整をさせていただきたいと思います。
4 閉 会
【吉井会長】 今日いただいたご意見、非常に多くの領域にまたがるわけですが、これは
事務局で整理させていただきまして、次回以降、少し焦点を絞った形で議論を深めていき
たいと思っておりますので、ひとつよろしくお願いしたいと思います。
委員の皆様方から何か特にございますか。よろしいでしょうか。
それでは、
以上をもちまして、
本日の審議会を閉会とさせていただきます。
委員の皆様、
幹事の皆様、どうもご協力ありがとうございました。

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