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claire rousay
カナダ出身テキサス育ち、現LAの音楽家クレア・ラウジーは、この数年で、世界中のアンビエント・リスナーの耳を最も静かに惹きつけたアーティストのひとりである。クレア・ラウジーの音楽は「音響」「エクスペリメンタル」「アンビエント」という枠では収まりきらず、より人間的で、生活の質感に近いサウンドスケープを展開している。ラウジーのマイク=耳を通して聴こえるのは、録音という行為を通じて鳴っている音だ。ラウジーは「生きること」と「聴くこと」を同じ地平に置いてきたといえる。
初のヴォーカル・アルバムだった前作『sentiment』から一転し、本作『a little death』ではエクスペリメンタル/アンビエントの音世界へと回帰している。いやそもそも回帰とはいえないかもしれない。ここでは音響と旋律、音と声の境界線が消失し、声/旋律のない「うた」(ようなもの)の心が生成しているのだ。音による情緒・記憶・感情の生成。思えばラウジーの音楽はいつもそうではなかったか。
本作『a little death』は『a heavenly touch』(2020)、『a softer focus』(2021)に連なる系譜の作品という。確かに全編を通して電子音、環境音、生楽器が重なり合い、音の空間性とレイヤー感覚はこれまで以上に美しく、叙情的で、豊かだ。
アルバムのタイトルは、彼女が暮らしていたテキサス州サンアントニオのワインバー「Little Death」に由来する。しかし本作で描かれるのは「比喩としての死」ではなく、日常の中に潜む「小さな終わり」の感覚に近い。過ぎ去る時間。消えていく記憶。静かに閉じていく一日の余韻。その繊細な瞬間を音に封じ込めた作品である。
本作に用いられた最初のフィールド・レコーディングは、『a softer focus』のプロモーション時にラウジーが取材を受けたワインバーで録音されたものという。ラウジーにとって録音は記憶を掘り起こし、時間の堆積を音に変換する行為である。彼女は過去作での「実験」をより柔らかく解体し、記録に宿る詩情を掘り当てているのだ。
『a little death』にはこれまでの作品を支えてきた盟友たちが再び集結している。3月のコラボ作『no floor』に続き、モア・イーズ(More Eaze)が本名マリ・モーリス(Mari Maurice)としてヴァイオリンで参加。6月リリースの共作『quilted lament』以来となるグレッチェン・コァスモー(Gretchen Korsmo)がクラリネットを提供し、アンドリュー・ウェザーズ(Andrew Weathers)はラップ・スティール・ギターで加わる。『a softer focus』にも参加していたアレックス・カニンガム(Alex Cunningham)、そして9月に名盤『Tender / Wading』を発表したエム・セイジ(M. Sage)もクラリネット、エレクトロニクス、ピアノで参加している。この豪華な布陣は、ラウジーの歩んできたネットワークの深さと信頼関係を象徴しているといえよう。
本作『a little death』のサウンドには、音と音のあいだに独自の「温度」がある。電子的なノイズが立ち上がった直後に、生楽器の柔らかな音色がそっと現れ、その往復の中で聴き手の感情が静かに揺れ動く。声のない歌とでもいうべき感覚だろうか。メロディやリズムは明確ではないが、代わりに「時間の流れ」そのものが音楽の中心にある。ラウジーにとって録音とは作曲であり、記憶を編集する行為でもあるのだろう。そこには深い「親密さ」がある。
ラウジーの作品にいつも深い親密さが宿るのは、音の背後に「生活の息づかい」が聴こえるからだ。それらは背景音ではなく、ラウジーにとっての「時間の証拠」として刻まれている。そう、ラウジーにとって音楽とは現実からの逃避ではなく、「現実そのものを聴き取る」ための芸術なのだろう。
1曲目 "i couldn't find the light" では、声とノイズが交錯する55秒の短い断片から、2曲目 "conditional love" へと静かに接続され、アルバムはその世界観を自然に提示する。細やかな物音や硬質な電子音が交錯し、日常と非日常のあいだを音が滑走していく。続く3曲目 "just (feat. m sage)" はピアノの音から幕を開け、音の色彩は一気に抒情的なムードへと転じる。エム・セイジによる電子音が音の空間を広げ、余韻を残す。4曲目 "somehow" では静謐なアンビエント/ドローンが展開されるが、ここでも言葉/声が突如差し込まれ、記憶の層と音響が交錯する。ここまでがアルバム前半といってよいだろう。
アルバム後半はギターとピアノが重要になる。5曲目 "night one" では、ギター、ピアノ、環境音とともに柔らかなアンサンブルを形成する曲だ。デヴィッド・グラッブスを思わせる素朴な音楽性と、実験的な音響空間が交錯し、あの90年代シカゴ音響派へとつながる気配を漂わせる音楽性であった。6曲目 "doubt" では密やかな電子ノイズが立ち上がり、その背後から霞んだピアノの音色が浮かび上がる。7曲目 "somewhat burdensome" も抒情的なギターから始まり、ジム・オルークが探求してきた実験音楽とアメリカーナ的な音世界の系譜にあるかのような響きを宿す。
8曲目、アルバム最終曲にして表題曲 "a little death" では、これまでの曲で描かれてきた音楽世界がゆったりと静かに再生する。アンサンブルとレイヤー、管楽器と弦楽器風の和声、環境音、声が交錯し、「音楽」が静かに立ち上がっていく。エクスペリメンタルでありながら大袈裟にならず、素朴さと洗練が共存する、実に見事な楽曲だ。5分20秒付近の小さな空白を挟み、音楽はそれまでの抒情性を大きく開放するようにドラマチックな展開を迎える。
私見ではあるが、この控えめでエモーショナルな叙情性に90年代シカゴ音響派からの明確な系譜が感じられた。かつてジム・オルークやデヴィッド・グラッブス、トータスらがアメリカ音楽、実験音楽、アヴァン・ロックを交錯させつつ、「アメリカ音楽の歴史」を音で描いたように、ラウジーもその系譜の中で音による音楽史を構築しているのではないかと想像してしまう。ともあれ本曲は、エクスペリメンタル音楽家としてのラウジーのひとつの到達点と言って差し支えない。それほどに感動的な曲なのだ。
ラウジーの音楽には、記録と感情、歴史と個人、客観と主観のあいだを漂う「曖昧さ」が常にあり、その揺らぎこそが表現の核心ではないかと思う。本作『a little death』は、これまで彼女が探求してきた「生活としての音楽」「継承としての音楽」が有機的かつ多層的に交錯し、空気のように揺らいでいる作品である。前作『sentiment』で試みたヴォーカル表現を経て、音の背後にある沈黙や呼吸が、これまで以上に強い存在感を放っていた。本作に耳を澄ませば、私たちの記憶の輪郭もまた静かに、そして新たな陰影と共に浮かび上がってくるだろう。
デンシノオト
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