すべての なかま たちが いきいき・のびのび・ゆうゆう とした 生活ができるように
2011年 8月 9日
ピープルファースト北海道 会長 土本秋夫
障 がい者 制度 改革 推進会議 について
わたしたちに 関係 のあることを きめる時 は かならず
わたしたちの 意見 を きいてから きめる ことを もとにして
わたしたちが いままで いいつづけて きたことが やっと じつげん しはじめてきた。
制度 やサービスは だれの ための ものか。
生活じょう こんなんを かかえている 仲間たちの ものである。 さんか さんかく をし だれかに きめられる ことではなく
わたしたちが かいかくを していくことは せきにん も ともなうけれ ど それでも やって いくべきです。
いままで 意見 のいえる 場 もあった のですが ちゃんと きいて くれなかった。むしされた。
これから ほんとうの かいかくを していく ことです。
わたしたちの わたしたちによる わたしたちの ための せいどや サー ビス そして 法律 を わたしたちが つくりあげて いくことです。
わたしの ちからだけでは むずかしいので 仲間 たちと ちからを あわせて いきたいと おもいます。
わたしたちの おもいを おおく たっせい させることで いままでも いまも さべつ ぎゃくたい 社会的 はいじょ よくあつ を うけてい る
おおくの 仲間 たちの おもいとして つたえて いければと おもいます。
すべての 仲間たちが「いきいき・のびのび・ゆうゆう」とした 生活 がで きるように 意見 を いってきました。
会議の資料は 会議の前に だしもらっていています。 どんな 会議の資料なのかを 見ていって 会議の日
そのばで 見るの じゃ どんなことを かんがえて はなして いけばいいのか わからない。 前もって
自分の中に いれることや 支援者も しっていくことが ひつよ うです。
さいていでも 会議の資料は ふりがなを ふっていく ことです。
なかみ いみも すぐ わからないけれども じっくり <支援者と ともに かんがえて いくことが ひつようです。
自分だけが わかっても だめだと おもいます。
仲間たちにも つたえる ことが ひつようです。
わからないことを ながすことを しないこと。
わかるまで 時間が かかると いうことです。
すぐに わかっていれば どこに しょうがいが あるのと いわれるし、
わからないことが おおいのは そこが しょうがいしゃと いわれている
ので ひつよう とする てきせつな 支援と わかっていく 時間も
かかるので はやく すすめないことです。
ちてきに ハンディをもつ 仲間たちは それぞれの かんじかたが
ちがうし しっていくことも それぞれが ちがうので いそいで
すすめられると わけがわからなくなって しまいます。
それでは どこかで だれかが きめたと なって しまいます。
やっと 自分たちの いけんで やっていくことに なったのに
いみも なくなるので そのてん も はいりょを していくことが
ひつようです。
かたくるしい 会議では はつげんも きんちょう するときも あるので
きんちょう しないように はいりょも ひつよう じゃないかと おもいます。
わからないことは わからないといって ながされない ように していきたい。
ものごとを りかいして いくことに 時間がかかる 仲間たちを
はいじょ しないで ほしい。
ちてきは ハンディのある なかまたちを いろいろな 委員に 入れて
ひつような はいりょを しながら 意見を きいてほしい。
ちてき しょうがいの ことを ほかの 委員にも わかってもらい ながら
会議を すすめていく ことで ちてきの こんなんも しって いくことに つながるし、
ほかの 委員も わかったのか かくにんが できると おもいます。
おなじ 会議を している 委員としても おたがいに わかって いける
のじゃないか と おもいます。
えいごも ききなれない ことばで いっても その いみも わからない ままにしない
えいごで いうのは べんりな ところも あるのですが
つかっている 委員だけが わかっても ぜんたいに わからなければ
ごうりてき はいりょが していないと いうことに なるのかと おもいます。
おたがいの こんなんを しっていく ことも ひつようです。
わたしや なかまたちに ひとつ ひとつ りかい できているか
かくにんを しながら すすめて ほしい。
そうでなければ わたしや なかまたちはが おいて いかれます。
障害者虐待防止法について
奈良大橋製作所事件、札幌三丁目食堂事件、30年もの ながいこと
ぎゃくたい 人権しんがいを なかまたちが うけてきた。
ながいこと ぎゃくたいを うけても だれにも そうだん できず
いえなくて たすけてもらえなくて ぎゃくたいを うけつづけてきた。
ながいこと ほっとか され ひどいめに あってきた。
仲間たちは ぎゃくたい ほっとかされ、せまい ところに おしつけられ
施設でも いいかげんな ことも やっている。
いくら やかん の 職員を ふやそうが もとにある 入所施設
そのものを なくし それぞれの こんなんを かかえて いる ことを しり、
ちいきで ひつよう で てきせつな 福祉サービス、支援があれば とおもう。
自分たちは しょうがいしゃ である まえに 一人の 人間として あつかえ
と いい つづけて いる。
まわりの 人たちも しょうがいしゃで あっても 一人の 人間として
みていく ことだと おもいます。
きほんてき じんけん を うばわれ つづけて いきている。
自分たちは なんの ために 人として いきているのか。
全国に 自分たちが しらない ところで いまも ぎゃくたい や
けんりしんがいを うけつづけている。
自分たちは いつまで なきねいりを しなければ ならないのか。
もう やだ 仲間たちの ことを しっかり みろ と いいたいです。
障害者基本法について
当事者主体 自己選択 自己決定 が
いままでも いまも けんり として ほしょう されて いないから
入所施設に とじこめ られている。
これから ひつような ことは ちいきでの ひつよう とする
てきせつな福祉サービスが うけられる 法律
総合福祉法そうごうふくしほう(仮称かしょう)
権利けんりをはっきりさせて、国くにや地方ちほうじちたいのぎむ・せきにんをはっきりさせることが必要ひつようです。
『「自立じりつ(生活せいかつ)とは、どこに住すむか、いかに住すむか、どうやって自分じぶんの生活せいかつ
をまかなうか、を選択せんたくする自由じゆうをいう。それは自分じぶんが選えらんだ地域ちいきで生活せいかつすることであり、
ルームメイトを持もつか一人ひとり暮くらしをするか自分じぶんで決きめることであり、
自分じぶんの生活せいかつ-日々ひびの暮くらし、食たべ物もの、娯楽ごらく、趣味しゅみ、悪事あくじ、善行ぜんこう、友人ゆうじん等々とうとう-
すべてを自分じぶんの決断けつだんと責任せきにんでやっていくことであり、危険きけんを冒おか したり、誤あやまちを犯おかす自由じゆうであり、
自立じりつした生活せいかつをすることによって、自立じりつ生活せいかつを学ぶ自由じゆうでもある」
「リハビリテーションギャゼット」より
つまり、自分じぶんの稼かせぎで暮くらす"自活じかつ"や、自分じぶんの身辺のことを自分じぶんでする
"リハビリ自立じりつ"とは違ちがうということです。』
自分じぶんから のぞんで、入所施設にゅうしょしせつに はいった 仲間なかまは いない。
そちせいどから、ずっとはいっている 仲間なかまたちも おおくいる。
おや、ぎょうせいが きめたこと。
自分じぶんたちから きめられずにいた。
自由じゆうをうばわれ、けいけんや たっせいかんもなく すごしている ところもある。 施設しせつ いがいに くらしの けいけんしたこともない。
けいけんもして いないのに、どこで すむかを えらべと いわれても、えらびようがない。
ちてきに、そうぞう することに こんなんを かかえている。
どんな こんなんを かかえているか、それでサービスを つかえるように していくべきです。
こまっていることに、だれもが サービスを うけられるようにすべきです。
スウェーデンでは、あしのほねをおった人も、ふくしサービスをうけることができると ききました。
だれもが あんしん して くらせます。
- 仲間なかまたちには、「こそだて」をしている人もいますが、じゅうぶんな支援しえんが うけられません。(「第だい6条じょう障害しょうがいのある女性じょせい」「第だい7条じょう障害しょうがいのある子こども」)
- ちてきの 仲間なかまたちには、24じかんの こうてきサービスを うけて 地域ちいきで くらしている仲間なかまが いますが、大切たいせつなのは「みまもり支援しえん」「こえかけ支援しえん」です。
- しゅわ つうやくの ように、かいぎや むずかしい はなしをするときに、いっしょに いて せつめいしてくれる 支援しえんサービス。
- 入院にゅういんする ときの てつづき支援しえんや 入院にゅういん中ちゅうの がいしゅつ支援しえん、入院にゅういん中ちゅうの「みまもり支援しえん」「こえかけ支援しえん」サービス。
- 入所施設にゅうしょしせつから 地域ちいきでくらすための、ばらばらではない、いっかつした支援しえんサービス。 (本人ほんにんのきもちを たしかめる。かぞくや
施設しせつとのはなしあい。すむところをさがして けいやくする。ひっこしする。せいかつするうえでひつよう なものをそろえる。やくしょの てつづき。
じぎょうしょとのけいやく。 きんせんかんりのほうほう。こまりごとのそうだん。などなど)
区分くわけは、わたしたちにはわかりづらい。
もっともっと、せいどをつかうがわが、よくわかるようにしてほしい。
また、すんでいるところによってつかえるサービスがちがうのは差別さべつです。
わかりやすい じょうほう、せつめいを うける 支援しえんサービスが必要ひつよう。
コミュニケーション( 自分じぶんでえらんで、きめる)の支援しえんサービス。
いままでは、自分じぶんたちの いけんを きかずにやってきたのですが、
こんどこそ自分じぶんたちの おもいを とうして わたしたちに かんすることを きめるときには、
かならず わたしたちのいけんを きいてからきめるように。
区分くぶんで つかえるサービスや りょうが、かってにきめられてしまうこともある。
本当ほんとうは、どんな こんなんを かかえているか、それでサービスをつかえるようにしていくべきです。
てちょうの はんていくぶんや しょうがいていど くぶんで、つかえるサービスなどをわけて、せいげんするのを やめてほしい。
本人ほんにんが中心ちゅうしんとなった 計画けいかくもひつようと おもうが、けいけんがすくなく、
ほかのくらしを そうぞうすること、自分じぶんのきもちをことばでつたえることがむずかしい 仲間なかまたちには、
計画的けいかくてきに 地域ちいきのくらしを たいけん、けい けん できるよう 支援しえんする ひつようがある。
ちてきの仲間なかまたちの ピアカウンセリングは大切たいせつです。
必要ひつようとするときは支援しえん(きろくやじょげん)をうけられるようにすること。
必要ひつようとするてきせつな支援しえんがうけられなくて、仲間なかまたちはなやみ、くるしんでいる。
今いま、PF(ピープルファースト)北海道ほっかいどうの仲間なかまが、24時間じかんの こうてき かいごを もとめて さいばんを おこしている。
なっとく いかないときは、さいばん するしかないのは、時間じかんもお金かねもかかってこまる。
おにづかさんが さいばんを おこしているが、おにづかさんだけがよければと いうことではなく、
じゅうど しょうがいと いわれている仲間なかまたちが、ひつようで てきせつな サービスが うけられるようにしていくこと につながって いくことです。
さいばんを いっしょに たたかっている さいちゅうです。
自分じぶんの おとうとも、じゅうどしょうがいと いわれ、いまも入所施設にゅうしょしせつにはいって います。
ちいきで すむことは、まずは じゅうどといわれている仲間なかまたちが すめるようになれば、
つぎからつぎへと ちいきに すめるようになる。
入所施設にゅうしょしせつは、すべてかいたいできる。
スウェーデンのように、だれもが 地域ちいきでくらす 法律ほうりつ/rt>をつくり、いつまでに 入所施設にゅうしょしせつを なくすという もくひょうを つくることが必要ひつようです。
(応益負担おうえきふたんの)はいしはとうぜんです。
お金かねをとられて 働はたらかされるのは じんけんしんがいです。
お金かねがかかると ひつようとする てきせつな サービスを うける必要ひつようの ある人も サービスを りようできなくなる。
ちてきの 仲間なかまたちの 中なかで、自分じぶんで はたらいて 大金おおがねもちになった人、
自分じぶんで はたらいて、お金かねを ためて 家いえをたてた 人ひとをきいたことがない。
仲間なかまたちが、いっしょうけんめい、いのちを けずって いっぱんの会社かいしゃで はたらいても、多おおい人ひとで 月つきに10万円まんえん ていどです。
そんな仲間なかまたちから お金かねを とらないで ほしい。
必要ひつような人が、ちゃんと病院びょういんで みてもらえるように するべきです。
お金かねがなくて、病院びょういんに かよえない ばあいは、せいかつほごを つかえるように すること。
区分くぶんにサービスのりようのせいげんや、国くにが地方ちほうじちたいにせきにんをとら せることをやめてほしい。
国くにがせいげんしていたら、しせつから仲間なかまたちはちいきにでられない。
ちいきに くらすなかまたちも、しせつに いくしかなくなる。
国くにに いけば じちたいの せいにして、じちたいに いけば 国くにの予算よさんの せいにする。
どちらも お金がないといって、仲間なかまたちは いつまでもほうちされている。
自立じりつ支援法しえんほうは、一部いちぶのサービスについて地方ちほうじちたいにせきにんをなげた。
そのため、サービスに差さがでている。
国くにが、せきにんを もって ほしょうすること。
自立じりつ支援法しえんほうが できる まえから、かいご ほけんとの とうごうに 反対はんたいしてきた。
こうれいしゃが つぎつぎに 施設しせつに おくられた。
とうごう されたら、しょうがいの ある仲間なかまたちは、病院びょういんや 入所施設にゅうしょしせつから でられ なくなる。
いま、ちいきで くらしている仲間なかまは、いまいじょうに ちいきのサービスが うけられ なくなる。
仲間なかまたちは、みまもり や こえかけが ひつような人もおおく、それが ないために こまったり、ひがいにあっている。
入所施設にゅうしょしせつで くらした けいけんを もち、グループホームや 一人ひとりぐらしをした 人たちは、みんな 施設しせつには もどりたくない といっている。
それは なぜか。
入所施設にゅうしょしせつには、自由じゆうが ないから という。
自分じぶんの おかね なのに 自由じゆうに もたせないで、ジュース一本いっぽんも かえず にいる人もいる。
外出がいしゅつも 年ねんに 2回かいしか ないところも ある。
毎日まいにち かんり された にっか で すごしている。
みんな おなじ ごはんを たべている。
あさ おきる じかんも ねる じかんも みんな いっしょ。
職員しょくいんの ゆうことを きかないと ならない。
職員しょくいんは けいたい を もっているのに、そこを 利用りようちしている 仲間なかまたちは けいたいも もたせない。
しっぱい を することで まなぶ こともある。
お金かねの ことも しっぱいを しながらと 思おもいます。
施設しせつでは 子供こども あつかいも されている。
せまい へや にも とじこめ られている。
かんりは ぎゃくたい や 人権じんけんしんがいに つながる。
新あたらしい法律ほうりつ/rt>を つくる上うえで 一番いちばん希望きぼうすることは 地域ちいきで ひつようとする てきせつな 支援しえんを うけて
いきいき・のびのび・ゆうゆう とした 生活せいかつができる サービスをふやし 入所施設にゅうしょしせつや 病院びょういんに とじこめられている なかまたちを かいほう することです。