ラグビー場の歴史
- [公開日:2017年2月28日]
- [更新日:2019年11月19日]
- ID:19033
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聖地"花園"の歴史紹介
1928年(昭和3年)
10月、秩父宮様が橿原神宮にご参拝のため大阪電気軌道株式会社(現在の近畿日本鉄道株式会社)の電車に乗車され、役員の方と車中でご歓談中、「沿線にはずいぶん空き地が多いじゃないか。この辺に今台頭しつつあるラグビーの専用競技場を作ったらどうか。乗客も増えて会社も利益を得るのではないか」という内容のお言葉があったことによります。
12月10日、大阪電気軌道の役員会でラグビー場の建設を決議。翌日の新聞には「東洋唯一のラグビー専用競技場の建設」と大きく報じられました。
1929年(昭和4年)
11月22日、当時の大阪府中河内郡英田村大字吉田花園に花園ラグビー運動場を竣工し、日本最初のラグビー専用グラウンドとして開場。オープニングゲームには、「全日本選抜OB vs 全日本選抜学生」の記念試合が組まれ開場を祝いました。
当時、ラグビー場の建設は国内に例を見なかったことからイギリスのトゥイッケナムラグビー場を範として、周囲各10ヤード(9メートル)の余地を設け、縦横100分の1の勾配をつくって水はけをよくし、全面に高麗芝を植えました。
1932年(昭和7年)
花園ラグビー場初となる国際試合をカナダチームと行う。
1943年(昭和18年6月以降)
第2次世界大戦が激化し、昭和16年8月に公布された金属類回収令に沿って、昭和18年6月25日に大鉄傘(メインスタンドの屋根)が撤去、供出されました。
1945年(昭和20年)
10月4日に連合国軍が花園ラグビー場を接収。
1947年(昭和22年)
12月、米国第九八師団に接収されアメリカンフットボールに使用されました。
1949年(昭和24年)
6月3日に接収が解除されてから、年々施設を増強、特に芝の張り替えと育成には力を尽くしました。
1952年(昭和27年)
10月にラグビー界50年来の夢が実現し、オックスフォード大学と全日本軍が対戦。
このとき、オックスフォード大学の選手から「世界でトゥイッケナムに次ぐグラウンドだ」と花園ラグビー場が讃嘆されました。
1953年(昭和28年)
ラグビー場と併設しゴルフショット場(打ちっ放し場)の営業を始める(平成3年5月まで営業)
1954年(昭和29年)
ラグビー場を囲むようにゴルフコース(ショートゴルフコース)の営業を始める(平成10年まで営業)
1949年(昭和24年)
第2回全国ラグビー大会開催。
1956年(昭和31年)
第8回全国社会人ラグビー大会を開催。 (以降隔年開催〜平成14年まで開催)
1959年(昭和34年)
日本 vs カナダの試合が行われる。
日本 vs ケンブリッジ大学とオックスフォード大学の連合チームの試合が行われる。
1963年(昭和38年)
第42回全国高等学校ラグビーフットボール大会が花園ラグビー場で開催されました。
以前は、全国高等学校ラグビーフットボール大会は、西宮球技場(兵庫県)で開催されていたが、昭和38年の名神高速道路の建設で競技場の規模が縮小されるため、昭和38年の第42回大会より花園ラグビー場で開催されることになりました。
1971年(昭和46年)
1月 全国高等学校ラグビーフットボール大会 決勝 盛岡工業 vs 天理
1976年(昭和51年)
花園ラグビー場周辺の風景
1980年(昭和55年)
「花園ラグビー場」から「近鉄花園ラグビー場」に名称を変更する。
(左側の写真は、近鉄が入っていない当時の写真)
スコアボードを更新
1983年(昭和58年)
近鉄花園ラグビー場周辺の風景
1991年(平成3年)
施設整備工事施行・スコアボード更新・ゴルフショット場(打ちっ放し場)の営業を中止。
全国高等学校ラグビーフットボール大会は仮使用で大会実施、第1グラウンドに洋芝生を導入しました。
1992年(平成4年)
大規模な改修工事が完了。
メインスタンド鉄傘・練習グラウンド新設・第2グラウンド洋芝化・ラグビー史料室開設
1997年(平成9年)
なみはや国体(第52回国民体育大会)の会場として利用されました。
2003年(平成15年)
ジャパンラグビートップリーグ開幕
2004年(平成16年)
2005〜2008年(平成17年〜平成20年)
2013年(平成25年)
「日本代表 vs ウェールズ代表」のテストマッチが行われ、2万人を超える観客らで会場は満員になりました。
2015年(平成27年)
3月2日、近鉄花園ラグビー場がラグビーワールドカップ2019日本大会の会場に選ばれました。
5月30日、地元自治会などで構成する実行委員会が音楽フェスティバルを初めて開催。河内太鼓や地元の中学・高校生、近畿大学の学生による吹奏楽の演奏、さらにさだまさしさんのスペシャルライブも行われました。
2016年(平成28年)
All Photos by Masamune Maeda / Junpei Hiyoshi / Yuta Watanabe
『TAKENOKO!!!@東大阪市花園ラグビー場』が3月に開催され、きゃりーぱみゅぱみゅさんや中田ヤスタカ(CAPSULE)さんなど日本の音楽シーンを代表するアーティストたちが圧巻のパフォーマンスを披露しました。
2017年(平成29年)
参加者は、改修前最後のラグビー場に別れを惜しみました。
2018年(平成30年)
改修中の花園で、全国高等学校ラグビーフットボール大会が開催されました。
19年ぶりの大阪対決となった決勝戦では、多くの来場者で賑わいました。
9月、平成29年2月から行っていた改修工事が完了。
改修工事では、大型映像装置や個別席が設置されたほか、ナイター照明が設置されるなど、ワールドカップ基準のスタジアムとなりました。
10月、改修工事が終了した花園ラグビー場のオープニングマッチとなる「日本代表 対 世界選抜」が行われ、1万人を超えるラグビーファンが熱狂しました。
2019年(平成31年)
改修後、初となる全国高校ラグビー大会が行われ、前回大会準優勝の大阪桐蔭高校が、春の選抜大会を制した桐蔭学園高校の猛攻を受けながらも26対24で勝利し、初優勝を果たしました。
7月、花園ラグビー場内のラグビーミュージアムにミスターラグビー 平尾誠二さんのヒストリー展示を設置しました。
また、2018年12月31日までに「ラグビーのまち東大阪基金」へ5万円以上を寄附いただいた方のお名前を掲出したネームプレートを設置しました。
8月、ラグビーパシフィック・ネーションズ杯、日本代表 対 トンガ代表の試合が花園ラグビー場で行われました。
9月、ラグビーワールドカップ2019TM日本大会がついに開幕し、東大阪市花園ラグビー場でも4試合が行われました。
毎試合2万人を超える来場者が世界レベルの攻防に大熱狂。トライが決まるたび、どよめきと歓声が交錯していました。
ラグビーワールドカップ2019TM日本大会の準々決勝「日本v南アフリカ」戦のパブリックビューイングが花園ラグビー場で行われました。最後まで諦めずに戦い抜いた日本代表の勇姿に、花園ラグビー場は熱気に包まれ、大きな拍手や歓声が送られました。
出典
- 近鉄ラグビー部50年史
- 近畿日本鉄道 社内誌ひかり初夏号 ’69 No.3
- 大阪電気軌道株式会社30年史
- 日本ラグビーフットボール協会80年史
- 近畿日本鉄道100年のあゆみ
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