暮らしの文化 リレートーク

2022年11月30日

当コーナーでは,暮らしの文化に係る様々な人々に登場いただき,暮らしの文化が持つ魅力を伝えていただきます。
(注記)暮らしの文化とは,文化芸術基本法第12条に記載されている,茶道・華道・書道・食文化などの「生活文化」と,囲碁・将棋などの「国民娯楽」を始め,私たちの暮らしと係りを持っている様々な文化を指します。

日本書道文化協会会長 井茂圭洞

日本書道文化協会会長 井茂圭洞

井茂圭洞
昭和11年兵庫県生まれ。兵庫県立兵庫高校在学中に深山龍洞氏と出会い、同29年から同氏に師事、書を学ぶ。同36年、日展において「若山牧水の歌」で初入選を果たす。同52年からは京都教育大学助教授、平成3年からは教授を務める。平成13年に「清流」で日展内閣総理大臣賞、同15年に日展出品作品「清流」で日本芸術院賞を受賞する。平成30年、文化功労者となる。現在、日本書道文化協会会長を務め、登録無形文化財「書道」の保持団体の普及啓発活動を牽引している。


日本書道文化協会
書道の伝統的な書法を受け継ぎ、未来へとつないでいくために、その書道の技の保存と向上を図ることを目的として設立された団体で、令和3年12月に登録無形文化財「書道」の保持団体として認定される。団体は漢字、かな、漢字かな交じり、篆刻の分野で、筆墨硯紙など文房四宝を用い、伝統的な書法を習得した上で、独自の芸術性の高みを獲得し、時代の変化に応じた新たな創造と発展を展開して、書道の芸術性を高め、高度な書道の技を保持し、次世代へと教授してきた代表的な書家が構成員となっており、登録無形文化財「書道」の普及啓発活動を実施している。


令和3年6月に、これまでの文化財保護法が改正され、無形文化財の登録制度が創設されました。登録制度は、指定制度より緩やかに、多様な文化財の幅広い保護を目的として新たに設けられたものです。そのため、この登録制度の新設によって登録無形文化財の対象分野が広がり、書道などの「生活文化」も対象に含まれるようになりました。

書道や茶道・華道に代表される生活文化はこれまで多くの民間活動によって国民の生活に根ざして発展してきましたが、生活様式の変化や少子高齢化などで、担い手の人口も減少しつつありました。また、コロナ禍においてお稽古事なども実施しづらくなり、教室の閉鎖などの状況も加速しているとの背景もありました。

書道はこれまでの調査研究の積み重ねや分野のまとまりがあったため、いち早く文化審議会の諮問・答申を受け、令和3年度に登録無形文化財に登録されました。


日本書道文化協会会長 井茂圭洞
日本書道文化協会会長 井茂圭洞

くろまる「書道」は令和3年度に、登録無形文化財に登録されました。これもひとえに、これまでこの道を担ってこられた皆様のご努力の成果と思います。
井茂先生は「書道」の保持団体として認定されている「日本書道文化協会」の会長を務めておられます。昨年度の登録について所感をお聞かせいただければと思います。


私たち「日本書道文化協会」は、書文化の保存、継承、発展を願って活動しております。令和3年度の登録無形文化財への登録は、文化財として国に認めていただけたということで、大変ありがたく思っております。

今回の登録をきっかけに、とくに私は書家として、「かな(仮名)」*の書に取り組んでおりますので、「日本人のこころ」が「かな」そのものに込められていることを伝えていきたいと思っております。

*現代に使われている平仮名のほか、万葉仮名、草仮名なども含む。本インタビューにおいては「かな」と表記する。


くろまる「かな」に込められた「日本人のこころ」について教えてください。


古筆学者の小松茂美先生は、「かな」の書体は十一世紀の中頃に書かれた伝紀貫之筆「高野切」をもって完成したとされています。中国から漢字が入ってきて、草書の漢字が簡略化して次第に「かな」へと変化するなかで、「日本人のこころ」が文字に込められたように私には思えるのです。

「日本人のこころ」の例として私がイメージするのが弥生時代の銅鐸です。昭和39年に発掘された国宝の「桜ヶ丘銅鐸」*にはサギの絵が描かれているのですが、これが実に「かな」を彷彿させる、豊潤にして温かみのある曲線で描かれているのです。あくまでも一人の書家としての感覚的な仮説ではありますが、漢字が伝来する前から培われていたこの曲線美への感性によって、日本人は「かな」を生み出したのではないかと私は見ています。

そして、もう一つ申し上げたいことは、「かな」における「要白」の美も大切にしたいということです。文字の線と線の間に生じる白い部分に、「かな」の造形美が左右されます。ふつうは皆さんそれを「余白」と言いますが、私は師の深山龍洞先生から「余った白」ではなく「必要な白」なのだから、「要白」と言うべきと教わりましたので、「要白」と言っています。「要白」を大切にすること、そして曲線美への感性が「日本人のこころ」であり、「かな」の美でもあると思っています。

*「桜ヶ丘銅鐸・銅戈群」は昭和45年5月25日に国宝指定
参考 桜ヶ丘銅鐸・銅戈群-文化遺産オンライン


井茂氏が考える「かな」の「要白(余白)の美」の実例

井茂氏が考える「かな」の「要白(余白)の美」の実例。左側の美しい「いほはに」に比べ、
右側の「い」「ほ」は線の空間が狭すぎ、「は」「に」は空間が広く見える。


くろまる現在、日本書道文化協会では、文化庁の補助事業として高校への会員書家の派遣や特別揮毫会といった普及啓発活動も手掛けておられますね。


はい。また、普及活動としては他にも、協会独自の取組として書を気軽に楽しむための「街なか書道体験」を実施しています。海外を旅しておりますと、駅などに通行人が自由に弾けるストリートピアノが設置されていることがありますね。それと同じように著名な書家がしたためた「般若心経」と「いろは歌」のなぞり書きができる用紙や筆、墨などを人が集まる施設に用意しておき、そこを訪れた方や通りすがりの方に気軽に体験していただくものです。上手になってもらうことを目指したものではなく、書に触れるきっかけ作りを目指したものです。

また、文字は意思伝達のための記号であり、「用」の面を持ちます。「用」は大切ですが、書の持つ「美」の面をわれわれは追い求め、いかに表現するか腐心します。そうしたことを伝えていくことも、私たち書家の使命だと思っています。


くろまる書の持つ「美」についても広く知っていただきたいということでしょうか。


私が以前勤めておりました京都教育大学では、高校の教員志望の学生を指導しておりました。彼らが教えるであろう高校生の親御さんの多くは「きれいな字を教えてほしい」と願っておられるということでした。この場合の「きれい」は、社会的一般的な価値観に基づく側面が強く、これは文字の「用」の面のみが重視されている結果と言えます。

詩情豊かな趣を持つ文字造形の「美」へ注目する、鑑賞教育がおろそかになってはいないかと痛感させられました。絵画や音楽に触れると心がすっきりと洗われるように、書にもそうした面があることを伝えたいのです。

ですから、学校の書道の授業でも、実技と同程度の時間をかけて書の歴史や古典に触れたり、現代の書作品の鑑賞に充てるようになれば、という思いがあります。書作品による情操教育をすることで、より広い範囲の人々に書の「美」を鑑賞してもらえればと願っています。


くろまるまさに、学校教育の現場でも、美術の「鑑賞教育」をより広めていくことが大切だということですね。


たとえば、筆の持つ反発力を利用することでしか引けない線というものがあります。上から筆をついて、ねじれた筆の穂先が元に戻る弾力が線の鋭さを生むのです。今申し上げたような筆遣いの専門的なお話などは、実物をご覧いただきながらでなければなかなか理解していただけないものだと思います。

ある美術館では、一般のお客さんと専門家が、作品を前に対話しながら作品鑑賞する取組があるそうですね。「対話型鑑賞」と言うそうですが、そのような形の書の鑑賞も効果があるのではないかと思っております。


井茂氏の仕事部屋の壁に掛けられた作品。

下左のアーチ状の線が、毛筆の弾力を用いた張りのある冴えた線の一例。
下右の重厚な線とは、筆遣いが全く異なるという。

井茂氏の仕事部屋の壁に掛けられた作品。
下左のアーチ状の線が、毛筆の弾力を用いた張りのある冴えた線の一例。
下右の重厚な線とは、筆遣いが全く異なるという。

くろまるとくに若い人たちへのメッセージをお願いします。


現代では、機器を用いて、素早く、そして読みやすい文字表現をすることが求められていると思いますが、字を丁寧に書くことの大切さをお伝えしたいですね。丁寧に字を書くことで、線の中に心が込められます。走り書きでは、心は込められません。丁寧に書いた字は、たとえ整っていなくても、その人の「個性」が出ます。これも文字の持つ美しい要素の一つです。

面白いもので、ボールペンの文字は、無意識に手がスルスルと動きます。ですが、筆は、意思がなければ動かせるものではありません。筆文字には人の意思が伴うのです。そして筆先に意識が集中すると、雑念が消え、精神面にも良い作用をもたらします。ただ、筆で字を書くのは時間がかかる(笑)。現代の機器を用いる一方で、筆で丁寧に文字を書く時間も、必要に応じて作ってもらいたいのです。

先ほど話題に出た「街なか書道体験」では、上手なお手本をなぞるので、皆さんに「綺麗に書けた」と思っていただけます。その体験が、次のステップへのきっかけになります。何事も感銘を受けなければ続きません。子どもに書の指導するときは、先生がその子の手を取って、とにかく線をまっすぐ引かせます。曲がり角に来たら、先生が重ねた手を動かして、導いてやる。止めるべきところでは筆を止めてあげる。そうすると「この字は私が書いた」と思えるでしょう。そうした体験を積み重ねた子どもたちの中から、書道をする人が増えていった。私もその一人ですよ。そういう子どもたちをこれから一人でも増やしていきたいですね。


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