地域日本語教室からこんにちは!

2018年5月2日

文化庁では,文化活動に優れた成果を示し,我が国の文化の振興に貢献された方々,又は,日本文化の海外発信,国際文化交流に貢献された方々に対し,その功績をたたえ文化庁長官が表彰しています。この長官表彰では,日本語教育分野からも表彰されており,平成29年度については3名の方(本賞 1名・文化発信部門 2名)が表彰されました。そこで,「地域日本語教室からこんにちは!」では,3回にわたって受賞者のこれまでの日本語教育への関わりや思いを紹介します。今回は,元文教大学大学院教授の遠藤織枝さんに執筆していただきました。


遠藤織枝

日本語教育56年!


遠藤 織枝(えんどう おりえ)

元 文教大学大学院教授


この度の文化庁長官表彰,誠にありがとうございました。タイトルに書きましたように,何と56年も続けてきた時間の長さがお目に留まったのかと,恥ずかしい思いで一杯です。

1962年春,国際学友会(現在の独立行政法人日本学生支援機構)日本語学校の門をくぐってから半世紀,多くの留学生・研修生,外国で日本語を学ぶ学生・院生との出会いで,どんなに目を開かされたことか,どんなに多くのことを教わったか,本当に数え切れません。関わってくださった皆さんに心から感謝しています。


北京の大平おおひら学校の中国人研修生の強烈な知識欲に圧倒されて

ここでは,私が日本語教育に携わって良かったと思ったことを二つお話したいと思います。

1982年4月〜83年3月,国際交流基金の派遣で中国北京の日本語教師ばいくんはん(「大平学校」とも呼ばれます。)で教えました。文化大革命が収束したばかりの中国はまだ貧しくて,北京の郊外ではロバが大きな荷物を積んでとぼとぼと歩く光景も見られましたし,市内は自転車の流れが洪水のようでした。そんな中,全国から選ばれて集まった120人の大学教師の日本語再教育のプロジェクトを担当しました。120人の中には,大学の日本語科を優秀な成績で出たばかりで,教授に日本語教師として大学に残れと言われた21,2歳の新進気鋭の教師から,ロシア語教師だった人がソ連との関係が悪化してロシア語のクラスがなくなり,日本語教師に転職させられた50代の教師まで,年齢も経歴も日本語レベルも様々な教師たち(以下,研修生といいます。)の集まりでした。

その中の一番上のレベルのクラスで読解と作文を担当しましたが,研修生たちの知識欲と向上心はすさまじく,授業のための準備に追い立てられました。研修生たちは当時中国でも手に入った『新明解国語辞典』を使いこなしています。テキストの中の難しい熟語や表現など,説明する必要はありません。アクセントもばっちり理解し,文法事項も国際交流基金から最初に与えられた参考書を既に読んでいて,複雑な文型もほとんど教える必要はありません。突然,この「あらん限り」の「ん」は「む」からの変化か「ない」からの変化か,などと質問されたりします。そうかと思うと「独活うどの大木って?」と聞くと,「大きいだけで役に立たない人」と,辞書にある通りの答えはスラスラ出ますが,「独活ってどんな木?」と聞くと二抱えもあるような大木だと思い込んでいます。政治も経済も非常に厳しい環境の中で,自分を磨き上げながら真剣に前向きに生きているそのたくましさに圧倒される日々でした。そういう人の間で教えて,自分がいかに軽薄で甘い怠惰な人間であるか,つくづく思い知らされました。この約10か月は私にとって,第二の大学に通っているようでした。

その後,長い非常勤講師の時期を経て,やっと文教大学で専任のポストを得ました。留学生の日本語教育と日本人学生の日本語教師養成に携わり,大平学校のときの北京大学からの研修生との縁で,北京大学での日本語教育実習も始めました。苦しかった実習を終えて,「ゼッタイ日本語教師になる!」と顔を紅潮させて決意を語る学生を見るのも喜びの一つでした。


介護福祉士候補者の日本語教育に関わって

そして大学の定年退職を迎えた年,世間は経済連携協定(EPA)によるインドネシアからの看護師・介護福祉士候補者(以下,候補者といいます。)たちを迎えて,その日本語の問題で持ち切りでした。日本語をゼロから学び始めて,病院や介護施設で働きながら勉強し,国家試験に合格できなければ帰国という候補者たちの過酷な条件が明らかになってきていました。

当時,日本語教育学会では,看護・介護の日本語教育については手を付けていませんでした。私は,候補者たちの日本語の条件の厳しさが分かってくるにつれ,これを見過ごしていいのかと焦りはじめました。迷った末,日本語教育学会のその時の会長・尾﨑明人さんに相談のメールを送りました。尾﨑さんは,「何かしなくてはいけないけど,学会もやることが一杯で手が付けられない。遠藤さん言い出しっぺになってよ」と,すぐこちらの意図を理解して返事をくれました。2009年3月の臨時総会で提案し,それが具体的な動きとなって,5月に,「看護と介護の日本語教育」ワーキンググループ(以下,WGといいます。)が発足しました。そこで,国家試験を研究するグループを作り,私は介護福祉士の国家試験問題の検討を始めました。

実際に検討を始めてみると,本当に驚きました。設問自体が読み取りにくいという点をはじめとして,問題文を読んで,選択肢の中の該当するものを組み合わせ,その組合せの正解を求める,というような複雑な問題が多いという点など,外国人にとって大きな障害となる問題が明らかになってきたのです。また,心窩部しんかぶきつぎゃく漏給ろうきゅう咳嗽がいそうなどなど難しい用語の群れもその一つです。専門用語とはいえ,外国人が受けるには大変な負担です。厚生労働省に足を運んで,「試験問題の設問文を分かりやすくしてほしい」「外国人が受験するために必要な専門用語の枠を示してほしい」などの申し入れをするうち,2012年になって,私に日本語教育の側から「EPA介護福祉士候補者に配慮した国家試験の在り方に関する検討会」のヒアリングで報告するよう依頼がありました。「候補者に配慮した」という検討会の名称に希望を抱きました。試験問題の日本語について,「文章はできるだけ単純で論理的に」「連体修飾節の長い構文は避けて」「長い漢字の複合語は切って,日常的な言葉を使ってほしい」など具体的に例を挙げて説明しました。それが,上記の検討会の報告書にほとんどそのまま取り入れられました。うれしかったです!以後,難解な設問文はなくなり,日本語として読みやすい試験問題になりました。

EPAの候補者の国家試験の合格率は,2016年度には50.9%,2017年度には49.8%と,約半数の受験者が合格するまでになりました。これはもちろん候補者の皆さんの涙ぐましい猛烈な頑張りと,受入れ施設の担当者や周囲の方々の大きな支援や温かい励ましの結果です。それに加えて,学会WGの提案による試験問題の改善も影響していると思われます。外国から来た皆さんの日本語の苦しみを少しでも減らしたいと常に願っている者として,それにわずかでも役に立てたとしたらこれに勝る喜びはありません。



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