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金融機構局 国際課 企画役
私は、現在、金融機構局国際課において国際的な金融規制の策定を行う仕事をしています。日本銀行は、バーゼル銀行監督委員会や金融安定理事会といった金融規制の国際基準を定める国際機関のメンバーとなっており、金融庁や海外の当局者と協力しながら、国際金融システムの頑健性の向上に取り組んでいます。
私は、彼らが主催する実務者レベルの会合に参加し、金融機関が破綻した場合の適切な処理方法や金融リスク管理の在り方などについて、海外当局と侃侃諤諤の議論を交わしています。
こうした会合には、文字通り日本の当局を代表する立場として参加することになるため、大きなプレッシャーがかかりますが、その分、仕事には大きなやりがいを感じています。
私は、理学部物理学科を2007年に卒業後、証券会社のトレーダーとしてキャリアをスタートしました。「債券レポ」と呼ばれる短期金融取引を2年間、「金利スワップ」と呼ばれるデリバティブ取引を5年間担当し、金融市場のスペシャリストを目指して働いていました。こうした間には、グローバル金融危機や欧州債務危機といった市場混乱や、量的・質的金融緩和の導入といった市場環境の変化もあり、目まぐるしい日々を過ごしていました。
前職時代は、金融市場の参加者として、日本銀行が金融市場調節として行っている「オペレーション(公開市場操作)」を利用したり、「金融調節に関する懇談会」に参加したりと、日本銀行と継続的な関わりを持っていました。また、日本銀行の政策次第で金融市場が大きく動くことが多いため、日本銀行のことを常に考えながら仕事をしていました。そうした日々の中で、ふと、"日本銀行へ行けば、金融市場のことをより深く理解できるのではないか!"と思い立ち、日本銀行の門を叩くことを決めました。
日本銀行に転職後は、金融市場局で日本国債市場のリサーチや金利指標改革に関する勉強会の事務局員を担当したほか、金融機構局で金融機関の考査やモニタリングなどを担当しました。前職では考えられなかった経験――たとえば、ヘッジファンド幹部との金融市場に関する意見交換、大手金融機関の海外拠点での現地調査――や、知識や経験の豊富な上司・同僚とのやり取りを通じて、金融市場に関する理解を一層深め、知見を大きく広げることが出来たと感じています。こうした経験を積むことは、民間金融機関ではまず不可能なことでした。
また、転職後は、上司や同僚の温かいサポートの下で、仕事とプライベートを上手く両立させることが出来ました。金融工学に関する学術的な知見を得るため夜間の社会人大学院に通ったり、子供が産まれた際に1か月間の育休を取得したりと、仕事の面だけでなく、プライベートな面でも生活を充実させることが出来ました。
日本銀行での経験を重ねる中で、"どうすれば、金融システムが抱えるリスクを特定し、その顕現化を防ぐことが出来るのか?"という問題意識を強く持つようになりました。日本銀行は、金融システムの安定を確保するため、「最後の貸し手」として一時的な資金不足に陥った金融機関に対して一時的な資金の貸付け等を行う機能を有しています。もっとも、こうした機能はあくまでセーフティネットに過ぎず、「システミック・リスク」の顕現化をより手前の段階で防ぐことが極めて重要です。こうした「プルーデンス政策」の成否は、職員一人ひとりの日々の仕事に懸かっており、その責任と使命を強く感じています。
前職におけるトレーダーとしての経験は、日本銀行での業務に大いに役に立っています。しかしながら、「気候変動リスク」の高まりや「暗号資産」の取引拡大など、金融システムには常に新たなリスクが現れてきており、謙虚かつ貪欲に新しいことを学んでいく必要があります。私は、スペシャリストとしての経験を活かしつつ、ジェネラリストとして様々なリスクに毅然と立ち向かうことの出来るセントラルバンカーを目指しています。