東京都出身。THISTLE DOWN BOOKSという屋号で文章や写真のオリジナルZINE※(注記)を制作、イベント等で販売するなどし活動中。近作に『好きだから知りたい ー韓国の美術館と博物館を訪ねて』『韓国の本とごはんとベンチ』『ART TOUR SEOUL』『ソウルの街から聴こえてきた音楽』、共作『「推し活」にちょっと疲れちゃったふたりの話』などがある。 ※(注記)ZINE(ジン):個人や少数のグループが自主的に発行する冊子や印刷物のこと。
この数年でよく家族に「最近はこんな韓国カルチャーにハマっている」という話をしたり、母には韓国コスメをプレゼントしたり、おすすめの韓国調味料やラーメンをシェアしたりしていた。そのうちに、母はいつの間にかNetflixで『愛の不時着』や『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』などのドラマを見ていて韓国に興味を持ってきていたらしい。
渡韓前、私が「ソウルで1カ月過ごすことになった」という話を母に話をしたら「いいなぁ〜」と言うので「遊びに来る?」と誘ってみた。「え、いいの?」と話はどんどん盛り上がり、その場で飛行機のチケットを調べたりするうちに、本当に私のソウル滞在中に母が遊びに来ることになった。
「韓国で何がしたい?」と聞いたら、「おいしいものが食べたい」という。
母がやってくる半月前からソウルに滞在していた私は「これは母にも食べさせたいな」と思ったものをメモしたり、「あそこは母も好きそうだな」と思う観光スポットを調べてプランを練ったりしていた。母も韓国旅行に向けてガイドブックを買ったようで、「これが食べたい」「ここも良さそう」とLINEで写真を送ってきてくれたので、それらのリクエストもプランに盛り込んだ。
そうしてやってきた母到着の日。仁川空港に着いた母を迎えに行くと、人生初の一人飛行機で若干緊張した面持ちだった母は、私を見るなり安心したようだった。ソウルで母に会うのはなんだか新鮮な気持ちだった。ソウル1カ月旅の中盤で、「旅行中旅行」のような母との2泊3日旅が始まった。
まず母に食べたいものを聞いてみると、最初に出てきたのは「サンナクチ(산낙지)」だった。サンナクチは、生きているテナガダコをぶつ切りにして食べる刺し身料理だ。皿の上でぶつ切りにされた状態でもウネウネと動いているタコの踊り食いの様子をテレビで見たらしい。最初に出てくるのがサンナクチ、というチョイスに好奇心旺盛な母らしさを感じつつ、サンナクチが食べられる場所を探して広蔵(クァンジャン)市場へ向かった。
100年以上の歴史を持つ広蔵市場は、ソウルのグルメストリートとして有名なスポット。飲食店や総菜屋だけでなく絹織物屋や寝具屋なども軒を連ねる巨大な商店街には、通路の真ん中にも屋台がずらりと並び、狭い通りをたくさんの人々が行き交いながら入るお店を吟味している。屋合からは切り盛りをしている元気なおばさまの声が飛び交い、席が空いていれば「앉으세요〜!(アンジュセヨ=座ってください)」と声がかかる。
トッポキやカルグクス(韓国式うどん)、オムク(韓国式おでん)、キンパ(韓国式のり巻き)などの観光客も入りやすい屋台もあれば、昼から飲んでいる地元の方々でにぎわう店もある。母と2人で「これもおいしそうだね〜」などとついつい目移りしてしまう。
さて、目的のサンナクチが食べられる屋台を探していたのだが、思いのほかやっている店が見つからない。1軒、ようやくテナガダコの水槽が置かれた屋台が見つかったのでおばさまの「アンジュセヨ!」の誘いを受けて母と2人で席につく。目的のサンナクチとキンパを頼むと、おばさまは手慣れた様子で水槽からタコを取り出し、「今がシャッターチャンスですよ」と言わんばかりに笑顔を向けながらタコをつるして見せてくれた。
まな板にのせられたタコは大胆に頭を切り落とされても、体はまだ動いている。通りかかった観光客の子供たちも「Still Alive! Still Alive!」とまじまじと様子をうかがっていた。あっという間にぶつ切りにされ、皿に盛られて出てきたタコ。のりとゴマがかけられているものの、まだかなり元気にウネウネと動いていて、母と2人で何度も「動いてる〜〜〜」と声をあげてしまう。
皿に添えられた甘辛いコチュジャンソースを絡めて、まずは母が一口。感想を聞いてみると「コリコリしてておいしい」とのこと。私も後を追って食べてみると、外は柔らか、かむとコリコリ感があり、とてもおいしかった。
鮮度100%。最初こそ二人して「食べられる?」などと聞き合っていたが、一度食べるとそのおいしさにすっかり夢中になり「おいしいねぇ」と言いあいながらペロリと平らげてしまった。「もう少し食べられるね」と調子に乗ってマンドゥスープ(韓国式ギョーザスープ)の店も梯子したらすっかり満腹になってしまって、この日は朝ごはん兼昼ごはんになった。
食事の合間には観光地も巡った。景福宮(キョンボックン)近くにある、朝鮮時代の王族や両班(ヤンバン)と呼ばれた貴族たちが住んでいた伝統家屋「韓屋(ハノク)」が残る北村(プクチョン)韓屋村(ハノクマウル)へ行ったり。かつて工場や倉庫に使われていた建物をおしゃれにリノベーションしたショップが集まるエリア聖水(ソンス)でコスメや文房具や雑貨を買ったり。ロッテワールドモールに買い物に行ったり。本当によく歩いた。しかし6月のソウルはかなりの猛暑で、どこかへ行くたびにすぐにカフェで休憩していた。
益善洞(イクソンドン)には、1920年ごろに形成されたソウルで最も古いとされる韓屋村がある。現在はその韓屋をリノベーションして作られたショップが軒を連ねる、人気の観光スポットだ。避暑のため入ったカフェでは、ピンス(韓国かき氷)を食べた。
韓国のかき氷は、かなりサイズが大きい。一度は韓国でピンスを食べてみたかったのだが、1人ではなかなか注文できなかったので、このタイミングでようやく食べることができた。母は「日本で並んで食べたかき氷よりもおいしい」と言いながらパクパクと食べていた。母と2人で一つのかき氷をつつきながら、たわいのない話をした。
2泊3日中、基本的に母としていたことは食べるか、歩くか、話すかだ。母との2人旅行は3回目で、京都、青森に続いて今回の韓国旅だった。どこに行ってもよく食べ、よく歩き、ずっとしゃべっている。
会話はだいたい夜中も終わらず、布団に入り寝ようとしているにもかかわらず母は「そういえばさ、」と言って話を切り出すのでなかなか寝付けない。「明日もあるのだから早く寝よう」と私が言って、少し経つと「そういえばさ、」がまた始まるので結局深夜3時ごろまで話し続ける、なんてことが二晩続いたのでずっと寝不足だった。でも、そんな夜も楽しかった。
最終日の夜は、借りていた部屋の近所にあった会社勤めの人たちでにぎわう居酒屋へ行った。母が韓国に来る前に友人とふらりと立ち寄り、そこで食べたユッケやポッサムがおいしかったので、母を連れて行こうと思っていたのだ。
ユッケは私が幼かった時の好物だった。私の記憶は朧(おぼろ)げなのだが、父と母がよく連れて行ってくれた焼き肉屋の店内の雰囲気と、メニューにあったユッケが大のお気に入りだったのを覚えている。そんなユッケを日本ではあまり見かけなくなって久しい。
韓国ではユッケを梨と一緒に混ぜて食べる。梨のみずみずしくさっぱりとした甘味とサクサクとした食感、それと一緒に食べる牛肉のユッケはたまらなくおいしい。久々に食べるユッケを母は「おいしいねぇ」と食べながら「azamiちゃんはいつも焼き肉屋の席につくなり『ユッケ!』って叫んでいたよね〜」と言う。叫んでいた記憶はないが、一人で一皿食べて、おかわりもしていたのは覚えている。
もう一つ、母と食べたかったのがポッサムだ。このお店のポッサムは、ゆで豚とカキのキムチ、大根のキムチがセット。このカキのキムチが衝撃的なおいしさだったので、海鮮好きの母を連れてきたら喜びそうだと思っていた。これらを白菜で巻いて食べる。
韓国ではこのような「葉野菜で具材を包んで食べる料理」を「包む(サム)」と呼んでいる。焼肉で肉をサンチュで包む以外にも、色々なものをサムして食べる。サムは韓国で「福を包む」というような、縁起が良い行いとして愛好されているとのこと。私はこのサムの文化が好きだ。韓国の焼酎(ソジュ)で乾杯し、母と一緒にゆで豚とカキのキムチをサムして食べた。昔話やたわいのない話をする、いい時間だった。
自分が見つけて「おいしい」と思ったものを母に食べてもらい、「おいしい」と言ってもらえるとうれしい。自分の好きなものを共有できるということはうれしいことだし、母が韓国に来てくれたのも、なんだか妙にうれしかった。
あっという間に母、帰宅の日。明洞で家族へのお土産を買い、空港へ向かうバスに乗る時間までカフェで過ごした。最後に母に今回の旅の感想を聞いたら「そんなに食べられなかった」と言うので笑ってしまった。
母とは紹介した他にも色々なものを食べた。タッカンマリ通りのタッカンマリと、〆のカルグクス。母が食べたがっていたカンジャンケジャンやカンジャンセウも食べたし、カフェに入るたびスイーツも食べた。2泊3日、胃袋的には常におなかいっぱいだったが、母的にはもっと食べたかったものがあったらしい。「また一緒に来られたらいいね」と言って、日本に帰っていく母を見送った。
母を見送った後、気がつけば私の1カ月滞在も残り少なくなっていた。引き続きのんびり生活をしつつ、美術館や博物館、ショッピングや映画館へ行ったり、推しのアイドルのコンサートに行ったり、公園でのんびり過ごしたり。日本から入れ替わりでやってくる友人たちと遊んだり、滞在中に仲良くなった方々にご飯のおいしいお店に連れて行ってもらったりもした。何も予定を入れずに、近所のカフェに一日中いる日もあった。
昼頃からのんびり出かけて、日が暮れるくらいには部屋に帰ってきて、たまにご飯を作り、夜は7時間たっぷり寝る。そんな生活は正直日本でもできていなかったので、韓国滞在の間は妙に健康体になっていた。
ある日、一緒に飲んでいた友人が終電を逃してしまったので「ウチで飲み直す?」と部屋に誘った。コンビニでお酒やポテトチップスなどを買い込み、朝までグダグダと飲み明かした。友人の帰宅を見送ったあと就寝し、昼に起きてスーパーで買った袋麺にキムチを入れて食べた。
食後にコーヒーを淹(い)れ、部屋の窓を開けて日にあたりながらコーヒーを飲んでいる時、ふと「なんだか本当に暮らしているみたいだな?」と思った。
これまでも色々な国に旅行に行ってきたけれど、「暮らすような旅」にずっと憧れていた。だが、まさか本当にできる日が来るとは思ってもみなかった。「旅」と「暮らし」の境目がどこにあるのかはあいまいだが、私の場合「自分のペースでのんびりできること」がそう感じるポイントだったのかもしれない。
1カ月のソウル滞在は、本当にのんびり暮らしていたように思う。色々なタイミングが合ってこそ叶(かな)った1カ月滞在だったが、今思えばとんでもなくぜいたくな時間の過ごし方だった。また機会があれば、あんな夏休みのような滞在をまたしてみたいと思う。
母子で素敵な旅。憧れます。自分も、自分の母と、そしてもうすぐ娘とやりたいな
私も何年も前に母とふたりで香港に行ったことを思い出しました。 寝不足になりながらの旅行、よぉくわかります。
こういう旅をしたいなあと母と言っていました。言っているうちに母は鬼籍に入り残念ながら叶いませんでしたが、今でも憧れてしまいます。 ゆっくり自分ペースの旅は、まだできそうなのでそちらを今後の楽しみにしようと思います。友達と旅先で現地待ち合わせなども楽しそうかなと思ったり。
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母子で素敵な旅。憧れます。自分も、自分の母と、そしてもうすぐ娘とやりたいな
私も何年も前に母とふたりで香港に行ったことを思い出しました。 寝不足になりながらの旅行、よぉくわかります。
こういう旅をしたいなあと母と言っていました。言っているうちに母は鬼籍に入り残念ながら叶いませんでしたが、今でも憧れてしまいます。 ゆっくり自分ペースの旅は、まだできそうなのでそちらを今後の楽しみにしようと思います。友達と旅先で現地待ち合わせなども楽しそうかなと思ったり。
かつて住んでいた地方都市から韓国グルメ23時間ツアーにてソウル広蔵市場をたずねたのを思い出した。また、すぐ機会を作ってぶらぶら歩きを楽しみたい。
かつて母と行ったイタリア旅行を思い出しました。 どこに行っても母は見事にマイペース。 ベネチアで泊っていたお宿で夕飯を食べていた時に、あらそんなの取ってあったのだと驚いたのですが母が機内食で出た箸を取り出して食事を始めると、周囲のお客様方から拍手が起こりました。 どこに行っても自然体の自分でいられるってすごいことですね。