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人気漫画家MOTOKOさんコラボ特別企画、保護者が見ていた中学生・高校生の留学

子どもが「留学したい!」と言い始めた時、
保護者のみなさんはどんな心境でしょうか?
不安? 応援? お金が心配? 治安が心配?
保護者から寄せられたエピソードから、
中学生・高校生の留学の実態を覗いてみましょう。

CASE1
東京都

大門さんの場合

  • 中学3年生
  • アメリカ
  • 現地校に交換留学
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保護者が見ていた我が子の成長
インタビュー

"「留学なんて行かない!」と言っていたのに"

留学に至った経緯
元はと言えば「留学なんて行かない!」と言っているような子でした。部活の先輩の話を聞くうちに興味を持ち、短期留学へ。すると帰国後すぐに「次は長期で滞在したい」という話になりました。
当時の保護者の心境
娘は元々、日本人同士でも引っ込み思案な方。果たして友達ができるのか?と不安でした。
印象的なエピソード
身近にLGBTQの当事者の若者や引きこもりの子、黒人の子などがいたそうです。そのような話に思わず驚いた私に「ママ、アメリカじゃこれが普通なんだよ!」と諭してくれました。頼もしく、嬉しく感じました。
帰国後に感じた変化
授業での発言・発表などに積極的に取り組むようになりました。また、お弁当作りなど、自分のことを自分でやるようになりました。離れて暮らしたことで自分の家庭を見直す機会になったようで、親子仲も良くなったと感じます。
保護者のインタビュー全文はこちら

帰国後の娘は、なんでもひとりでやれるようになりましたね。お弁当も自分で作るようになって、親としては3年間頑張ってあげるつもりだったのに、強制終了されちゃいました(笑)。アメリカでは「ランチはサンドイッチを自分で作ってね」という文化だったそうで、本人としてはその延長線上で自然にやっているようです。

元はといえば、娘は「私は絶対留学なんてしない!」なんて言っていましたし、私も「寂しくなるから行かなくていいよ〜!」と返していました。私の本心としてはもちろん留学は経験して欲しかったのですが、無理に勧めたくはなかったのです。
娘が英語に距離感を置こうとしていたのは、実は私が英語関係で仕事をしていることが影響しています。子どもの頃から周囲に「お母さんみたいに英語ができるの?」と聞かれたことや、海外の客人を一緒に迎える機会があったことで、逆に少し反抗的な意識を持つようになったようです。遊びのように英語を習わせてみたこともありましたが、意欲がなくなったら辞めさせました。家の中では英語の話は禁句にしていて、とにかく自発的な動機が生まれるまで待ちました。

周囲と同様に中学1年生で英語を勉強し始めたのですが、留学に興味を持ったのは部活の先輩の経験談を聞いたことがきっかけのようです。そこで中2の夏、マルタの語学学校に2週間行ってみることに。学校の先生も着いていってくださるものでした。そこでヨーロッパの同年代と出会って、すごいと感じたみたいです。その後、長期留学に意欲を見せるようになりました。
長期留学について学校で相談したところ、受験を考慮して行けるなら中3で行くのがおすすめ、と。中高一貫だったのでラッキーでした。それで、中3で交換留学に行くことにしたのです。

日本で通っている学校が女子校だったので、学校が紹介してくれる提携先も女子校でした。本人はせっかくなら共学に行ってみたい!とのことで、エージェントを通して留学先を探すことになりました。
娘はもともと、どちらかというと大人しく、表情もあまり豊かではないタイプ。慣れない共学に行くこともあって、友達ができるのか心配でした。

最初は何を話していいかわからない、みたいな苦労はあったようですが、9か月を通して自信がついたというふうに見えます。日本に帰ってきたら社交的になり、自分から話しかけたり発表したりできるようになりました。英語でスピーチをしたり、留学を目指す後輩の英語メンターになったり。そういうことができる子じゃなかったので、びっくりしています。

留学先は普通の公立校だったため、留学生は自分を含めて3人くらいしかいなかったらしく、きつかったとは言っていました。やっとご飯を一緒に食べる人ができたり、友達ができたりしたのは4〜5ヶ月目だったそうです。
ところが、学校の授業は思いのほか好調。最初は普通のクラスだったのですが、その後上のクラスに入っていました。クラス変更を先生に勧められた際には「無理だよ〜」って泣き言の電話もありましたが、最終的に全教科上のクラスになり、成績もよかったようです。カンファレンスの代表に呼ばれたり、成績優秀者の推薦枠に入るなど、日本よりも高く評価されて自信になったと思います。

帰国後に変わったことがもうひとつ。自立心が育った一方で、気持ち的には甘えん坊な部分も出るようになりました。というより、「自分の家族っていいものだ」という認識をしたみたいです。「ママの娘でよかった、この家に生まれてよかった」などと、たまに言ってくれるようになりました。9か月間、人の家で気を遣いながら過ごしたことで、自分の家の居心地の良さや、親に何でも話せる環境のありがたさを再認識したようです。帰って直後の1か月くらいは、3-4歳の頃の毎日「ママ大好き」ってお手紙をくれた時を思い出すような、べったり具合でした(笑)。

印象に残っているのは、娘の視野が広がった結果、長年グローバルな環境で働いてきた私にさえも感覚のアップデートを諭してくれたことです。
彼女の身近には、LGBTQの方や黒人、引きこもりの子など、様々な人がいました。特に、一緒にホームステイしていた子がLGBTQ当事者だということを聞いた際には、思わず「そんなに気軽に言っちゃって大丈夫なの!?」と反応してしまったのですが、「何言ってんのママ!こんなの、普通なんだよ!」と諭されたんです。自分と違うからといって人のことを誤解してはいけない、ということを、一所懸命に教えてくれたのが嬉しかったです。日本ではそんな話はしたことがなく、娘も留学前には無関心だったと思います。
親に対して、アメリカについて教えようとしてくれる姿勢が、とても頼もしく嬉しかったですね。

CASE2
神奈川県

有澤さんの場合

  • 高校1年生
  • イギリス
  • 実践プログラム(映画)
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保護者が見ていた我が子の成長
インタビュー

"「誰だって変われる」
息子の人生は一度の留学で
激変"

留学に至った経緯
実は最初の留学経験は中学1年生のサマースクール。周囲の人たちが辿々しい英語で話しているのをみて、度胸がついた様です。「勇気があればなんとかなる」と思えたことで、高校では実践的なコースに挑戦できたのだと思います。
当時の保護者の心境
以前から留学を勧めていたので、自発的に動く様になったことにホッとしました。
印象的なエピソード
変わっていく息子を見ていて、私自身も刺激を受けました。自分も変化し続けないと、子どもに恥ずかしいと思うように。周囲でも、起業するなど、留学生の親御さんご自身が大きく変化する人は多いと感じます。
帰国後に感じた変化
まるで別人の様になってしまいました。実はその後、学校への考え方が変わり、転校までしています。さらには海外の大学を目指すとのこと。同調圧力から解放された息子のことは、もう頼もしく見守るしかありません!
保護者のインタビュー全文はこちら

息子の最初の留学は中学1年生、シンガポールでの1か月間のサマースクールでした。いろんな国の人が流暢ではない英語で一所懸命話している環境に身を置き、中学生にして海外でひとりでタクシーに乗っている。親に言われたら反抗するようなことも、ホームステイ先の方にいわれれば背中を押されて頑張れる。そんな環境の中で、「こんなことが自分にできるんだ!」と発見する出来事が多かったようです。

高校生になるころには、「映画監督になりたい。フィルムメイキングが学べる南カリフォルニア大学を目指したい」というようになりました。映画監督を目指すようなコースは日本の大学には多くありませんが、海外の大学にはフィルムメイキングやミュージカルの学部なども豊富なんですよね。それで、エージェントさんに相談し、次は語学学校ではなく、英語を使って映画について実践的に学べるコースを探しました。夏休み前になると語学学校のコースが増えますが、早い時期に探すとそういった実践的なコースも探すことができます。

渡航してみると、初日の夜に「やばいわ」と連絡がありました。そのコースには世界中から参加者が集まっていて、先生が「意見があるか」と問いかけると、みんな一斉に話し始めたのだそうです。手を挙げて当てられるのを待つのが当たり前の日本とはまるで違う環境。それで、「日本だけにいるとやばいわ」と自分から言ってきたのです。語学学校に行くのと、英語イマージョン、つまり英語を使って何かをやるという経験は全く違うものをもたらしてくれたようです。
本当は、そのコースに参加するには年齢が足りなかったのですが、滞在中に誕生日を迎えることと、すでにシンガポール留学した経験があったので、押し込んでもらえました。
シンガポールでは「自分が思えばなんとでもなる」。イギリスに行った時は「やばい」に意識が変わりました。一度目の留学がなければ、二度目の経験もあったかどうかわかりません。

帰国後の息子は、日本の学校が少し窮屈になってしまった様子でした。
元々そんなにはっちゃけたりするタイプの子ではありませんでしたが、イギリスでは毎週いろんな国の人たちと集まって遊んでいたそうです。そのパーティも、様々な人が自由なスタイルで集まるようなもの。日本にいるより、海外に行く方が面白いって気づいちゃったんですね。
日本の学校では、少し問題になるようなこともありました。指示をいただくことに対して、「なぜですか」と問わずにいられなくなってしまったり。窮屈そうな息子に「そろそろ海外に行った方がいいんじゃないの?」と問いかけると、あっさり、「そうだね〜」と返ってきました。

それで一度はイギリスの学校に転校しましたが、コロナの影響で一年半後に日本に帰国。いまは国内でグローバルな環境のある高校に身を置いています。
結果的には遠回りをしたことになり、周囲より1年学年が遅れていることになります。しかし息子は全く気にしていないみたいです。イギリスでは、高校といってもいろんな学校から生徒が集まっていて、クラスの中に3-4歳のレンジがあったそうです。そんな環境にいたら、細かいことは気にならなくなったよう。コロナに振り回された形の帰国ではありましたが、「どうせいま海外の大学に行っても、コロナだしね」と、時間軸が気にならなくなったようでした。同調圧力から解放されているんだな、と感じます。私自身も海外経験がありますが、確かに海外の人たちと話していると、「大学を出た時には28歳だった」なんて方も多いんですよね。

海外生活、グローバルな環境を経験するなかで、息子はどんどん他の子どもと考え方が違っていっていますね。大学受験ひとつ取ってもそうです。日本では、受かりそうな中で偏差値の高い大学をいくつか受け、受かった中でさらに一番世間の評判がいいところを選ぶ、という人も多いと思います。いま息子の周りにいる子たちは、本心から行きたいと思う大学だけを受験し、ダメなら次を考えるという感じなんです。「大学ランキングで大学を選ぶのなんてアジアくらいだよ。みんな自分のやりたいことで大学を選んでいる。偏差値ばっかり気にするなんて、どうなってるんだろうね」なんて、言われてしまいました。

息子はいまは、スペインにあるアントレプレナーの大学を目指したいと言っています。学費は日本の国立大学とあまり変わらないようです。3年間で卒業できる大学もあるので、海外進学だからといって必ずしも国内進学より費用がかさむとは限らないんですよね。
第一志望に受からなかったらどうするの?と聞くと、次のプランもあるようなのですが、最早聞いてもわかりません(笑)。考え方が自由になりすぎて、大学に行かないと言い出すんじゃないかとひやひやしていましたが、とりあえず大学に行く意思はあるようなので、黙って見守っています。

振り返ってみると、変化したのは息子だけではありません。母親である私自身も変化を感じています。「自分が変化し続けていないと、子どもに恥ずかしいな。見本ではなくても、いつも頑張っている姿を見せたいな」と思うようになったのです。
それで、息子の留学中に自分も半年間フォルケホイスコーレ((注記)デンマークの生涯学習機関。国籍・成績を問わず入学でき、費用負担も比較的軽い)に通い、その後起業しました。
子供がいろんな経験をいっぱいしているのを見て、悔しくなったんです。自分の知らない世界を聞いているうちに、「私もじっとはしていられない!」と思うようになりました。
これからの時代、年齢が上がるほど、変化し続けないといけないのかもしれません。いつか突然環境が劇的に変わることもあり得ます。自分自身が変化していった方がいいんだなと思うんです。子供に背中を見せたいとか、張り合っているという感覚ですね。
私だけではなく、長期の海外留学しているお子さんを持つ親は、何かに気づいて動いている人が多いように思います。子どもを通じて、親の見えるものも全然違ってくるんです。いわば、「人工衛星の視点」で世の中が見えるようになりました。

うちの子どもは、元はと言えば普通の子です。最初の一歩を踏み出す機会があったかどうかで変わっただけです。
海外経験があれば、日本国内だけの経験よりもずっとお給料が高くなるケースもありますし、チャンスが広がります。お子さんが留学したいと言っているのを応援するか迷っている親御さんがいらっしゃれば「自分が死んだ後に遺産相続するよりも、子どもの未来に先行投資しませんか?子供を信じて留学に行かせてあげてください」とお伝えしたいです。

みんな、思い込みの見えない"透明の箱"の中にいるだけ。
きっかけがあれば、誰だって変われるんだと思います。

CASE3
大阪府

藤戸さんの場合

  • 高校1年生
  • 南アフリカ・タンザニア
  • 国際ボランティア
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保護者が見ていた我が子の成長
インタビュー

"留学を通して
娘が本当にやりたいことが
見つかりました"

留学に至った経緯
英語を使って世界で活躍できる女性になりたいと言っていた娘は、中学生で格差社会に興味を持ち、国際機関への就職を目指すように。「現地の人が本当に求めていることを知りたい」というのが、アフリカ留学のきっかけです。
当時の保護者の心境
正直にいうと、もっと治安のいい国に行って欲しかったですが、娘がたくさんのプログラムを調べてきて、選んだ理由や安全性についてプレゼンしてくれたので、認めることにしました。
印象的なエピソード
安全には最大限気をつけていたようですが、帰国便を待つ空港でパスポートと携帯電話を盗られかけるトラブルが。なんとか取り返せましたが、海外の危険性を肌で感じたようで、今も役立っている経験です。
帰国後に感じた変化
頼もしく、視野が広がって帰ってきました。また、留学をきっかけに「国際機関で働きたい」という気持ちから「医師になりたい」という気持ちに変わったそうです。留学に行って実際に現地を経験したからこそ、娘が本当にしたいことが見つかったと思うので、留学に行かせて良かったなと思います。
保護者のインタビュー全文はこちら

娘は幼稚園から遊びの延長のような形で英語を習っていました。中学校以降で苦労しないように、というくらいの動機ですが、本人がすごく楽しんでいたので続けていました。

初めて海外に行ったのは中学1年生、アメリカのシアトルのサマースクールに2週間行きました。学校が用意してくれたもので、よくある選択授業のプログラムです。当時は携帯も持たせていなくて、代わりに持たせたiPod Touchがなかなか現地のWi-Fiにつながらず、連絡が取りづらかったことを覚えています。帰国後に話を聞くと、周囲の先生や友達に色々なことを聞きながら、なんとか授業についていっていたそうです。

小学校の卒業文集に「英語を使って世界で活躍するような女性になりたい」と書いていて、中学校では発展途上国の状況や貧富の格差を意識するようになりました。当時は国連などで働くことを目標にしていたようです。「現地の実態を自分の目で知りたい」という気持ちが芽生えた頃に学校で「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」奨学金制度を知り、アフリカ留学を希望するようになりました。

もちろん、最初は「えっ?もっと安全なところはないの・・・?」という気持ちでした。娘は、英語で意思疎通ができるとはいえ、まだ16歳なので一人で治安の悪い国に行かせるのは不安だったからです。しかし、その親の気持ちを察してか、娘がたくさんプログラムを調べてきてこのプログラムだったら安全性が高い!と一生懸命プレゼンする姿を見て、「子供がそんなに強く行きたいというのなら」と南アフリカ・タンザニアの留学を許可しました。

現地はあまりWi-Fi環境がないので、あまり頻繁に連絡はありませんでしたが、逆に「特にトラブルはないのかな」くらいに思っていました。プログラム上、現地に運営の方が一人はついているので安心でしたね。
プログラムには一般向けと高校生向けがあり高校生の方に参加しましたが、日本で経験する同様のプログラムに比べ、内容はかなり実践的だったようです。法律に関するプログラムでは、実際に弁護側・検事側に分かれて討論したり、タンザニアの地域医療に関わるプログラムでは、実際に患者さんに薬を渡したりしていたそうです。

最大のトラブルは帰国時に起きました。トランジットで利用したヨハネスブルグ空港は、世界で一番危険な空港と呼ばれる場所。いつも以上に慎重に行動していたつもりだったそうですが、もうすぐ帰国する安心感で気が緩んだのでしょうか。その場で仲良くなった人にパスポートを取られてしまうトラブルが起きたのです。まさかの事態に本当に焦ったと言っていました。空港の人に助けを求めようにも、その間に逃げられたら困る。無理やり取り返そうとして、何かされても困る......。結果的に、すきを見てうまく取り返せたそうです。その後もしつこくついてきて、免税店に紛れ込んで、相手が追ってこなくなるまで走って逃げ続けたと言っていました。この経験で海外の危険性を再認識し、今にも役立っているそうです。

娘はいま、ハンガリーの大学の医学部で学んでいます。
この進路も、アフリカ留学中の自分の経験がきっかけになったそうです。国際関連、国際司法など文系的な職業を目指しているように見えていましたが、本人が色々と経験していく中で、向き・不向きを感じて医療に辿り着いたのではと思います。高校時代には、経済・ビジネスに興味があったり、弁護士に興味があったりした時期もあります。選択肢を広げた上で、消去法で向いていないものを消していったのだと思います。
元々、国際関係に関わりたいという気持ちがあったので、海外の大学に行きたい気持ちは中1くらいからあったようです。海外進学を意識した勉強はしていました。大学選び、専攻選びは、本人が決めないといけないと思っていましたから、最初から口出しするつもりはありませんでしたね。
医学部を目指すと聞いたときは、「やりたいことが決まってよかったな」と思いました。

実は、日本の医学部から海外の医師免許は取得するのは難しいそうです。一方で、ハンガリーの医学部では努力次第でEUの医師免許のみならず、日本やアメリカの医師免許も取得できます。英語を活かせますし、将来の幅も広がるので海外の大学を選んで良かったと思います。

海外に行くたびに、頼もしく、強くなって帰ってきていると感じます。
視野も広がっているし、小さいことを気にすると言うよりも、大きな目線で物事を捉えられるようになっていますね。どんどんしっかりしてきています。

CASE4
兵庫県

ホッシーさんの場合

  • 高校2年生
  • アメリカ
  • 現地校に交換留学
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保護者が見ていた我が子の成長
インタビュー

"人見知りで
新しいことに抵抗がある息子が、
6週間でまるで別人に......"

留学に至った経緯
新しいものや場所に対して抵抗が大きく、小学生の頃は家族での海外旅行に誘っても「僕はおばあちゃんちでお留守番するから」と拒む子でした。部活(硬式テニス)一色の生活から、ようやく勇気を出してプログラムに申し込んでも、チームの一番大事な時期に抜けることで戦力外扱いとなり、勉強が遅れることへの不安も......そんな中ようやく実現した渡航でした。
当時の保護者の心境
恥ずかしがり屋で引っ込み思案、人見知りが激しく、気が優しい息子。果たしてアメリカでやっていけるのだろうか......、本当に留学を勧めてよかったんだろうか......と、実は不安だらけでした。
印象的なエピソード
大事な時期に部活を抜けたことで、出国前は戦力外扱いに。しかし、留学先でスクールに通い、自主的に練習を続け、精神も鍛えられた息子は、むしろ強くなっていました。最後の総体では、団体戦のメンバーに選出され、個人戦では県大会本選まで勝ち進みました。
帰国後に感じた変化
留学先の授業で課された論文、レポート、プレゼンの準備などの課題の多さに苦労したようですが、積極的に生徒たちが参加する授業を経験することで勉強へのモチベーションも上がったようです。何より人前で言いたいことを表現する力がついたと思います。留学前にはE判定だった第一志望の国立大学に見事合格を勝ち取りました。今はグローバル規模で事業を展開している企業でエネルギー分野に従事しており、実業団でテニスも続けています。
保護者のインタビュー全文はこちら

小学校6年生の時です。中学の授業で本格的に英語を習う前に英語圏に連れていきたくて、
「オーストラリアの母さんの友達のうちに遊びに行こう」と誘ったら、「僕はおばあちゃんちで留守番するからいい」と言われました。新しいところが苦手で、未知のものへの恐怖心が強い性格でした。自分が慣れていないものに一歩踏み出せない。幼少の頃から場所見知り、人見知りが強く経験していないことに対して不安になってしまうようでした。
自分が留学を勧めたせいで、留学先で嫌な思いをして心を病んでしまったりしたら......。事故や事件に巻き込まれてしまったら悔やんでも悔やみきれない、と親の私も迷いと不安がありました。留学直前は、心配と不安しかありませんでした。
ところが、留学中はホームシックもつらい経験も全く味わうことなく何もかもが楽しい経験だったようです。帰国した姿を見てにわかに息子とは信じられないくらいに、大きく成長して帰ってきました。
海外に行かせる際、親としては心配は多いですが、得たものは計り知れません。息子は、自分に自信がつきました。他の人が経験してないことを自分でこなせた、という経験が、息子を大きく成長させたのだと思います。

息子の海外留学を望んだのは私です。私自身、大学で1年間の留学を経験しました。当時はネットもないので、自分で手紙を書いて資料を取り寄せ、留学先の大学を選定し、手紙や電話で条件の確認をするなど、手配は大変でした。そして、海外に行き、自分の世界がいかに狭かったかを思い知らされました。ヨーロッパでは、同世代の子が「ニカラグアにボランティアに行ったら、子どもたちが〜」などと話している。知らない国がたくさんある、そういう国で当たり前のように国境を越えてボランティアをしている子がいる。ものすごくショッキングでした。
世界は実に広い。それに比べて自分の日々暮らしている世界のなんと狭いこと。
自分の子どもには、高校の時にその広さを知り、「今いる場所、日本だけが自分の世界じゃない。世界にはいろんな文化があっていろんな人がいて、それぞれのやり方で暮らしている」というグローバルな視点を持って欲しかったんです。

チャンスがやってきたのは、市の交換留学です。勧めてみると、校内選考がないなら受けてみようかな、みたいな感じでしたね。
ところが、息子の迷いに拍車をかけることがありました。息子が当時所属していたテニス部は強豪で朝練も放課後も週末も、練習は厳しいものでした。部活の顧問の先生に、「高2の一番大事な時期に部活を抜けるのか、テニスは個人競技だと思っているかもしれないが団体競技なんだぞ」、と言われたことでした。大事な大会も出られないことにより、戦力外扱いとなりましたが、ホストマザーと相談して、毎日放課後にテニスができるようお願いしました。スーツケースにラケットとテニスシューズを詰め込んで旅立ちました。

帰国した瞬間は本当に驚きましたね。一緒に行っていた子と3人一緒に空港から車で家まで送ってもらったのですが、玄関越しに家の前に止まった車から、しゃべり声が聞こえていました。明るく雄弁にしゃべっている口調が、聞きなれず、もしかして違う子かな、と思いながら玄関を開けると我が子でした。見た途端、身に纏っている雰囲気がまるで違っていたのに驚きました。
息子は小学校4年まで関東に住んでいたので、どちらかといえば関西のノリとは違う静かなタイプでした。それが帰国後は見違えてよく喋るようになりましたね。留学前は、妹と一緒に写真を撮られるのも嫌がっていました。親としては季節の記録は残したいもの、それまでは遠慮がちに「写真撮ろうよ」と促していたのに、帰国後は写真に対しても、「いいよいいよ、撮ろうー!」と言って、何と妹と肩を組んでポーズ!「なんで写真なんか撮るの?」というテンションから、「いえーい!」というハイテンションに大変貌!
留学中に同い年のホストブラザーがとても明るく、、家族仲のいい家族にホームステイしていたからかも知れません。たった6週間ではありましたが、大きな影響を受けて帰国しました。

高2の秋といえば、本格的に受験体制に気持ちが向いていく時期でもあり、周りのお母さんにも「6週間もあけるのは勉強面で心配では......」と言われましたが、それよりも留学によって得る学びのほうが大きいと思っていました。とにかく苦手な数学で遅れをとってしまうことが一番心配だったので、先取りで自分で勉強させるようにし、現地でも勉強できるように教材を持参していました。結果、帰国後には数学の点数が逆に上がり担当の先生に驚かれることに。「遅れないようにしなくては」という意識付けによって、むしろ普段よりも学習時間を当てることができ、結果につながったのではないかと思います。

同様の驚きは、部活でもありました。息子が所属していたのは、365日部活があるような、強いチームでした。留学中も腕を鈍らせたくないと、放課後はほぼ毎日テニススクールに通っていました。現地では全米ジュニアに出るような選手たちと練習していたようで、留学前よりもテニスが強くなっていました。留学中にも毎日練習をしてブランクを開けなかったこと、そして本人の「負けたくない!」という気持ちも作用したのだと思います。

あんなに最初の一歩に抵抗があった息子ですが、帰国後は「大学でも海外に行きたい」というようになり、東京外国語大学の英語学科に進学しました。留学前はE判定やD判定だったので「いつまでも夢みたいなこと言っていないで」と言われていましたが、無事第一志望に合格。大学では大学からの派遣で1年間アメリカの大学で国際関係論を学びました。1カ月の冬休みにアメリカ一周一人旅をし、高校時代のホストファミリーにも再会したようです。今は、グローバルにビジネスを展開する企業でエネルギー分野に従事し、海外で研修中です。実業団でテニスも続けています。留学が息子を大きく成長させました。高校時代に行かせることで、進学やキャリア形成において大きな役割を果たしました。

この漫画を描いたのは......

MOTOKOさん

1979年生まれ。埼玉県出身。22才で母になり、試行錯誤しながら育児とつきあい早十数年。型にはまらない暮らしを模索し、30代半ばで住み慣れた関東を離れ家族で高知県へ移住。4人目長女の出産を機に、2018年からインスタで漫画を描きはじめる。
著書に「うちのヒフミヨ!〜兄たちは妹びより〜」(祥伝社、2019年)など。
ブログ https://www.kame6.com/
Instagram https://www.instagram.com/motok68/

Number2.

more保護者の声

我が子を留学に送り出した保護者の
多様な体験談をご紹介します

神奈川県

kobanoさんの場合

  • 高校2年生
  • イタリア
  • 語学学校

勉強そっちのけで、サッカーばかりやっていた学生生活でしたが、留学後は海外で仕事をしたいと、将来やりたいことが見えてきたようでした。その為にも、大学では国際関係の勉強をしたいとサッカー部引退後、猛勉強していました。
結果、大学の国際経営学部に進学することができました。そこでSDGsの勉強をし、海外のサスティナブル活動を調べ、実際に現地に見に行きたいと大学でも1年休学し、留学を計画していました。アフリカの井戸掘りに参加したり、イタリアのプラスティックレスを勧める陶芸家の方の活動に同行したりといった留学を現地の方ともやりとりをし、計画していました。

兵庫県

あぐりさんの場合

  • 高校2年生
  • アメリカ
  • 語学学校

息子が高校に入ってから、クラブの先輩の留学の話を聞いて、自分も行きたいといいはじめました。プログラムは交換留学。こちらもホームステイを受け入れないといけません。最初は「えー、無理やん」と受け流していましたが、本人の思いが強かったので、まさか選抜で選ばれるはずはないと思い、「受かったらな!」と返事しました。結果、レポート、校内選抜面接、神戸市教育委員会の面接を通過。選ばれた以上、親もがんばるしかないと腹をくくりました。
送り出すまでは、英語もしゃべれないし、飛行機で家族もいなくて、外国のお宅に泊めていただくなんて、大丈夫なのか、不安しかありませんでした。そうして家族は心配してるのに、なかなか連絡がこなくて、楽しんでるんだな〜と思いました。最初に連絡がきた内容は、ホームステイしたお宅にお土産を渡したときにすごく喜んでくれた、ということでした。
帰国の際には手紙とその家の鍵を記念にいただいてきて、その手紙にこれはあなたの鍵だから、いつでも来てねと書いてあり、家族で感動しました。

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我が子の留学準備、
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