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Wikipedia:削除依頼/歴史的業績のない源氏の人物

歴史的業績のない源氏の人物

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いずれも特記すべき歴史的業績のない人物であり、削除の方針Eおよび「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」の「家系図や人名録ではありません」に該当。醍醐源氏に属するものが1人、源ではなく別な姓を名乗っている者も1人いるが、いずれも一般人であるという点では共通しており、源氏の家系図を喧伝することを主目的に立てられたとしか考えられない項目。記事の発展が全く望めなく、削除が妥当。それにしても何で家系図に載っているだけで源氏の人物の項目が乱造されるのか...。--220.96.190.226 2005年6月25日 (土) 14:26 (UTC) [返信 ]

  • (源義忠は存続、他は継続議論)この中で源義忠のみは明らかに存続すべきと思います。その暗殺事件が源氏一族の没落のきっかけを作ったという点で、記述にとどめる必然性はあると考えます。他はすぐには判断できませんが、同様のことは源義時源満政などにもあてはまり、他にどのくらい同様の項目があるのか、まずは一度整理する必要があるかと思います。その上で、他で削除依頼の出ている源義門も含め、削除と存続の明確な基準を決めるべきかと思います。--Andee 2005年6月25日 (土) 23:11 (UTC) [返信 ]
  • (コメント)220.96.190.226さんが削除依頼を出した項目にはいずれも削除依頼のテンプレートが貼られていませんでした。今回は私が代わりにテンプレートを貼っておきましたが、これからは削除依頼を出す際にはテンプレートを貼り忘れないように気を付けて下さい。219.102.222.55 2005年6月26日 (日) 07:16 (UTC) [返信 ]
  • (存続)これだけ事実と考察を書いてあれば「家系図や人名録」の範囲を超えているのではないでしょうか。「家系にその名があるが、史料に事績は見あたらない」というのは十分に有用な情報です。Birdman 2005年6月27日 (月) 11:18 (UTC) [返信 ]
  • (存続)--Goki 2005年6月29日 (水) 02:53 (UTC) [返信 ]
  • (存続)歴史上の人物を「業績」の語のみで掲載を決める判断自体に異議を唱えさせていただきます。Aboshi 2005年6月29日 (水) 03:01 (UTC) [返信 ]
  • (存続、ただし統合・リダイレクト化)Googleにおけるヒット数を調べたところ、"源義宗":15、"源義信":22、"源頼平":19、"源忠宗":10、"源義忠":79、"源義資":6、"源盛経":4、"岩松経国":1。源義忠にしても、業績と呼べるものはほとんどヒットされない。リダイレクトならともかく、単独の項目とするのは無理がある。--6144 2005年7月1日 (金) 02:01 (UTC) [返信 ]
  • (存続)子孫や先祖との繋がりしか書いていないのならともかく、本人についての情報がある以上削除する必要はないでしょう。そして子孫や先祖との関係についても、有力な氏族だったのですから場合によっては「〜氏」に移動などといったことも検討されるべきです。―霧木諒二 2005年7月4日 (月) 13:19 (UTC) [返信 ]
  • (コメント・存続より)私は歴史には疎い人間なので内容に根ざした賛否意見は出せませんが、関係執筆者がこれだけ存続票を入れているという事は、(仮に、後々何らかの整理が行われると仮定しても)今は存続させておいて問題のあるものではないと考えます。今後、個々の記事がより充実させられていく事に期待したいと思います。蛇足ですが、Wikibooksで作成された項目を見ましたが、Wikibooksでは記事冒頭にあるような「ウィキペディアに収録するほどの業績のない日本史上の人物については本事典で収録することにします。」とあるような棲み分け的なものが認められるのでしょうか。教科書を書くという主目的にはそぐわないと思いますが。Tekune 2005年7月4日 (月) 13:35 (UTC) [返信 ]
  • (存続)「官職を持つ者は一般人では有りません。」というMiketsukunibitoさんの意見に賛成です。保元・平治時代に国の守(県知事クラス)や検非違使(警察庁長官クラス)まで務めた武将というのはそれだけで「歴史的業績」があると言うべきです。またそれ以下の項目もそれなりまとまっており、削除すべき理由は認められません。
    Wikipedia:削除依頼/岩崎豊弥及びWikipedia:削除依頼/岩崎康弥を見ましたが、岩崎豊弥は「大日本セルロイド人造絹糸取締役」、岩崎康弥は「東京毛布の取締役」とあるだけですから、こちらの「官職を持つ者」と同列には論じられないでしょう。--miya 2005年7月4日 (月) 14:36 (UTC) [返信 ]
  • (コメント)礼儀知らずといわれたようなのでコメントを。まず、「時代によって区別すべきではなく」という点に大きく異議を唱えたいと思います。一般論として、古代、中世などの人名・業績・事跡は現在にいたる間に常に取捨選択の対象となり不要な情報、瑣末な事実は徐々に失われていきます。もちろん意図的な取捨選択によって選別を受けたわけではなく偶然によって失われたまたは残ったというものもあるでしょうが。他方で、近代、現代については情報がより多く伝わっていることが多く、このことは歴史は現在に近づくにつれて「拡大する」という表現にも表れています。ところで、何を対象物として著述するにしても、一切取捨選択をせずにそれを行なうということは不可能です。であるからこそウィキペディアでも「なんでないか」があるのでしょうが。こうして考えた場合、情報が多く残っており故に取捨選択を意識的に行なわねばならない近代、現代とすでに取捨選択が行なわれた結果のこっている古代、中世を同列に扱うことが適当な措置とはとても思えません。ですから今回のケースに関しても存続を主張します。おそらく上でAboshiさんが端折って仰りたかったこともこういうことだと思います。存続と直接関係するわけではありませんがもう一点。私の主張は上記のようなものですので古代、中世の人物の「業績」や「官職」を近代、現代の人間のそれにあてはめて判断を下すことはそもそも間違いであると考えています。そもそもそういった判断基準を示せば古代の女性のほとんどは「私人、掲載価値なし」になってしまうでしょう。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年7月8日 (金) 06:33 (UTC) [返信 ]

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