鹿郢(ろくえい)は、鼫与[1] (せきよ)ともいい、春秋時代の越の君主。
越王勾践の子として生まれた[2] 。勾践32年(紀元前464年)11月、越王勾践が死去すると、鹿郢は後を嗣いで越王として即位した。鹿郢6年(紀元前458年)、在位6年で死去した[3] 。
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