藤林普山
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
(1781年01月16日) 1781年 1月16日 日本の旗 日本 山城国 綴喜郡(現京都府 京田辺市) |
死没 | 1836年 3月1日 (1836年03月01日)(55歳没) |
学問 | |
研究分野 | 蘭学・医学 |
テンプレートを表示 |
藤林 普山(ふじばやし ふざん、天明元年1月16日(1781年 2月8日) - 天保7年1月14日(1836年 3月1日))は、江戸時代後期の蘭学者、医師である。医書の翻訳で知られる。
経歴
[編集 ]1781年、山城国 綴喜郡水取村(現京都府 京田辺市)に生まれる[1] 。通称は泰介など、普山は号である。京都の蘭方医、中川修亭、稲村三伯(海上随鴎)らと付き合う。
研究内容・業績
[編集 ]- 翻訳にすぐれ、文法書、辞書を作成し、医書の翻訳を行い、蘭学の普及に貢献した。
- 著書に『訳鍵』(1810年)『和蘭語法解』『遠西度量考』や『西医方選』(1828年)、『西医今日方』(1848年)や、ステフェン・ブランカールトの『オランダ植物書』の抄訳、『武蘭加児都本草』などがある[2] 。『訳鍵』は稲村三伯らの『ハルマ和解』の収録語6万余から3万余語を選んだ簡約版で、広く利用された。
参考文献
[編集 ] スタブアイコン
この項目は、科学者 に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。