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膳摩漏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
膳 摩漏
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 天武天皇11年7月18日(682年 8月26日)
官位 小錦中 大紫
主君 天武天皇
氏族 膳臣
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膳 摩漏(かしわで の まろ[1] )は、飛鳥時代の人物。冠位小錦中 大紫壬申の乱の功臣。

経歴

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日本書紀』によれば、天武天皇11年(682年)7月9日に小錦中の膳摩漏が病となり、天皇は草壁皇子高市皇子を遣わして見舞いさせたが18日に摩漏は死去した。天皇は驚き、とても悲しんだ。21日に壬申の年の功によって、天皇は大紫の位と禄を摩漏に贈り、皇后(後の持統天皇)も物を贈った。大紫は壬申の功臣の中でも高位だが、書紀が壬申の乱を述べるくだりに摩漏の名は見えないので、どのような活躍をしたかはわからない。

脚注

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  1. ^ 旧仮名遣いでの読みは「かしはでのまろ」。

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