聖マリヌス
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(聖マリノから転送)
Saint Marinus 聖マリヌス | |
---|---|
聖マリヌスの絵画 (Stefano Bolognini , 1740年) | |
生誕 |
c. 275年 ローマ帝国 ダルマティア属州 アルバ島 (現・クロアチア ラブ島) |
死没 |
366年 (伝承) ローマ帝国イタリア ティターノ山 (現・ サンマリノ市) |
崇敬する教派 | カトリック教会、正教会 [1] |
主要聖地 | サンマリノ大聖堂 |
記念日 | 9月3日 |
守護対象 | サンマリノ、学士、執事、虚偽の告発をされた人々 |
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聖マリヌス(せいマリヌス、ラテン語: Saint Marinus,[məˈriːnəs] ; イタリア語: San Marino)は、キリスト教の聖人。彼の建てた教会や修道院を中心としたコミュニティが発展して、のちにサンマリノとなった。
概要
[編集 ]伝承では、マリヌスはディオクレティアヌス帝のキリスト教徒迫害を逃れたアルバ島(現・クロアチア領ラブ島)出身の石工であった。リミニ司教のガウデンティウス (英語版)によって助祭に任ぜられる[2] 。その後ダルマチアからマリヌスの妻を名乗る女性が現れ、マリヌスを誘惑するが失敗し、訴追したのでティターノ山に逃れ、教会を建てた[3] 。
彼の死後、マリヌスは列聖され、サンマリノは修道院を中心に据える国家に発展した[2] 。301年 9月3日にマリヌスがサンマリノの地に教会を創設したというが、この日は現在、共和国創立記念日としてサンマリノの祝日となっている。 彼はローマ・カトリックと東方正教会で聖人とされている。
聖マリヌスと彼の生涯について初めて文献が現れたのは10世紀であった[4] 。また、Acta Sanctorum (英語版)にも彼の生涯について編纂されている[5] 。
関連項目
[編集 ]脚注
[編集 ]- ^ "Orthodox Europe :: San Marino". orthodoxengland.org.uk. 2021年8月1日閲覧。
- ^ a b Radovan Radovinovič, The Croatian Adriatic Tourist Guide, pg. 127, Zagreb (1999), ISBN 953-178-097-8
- ^ "SANT’Oggi. Venerdì 3 settembre la chiesa celebra san Gregorio Magno, san Marino da Arbe e beato Andrea Dotti". bassairpinia.it. 2021年9月3日閲覧。
- ^ Edwards, Adrian, and Chris Michaelides. San Marino. Vol. 188. Abc-Clio Incorporated, 1996, 19.
- ^ "The Republic of San Marino", William Miller, The American Historical Review, Vol. 6, No. 4 (July 1901), pages 633–649. Link to journal. Link to copy of paper.
外部リンク
[編集 ]- Patron Saints Index: Saint Marinus
- Morri, Carlo Ennio. "San Marino" (イタリア語). 2021年8月1日閲覧。