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神戸文哉

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神戸 文哉(かんべ ぶんさい、嘉永元年(1848年)8月12日 - 明治32年(1899年))は、幕末から明治時代にかけての医師(精神医学)。

人物

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信濃国 小諸藩士に生まれ、江戸に遊学して和漢学と医学とを修め、、明治2年(1869年)に大阪医学校、次いで大学東校に学ぶ[1] 。同8年(1875年)に京都療病院管学事を拝命した。京都癲狂院に勤務していた時にジョン・ラッセル・レイノルズ(John Russell Reynolds)編『内科全書』所収のヘンリー・モーズリー(Henry Maudsley)著「精神病」の章を訳出し、『精神病約説』3冊(1876年)の表題で刊行した。日本で最初の西洋精神医学書の翻訳である本書は「精神病」「妄想」などの用語を定着させることにより、日本の近代精神医学を基礎づけることに貢献した。また同11年(1878年)に『養生訓蒙』を著した。

同14年(1881年)に大阪医学校の校長代理に任ぜられ、同22年(1889年)大阪で内科・外科を開業し、同26年(1893年)には大阪医海二十傑の内科第1位に選ばれた。同37年、脳溢血で逝去した。

脚注

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  1. ^ 長野県精神保健福祉センター

参考文献

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  • 「日本人名大辞典」 講談社 2001年
  • 「世界大百科事典」 平凡社 2007年

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