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相良長継

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相良 長継(さがら ながつぐ、天正4年(1576年) - 慶長5年9月15日(1600年 10月21日))は、安土桃山時代薩摩国 島津氏の家臣で、元は鎌田氏通称は甚吉郎、甚兵衛。

略歴

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鎌田政近の三男として誕生したが、叔父である相良長信が病身となったため、外祖父である長秀の養嗣子となった。しかし、後に長信に嫡男 長広が誕生したため、長継は嫡流を長広に明け渡して次男格となった。

主君である島津義弘忠恒父子に従い、文禄・慶長の役庄内の乱に参戦した。関ヶ原の戦いにも従軍したが、従者3名と共に討ち死にした。享年25。法名は「玄通要律居士」。

名跡は、長継の戦死後に誕生した舎人祐が継いだ。

系譜

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参考文献

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  • 本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)

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