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益之宗箴

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益之宗箴
応永17年 - 長享元年11月16日
(1410年 - 1487年 12月1日)
懶庵[1]
生地 尾張国
宗旨 臨済宗
叔英宗播
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益之宗箴(えきし そうしん)は、室町時代臨済宗。俗姓は織田[1]

経歴・人物

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叔英宗播の室に入り、その法を嗣ぐ[1] 京都 相国寺雲頂院に入り、のち同寺の蔭凉軒の主となり僧録を補佐する[1] 文明17年(1485年)京都天竜寺の住持となる[1] 室町幕府第8代将軍 足利義政東山山荘の造営の補佐もつとめた[1] 。書も能くした[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『益之宗箴』 - コトバンク

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