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田中良弥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中 良弥
プロフィール
リングネーム 田中 良弥
本名 田中 良弥
身長 168cm
体重 70kg
誕生日 (1999年01月16日) 1999年 1月16日(25歳)
出身地 兵庫県 尼崎市
所属 DRAGON GATE
スポーツ歴 空手
デビュー 2023年 5月28日
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田中 良弥(たなか りょうや、1999年 1月16日 - )は、日本男性 プロレスラー兵庫県 尼崎市出身。血液型O型。DRAGON GATE所属。

来歴

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2023年 5月28日DRAGON GATE 大阪エディオンアリーナ大阪大会における対YAMATO戦でデビュー。

10月15日兵庫神戸芸術センター大会の第2試合にて行われた、バトルロイヤル『ロイヤルサンボー』に出陣。(他の参加選手は、堀口元気パンチ富永ホーホー・ルン問題龍しゃちほこBOY柳内大貴)試合前にオープン・ザ・ブレイブゲート王者ISHINが登場し、「この中から次の挑戦者を決める査定マッチだ」と宣言し、試合がスタート。決勝まで残ったが最後は堀口のバックスライド・フロム・ヘブンで敗れた。

しかし、ISHINが次の挑戦者を指名しようとした時にISHINにドロップキックを放ち、それに触発されたISHINが田中を挑戦者に指名。11月5日大阪エディオンアリーナ大阪大会でISHINの持つオープン・ザ・ブレイブゲート王座に挑戦が決まった。

11月5日大阪エディオンアリーナ大阪大会にてISHINのもつオープン・ザ・ブレイブゲート王座に挑戦。持ち前の身体能力の高さを見せ、ISHINを追い込み大善戦したが敗れ、惜しくもベルト奪取とはならなかった。しかし、デビューから約5カ月とは思えないほどの試合展開とそのポテンシャルの高さに感銘したD'Courage吉岡勇紀ドラゴン・ダイヤが試合後に現れ、田中を介抱して花道を去っていった。

11月9日東京後楽園ホール大会のオープニングにてD'Courageメンバーに呼び込まれ、ダイヤに「4人で一緒にやっていこう」と勧誘され、田中も「よろしくお願いします」と握手で誘いに応じ、正式にD'Courageメンバーとなった。

2024年 2月11日福岡アクロス福岡大会夜の部・第一試合で、D'Courageメンバーの菊田円ドラゴン・ダイヤと組み、GOLD CLASS箕浦康太Ben-K×ばつBハルク">×ばつBハルクと6人タッグで対戦。試合終盤に、自身がハルクのファーストフラッシュをくらい、ハルクが次の技に繋げようとしたところを抵抗し、できた隙の間にダイヤがハルクに延髄切り、菊田がバイシクルキックを浴びせ、田中が横入り式エビ固めでハルクから3カウントを奪い、6人タッグではあるがデビュー9カ月目にして自力初勝利を掴んだ。

2月17日京都KBSホール 大会の第一試合に、Z-Brats(メンバーはシュン・スカイウォーカーISHIN加藤良輝)と対戦6人タッグで対戦。(パートナーは同門の菊田円ドラゴン・ダイヤ)自身が驚異的な粘りを見せ15分時間切れに持ち込んだ。試合後にZ-Brats(KAIISHIN加藤良輝)の持つオープン・ザ・トライアングルゲート王座に挑戦表明。3月3日大阪エディオンアリーナ大阪大会にて同王座への挑戦が決定した。

3月3日大阪エディオンアリーナ大阪にて、オープン・ザ・トライアングルゲート王座に挑戦。王座チームの加藤良輝2月23日岐阜じゅうろくプラザ大会にて右膝を負傷したため、シュン・スカイウォーカーを加えた王座決定戦に変更された。(試合は自身がISHINの人誅をくらい惜しくも敗れ、またしてもISHINに敗北を喫したが、その存在感を十二分に発揮した。)

3月30日兵庫神戸サンボーホール大会の第一試合にて布田龍とシングルマッチで対戦。走りこんできた布田にスパニッシュフライを決めて先輩の布田から勝利し、デビュー約10カ月でシングル初勝利を掴んだ。

4月7日神奈川メルキュールホテル横須賀大会では、第二試合で布田龍と組み、Kagetora&パンチ富永組と対戦。大先輩のパンチからスパニッシュフライで勝利。

5月11日大阪エディオンアリーナ大阪大会の第二試合で菊田円と組み、望月成晃&布田龍組と対戦。約1年前にデビューした大阪の地で再び布田にスパニッシュフライで勝利し、自身の母の誕生日でもあるこの日に1周年を勝利で飾った。

外部リンク

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選手
NATURAL VIBES
Z-Brats
GOLD CLASS
D'Courage
BIG HUG
PARADOX
ユニット無所属
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タイトル
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関連項目
スタッフ
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