大阪狭山市
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おおさかさやまし ウィキデータを編集 大阪狭山市 | |
---|---|
狭山池と市街地 | |
国 | 日本の旗 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
市町村コード | 27231-1 |
法人番号 | 2000020272311 ウィキデータを編集 |
面積 |
11.92km2 |
総人口 |
57,492人 [編集] (推計人口、2024年8月1日) |
人口密度 | 4,823人/km2 |
隣接自治体 | 堺市、富田林市、河内長野市 |
市の木 | サクラ |
市の花 | ツツジ |
大阪狭山市役所 | |
市長 | 古川照人 |
所在地 |
〒589-8501 大阪府大阪狭山市狭山一丁目2384番地の1 北緯34度30分13秒 東経135度33分20秒 / 北緯34.50361度 東経135.55569度 / 34.50361; 135.55569 座標: 北緯34度30分13秒 東経135度33分20秒 / 北緯34.50361度 東経135.55569度 / 34.50361; 135.55569 地図 市庁舎位置 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
■しかく ― 政令指定都市 / ■しかく ― 市 / ■しかく ― 町・村 | |
ウィキプロジェクト |
大阪狭山市(おおさかさやまし)は、大阪府の南河内地域にある市。2020年(令和2年)の国勢調査によると、市内の人口は58,435人で府内30番目。
本項では発足時の名称である狭山村(さやまむら)、市制前の名称である狭山町(さやまちょう)についても述べる。
地理
- 大阪府南東部に位置し、大阪市・堺市などのベッドタウン。特に、市南部には大規模な住宅街、狭山ニュータウンがある。
- 市中央に日本最古のダム式ため池と言われる狭山池があり、市の象徴となっている。
- 北は堺市の東区、美原区(旧・美原町)と接している。
- 西は堺市の中区、南区と接しており、泉北ニュータウン 槇塚台、晴美台などと隣接。
- 東は富田林市と接している。
- 南は河内長野市と接している。
人口
平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.20%増の58,227人であり、増減率は府下43市町村中19位、72行政区域中37位。
大阪狭山市と全国の年齢別人口分布(2005年)
大阪狭山市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■しかく紫色 ― 大阪狭山市
■しかく緑色 ― 日本全国
■しかく緑色 ― 日本全国
■しかく青色 ― 男性
■しかく赤色 ― 女性
■しかく赤色 ― 女性
大阪狭山市(に相当する地域)の人口の推移
総務省 統計局 国勢調査より
1970年(昭和45年)
19,198人
1975年(昭和50年)
36,045人
1980年(昭和55年)
46,508人
1985年(昭和60年)
50,246人
1990年(平成2年)
54,319人
1995年(平成7年)
57,647人
2000年(平成12年)
56,996人
2005年(平成17年)
58,208人
2010年(平成22年)
58,227人
2015年(平成27年)
57,792人
2020年(令和2年)
58,435人
歴史
狭山の地名は河内国 丹比郡(のち分割され丹南郡)の郷名に由来し東の羽曳野丘陵と西の河泉丘陵に挟まれた地形による。
- 1600年(慶長5年) - 北条氏盛が初代藩主となり、狭山藩が立藩される。
- 1616年(元和2年) - 丹南郡池尻村に狭山陣屋が設置される。
- 1987年(昭和62年)10月1日の市制施行は、大阪府下では1971年 11月3日の交野市以来16年ぶりであった。市制施行にあたり、埼玉県に既に「狭山市」があったため「狭山市」を名乗ることは事実上不可能であったことから、事前に町民への新市名アンケートを行った。回答数(1374件)のうち最も多かったのは「河内狭山市」(329件)で、「さやま市」が二番目(121件)、「大阪狭山市」は三番目(117件)であった[1] が、実際にはこの結果を無視して行政主導で「大阪狭山市」に決定した。
- 平成の大合併の際に、当時政令指定都市昇格を目指していた堺市(2006年に政令指定都市移行)と合併する動きも見られたが、2003年(平成15年)2月に市議会は合併協議会の設置請求を反対多数で否決した。
沿革
- 1873年(明治6年) - 丹南郡新町(通称:狭山新宿。狭山新町および半田新町)を池尻村に編入。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、丹南郡池尻村・半田村・東野村の区域をもって狭山村が発足。大字池尻に村役場を設置。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 丹南郡狭山村の所属郡が南河内郡に変更。
- 1931年(昭和6年)6月16日 - 南河内郡狭山村が三都村と合併し、改めて狭山村が発足。
- 1935年(昭和10年)6月30日 - 集中豪雨により天野橋が流失[2] 。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 南河内郡狭山村が町制施行して狭山町となる。大字池尻に町役場を設置。
- 1973年(昭和48年) - 町役場の新庁舎(現・市庁舎)が完成。
- 1977年(昭和52年) - 町立公民館・図書館が完成する。
- 1985年(昭和60年) - 町立総合体育館完成。また、この年の国勢調査で狭山町の人口が5万人を突破[3] 。
- 1987年(昭和62年)10月1日 - 南河内郡狭山町が市制施行して大阪狭山市となる。大阪府下で35番目。ただし、法令上は狭山町を狭山市とし、これが先に名称を使用していた埼玉県 狭山市と重複するため、狭山市の名称を即日で大阪狭山市に変更する手続きが取られた[4] 。
- 1997年(平成9年) - 第52回国民体育大会(なみはや国体)、成年男子バスケットボール大会が市内で開催される。
- 2001年(平成13年)3月 - 大阪府立狭山池博物館が開館する[5] 。
- 2001年(平成13年)6月1日 - 市内循環バスの運行が開始する[6] 。
- 2002年(平成14年)狭山池ダム化工事終了
- 2002年(平成14年)第1回 狭山池まつり 開催
- 2008年(平成20年)市マスコットキャラクター「さやりん」誕生
- 2009年(平成21年)南中学校円卓会議、第三中学校円卓会議 が設立
- 2010年(平成22年)自治基本条例施行
- 2010年(平成22年)狭山中学校円卓会議 が設立
- 2012年(平成24年)南河内地区9市と図書館の相互利用サービスを開始
- 2013年(平成25年)河南町・太子町・千早赤阪村と図書館の相互利用サービスを開始
- 2014年(平成26年)大阪府狭山池出土樋・重源狭山池改修碑が国の重要文化財に指定
- 2014年(平成26年)狭山池が国際かんがい排水委員会の「かんがい施設遺産」に登録
- 2015年(平成27年)狭山池が国の史跡に指定
- 2016年(平成28年)大阪狭山市駅前・金剛駅前に図書館資料の返却ポストを設置
- 2018年(平成30年)狭山駅前に図書館資料の返却ポストを設置
- 2020年(令和2年)堺市と図書館の相互利用サービスを開始
- 2022年(令和4年)市役所における図書館資料の予約受取サービスを開始
行政
歴代市長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初 | 吉川悦次 [7] | 1987年(昭和62年)10月 | 1992年(平成4年)10月 | 町長時代を含めると1962年9月から8期30年にわたり首長を務めた[7] 。 |
2 | 酒谷忠生 [8] | 1992年(平成4年)11月 | 1999年(平成11年)2月 | 2期目の任期途中に死去[9] 。 |
3 | 井上武 [9] | 1999年(平成11年)4月 | 2003年(平成15年)4月 | |
4 | 吉田友好 [注 1] [10] | 2003年(平成15年)4月 | 2015年(平成27年)4月 | |
5 | 古川照人 | 2015年(平成27年)4月 | 現職 |
議会
市議会
詳細は「大阪狭山市議会」を参照
衆議院
- 選挙区:大阪15区(堺市(美原区)、富田林市、河内長野市、松原市、大阪狭山市、南河内郡)
- 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
- 投票日:2021年10月31日
- 当日有権者数:390,415人
- 投票率:55.78%
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 浦野靖人 | 48 | 日本維新の会 | 前 | 114,861票 | ○しろまる |
加納陽之助 | 41 | 自由民主党 | 新 | 67,887票 | ○しろまる | |
為仁史 | 72 | 日本共産党 | 新 | 29,570票 |
経済
産業・特産品
- ブドウ 大野地区で多く栽培されており大野地区のものは大野ぶどうとも言う。すっきりとした味わいが特徴。
- 狭山池名菓「池もろこ」という最中(もなか)があり大阪狭山市駅近隣にて販売されていたが、惜しまれつつも閉店。
- 条例により、市内にラブホテルやパチンコ店が一軒もない。
姉妹都市・友好都市
国内
海外
交通
鉄道
バス
一般路線バス
- 南海バス
- 市内の一般路線バスは、金剛駅と狭山ニュータウンを結ぶ路線が中心。(→「金剛駅」の路線バスの項を参照)
- 金剛駅と関西国際空港を結ぶリムジンバス「Sorae(ソラエ)」が運行されている。
- 狭山駅と大阪狭山市駅にはバスターミナルや停留所がない。
- 近鉄バス
コミュニティバス
詳細は「大阪狭山市循環バス」を参照
道路
国道
府道
道路の愛称
平成6年に市が公募の中から命名。
- さやか通り - 大阪府道198号河内長野美原線のうち、狭山半田郵便局から狭山池通りと交差する浦之庄交差点までの区間。沿道にSAYAKAホール(下記)や市役所がある。
- 狭山池通り - 大阪府道34号堺狭山線と大阪府道202号森屋狭山線の大阪狭山市通過部分の区間。狭山池の南側。
- いちょう通り - 狭山池通り(大阪府道34号堺狭山線)につき当たる岩室東交差点から南に伸び、狭山ニュータウンを縦貫し、大野地区に至る区間。沿道にいちょうの木が並ぶ。
- 陶器山通り - 泉北ニュータウンと狭山ニュータウンをつなぐ陶器山トンネル(昭和61年完成)から、狭山ニュータウンを横断し、国道310号と交差したあと、西除(にしよけ)川にかかる洞ヶ淵橋までの区間。
施設
警察署
消防機関
文化会館
教育機関
- 大学
- 近畿大学医学部
- 高等学校
- 中学校
特記事項として、大阪府内の公立中学校では、学校給食制度を導入していない市町村が多いが、大阪狭山市では、1973年に市内の全公立中学校に学校給食制度を導入し、2021年現在も継続して実施している。このことにより、アレルギーの児童、生徒にも柔軟に対応している。
- 小学校
- その他
- ホンダテクニカルカレッジ関西
- 近畿大学付属看護専門学校
- 大阪サヤマ自動車学院
日本郵政グループ
(2012年12月現在)
- 日本郵便株式会社
- 大阪狭山郵便局(岩室) - 集配局。
- 狭山大野台郵便局(大野台)
- 狭山大野台一郵便局(大野台)
- 狭山半田郵便局(狭山)
- 狭山南半田郵便局(半田)
- 狭山駅前郵便局(池尻自由丘 = いけじりじゆうがおか)
大阪狭山市内の郵便番号は「589-00xx」(大阪狭山郵便局の集配担当)となっている。
医療機関
博物館
- 大阪府立狭山池博物館(大阪狭山市立郷土資料館を併設)
その他
- 大阪狭山市立市民ふれあいの里
- 大阪狭山市立郷土資料館 - 大阪府立狭山池博物館内
祭事
- だんじり祭り
- 狭山池まつり
著名な出身者
- 林三子雄 - 海軍軍人。「鳥海 (砲艦)」艦長
- 植田謙吉 - 陸軍軍人
- 末永雅雄 - 考古学者。1988年(昭和63年)に文化勲章受章。大阪狭山市名誉市民[12] 。
- 香川政夫(空手家)
- 大江千里(音楽家)
- ジョン・B(ウルフルズ)
- 臼杵寛 (芸人・音楽家・元dボタン)
- 伊原六花(女優、歌手)
- 中尾考作(元岩手朝日テレビ アナウンサー、フリーアナウンサー)
- 小池徹平(俳優)
- 田村龍弘(プロ野球選手、千葉ロッテマリーンズ)
- 西浦克拓 (元プロ野球選手、北海道日本ハムファイターズ)
- 乾国雄 (元プロ野球選手、大阪タイガース)
- 小谷祐喜(サッカー選手、ロアッソ熊本)
- 西山静佳 - 囲碁棋士(関西棋院)
- 西山朋佳 - 将棋女流棋士
- 室谷由紀 - 将棋女流棋士
- 儀間太久実 - 世界口笛大会 2007年ティーンの部 日本人初グランドチャンピオン
- 今谷慶介 - (音楽家)
- 石井輝明 - (元コマンダンテ、漫才師、お笑い芸人)
- 半井彩弥 - (ダンサー)
- 半井重幸 - (ダンサー)
- 西浦秀樹 - (歌手)
その他
ふれあいが 人をはぐくむ 水の郷
脚注
[脚注の使い方]
注釈
- ^ 「吉」の字の上部は「士」ではなく「土」。
出典
- ^ 『大阪狭山市史 第4巻』 572-573頁。
- ^ 大和川増水、大阪府南部は泥の海『大阪毎日新聞』昭和10年6月30日号外(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p207-208 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 『大阪狭山市史 第1巻』 667頁。
- ^ 『大阪狭山市史 第1巻』 669頁。
- ^ 『大阪狭山市史 第1巻』 685頁。
- ^ 『南海120周年記念』100頁。
- ^ a b 『大阪狭山市史 第1巻』 679頁。
- ^ 『大阪狭山市史 第1巻』 681頁。
- ^ a b 『大阪狭山市史 第1巻』 683頁。
- ^ 『大阪狭山市史 第1巻』 686頁。
- ^ 『大阪狭山市史 第1巻』 680頁。
- ^ "名誉市民". 大阪狭山市. 2024年3月17日閲覧。
参考文献
- 大阪狭山市史編さん委員会(編集); 大阪狭山市教育委員会教育部歴史文化グループ市史編さん担当(編集)『大阪狭山市史 第1巻 本文編 通史』2014年3月。
- 大阪狭山市史編さん委員会(編集); 大阪狭山市教育委員会教育部社会教育・スポーツ振興グループ市史編さん担当(編集)『大阪狭山市史 第4巻 史料編 近現代』2012年3月。
- 南海電気鉄道『南海電鉄最近の10年 創業120周年記念』2005年、100頁。
関連項目
外部リンク
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