清富藩
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清富藩(きよどめはん)は、江戸時代の前期に但馬国 二方郡に存在した藩。同郡清富村(現在の兵庫県 新温泉町)に陣屋があった。
藩史
[編集 ]宮城豊盛は豊臣政権において豊後国 日田郡の代官を務めていたが、関ヶ原の戦いで西軍について改易される。しかし、養嗣子の頼久が実兄の山崎家盛から二方郡内に6000石を分知されて徳川家康に仕えたことで再興が許された。同郡芦屋城跡の東麓に芦屋陣屋が設けられた。
頼久の子である宮城豊嗣は、寛永4年(1627年)に加増を受けて二方郡全域と気多郡の4か村合わせて1万3000石を領して大名となり、清富の観音山(相応峰寺城跡)南麓に新たに清富陣屋を設けて移転した。
豊嗣が領国に下った記録がないため、定府大名であった可能性があり、清富に駐在した家臣が実際の支配を行った。検地の実施や岸田川の改修、清富村の城下町としての整備などを行ったが、承応2年(1653年)に豊嗣が跡継ぎのいないまま病死、清富藩は無嗣断絶となり、26年間で改易、所領は収公された。
歴代藩主
[編集 ]- 宮城家
1.3万石。外様。
参考文献
[編集 ]- 『日本歴史地名大系 29-1 兵庫県の地名I』(平凡社、1999年) ISBN 978-4-582-49061-9 「清富陣屋跡」(P1000)
- 下田英郎「宮城氏」(『兵庫県大百科事典』下巻(神戸新聞総合出版センター、1983年) ISBN 978-4-87521-100-6)
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関連項目 | ||
藩庁の置かれた地域を基準に分類しているが、他の地方に移転している藩もある。順番は『三百藩戊辰戦争事典』による。 明治期の変更: ★=新設、●くろまる=廃止、○しろまる=移転・改称、▲さんかく=任知藩事前に本藩に併合。()内は移転・改称・併合後の藩名。()のないものは県に編入。 |