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明珍裕子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明珍 裕子
Yuko Myochin
基本情報
本名 明珍 裕子
みょうちん ゆうこ
生年月日 (1989年06月06日) 1989年 6月6日(35歳)
国籍 日本の旗 日本
身長 155.2cm
体重 54.3kg
縁故選手 明珍周男(父)
選手情報
期別 日本競輪学校104期
登録地変遷
2013-2021 日本競輪選手会福島支部
しかく最終更新日:2021年3月14日  しかくテンプレートを表示

明珍 裕子(みょうちん ゆうこ、1989年 6月6日 - )は、福島県出身の元女子競輪選手、競輪キャスター。現役時代は日本競輪選手会 福島支部所属、ホームバンクは泉崎国際サイクルスタジアムであった。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第104期生。師匠は菊池芳彦(55期)。実父は競輪選手の明珍周男(41期)。

経歴

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父は元競輪選手の明珍周男で、兄も自転車競技をやっていたことから幼い頃から自転車が好きで、好きなことでお金を稼げることに魅力を感じたことが競輪選手を目指すきっかけになったという[1]

朝日大学時代、2009年全日本大学対抗選手権自転車競技大会・個人ロードレースで優勝[2] するなど、ロードレーストラックレースで活躍。

2011年 12月16日、競輪学校第104回技能試験に合格[3] 。在校中は2012年 7月29日琵琶湖で開催された第35回鳥人間コンテスト選手権大会・人力プロペラ機ディスタンス部門において、競輪学校の同期である石井寛子とともに「芝浦工大+ガールズケイリン」(同部門常連である芝浦工業大学との合同チーム)のパイロットに抜擢され出場。石井とともに2人乗り人力飛行機に搭乗し、初出場ながら840.90mの飛行を成功させた(同部門3位)[4] 。在校時の競走成績は9位(6勝)[5] で競輪学校を卒業。

2013年 5月10日京王閣競輪場でデビューし6着。初勝利は同年10月7日奈良競輪場で挙げた。

晩年は競走成績不良のため代謝制度により引退が決まり[6] 2021年 1月20日選手登録消除[7] [8] 。現役時代の通算戦績は、627戦8勝。

引退後は、競輪番組のキャスターとして活動している[9] [10]

脚注

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  1. ^ もっと知りたい麗しのガールズ 明珍裕子選手
  2. ^ 西薗良太(東京大学) 学生ロードの頂点に立つ - 全日本大学対抗選手権自転車競技大会2009 第4日 | cyclowired 2009年08月31日 - 18:25
  3. ^ 日本競輪学校女子第104回生徒入学試験合格者名簿 (PDF)
  4. ^ 鳥人間コンテスト公式ウェブサイト 大会の歴史 2012第35回
  5. ^ 競走成績戦法別一覧表総合 (PDF)
  6. ^ "広報KEIRIN第154号(5ページ目)" (PDF). JKA (2021年1月31日). 2021年3月14日閲覧。
  7. ^ 【競輪】ガールズ2期生の明珍裕子が引退 地元・平でラストランは6着
  8. ^ "登録消除者一覧(2020年度)". JKA. 2023年3月14日閲覧。
  9. ^ "元ガールズケイリン明珍裕子さんMCデビュー/立川". 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2021年2月8日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/202102080000208.html 2021年4月15日閲覧。 
  10. ^ "元ガールズ104期明珍裕子さん、検車場取材デビュー/松阪ミッド". 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2021年4月15日). https://www.nikkansports.com/public_race/keirin/mid_cal/news/202104150000674.html 2021年4月15日閲覧。 

外部リンク

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