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岡部氏 (小野氏)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡部氏
家紋
十万 (じゅうまん)
本姓 小野 朝臣 武蔵七党 猪俣党支族
家祖 猪俣忠兼
種別 武家
出身地 武蔵国 榛沢郡 岡部
主な根拠地 武蔵国 榛沢郡 岡部
支流、分家 内ヶ島氏(武家)?
岡部氏分家(武家)
凡例 / Category:日本の氏族

岡部氏(おかべし)は、日本武家 氏族のひとつ。


出自

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(2023年9月)

飛鳥時代小野妹子の子孫で小野篁末裔猪俣党猪俣忠兼から始まる。

平安時代に、岡部忠綱(猪俣忠兼の子)が武蔵国 榛沢郡 岡部(現在の埼玉県 深谷市 岡部)の付近を領有したのが始まりと言われる。

平安時代から鎌倉時代

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平安時代 末期から鎌倉時代にかけて、岡部忠澄(岡部忠綱の)が源頼朝に従い、平家滅亡後は御家人として奥州藤原氏征伐(奥州合戦)に従軍した。

室町時代

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室町時代では足利氏に仕え、足利基氏以降は鎌倉公方の配下にあり、永享の乱の際には岡部景澄足利持氏とともに自害している。

戦国時代

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戦国時代には、岡部忠秀と子の岡部忠吉、孫の岡部吉正は、後北条氏家臣松田康秀の配下になる。豊臣政権下では、吉正が1593年(文禄2年)以降は徳川氏に仕え、関ヶ原の戦い大坂の陣に従軍している。

江戸時代

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江戸時代に入り、吉正が関ヶ原の戦いや大坂の陣の功により1500の知行を与えられ徳川家旗本として残り、その際、忠房正次もそれぞれ旗本として続いた。

系譜

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 小野篁保衡忠範義村忠時時仲時季孝泰
 ┣━━━━┓
猪俣時資 横山義孝時範忠兼
 ┣━━━━━━━━┳━━┓
岡部忠綱   政家 忠基
 ┃   ┏━━┫ ┃
 行忠  政行 資綱 忠家
 ┣━━┓   ┃
 忠澄 行好  範綱
 ┣━━┳━━┓ ┃
 広澄 忠季 景澄 範高
 ┃ ┣━━┓ ┃
 好澄 政直 忠時 景村
 ┃ ┃
 信澄 保重宗員仲則忠貞忠弘忠景景澄忠邦憲澄員忠忠高泰忠忠秀忠吉
┏━━╋━━┓
吉正 忠房 正次

脚注

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関連項目

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