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岡本桜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おかもと さくら

岡本 櫻
岡本櫻
生誕 (1878年04月03日) 1878年 4月3日 [1]
兵庫県[1]
死没 (1935年02月22日) 1935年 2月22日(56歳没)[1]
国籍 日本の旗 日本
出身校 帝国大学工科大学応用化学科[1]
職業 実業家
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岡本櫻の墓(名古屋市天白区八事霊園内、2017年6月)

岡本 櫻(おかもと さくら、1878年明治11年〉4月3日 - 1935年昭和10年〉2月22日)は、「ガス王」とも称された実業家 [1]

人物

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兵庫県大書記官であった父岡本貞の次男として神戸に生を受けた[2] 同志社普通部・第一高等学校に進む[2] 帝国大学工科大学応用化学科卒業[1] 。このときの卒業論文である「セルロイドについて」は『工業化学雑誌』に連載されたという[2] 1903年(明治36年)に東京瓦斯に入社するも、翌1904年(明治37年)には大阪瓦斯に移り、ここで外国人技師長であったミラーより最新技術を学んだ[1] 1906年(明治39年)名古屋瓦斯設立に際して、同社に技師長として入社[1] 1922年(大正10年)に東邦瓦斯創立に伴い、同社の初代社長となる[1] 1927年(昭和2年)には、三井銀行の支援により、東京瓦斯の取締役を兼任[1] 1930年(昭和5年)に同社副社長に転じた[1] 西部合同瓦斯など、各地のガス会社の経営・技術指導を行い、「ガス王」「ガス博士」とも称されるようになったという[1] 。また、名古屋市 東区において桜菊女学園を設立し、経営していた[3]

ゆかりのあるもの

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  • 東邦ガス社内報『桜和』[2]
  • 桜が丘 - 名古屋市千種区内の地名[4] 。かつては岡本の所有地であった[4]

脚注

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参考文献

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先代
-
東邦瓦斯社長
岡本櫻
次代
都留信郎

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