友枝梅次郎
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友枝 梅次郎(ともえだ うめじろう、1860年 3月9日(万延元年2月17日)[1] - 1920年(大正9年)11月10日 [2] )は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。
経歴
[編集 ]福岡県出身[2] 。漢学、英語、数学を学ぶ。村会議員、町村連合会議員、築城、上毛両郡連合会議員、筑豊鉱業組合会常議員を務め[2] 、また、鉱山を経営し、筑豊炭礦、小倉鉄道、宇島鉄道各(株)取締役、社団法人小倉競馬倶楽部理事となる[2] 。
1912年の第11回衆議院議員総選挙において小倉市選挙区から立憲政友会公認で立候補して初当選。第13回総選挙でも当選した[3] 。衆議院議員を2期務め、1920年の第14回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1943年死去。
脚注
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年〜第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。