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原田喜市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原田 喜市
個人情報
国籍日本の旗 日本
生誕 (1972年11月30日) 1972年 11月30日(51歳)
山形県 山形市
スポーツ
日本の旗 日本
競技馬術
種目馬場馬術
クラブ蒜山ホースパーク

原田 喜市(はらだ きいち、1972年 11月30日 - )は、日本馬術選手。蒜山ホースパーク代表、オールド・フレンズ・ジャパン代表。山形県出身[1] [2]

略歴

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1972年 11月30日 山形県 山形市生まれ。西蔵王の乗馬クラブの長男として生まれ、6歳から乗馬を始める。中学時代には馬術のほか剣道スキーにも取り組んだ[3] 1989年、17歳で出場した北海道国体で2位になる。そこで杉谷昌保に声をかけられ、大阪府 和泉市杉谷乗馬クラブでトレーニングを始める[4]

2000年、28歳の時に岡山国体にむけた強化選手として声がかかり、岡山県 佐伯町(現・和気町)の乗馬クラブに移籍。馬場馬術に転向するため中俣修に指導を受け、2004年埼玉国体で成年男子馬場馬術競技(セントジョージ賞典)を初優勝すると2007年まで4連覇する。2007年株式会社ノアを設立し、岡山県 真庭市の蒜山ホースパークの指定管理者となる。2015年に愛馬エジスターとともに全日本馬場馬術選手権で優勝し、翌2016年リオデジャネイロオリンピック [5] 2018年世界馬術選手権に出場。2019年に再び全日本馬場馬術選手権を制した後、2020年東京オリンピックを目指して権利獲得のため渡米。2020年にCDI3* Wellington FLを制する。しかし、新型コロナウイルス感染症の影響で五輪出場を断念[6] し、国際大会に集中。2021年にはフェアリーテイルSで全日本馬場馬術選手権3勝目をあげた。

2021年4月、岡山県 真庭市 蒜山で引退競走馬関連団体の一般社団法人 オールド・フレンズ・ジャパンを立ち上げた[7] 。自らが引退競走馬の再調教を手掛け、エイコーンパス2021年の全日本内国産選手権に出場し7位[8] メイショウテンシャ引退競走馬杯(RRC)ファイナル2021に出場し3位[9] の成績を収めた。

主な成績

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その他

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脚注

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  1. ^ 原田喜市後援会ホームページ » 原田喜市のご紹介
  2. ^ 原田 喜市|人馬ガイド|A to Zinba|馬術のAからZがまるわかり
  3. ^ 「オリンピックの舞台裏」 原田喜市様 | 岡山中央ロータリークラブのブログ
  4. ^ 朝日新聞デジタル:人ひと/人馬一体 五輪へ駆ける - 岡山 - 地域
  5. ^ Kiichi Harada (10004711) | FEI.org
  6. ^ "馬場馬術の原田 東京五輪を断念 コロナ禍で選考参加できず". 山陽新聞社. 2021年11月12日閲覧。
  7. ^ "日本で"消息不明"となった名馬・ファーディナンドが遺したもの...元競走馬たちと五輪選手が目指す未来《GI馬も繋養する新天地》(カジリョウスケ)". Number Web - ナンバー. 2022年2月4日閲覧。
  8. ^ 公益社団法人 日本馬術連盟 《Japan Equestrian Federation》
  9. ^ r3_rrc_dressage-final-_result.pdf
  10. ^ 《世界選手権》閉幕 公益社団法人 日本馬術連盟 《Japan Equestrian Federation》

外部リンク

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