コンテンツにスキップ
Wikipedia

北田暁大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この存命人物の記事には検証可能出典が不足しています 信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります
出典検索?"北田暁大" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2023年7月)
北田 暁大
(きただ あきひろ)
人物情報
全名 北田 暁大
(きただ あきひろ)
生誕 (1971年12月28日) 1971年 12月28日(52歳)
日本の旗 日本神奈川県
学問
時代 20世紀
21世紀
活動地域 日本の旗 日本
研究分野 社会科学
社会学
理論 社会学
研究機関 東京大学
筑波大学
特筆すべき概念 つながりの社会性
広告都市
主要な作品 『広告の誕生――近代メディア文化の歴史社会学』
『広告都市・東京――その誕生と死』
その他多数
テンプレートを表示

北田 暁大(きただ あきひろ、1971年 12月28日 - )は、日本社会学者東京大学大学院情報学環 教授。専門は、理論 社会学・メディア史。博士(社会情報学)(東京大学)(学位論文『責任と正義――リベラリズムの居場所』)。

経歴

[編集 ]

神奈川県生まれ。聖光学院中学校・高等学校東京大学文学部社会学科卒業。東京大学大学院人文社会系研究科社会文化研究専攻社会情報学専門分野博士課程単位取得退学。東京大学社会情報研究所助手、筑波大学社会科学系講師、東京大学社会情報研究所助教授、准教授を経て、2015年から現職。 広告などを対象として日本のメディアの現在を分析している。2002年の著書『広告都市・東京――その誕生と死』では、社会システム理論家のニクラス・ルーマンコミュニケーションの理論を土台として、「つながりの社会性/秩序の社会性」という対比を行った。

主張

[編集 ]
  • 宮台真司の初期における啓蒙活動を評価しており、ロマン主義からの離脱を煽るべきだと考えている[1]
  • 選択的夫婦別姓制度導入を支持する。
  • 空間的な街を形成しないヴァーチャルなエスニック・タウンが登場している。移住者は故郷を求めるのではなく、自己と故郷をつなぐ中継点を求めて街に集まるようになった。かつてアウラを求めて渋谷にいた日本の若者も、今では街を情報アーカイヴと見なしている。都市が空間的舞台から情報アーカイヴの機能へ移行している背景には情報技術の発展があげられ、アウラを失ったみえない多文化都市が形成されつつある[2]

著書

[編集 ]
単著
  • 『広告の誕生――近代メディア文化の歴史社会学』(岩波書店, 2000年/岩波現代文庫, 2008年)修士論文における事例分析編がベース
  • 『広告都市・東京――その誕生と死』(廣済堂出版[廣済堂ライブラリー], 2002年)のち増補版、ちくま学芸文庫, 2011年
  • 『責任と正義――リベラリズムの居場所』(勁草書房, 2003年)博士論文
  • 『<意味>への抗い――メディエーションの文化政治学』(せりか書房, 2004年)
  • 『嗤う日本の「ナショナリズム」』(日本放送出版協会[NHKブックス], 2005年)
  • 『終わらない「失われた20年」――嗤う日本の「ナショナリズム」・その後』(筑摩書房 [筑摩選書] ,2018年)
  • 『社会制作の方法――社会は社会を創る、でもいかにして? 』(勁草書房[けいそうブックス] ,2018年)
共著
共編著
  • (水溜真由美・野上元)『カルチュラル・ポリティクス 1960/70』(せりか書房, 2005年)
  • (吉見俊哉)『路上のエスノグラフィ――ちんどん屋からグラフィティまで』(せりか書房, 2007年)
  • (大多和直樹)『リーディングス 日本の教育と社会(10)子どもとニューメディア』(日本図書センター, 2007年)
  • 『戦後日本スタディーズ』全3巻 岩崎稔,上野千鶴子,小森陽一,成田龍一共編著 紀伊國屋書店、2008-09
  • 『思想地図』1-5 東浩紀共編 日本放送出版協会(NHKブックス 別巻)2008-10
  • 『自由への問い 4 コミュニケーション 自由な情報空間とは何か』責任編集 岩波書店 2010
  • (神野真吾・竹田恵子)『社会の芸術/芸術という社会―社会とアートの関係、その再創造に向けて』(フィルムアート社, 2016年)

脚注

[編集 ]
  1. ^ 『限界の思考』
  2. ^ 筑摩書房『高校生のための現代思想エッセンス ちくま評論選』北田暁大「みえない多文化都市」(『文學界』二〇〇六年八月号による) 要旨
  3. ^ 諸君!』2005年12月号に仲正と八木秀次 が行ったとされる鼎談が掲載された際、北田はそれまで行われていた仲正との公開討論を打ち切った。これに対し仲正は「その内実の是非を議論しないイデオロギー的な姿勢(保守雑誌である『諸君!』に登場したこと、保守論客である八木と鼎談したこと自体を問題とする態度)」を『諸君!』2006年2月号掲載の記事「北田暁大に告ぐ 「諸君!」に出て何が悪い」及び『「分かりやすさ」の罠――アイロニカルな批評宣言』(ちくま新書))で批判した。 この件について小谷野敦「猫を償うに猫をもってせよ 2006年06月22日 訂正」で、その鼎談において、北田の指導教官だった上野千鶴子が批判されたことが北田としてはまずかったのだろうと推測している(尚、上野千鶴子は1990年代半ばまでは『諸君!』に何度か登場している)。

関連項目

[編集 ]

外部リンク

[編集 ]

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /