ケンホウ
競走馬におけるケンホウとは、
- 1952年に生まれた、父マルタケ、母鵬翼の日本の競走馬、繁殖牝馬 [1] 。3歳時に4戦3勝を挙げ、1954年の最優秀3歳牝馬を受賞した[2] 。1956年に引退し繁殖入りした。通算成績18戦5勝[1] 。
- 1959年生まれの日本の競走馬、繁殖牝馬。1962年の最優秀4歳牝馬。本項にて記述。
ケンホウ | |||
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品種 | サラブレッド | ||
性別 | 牝 | ||
毛色 | 黒鹿毛 | ||
生誕 | 1959年 2月20日 | ||
死没 | 1976年 7月 [3] | ||
父 | ヒンドスタン | ||
母 | トキノタカラ | ||
母の父 | プリメロ | ||
生国 |
日本の旗 日本 北海道 三石郡 三石町 | ||
生産者 | 本桐牧場 | ||
馬主 | 長山善建 | ||
調教師 | 藤本冨良(東京) | ||
競走成績 | |||
タイトル | 啓衆社賞最優秀4歳牝馬(1962年) | ||
生涯成績 | 14戦4勝 | ||
獲得賞金 | 822万2600円 | ||
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ケンホウ(繁殖名:健宝、1959年 2月20日 - 1976年 7月)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬・繁殖牝馬。1962年の桜花賞を優勝し、同年啓衆社賞最優秀4歳牝馬を受賞した。全兄に1961年の天皇賞(春)優勝馬ヤマニンモアーがいる。
経歴
[編集 ]1961年(3歳)12月の中山でデビューし、藤本勝彦騎乗で人気に応えた。1962年(4歳)は1月のジュニヤーC(50万下)から始動し4着、千葉4歳特別(80万下)でトーストの4連勝を阻止して2勝目を挙げる。桜花賞を目指して西下し、前哨戦のオープンは4着であった。本番は6勝目を狙う尾形藤吉厩舎のトーストが1番人気に支持されたが、4番人気のケンホウが直線を内から抜け出してトーストを交わして優勝。関東に戻ると、山岡忞騎乗で1番人気に支持された優駿牝馬は14着と大敗。勝ったのは同厩オーハヤブサで、2番人気に支持されたトーストも19着で共倒れに終わり、その後は休養。秋は古山良司とのコンビでセントライト記念から始動し5着、クイーンステークス2着→東京牝馬特別3着を経て、カブトヤマ記念で桜花賞以来の重賞2勝目を挙げる。暮れの有馬記念は7着に終わったが、同年の活躍を評価され、啓衆社賞最優秀4歳牝馬を受賞。1963年(5歳)引退。
引退後
[編集 ]引退後は1964年に「健宝」の名で繁殖入りし、8頭の産駒を送り出した。1976年7月に死亡[3] 。産駒に活躍馬はいないが、シンウルフ・ナリタハヤブサの祖母、リリーズブーケ(サファイヤステークス)[4] の曾祖母、ビッグウルフの5代母となった[3] 。なおビッグウルフ以外の3頭はいずれも、ケンホウの牝馬産駒7頭のうち6頭を牧場に置くなどこの系統を重視していた下河辺牧場 [5] の生産馬である。
競走成績
[編集 ]- 1961年(1戦1勝)
- 1962年(11戦3勝)
- 1着 - 桜花賞、カブトヤマ記念、千葉4歳特別
- 2着 - クイーンステークス
- 3着 - 東京牝馬特別
- 1963年(2戦0勝)
※(注記)太字は八大競走。
血統表
[編集 ]
脚注
[編集 ]- ^ a b ケンホウ|JBISサーチ(JBIS-Search)
- ^ 『中央競馬ダイジェスト 昭和29年秋』1955年、啓衆社、6頁
- ^ a b c 『優駿』1991年2月号、日本中央競馬会、163頁
- ^ リリーズブーケ|JBISサーチ(JBIS-Search)
- ^ 『優駿』1991年2月号、日本中央競馬会、162頁
- ^ a b c "血統情報:5代血統表|健宝|JBISサーチ(JBIS-Search)". www.jbis.or.jp. 2022年7月2日閲覧。