伊藤壇
伊藤 壇
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名前 | |||
愛称 | DANITO、TSUNAMI | ||
カタカナ | イトウ ダン | ||
ラテン文字 | ITO Dan | ||
基本情報 | |||
国籍 | 日本の旗 日本 | ||
生年月日 | (1975年11月03日) 1975年 11月3日(48歳) | ||
出身地 | 北海道 札幌市 [1] | ||
身長 | 173cm | ||
体重 | 71kg | ||
選手情報 | |||
ポジション | MF | ||
利き足 | 右足 | ||
ユース | |||
1991-1993 | 日本の旗 登別大谷高校 | ||
1994-1997 | 日本の旗 仙台大学 | ||
クラブ1 | |||
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1998-1999 | 日本の旗 ブランメル仙台/ベガルタ仙台 | 30 | (2) |
2000 | 日本の旗 札幌蹴球団 | ||
2001 | シンガポールの旗 ウッドランド・ウェリントンFC | (4) | |
2002 | オーストラリアの旗 ウエストゲートFC (英語版) | (1) | |
2003 | ベトナムの旗 FCサイゴン・ポート | ||
2004 | 香港の旗 傑志 | ||
2004 | タイ王国の旗 オーソットサパー・サラブリーFC | 4 | |
2004 | 香港の旗 傑志 | ||
2005 | マレーシアの旗 ペナンFA | (3) | |
2005-2006 | ブルネイの旗 QAF FC (英語版) | ||
2006 | モルディブの旗 クラブ・バレンシア | ||
2006 | ブルネイの旗 QAF FC | 0 | (0) |
2006 | ブルネイの旗 ブルネイDPMM FC | (0) | |
2007-2008 | ブルネイの旗 QAF FC | (12) | |
2008 | 香港の旗 屯門体育会足球隊 | 7 | (2) |
2009 | マカオの旗 名門世家加義 | 9 | (8) |
2009-2010 | インドの旗 チャーチル・ブラザーズSC | ||
2011 | ミャンマーの旗 ラカプラ・U | ||
2011-2012 | ネパールの旗 マナン・マーシャンディFC | ||
2012 | カンボジアの旗 ビルド・ブライトU (英語版) | 7 | (9) |
2013 | フィリピンの旗 グリーン・アーチャーズU | 7 | (0) |
2013 | モンゴル国の旗 エルチム | 18 | (12) |
2014 | ラオスの旗 ラオ・トヨタ | ||
2014 | → ラオスの旗 ヨタFC (英語版)(loan) | ||
2015 | ブータンの旗 ティンプーFC | ||
2016 | スリランカの旗 コロンボ (英語版) | ||
2017 | 東ティモールの旗 ポンタ・レステ (英語版) | ||
2019 | グアムの旗 NAPAローヴァーズ | 9 | (11) |
2019 | → 北マリアナ諸島の旗 Old B bank | 1 | (1) |
通算 | 92 | (65) | |
1. 国内リーグ戦に限る。2019年7月4日現在。 ■しかくテンプレート(■しかくノート ■しかく解説)■しかくサッカー選手pj |
伊藤 壇(いとう だん、1975年 11月3日 - )は、北海道 札幌市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、クラーク記念国際高等学校サッカー部監督。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
日本、シンガポール、オーストラリア、ベトナム、香港、タイ、マレーシア、ブルネイ、モルディブ、マカオ、インド、ミャンマー、ネパール、カンボジア、フィリピン、モンゴル、ラオス、ブータン、スリランカ、東ティモール、グアム、サイパンの22の国・地域のリーグでプレーした[2] [3] [4] [5] [6] 。
来歴
[編集 ]登別大谷高等学校3年時に第72回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した[1] 。葛野昌宏は高校の同級生に当たる。仙台大学を経て、1998年にブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)に入団。2年間プレーするが戦力外通告を受けた。退団後は故郷に戻り、地元の社会人チームに所属していたが、サッカー雑誌に載っていたシンガポールサッカー事情の記事を読んで海外に渡る。渡航後しばらくは現地の少年サッカーチームのコーチを務めたが、2001年にウッドランド・ウェリントンFCに所属。
2004年、香港・傑志蹴球隊所属時代に香港リーグ選抜に選出され、カールスバーグ・カップに出場した。プレシーズンマッチではACミランと対戦、勝利している。2005年に所属したマレーシアのペナンでは、「Tsunami」のニックネームで親しまれた。2006年にはブルネイオールスターゲームでMVPを獲得している。
2009年にはマカオサッカーリーグファーストディビジョンの名門世家加義に移籍。キックオフ直後にゴールを記録し、ギネス記録達成かとマカオ・香港などで大きく取り上げられた(実際の映像がビデオカメラのみであり不認定)。同年途中から2010年にかけてIリーグのチャーチル・ブラザーズでプレー。
2011年、ミャンマーナショナルリーグ (MNL) のラカプラ・ユナイテッドに移籍。さらに同シーズン中にネパールリーグ(MMC)のマナン・マルシャンディFCに移籍した。
2013年2月よりUFLのグリーン・アーチャーズ・ユナイテッドでプレーし、前期終了の4月まで8試合に出場した。契約延長の打診も受けたが、「親日の国で興味があり、以前から選択肢の中にあった」というモンゴル・リーグのエルチムに移籍することとなった[7] 。
2014年からはラオス・リーグ初の日本人選手として、ラオ・トヨタFCに移籍[8] 。その後出番を求めて、同リーグのヨタFCにレンタル移籍[9] 。また、同年アジア進出を希望する選手や指導者をサポートする「チャレンジャス・アジア」を設立[10] [1] 。
2015年、ブータンのティンプーFCと契約、日本人プロ契約選手第1号となった[3] 。同年、ドキュメンタリーフィルム「FUTEN」がアムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭 (英語版)に出品[10] 。
2016年よりエイベックス・スポーツとマネジメント業務委託契約を結び、同時にスリランカ・チャンピオンズリーグのコロンボFCに登録されたことを発表した[5] 。同年11月11日、東ティモールのASポンタ・レステ (英語版)と契約したことを発表し、20の国・地域でプレーすることになった[11] 。同年、NHKドキュメンタリー特集「ボールひとつで、どこへでも-アジアの渡り鳥 伊藤壇-」に出演し、著書「自分を開く技術」を出版[10] 。
2017年5月にASポンタ・レステとの契約を解除された。その後、無所属が続いていた時期に地元の札幌市でサッカースクール「チャレンジャス・キッズ」、「チャレンジャス・ゴールド」、「チャレンジャス・プラチナ」を開校[12] [13] [14] 。
2019年2月にグアムサッカーリーグのNAPAローヴァーズに入団が決まった[6] 。同年4月に北マリアナ諸島サッカーリーグのold B bankにレンタル移籍、翌5月の最終節をもって現役を引退した[15] 。
2020年4月よりクラーク記念国際高等学校サッカー部の初代監督に就任[16] 。
所属クラブ
[編集 ]- 1991年 - 1993年 日本の旗 登別大谷高等学校
- 1994年 - 1997年 日本の旗 仙台大学
- 1998年 - 1999年 日本の旗 ブランメル仙台/ベガルタ仙台
- 2000年 日本の旗 札幌蹴球団
- 2001年 シンガポールの旗 ウッドランド・ウェリントンFC
- 2002年 オーストラリアの旗 ウエストゲートFC (英語版)
- 2003年 ベトナムの旗 FCサイゴン・ポート
- 2004年 香港の旗 傑志
- 2004年 タイ王国の旗 オーソットサパー・サラブリーFC
- 2004年 香港の旗 傑志
- 2005年 マレーシアの旗 ペナンFA
- 2005年 - 2006年 ブルネイの旗 QAF FC (英語版)
- 2006年 モルディブの旗 クラブ・バレンシア
- 2006年 ブルネイの旗 QAF FC
- 2006年 ブルネイの旗 ブルネイDPMM FC
- 2007年 - 2008年 ブルネイの旗 QAF FC
- 2008年 香港の旗 屯門体育会足球隊
- 2009年 マカオの旗 名門世家加義
- 2009年 - 2010年 インドの旗 チャーチル・ブラザーズSC
- 2011年 ミャンマーの旗 ラカプラ・ユナイテッドFC
- 2011年 - 2012年 ネパールの旗 マナン・マーシャンディ・クラブ
- 2012年 カンボジアの旗 ビルド・ブライト・ユナイテッドFC (英語版)
- 2013年2月 - 同年4月 フィリピンの旗 グリーン・アーチャーズ・ユナイテッドFC
- 2013年5月 - 同年12月 モンゴル国の旗 エルチム
- 2014年 ラオスの旗 ラオ・トヨタFC
- 2015年 ブータンの旗 ティンプーFC
- 2016年 スリランカの旗 コロンボFC (英語版)
- 2017年 東ティモールの旗 ASポンタ・レステ (英語版)
- 2019年 グアムの旗 NAPAローヴァーズ
- 2019年4月 北マリアナ諸島の旗 old B bank(レンタル移籍)
個人成績
[編集 ]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1998 | B仙台 | 19 | 旧JFL | 23 | 2 | 4 | 0 | ||||
1999 | 仙台 | J2 | 7 | 0 | 2 | 0 | |||||
2000 | 札幌蹴球団 | 北海道 | - | ||||||||
シンガポール | リーグ戦 | リーグ杯 | シンガポール杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | ウッドランド | Sリーグ | |||||||||
オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | ウエストゲート (英語版) | ビクトリア州プレミア (英語版) | |||||||||
ベトナム | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | サイゴン・ポート | Vリーグ | |||||||||
香港 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 傑志 | 甲組 | |||||||||
タイ | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | オーソットサパー | プレミア | |||||||||
香港 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 傑志 | 香港甲組 | |||||||||
マレーシア | リーグ戦 | マレーシア杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | ペナン | マレーシア・スーパー | |||||||||
ブルネイ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | QAF (英語版) | プレミア | |||||||||
2006 | |||||||||||
モルディブ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | クラブ・バレンシア | プレミア | |||||||||
ブルネイ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | QAF | ブルネイ・プレミア | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||
シンガポール | リーグ戦 | リーグ杯 | シンガポール杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | DPMM | Sリーグ | |||||||||
ブルネイ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2007 | QAF | プレミア | |||||||||
2008 | |||||||||||
香港 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 屯門 | 香港甲組 | 7 | 2 | 7 | 2 | |||||
マカオ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | 名門世家加義 | 澳門甲組 | 9 | 8 | 9 | 8 | |||||
インド | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009-10 | チャーチル・ブラザーズ | Iリーグ | |||||||||
ミャンマー | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2011 | ラカプラ | ミャンマー・ナショナル | |||||||||
ネパール | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2011 | マナン・マーシャンディ | マーティアズメモリアルA | |||||||||
2012 | |||||||||||
カンボジア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2012 | ビルド・ブライトU (英語版) | メトフォン・C | 7 | 9 | 7 | 9 | |||||
フィリピン | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2013 | グリーン・アーチャーズU | フィリピンUFL | 7 | 0 | 7 | 0 | |||||
モンゴル | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2013 | エルチム | モンゴルL | 18 | 12 | 18 | 12 | |||||
ラオス | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2014 | ラオ・トヨタ | ラオス・プレミア | |||||||||
ヨタ (英語版) | |||||||||||
ラオ・トヨタ | |||||||||||
ブータン | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | ティンプー | A-Div. | |||||||||
スリランカ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2016 | コロンボ (英語版) | スリランカChamp. | |||||||||
東ティモール | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2016-17 | ポンタ・レステ (英語版) | LFAプリメイラ (英語版) | |||||||||
グアム | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2019 | NAPAローヴァーズ | グアムサッカーリーグ | 9 | 11 | |||||||
サイパン | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2019 | old B bank | 北マリアナ諸島1部 | 1 | 1 | |||||||
通算 | 日本 | J2 | 7 | 0 | 2 | 0 | |||||
日本 | 旧JFL | 23 | 2 | 4 | 0 | ||||||
日本 | 北海道 | ||||||||||
シンガポール | Sリーグ | ||||||||||
オーストラリア | ビクトリア州プレミア | ||||||||||
ベトナム | Vリーグ | ||||||||||
香港 | 香港甲組 | ||||||||||
タイ | TPL | ||||||||||
マレーシア | マレーシア・スーパー | ||||||||||
ブルネイ | ブルネイ・プレミア | ||||||||||
モルディブ | ディヴェヒ・プレミア | ||||||||||
マカオ | 澳門甲組 | 9 | 8 | 9 | 8 | ||||||
インド | Iリーグ | ||||||||||
ミャンマー | ミャンマー・ナショナル | ||||||||||
ネパール | マーティアズメモリアルA | ||||||||||
カンボジア | メトフォン・C | 7 | 9 | 7 | 9 | ||||||
フィリピン | フィリピンUFL | 7 | 0 | 7 | 0 | ||||||
モンゴル | モンゴルL | 18 | 12 | 18 | 12 | ||||||
ラオス | ラオス・プレミア | ||||||||||
ブータン | A-Div. | ||||||||||
スリランカ | スリランカChamp. | ||||||||||
東ティモール | LFAプリメイラ | ||||||||||
グアム | グアムサッカーリーグ | 9 | 11 | ||||||||
サイパン | 北マリアナ諸島1部 | 1 | 1 | ||||||||
総通算 |
著書
[編集 ]- 自分を開く技術 本の雑誌社 2016年1月21日
脚注
[編集 ]- ^ a b c "こんなサッカー人生もある 20カ国・地域でボールを蹴った「アジアの渡り鳥」伊藤壇". 朝日新聞 (2018年8月8日). 2018年8月13日閲覧。
- ^ 伊藤壇、カンボジアリーグ入り - スポーツ報知,2012年7月7日(2012年7月7日時点のアーカイブ)
- ^ a b 伊藤壇、ブータンのチームと契約!国と地域18番目 - 報知新聞,2015年2月28日
- ^ 元Jリーガー、アジアでプレー 16カ国、「懸け橋に」 - 共同通信,2013年5月1日
- ^ a b アジア18カ国でプレーの伊藤壇 エイベックスと契約、次の国は... - スポニチ Sponichi Annex,2016年5月2日
- ^ a b "伊藤壇、"終着駅"はグアム「平成とともに現役を終えたい」43歳「アジアの渡り鳥」が引退覚悟(スポーツ報知)". Yahoo!ニュース. 2019年3月4日閲覧。
- ^ アジア転戦 16番目はモンゴル 札幌出身の元Jリーガー 伊藤さん - 北海道新聞,2013年4月19日
- ^ アジア転戦、17番目はラオス 札幌出身の元Jリーガー伊藤 - 北海道新聞,2013年12月24日
- ^ レンタル移籍 - 伊藤壇オフィシャルブログ,2014年5月7日
- ^ a b c "伊藤壇のプロフィール". ザ・テレビジョン. 2020年1月2日閲覧。
- ^ 元仙台MF伊藤壇、東ティモールのクラブと契約 - 日刊スポーツ,2016年11月11日
- ^ "こんなサッカー人生もある 20カ国・地域でボールを蹴った「アジアの渡り鳥」伊藤壇". 朝日新聞 (2018年10月16日). 2020年1月2日閲覧。
- ^ "チャレンジャス・キッズ". 伊藤壇 (2017年10月12日). 2020年1月2日閲覧。
- ^ "「チャレンジャス・ゴールド」がスタート". 伊藤壇 (2018年1月10日). 2020年1月2日閲覧。
- ^ ""アジアの渡り鳥"伊藤壇が43歳で引退。22ヶ国でプレーした驚異のキャリアに幕". フットボールチャンネル. (2019年5月9日). https://www.footballchannel.jp/2019/05/09/post320685/ 2019年8月30日閲覧。
- ^ 砂田秀人 (2020年3月15日). "22か国プレー"アジアの渡り鳥"伊藤壇氏がクラーク高指導者に「3年で全国導く」". スポーツ報知. 2020年3月15日閲覧。
関連項目
[編集 ]- ベガルタ仙台の選手一覧
- 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧
- ルッツ・ファンネンシュティール - 世界初の6大陸全てのクラブに在籍した選手
- DJ龍太 - 小・中学時代の同級生。現在でも交流があり、番組のゲストに出演することもある
外部リンク
[編集 ]- 伊藤壇 - Soccerway.com (英語)Edit on Wikidata
- 伊藤壇 - FootballDatabase.eu (英語)Edit on Wikidata
- 伊藤壇 - WorldFootball.net (英語)Edit on Wikidata
- 伊藤壇 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)Edit on Wikidata
- 伊藤壇 - J.League Data Siteによる選手データEdit on Wikidata
- 伊藤壇 - TheFinalBall.com (英語)Edit on Wikidata
- 伊藤壇 official ブログ by ダイヤモンドブログ
- 伊藤壇 (@danito1975) - X(旧Twitter)
- 伊藤壇 (@danito1975) - Instagram ウィキデータを編集
- 伊藤壇オフィシャルブログ「DANITO」
- 旧オフィシャルブログ
- 伊藤壇オフィシャルブログ「アジアの渡り鳥」 - Ameba Blog
この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
- 日本のサッカー選手
- 日本のサッカー指導者
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- 札幌蹴球団の選手
- ウッドランド・ウェリントンFCの選手
- 傑志の選手
- オーソットサパー・サラブリーFCの選手
- ペナンFAの選手
- クラブ・バレンシアの選手
- ブルネイDPMM FCの選手
- 屯門体育会の選手
- チャーチル・ブラザーズSCの選手
- エルチムの選手
- ラオ・トヨタFCの選手
- ベトナムのクラブに所属するサッカー選手
- マカオのクラブに所属するサッカー選手
- ミャンマーのクラブに所属するサッカー選手
- ネパールのクラブに所属するサッカー選手
- カンボジアのクラブに所属するサッカー選手
- 東ティモールのクラブに所属するサッカー選手
- エイベックス・グループ所属者
- 仙台大学サッカー部の選手
- 札幌市出身の人物
- 1975年生
- 存命人物