コンテンツにスキップ
Wikipedia

今枝良臺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?"今枝良臺" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2022年4月)

今枝 良臺(いまえだ りょうたい、正保2年(1645年) - 元禄15年3月26日(1702年 4月22日))は、江戸時代前期の剣豪理方一流の流祖。号は竹榮軒、一翁と号した。名字は今枝、本姓は藤原、は良臺。今枝佐仲、藤原良臺とも。

伯耆国倉吉(現・鳥取県 倉吉市)で生まれ、父の今枝良堅今枝流を開いたので、父と江戸の伯父今枝良政から剣術を学び、柳生の新陰流兵法、起倒流柔術、柏原流(樫原流)槍術、一傳流居合術を修得した。

摂津国 高槻城主・永井直清に仕えたが、修行のため浪人。江戸小石川御徒町で道場を開き、今枝流抜刀技50本を20本に統合し「初実剣理方一流」と称した。当時江戸の3浪人と噂されたと伝えられる。

元禄15年(1702年)、58歳で死去。自ら指図した墓は江戸小石川の戸崎町の祥雲寺にあった(祥雲寺は現・東京都 豊島区 池袋3丁目に移転)。

曽祖父今枝良重が今枝流の根本を一傳流、伯耆流、疋田陰流からまとめ、養子の今枝良隆と研鑽し古伝今枝流を創り、その子の良堅が発展させた。

関連書

[編集 ]
  • 理方童子教』 今枝左仲良臺 貞享4年(1687年) 岡山大学
    抜粋「武士の子は 右に雲所の封札は刀を守り 刀は能身を守ると心得べき事にや 此守刀の徳によりて 次第ヽヽに成長し 武士と人によばれて(中略)侍の子も刀さヽぬ時は 侍とはいはず しからば 刀の徳によりて 侍といふと心得べし」
  • 『兵法破邪見咄集』 今枝良臺 同志社大学

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /