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中田篤郎

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(2010年7月)

中田 篤郎(なかた とくろう、1884年(明治17年)2月12日 - 1952年(昭和27年)12月4日)は、日本法医学者。兵庫県出身。大阪府立高等医学校(現大阪大学 医学部)卒業。

経歴

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大阪府立高等医学校卒業後、ヨーロッパへ留学。その後、1920年(大正9年)に大阪医科大学 教授に就任。1927年には小笛事件の法医鑑定を担当した[1] 1943年(昭和18年)に旧制徳島医学専門学校(現徳島大学)校長に就任。1949年(昭和24年)に初代徳島大学学長に就任[2]

著書

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  • 佐谷有吉 編「法医学と科学的犯人捜査法」『歯科及薬理学』近代社〈最新家庭医学 第10巻〉、1928年11月。 NCID BA50038563 
  • 『中田新法医学』南山堂、1941年9月。 NCID BA58884301NDLJP:1071028 

脚注

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  1. ^ 細川涼一 著「小笛事件と山本禾太郎」、京都橘女子大学女性歴史文化研究所 編『京都の女性史』思文閣出版、2002年、170頁。ISBN 978-4784211234 
  2. ^ "歴代学長". 徳島大学. 2010年7月27日閲覧。

外部リンク

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先代
-
第1代 徳島大学 学長
1949年 - 1952年
次代
児玉桂三

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