中村純雄
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中村純雄 なかむら すみお | |
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生年月日 | 1916年 1月6日 |
出生地 |
日本の旗 日本 岡山県 浅口郡 船穂村 (現・岡山県倉敷市) |
没年月日 | (1992年07月24日) 1992年 7月24日(76歳没) |
出身校 | 旧制天城中学校卒業 |
前職 | 味野町収入役 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
従五位 勲四等 瑞宝章 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1967年 - ? |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1956年 5月16日 - 1960年 4月 |
味野町長 | |
在任期間 | 1947年 - ? |
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中村 純雄(なかむら すみお、1916年 1月6日 [1] - 1992年 7月24日 [1] )は、日本の政治家。岡山県 児島市(現・倉敷市)長。
来歴
[編集 ]岡山県浅口郡船穂村(のち船穂町、現・倉敷市)の佐野家に生まれる[1] 。幼少期に児島郡赤崎村(のち赤崎町、現・倉敷市)の中村家に入る[1] 。1933年、旧制天城中学校(現・岡山県立倉敷天城中学校・高等学校)卒[1] 。卒業後は赤崎村役場に入り、書記となる[1] 。1941年に赤崎町は味野町に編入され、味野町収入役となる[1] 。1947年、味野町長となり、翌年、味野町は児島町などと合併し、児島市が発足する。これにより助役に就任する[1] 。1956年、児島市長選挙に立候補し、現職の中塚元太郎を破り、当選する[1] 。市長を1期務め、1960年の市長選挙で元職の中塚に敗れた[1] 。1967年に岡山県議会議員(自由民主党)となり、3期務める[1] 。このほか児島市消防長、児島観光協会会長などを歴任した[1] 。その後、紫綬褒章や勲四等瑞宝章を受章、没後に従五位に叙せられた[1] 。
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
参考文献
[編集 ]- 『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社、1994年。