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上妻駅

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(2021年11月)
上妻駅
こうづま
Kōzuma
今古賀 (1.3 km)
(2.4 km) 山内
地図
所在地 福岡県 八女市大字祈禱院
所属事業者 日本国有鉄道
所属路線 矢部線
キロ程 9.3 km(羽犬塚起点)
電報略号 コウ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
89人/日(降車客含まず)
-1981年度-
開業年月日 1945年(昭和20年)12月26日 [1]
廃止年月日 1985年(昭和60年)4月1日 [1]
備考
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上妻駅(こうづまえき)は、かつて福岡県 八女市大字祈禱院に置かれていた、日本国有鉄道(国鉄)矢部線(廃駅)である。矢部線の廃止に伴い、1985年(昭和60年)4月1日に廃駅となった[1]

歴史

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駅構造

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廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する無人駅であった。矢部線の開通とともに開業した駅で、当初は駅員が配置され駅舎もあったが、無人駅化後に取り壊されてホーム上に待合所が置かれるのみの簡素な駅となっていた。

現状

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駅跡地には警察官舎が建てられ[4] 、現在は八女市営上妻団地の敷地の一部となっている。

その他

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駅跡地の前を通る道路には「バルビゾンの道」という愛称が付いている。これは久留米市出身の画家坂本繁二郎の功績を讃えたものである((注記)フランスでの絵画留学から帰国した後、八女市を制作活動の拠点としていたため[注釈 1] )。坂本の死後、八女公園の一角に銅像が建てられた[8]

隣の駅

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日本国有鉄道
矢部線
今古賀駅 - 上妻駅 - 山内駅

脚注

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注釈

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  1. ^ 坂本は八女市の風景を「東洋のバルビゾン」と評している[5] 。なお、この表現は岡倉天心も用いているが、こちらは八女市とは無関係((注記)岡倉が評した地は五浦(いづら)(茨城県 北茨城市)であり[6] 、「赤倉温泉(新潟県 妙高市)を東洋のバルビゾンにする」という構想もあった[7] )である。

出典

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  1. ^ a b c d e 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』JTB、1998年、700頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ "日本国有鉄道公示第53号". 官報 . (1971年2月18日) 
  3. ^ 「通報 くろまる鹿児島本線西牟田駅ほか3駅、矢部線上妻駅ほか2駅、湯前線肥後西村駅ほか1駅及び高森線長陽駅ほか3駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1971年2月18日、4面。
  4. ^ 夕刊フクニチ新聞社・編『福岡駅風土記』 1974年 葦書房 P.159
  5. ^ 【花宗川の詩 八女筑後大木大川】(4)アトリエ跡 繁二郎が愛した風景」『西日本新聞』2017年10月6日。オリジナルの2021年5月15日時点におけるアーカイブ。2023年4月3日閲覧。
  6. ^ "台東区ゆかりの巨匠たち 岡倉天心 -茨城県五浦のこの地において、新たな芸術運動が始まりました。-". 台東区文化探訪アーカイブス. 台東区・早稲田大学メディアデザイン研究所 (2017年8月7日). 2023年4月3日閲覧。
  7. ^ "「東洋のバルビゾン」赤倉温泉". 赤倉温泉の歴史. 赤倉温泉観光協会. 2023年4月3日閲覧。
  8. ^ "坂本繁二郎銅像(八女公園)". 福岡県観光WEB クロスロードふくおか. 福岡県観光連盟. 2023年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月3日閲覧。

参考文献

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  • 『国鉄全線各駅停車10 九州720駅』(小学館、1983年)

関連項目

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