ワジマ
ワジマ | |||
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スペンドスリフトファームにて(1981年) | |||
欧字表記 | Wajima | ||
品種 | サラブレッド | ||
性別 | 牡 | ||
毛色 | 鹿毛 | ||
生誕 | 1972年 3月8日 | ||
死没 | 2001年 8月27日(29歳没) | ||
父 | Bold Ruler | ||
母 | Iskra | ||
母の父 | Le Haar | ||
生国 | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | ||
生産者 | Claiborne Farm | ||
馬主 | East-West Stable | ||
調教師 | Stephen A. DiMauro(アメリカ) | ||
競走成績 | |||
生涯成績 | 16戦9勝 | ||
獲得賞金 | 53万7837ドル | ||
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ワジマ(Wajima)は、
- 日本で生産、調教された、アングロアラブの競走馬。74戦11勝。[1]
- アメリカで生産、調教された、サラブレッドの競走馬、種牡馬。現役時代はG1を4勝し、1975年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬に選出された。本項で説明する。
経歴
[編集 ]デビュー前
[編集 ]ワジマはケンタッキー州パリスにある、ブル・ハンコック(Arthur B. Hancock)が所有するクレイボーンファームで生まれた。父はアメリカの偉大な種牡馬ボールドルーラー、母イスクラはフランス産馬で、その父はフランスの名種牡馬ルアール(Le Haar)だった。1歳時に当時のレコードである60万ドル(2015年現在の320万ドル相当)で購入され[2] 、ジェームズ・ウェルチ、ジェームズ・A・スカリー、ハロルド・I・シュナイダー、そして日本有数の生産者である吉田善哉の4人が共同で所有した[3] 。馬名は日本の大相撲の力士である輪島大士にちなんで命名された。彼らはイーストウェストステーブルの名義でワジマを所有し、調教はステファン・A・ディマウロ(Stephen A. DiMauro)調教師が手がけた。
1974年(2歳時)
[編集 ]2歳時は4戦2勝。おもな戦績としては11月のローレルフューチュリティ(Laurel Futurity Stakes)でレコード勝ちしたランジョルール(L'Enjoleur)の2着に入ったことが挙げられる[4] 。
1975年(3歳時)
[編集 ]シーズン序盤は脚部不安に苦しみ、アメリカクラシック三冠には出走できなかった。6月に復帰し、4戦した後、7月19日のボウル競馬場で行われた9ハロン戦のメリーランダーハンデキャップでステークス初勝利をコースレコードで飾った。ワジマはその後モンマスハンデキャップとトラヴァーズステークスなど、重要なステークス競走を4連勝した。ベルモント競馬場で行われたガヴァナーステークス(Governor Stakes)では、その年のケンタッキーダービー勝ち馬フーリッシュプレジャーに加え、前年の年度代表馬フォアゴーと後に殿堂入りを果たすエンシェントタイトル(Ancient Title)を破って勝利した[5] 。ワジマの戦績で最も重要なレースとなった、9月13日にベルモント競馬場で行われた、10ハロン戦のマールボロカップで再びフォアゴーを破って勝利。ニューヨーク・タイムズは"Wajima Now Rated A 600,000ドル Bargain(今のワジマなら60万ドルはお買い得)"と題した記事を掲載した[6] 。
9月の終わりにはワジマに当時の世界記録となる720万ドル(現在の3170万ドル相当)でシンジケートが組まれた。レスリー・コームズ2世(Leslie Combs II)が主催したシンジケートは1株あたり20万ドル、合計36株で構成され、共同オーナーの4人がそのうち21株を保有した[7] 。その他のシンジケート株購入者には、カーディフスタッドファーム、ジョン・C・メイビー(John C. Mabee)、アーロン・U・ジョーンズ、ジョージ・R・ガーディナー(George R. Gardiner)、ロバート・サングスター(Robert Sangster)、バートラム&ダイアナ・ファイアーストーン(Bertram and Diana Firestone)といった、アメリカや世界の著名な生産者が含まれていた[8] 。
ワジマはその後9月27日のウッドワードステークス、10月25日のジョッキークラブゴールドカップで2着となり、11月上旬にオーナーから引退が発表された。年末にはその年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬に選出された。
引退後
[編集 ]ワジマはケンタッキー州レキシントンにあるレスリー・コームズ2世が所有していたスペンドスリフトファームで種牡馬入りした。17世代の産駒からは4頭のグレード競走勝ち馬を含む26頭のステークスウィナーを送り出すにとどまり、種牡馬成績は多大な期待には遠く及ばないものだった。代表産駒には、カナダのクイーンズプレートとアメリカの重賞に勝利し、1984年のカナダ最優秀3歳牡馬となったキートゥザムーン(Key to the Moon)が挙げられる。
1987年にケンタッキー州パリスのストーンファーム(Stone Farm)へ移動。1992年に種牡馬を引退し、2001年8月27日に老衰のため安楽死の処置がとられた。遺体はストーンファームに埋葬された[9] 。
血統表
[編集 ]黒鹿毛 フランス Fastnet Pharos
- 半兄Naskraは重賞2勝、ベルモントステークス3着など。種牡馬としてG1馬を多数出して成功した。[11]
- 伯母のLezghinkaはヴェルメイユ賞など重賞3勝。[12]
脚注
[編集 ]- ^ ワジマ|JBISサーチ(JBIS-Search)
- ^ GET LOST, CINDERELLA, WAJIMA'S IN FRONT
- ^ Claiborne Will Race Again
- ^ L'Enjoleur Is Winner At Laurel; Hula Chief Is First
- ^ St. Petersburg Times - Google News Archive Search
- ^ Wajima Now Rated A 600,000ドル Bargain
- ^ 7ドル.2-Million for 36 Shares Is Record; 7ドル.2-Million Syndication For Wajima
- ^ The Spokesman-Review - Google News Archive Search
- ^ Wajima, record yearling and champion, dead at 29
- ^ a b c 日本軽種馬協会 Japan Bloodstock Information System Wajima(USA) 5代血統表2016年2月20日閲覧。
- ^ Naskra(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)
- ^ Lezghinka(FR)|JBISサーチ(JBIS-Search)
参考
[編集 ]- Wajima(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search) - 血統表など