コンテンツにスキップ
Wikipedia

ルイ2世 (ヴァンドーム公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?"ルイ2世" ヴァンドーム公 – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2016年10月)
ルイ2世・ド・ブルボン
Louis II de Bourbon
ヴァンドーム公
ヴァンドーム公ルイ2世、1630年
在位 1665年 - 1669年

出生 1612年 10月
フランス王国
パリ
死去 1669年 8月6日
フランス王国
エクス=アン=プロヴァンス
配偶者 ラウラ・マンチーニ
子女 ルイ・ジョゼフ
フィリップ
ジュール・セザール
家名 ブルボン家
父親 ヴァンドーム公セザール
母親 フランソワーズ・ド・ロレーヌ
役職 枢機卿(1667年)
テンプレートを表示
ルイ・ド・ブルボン
ヴァンドーム枢機卿
聖職
枢機卿任命 1667年
テンプレートを表示

ルイ・ド・ブルボン(Louis(II)de Bourbon, duc de Vendôme, 1612年 10月 - 1669年 8月6日)は、フランスの貴族・廷臣・聖職者。フランス王アンリ4世の孫息子の1人。ヴァンドーム公爵エタンプ公爵、メルクール公爵パンティエーヴル公爵(在位:1665年 - 1669年)。

生涯

[編集 ]

アンリ4世の庶長子であるヴァンドーム公セザールと、メルクール公フィリップ=エマニュエルの娘で相続人フランソワーズの長男でボーフォール公フランソワの兄。軍人となり1640年にはプロヴァンス地方の知事となった。1651年 2月4日ジュール・マザラン 枢機卿の姪で「マザリネット」の1人であるラウラ・マンチーニと結婚した。

1657年に妻ラウラが第3子を出産した際に亡くなると、ルイは聖職者となり、1667年には枢機卿となって「ヴァンドーム枢機卿(cardinal de Vendôme)」と呼ばれた。1669年のルイの死後、幼い息子達は義妹のブイヨン公爵夫人マリア・アンナ・マンチーニに引き取られた。

子女

[編集 ]

妻ラウラとの間に3人の息子をもうけた。

脚注

[編集 ]

参考文献

[編集 ]

関連項目

[編集 ]
先代
フランソワーズ
セザール
メルクール公
1649年 - 1669年
次代
ルイ・ジョゼフ
先代
セザール
ヴァンドーム公
1665年 - 1669年
次代
ルイ・ジョゼフ
先代
セザール
パンティエーヴル公
1665年 - 1669年
フランソワーズ・ド・ロレーヌと共治
次代
ルイ・ジョゼフ

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /