ペドロ・ラモン
ペドロ・ラモン(Pedro Ramon、1550年 - 1611年 8月)は、スペインのイエズス会 宣教師 [1] [2] 。
経歴・人物
[編集 ]サラゴサに生まれ[1] 、1577年(天正5年)に同じイエズス会士だったポルトガル出身のディオゴ・デ・メスキータと共に来日する[1] [2] 。その後は豊後の臼杵にて修練長等を歴任し布教活動を行い[1] [2] 、1591年(天正19年)には肥前の雲仙にてセミナリヨの院長を務めた[1] 。1595年(文禄4年)には一度離日しマカオに移住するも[1] [2] 、1599年(慶長4年)に再来日する。
再来日後は博多の住院上長となり[1] 、1611年(慶長16年)に長崎で死去するまで日本人の修道士育成や各地の布教活動[1] [2] 、当時滞日していたイエズス会日本準管区長ペドロ・ゴメスがラテン語で著した『講義要綱』等の修養書の翻訳に携わった[1] 。
脚注
[編集 ]カトリックの来日宣教師(1549年 - 18世紀) | |
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