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フィリップ・ミナリク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フィリップ・ミナリク
基本情報
国籍 チェコの旗 チェコ共和国
出身地 チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア社会主義共和国プラハ
生年月日 (1975年03月10日) 1975年 3月10日
死没 (2023年09月04日) 2023年 9月4日(48歳没)
身長 169cm[1]
体重 51kg[1]
騎手情報
初免許年 1991年( チェコ)
1997年(ドイツの旗 ドイツ)
免許区分 平地競走
騎手引退日 2020年
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フィリップ・ミナリク(Filip Minarik1975年 3月10日 [1] - 2023年 9月4日 [2] )は、ドイツの元騎手である。チェコプラハ出身[3] 。騎手時代にドイツで4度のリーディングを獲得した名手[4]

来歴

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1975年3月10日、旧チェコスロバキア社会主義共和国の首都プラハで生まれる。チェコのリーディングジョッキーだった父の影響で幼少期より騎手を志す。1991年9月、同国にて16歳で騎手デビュー[3] 1997年、ドイツの騎手免許を取得[1] 2004年、ケーニヒスティーゲリュでイタリアグランクリテリウムを制し、G1初制覇。2005年はドイツの名伯楽ペーター・シールゲン 調教師主戦騎手として110勝を挙げ、初のドイツリーディングを獲得した。以降もドイツの大レースを次々と制覇し[5] 2018年までに4度リーディングの座についた[3]

2014年ジャパンカップアイヴァンホウに騎乗するため初来日。パドックから地下馬道を通って本馬場に出た瞬間、本人曰く「サッカーワールドカップのような雰囲気」に感動し[3] JRA短期騎手免許取得を熱望するようになる。アンドレアシュ・シュタルケを通して関係者へのコネクションを作り、2017年のドイツリーディング獲得で申請が認められ[6] 2018年 2月7日から4月2日の期間で初めて短期騎手免許を取得した(身元引受調教師は加藤征弘、契約馬主は吉澤克己)[7] 。同年2月11日、東京1Rをウインメディウムで制し、JRA初勝利を挙げた[8]

2018年はJRA9勝。翌年以降も継続して短期騎手免許を取得し、2019年は11勝、2020年は9勝を挙げた[9]

2020年7月3日、ドイツのマンハイム競馬場でのレースで落馬。命に別状はないと診断されたものの、一時意識不明の重体に陥った[10] 。4ヶ月間の治療の末に退院したものの騎手復帰は不可能となり、引退することになった[11]

騎手引退後も競馬場など公の場には姿を現していたが[12] 、2023年9月4日に自殺した。48歳没。ドイツメディアの報道によると重度のうつ病を患っていたという[2]

人物

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  • 茶のいれ方を学んでいるほどの日本茶愛好家である[13]
  • 2017年の第37回ジャパンカップ(JC)の際は、同じくJCで騎乗したダニエレ・ポルクと同じ飛行機で来日。元々ポルクとは大親友であり、ポルクとは「また一緒に日本に乗りに来よう」と語っていたが、直後にポルクが末期がんに侵されていることが発覚、翌年1月にポルクは逝去した。死後ポルクの鞍を遺族から譲り受けたミナリクは、その鞍をレースでも使用していた[14]
    • しかし2020年、日本に短期免許で来日した際に、そのポルクの鞍が壊れていることが発覚。補修業者からは「もう寿命」と言われたが、前述のような事情があることからミナリクは「なんとか補修できないか」と要望し、結局新品の鞍と合体させる形で再度使用できる状態にまで修復された[14]
    • またこのとき、合わせてソメスサドル製の鞍を購入し、帰国後も愛用していた。落馬事故でキャリアを絶たれた際に、この鞍を後輩のレネ・ピーヒュレクに譲った。ピーヒュレクは2021年の凱旋門賞ではこの鞍でトルカータータッソに騎乗し、優勝した[15]

騎乗成績

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日本

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日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗

重賞初騎乗 GI初騎乗

2014年11月30日 5回東京9日目11R ジャパンカップ アイヴァンホウ 18頭 12 6着
初勝利 2018年2月11日 1回東京5日目1R 3歳未勝利 ウインメディウム 16頭 6 1着

G1勝ち鞍

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レーシング・ポスト電子版のデータベース[16] に基づく。

(2018年時点で存在の)ドイツG1はドイチェスダービーのみ未勝利だった[17]

脚注

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  1. ^ a b c d フィリップ・ミナリク騎手に短期騎手免許交付. 競馬のおはなし(2020年1月3日付). 2023年9月5日閲覧
  2. ^ a b Filip Minarik lebt nicht mehr – Deutschlands Rennsport trauert. Galopponline.de(2023年9月5日付). 同日閲覧
  3. ^ a b c d 【フィリップ・ミナリク騎手(前編)】日本大好き!急須で緑茶、デパ地下で買い物 驚異の対応力持つドイツの名手 F.ミナリク騎手(3P). 競馬ラボ(2018年3月21日付). 2019年1月21日閲覧
  4. ^ "元ドイツのトップ騎手ミナリクさん死去 20年に落馬、JCなど日本でも騎乗". 日刊スポーツ (2023年9月5日). 2023年10月22日閲覧。
  5. ^ 【世界の騎手列伝 vol.113】フィリップ・ミナリク. UMA-JiN(2017年12月7日付). 2019年1月21日付
  6. ^ 【フィリップ・ミナリク騎手(前編)】日本大好き!急須で緑茶、デパ地下で買い物 驚異の対応力持つドイツの名手 F.ミナリク騎手(1P). 競馬ラボ(2018年3月21日付). 2023年9月5日閲覧
  7. ^ フィリップ・ミナリク騎手、ライアン・ムーア騎手、ダリオ・バルジュー騎手に短期免許. netkeiba.com(2018年2月7日付). 2023年9月6日閲覧
  8. ^ フィリップ・ミナリク騎手がJRA初勝利. サンケイスポーツ(2018年2月11日付). 2019年1月21日閲覧
  9. ^ F.ミナリクの年度別成績 | 騎手データ - netkeiba.com. netkeiba.com. 2023年9月5日閲覧
  10. ^ ミナリク騎手が落馬負傷、命に別状なしと現地紙報道. 日刊スポーツ(2020年7月4日付). 2021年4月15日閲覧
  11. ^ ミナリク騎手、記憶が戻るも騎手復帰はほぼ不可能. ジャパン・スタッドブック・インターナショナル(2020年11月19日付). 2021年4月15日閲覧
  12. ^ ミナリク元騎手、ドバイワールドカップデーでの注目は「矢作厩舎のジャスティン」【小泉恵未コラム】. 東京中日スポーツ(2023年3月23日付). 2023年9月5日閲覧
  13. ^ "ドイツの名手ミナリク いつでも日本に夢中?趣味も渋い". スポーツニッポン. (2019年1月4日). https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2019/01/04/kiji/20190103s00004048327000c.html 2019年3月9日閲覧。 
  14. ^ a b 今週末が日本での最後の騎乗になるかもしれない外国人騎手の亡き親友との後日談 - Yahoo!Japanニュース・2020年3月25日
  15. ^ "日本馬より、日本騎手より先に、日本の馬具が凱旋門賞連覇!ミナリクとピーヒュレクの友情の奇跡". 中日新聞. (2021年10月9日). https://www.chunichi.co.jp/article/344868 2023年8月6日閲覧。 
  16. ^ Filip Minarik | Statistical Summary. Racing Post. 2023年9月5日閲覧
  17. ^ 【フィリップ・ミナリク騎手(後編)】日本大好き!急須で緑茶、デパ地下で買い物 驚異の対応力持つドイツの名手 F.ミナリク騎手(6P). 競馬ラボ(2018年3月28日付). 2023年9月5日閲覧

関連項目

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