ビウィッチ
ビウィッチ | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1945年 |
死没 | 1959年 |
父 | ブルリー |
母 | Potheen |
生国 | アメリカ |
生産者 | カルメットファーム |
馬主 | カルメットファーム |
調教師 |
Ben A.Jones(アメリカ) →H.A.Jones(アメリカ) |
競走成績 | |
生涯成績 | 55戦20勝 |
獲得賞金 | 462,605ドル |
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ビウィッチ (Bewitch) はアメリカ合衆国の競走馬。馬名は「魔法をかける、魅惑する」の意。「20世紀のアメリカ名馬100選」では89位に選ばれている。
戦績
[編集 ]ビウィッチは1945年にカルメットファームで生まれた。この年の同牧場の生産馬にはほかにサイテーション、コールタウンがおり、3頭全てが殿堂入りするという当たり年であった。
2歳4月にキーンランドでのデビュー戦を楽勝すると、2戦目では出遅れと直線での不利を克服して優勝。続くデビュータントステークスを8馬身差で圧勝し、ステークスウイナーの仲間入りを果たすと、ハイドパークステークス、ポリアンナステークス、アーリントンラッシーステークス、プリンセスパットステークスと怒涛の7連勝でワシントンフューチュリティーに臨んだ。ここで同厩のサイテーションとの対戦となり、結果は勢いに勝るビウィッチが1馬身差で勝利。サイテーションにとっては2歳時唯一の黒星となった。
続くメイトロンステークスでは1着入線も、進路妨害により最下位降着となってしまい、連勝は8でストップしてしまう。2歳最終戦となったフューチュリティステークスはサイテーションに雪辱を許し3着に敗れるが、この年の最優秀2歳牝馬に選出された。
3歳時はアッシュランドステークスに勝利した後、ソエで休養を余儀なくされるが、復帰後はモデスティーステークス、クレオパトラステークスと連勝し、シーズン最終戦となったアートフルハンデキャップにも優勝した。
4歳時は勝ちきれないレースを続けていたが、シーズン後半から力を出し始め、ミスティーアイルハンデキャップを勝つと、ビヴァリーハンデキャップでは当時のマイルの牝馬世界レコードで優勝。この後ベルデイムハンデキャップとレディースハンデキャップでは2着に敗れたものの、シーズン最終戦のヴァインランドハンデキャップを勝ち、この年の最優秀古牝馬に選ばれた。
5歳時は、ブラックヘレンハンデキャップに勝利。ビウィッチにとって最も長い距離の勝利となったが、全体的に精彩を欠いていた。同じ頃、ビウィッチの生産者であったウォーレン・ライトの訃報が訪れた。ライトは生前に「ビウィッチを賞金女王にしたい」という意向を示していたため、その意に従いビウィッチは翌年も現役を続けることになった。
そして6歳のラストシーズン。ヴァニティーインビテーショナルハンデキャップなど2勝をあげたビウィッチは、ハリウッドゴールドカップでサイテーションの2着となり、遂に賞金女王の座についた。このレースで燃え尽きたのか、後は5戦して5着が最高着順で、ワシントンパークハンデキャップを最後に引退した。引退後は繁殖牝馬となるが、子出しが悪く産駒は2頭にとどまり、いずれも競走馬になる前に死んでいる。
1959年に死亡した。
評価
[編集 ]主な勝鞍
[編集 ]- 1947年(2歳) - ワシントンパークフューチュリティ、アーリントンワシントンラッシーステークス、ポリアンナステークス、プリンセスパットステークス、ハイドパークステークス、デビュータントステークス
- 1948年(3歳) - アッシュランドステークス、モデスティーステークス、クレオパトラステークス、アートフルハンデキャップ
- 1949年(4歳) - ミスティーアイルハンデキャップ、ビヴァリーハンデキャップ、ヴァインランドハンデキャップ
- 1950年(5歳) - ブラックヘレンハンデキャップ
- 1951年(6歳) - ヴァニティーインビテーショナルハンデキャップ
年度代表馬
[編集 ]- 1947年 - 全米最優秀2歳牝馬
- 1949年 - 全米最優秀古牝馬
表彰
[編集 ]- 1977年 - アメリカ競馬名誉の殿堂博物館に殿堂馬として選定される。
- 1999年 - ブラッド・ホース誌の選ぶ20世紀のアメリカ名馬100選において第89位に選出される。
血統表
[編集 ]1916 黒鹿毛 アメリカ Ballot Voter
外部リンク
[編集 ]- 競走馬成績と情報 JBISサーチ
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