ジョヴァンニ・バッティスタ・ドラーギ
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョヴァンニ・バッティスタ・ドラーギ(Giovanni Battista Draghi, 1640年ごろ - 1708年)は、盛期バロック音楽のイタリア人 作曲家、鍵盤楽器のヴィルトゥオーソ。現在はハープシコードの作曲家として記憶されている。同時代のオラトリオ作曲家アントニオ・ドラーギ(Antonio Draghi, (1634年 - 1700年)とは別人。
1660年代にチャールズ2世の招きでロンドンに渡り、オペラ作曲家として名を揚げようとするも果たせなかった。1673年にサマセット・ハウスの王妃の礼拝堂で初代オルガニストに就任。1684年に、「オルガン紛争 the Battle of the Organs」と呼ばれた事件の当事者となる。オルガン職人の親方レナタス・ハリスと、そのライバルのバーナード・スミス「親爺」が、テンプル教会のオルガン建設の権利をめぐって、それぞれの楽器のデモンストレーションを行うのに、ハリスはドラーギを、スミスはジョン・ブロウとパーセルを雇ったのである。勝者はスミスであった。
外部リンク
[編集 ] スタブアイコン
この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。