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カール・フォン・クロイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カール・フォン・クロイ
Carl von Croÿ
第12代クロイ公
在位 1902年 2月8日 - 1906年 9月28日

出生 (1859年01月29日) 1859年 1月29日
ベルギーの旗 ベルギーブリュッセル
死去 (1906年09月28日) 1906年 9月28日(47歳没)
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国ヘルツェグサーントー (ドイツ語版)、カラパンチャ城
配偶者 マリー・ルドミラ・フォン・アーレンベルク
子女 カール・ルドルフ
イザベラ
エンゲルベルト
アントン
家名 クロイ家
父親 第11代クロイ公ルドルフ
母親 ナタリー・ド・リーニュ
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カール・アルフレート・フォン・クロイ(Carl Alfred Herzog von Croÿ 1859年 1月29日 - 1906年 9月28日)は、ドイツヴェストファーレン地方のシュタンデスヘル。第12代クロイ公爵。スペインのグランデ [1]

生涯

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12世紀前半にフランスのピカルディ地方のポンテュー伯爵領から身を起こし[2] 、1598年にフランス王アンリ4世から公爵位を授けられた上級貴族クロイ家の当主ルドルフ・フォン・クロイ公爵と、その妻でリーニュ公ウジェーヌ1世の娘ナタリー(1835年 - 1863年)の間の第4子、長男として生まれた[3] 。1902年、父の死に伴ってデュルメンのシュタンデスヘル領、及び1854年より一族に授けられていたプロイセン貴族院の世襲議員席[1] を受け継いだ。

1888年4月25日にブリュッセルにおいて、アーレンベルク公エンゲルベルト・アウグストの娘マリー・ルドミラ(1870年 - 1953年)と結婚し、間に3男1女をもうけた[4]

  • カール・ルドルフ(1889年 - 1974年) - 第13代クロイ公爵、1913年にナンシー・リーシュマン[5] と結婚(1922年離婚)、1924年にヘレン・ルイスと再婚(1931年離婚)、1933年にマリー・ルイーゼ・ヴィースナーと三婚(1945年死別)、1949年にヒルデガルト・フォン・ゲラールと四婚
  • イザベラ(1890年 - 1982年) - 1912年、バイエルン王子フランツと結婚
  • エンゲルベルト(1891年 - 1974年) - 1929年、シュヴァルツェンベルク侯女マリー・ベネディクテと結婚
  • アントン(1893年 - 1973年) - 1922年にロザリー・フォン・ハイデン=リンデンと結婚(1942年死別)、1944年にクロイ公女ヴィルヘルミーネと再婚

引用・脚注

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  1. ^ a b Genealogisches Handbuch des Adels, Band Fü 2, Seite 95, C.A. Starke-Verlag, Glücksburg, 1953.
  2. ^ Archives de la Somme in Amiens.
  3. ^ Genalog. Handbuch, aaO. Seite 96.
  4. ^ Genealog. Handbuch des Adels, Band Fü V, Seite 131, C.A. Starke-Verlag, Limburg, 1959.
  5. ^ 駐伊・駐独アメリカ大使ジョン・リーシュマン (英語版)の娘。
先代
ルドルフ
クロイ公
1902年 - 1906年
次代
カール・ルドルフ

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