カンボージャ
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カンボージャ(サンスクリット: कम्बोज Kamboja)は、古代の西北インド一帯にいた部族、または国家。
仏典の一部(『長阿含経』中の「闍尼沙経」やアングッタラ・ニカーヤ)においてカンボージャは十六大国のひとつとされる[1] 。
カンボージャの位置は正確にはわからないが、ガンダーラと併称されており、おそらくインダス川の西北方にあったと考えられる[2] 。インドの諸文献ではカンボージャ人を粗暴野卑とする[2] 。
『マハーバーラタ』ではラージャプラ (Rajapura (Kamboja)) をカンボージャ人の都市としてあげる[2] 。『大唐西域記』の「遏羅闍補羅国」はラージャプラの音写であり、現在のRajaori(ジャンムー・カシミール州 ラージャウリー)にあたる[3] 。
アショーカ王碑文では北西辺境の民族名としてカンボージャとヨーナの名が記されている。ヨーナはギリシア人のことであり、カンボージャはイラン系民族を指したと考えられる[4] 。カンビュセスの名もカンボージャと関連するという説がある[4] [5] 。カーブル川左岸の民、あるいはアラム語(アケメネス朝の行政言語であった)で書かれたアショーカ王碑文が対象とした人々と考えられている[6] 。
脚注
[編集 ]- ^ 中村(1997) p.353
- ^ a b c 中村(1997) p.382
- ^ 水谷訳注(1999) p.115
- ^ a b 定方(2007) p.127
- ^ Muhammad A. Dandamayev (1990), "CAMBYSES", イラン百科事典 , Vol. IV, Fasc. 7, pp. 726-729, http://www.iranicaonline.org/articles/cambyses-opers
- ^ Pierfrancesco Callieri (2004), "INDIA ii. Historical Geography", イラン百科事典 , Vol. XIII, Fasc. 1, pp. 8-10, http://www.iranicaonline.org/articles/india-ii-historical-geography
参考文献
[編集 ]- 定方晟「外来民族王朝の興亡」『南アジア史1』山川出版社〈世界歴史大系〉、2007年、126-162頁。ISBN 9784634462083。
- 中村元『インド史I』春秋社〈中村元選集5〉、1997年。ISBN 4393312058。
- 水谷真成 訳『大唐西域記2』平凡社東洋文庫、1990年。ISBN 4582806554。