コンテンツにスキップ
Wikipedia

エドゥアルド・ドス・レイス・カルヴァーリョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はドス・レイス、第二姓(父方の姓)はカルヴァーリョです。
エドゥアルド
名前
本名 エドゥアルド・ドス・レイス・カルヴァーリョ
Eduardo dos Reis Carvalho
ラテン文字 Eduardo
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 (1982年09月19日) 1982年 9月19日(42歳)
出身地 ミランデラ
身長 188cm
体重 89kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1992-1996 ポルトガルの旗 ミランデーラ
1996-1997 ポルトガルの旗 ヴィトーリア・ギマランイス
1997-1998 ポルトガルの旗 ミランデーラ
1998-2001 ポルトガルの旗 ブラガ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2006 ポルトガルの旗 ブラガB 113 (0)
2006-2010 ポルトガルの旗 ブラガ 60 (0)
2007 ポルトガルの旗 ベイラ・マル (loan) 15 (0)
2007-2008 ポルトガルの旗 ヴィトーリア・セトゥーバル (loan) 30 (0)
2010-2014 イタリアの旗 ジェノア 37 (0)
2011-2012 ポルトガルの旗 ベンフィカ (loan) 1 (0)
2012-2013 トルコの旗 イスタンブールBB (loan) 33 (0)
2013-2014 ポルトガルの旗 ブラガ (loan) 29 (0)
2014-2016 クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ 70 (0)
2016-2019 イングランドの旗 チェルシー 0 (0)
2018-2019 オランダの旗 フィテッセ (loan) 27 (0)
2019-2020 ポルトガルの旗 ブラガ 4 (0)
通算 419 (0)
代表歴
2004 ポルトガルの旗 ポルトガル U-21 2 (0)
2009-2016 ポルトガルの旗 ポルトガル 36 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
しかくテンプレート(しかくノート しかく解説)しかくサッカー選手pj

エドゥアルド・ドス・レイス・カルヴァーリョ(Eduardo dos Reis Carvalho、1982年 9月19日 - )は、ポルトガルミランデラ出身の元サッカー選手。元ポルトガル代表。現役時代のポジションGK

経歴

[編集 ]

クラブ

[編集 ]

SCブラガの下部組織の出身だが、キムパウロ・サントスの影に隠れ、23歳までリザーブチームでの生活を強いられた。飛躍のきっかけとなったのは、2007-2008シーズンのタッサ・ダ・リーガであり、当時レンタルで所属していたヴィトーリアFCの優勝に貢献し、大会MVPに輝いた。

2010年にはアーセナルFCへの移籍も噂されたが[1] 7月8日マルコ・アメリアACミランに放出していたジェノアCFCへ完全移籍した[2] 。ジェノアは移籍金450万ユーロを支払って保有権の75%を獲得している。

ジェノアでは37試合に出場し、レギュラーとしてプレー。失点こそ前シーズンに比べて減少(61→47)したもののチームは10位に終わり、さらに時折無謀な飛び出しが目立ったために首脳陣の信頼を得ることはできなかった。2011-12シーズンは3年ぶりのUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得を目指し、ACFフィオレンティーナからセバスティアン・フレイを獲得。構想外となり、SLベンフィカへレンタル移籍し母国に復帰した。しかし、前年にSCブラガの正GKとしてUEFAヨーロッパリーグで準優勝したアルトゥール・モラエスの控えに甘んじ出場機会はなかった。

2012年より、トルコイスタンブールBBでプレーする。

2014年6月27日、クロアチアのディナモ・ザグレブに移籍した[3]

2016年8月25日、チェルシーFCに移籍した[4] ティボ・クルトワアスミル・ベゴヴィッチに次ぐ第3GKとして加入した。2016-2017シーズンは出場機会は無かったが、2017年5月23日に契約を1年間延長した[5]

2018年7月6日、フィテッセに出場機会を求めてレンタル移籍した[6]

2019年、ブラガに復帰。2019-20シーズン終了後に現役引退を表明した。

代表

[編集 ]

前述のセトゥーバルでの活躍は当時のルイス・フェリペ・スコラーリ ポルトガル代表監督も注目していたが、EURO2008のエントリーメンバーには選ばれなかった。2008-09シーズンからはブラガに復帰し、ポルトガル代表にも招集されるようになる。当初はリカルド・ペレイラに代わって定位置を確保したキムの控えだったが、2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選序盤戦ではキムの不安定なプレーが続き、2009年 3月28日スウェーデン戦からスタメンで起用されて以降、好パフォーマンスを披露。ボスニア・ヘルツェゴビナとのプレーオフでも2試合通じて無失点に抑え、2010 FIFAワールドカップ本大会進出に貢献した。その後、ベトジョゼ・モレイラダニエル・フェルナンデスエンリケ・イラーリオ等との激しい争いの末、代表メンバーに選出され更に正GKを任される。本大会では4試合で1失点と奮闘したものの、チームは決勝トーナメント1回戦でスペインに敗れ、ベスト16に終わった。

2011年に入るとルイ・パトリシオに定位置を譲るようになっている。

2014 FIFAワールドカップのメンバーに選出された。自身はパトリシオ、ベトに次ぐ3番手であったが、第3戦のガーナ戦で後半44分からベトと交代してピッチに入り、チームの勝利に貢献した。

タイトル

[編集 ]
ヴィトーリア・セトゥーバル
ブラガ
ベンフィカ
ディナモ・ザグレブ
チェルシーFC

脚注

[編集 ]
  1. ^ ポルトガル代表GKがアーセナルへ?Goal.com、2010年7月5日
  2. ^ ポルトガルの守護神がジェノアへUEFA.com、2010年7月8日
  3. ^ "Veliko pojačanje na golu: Eduardo potpisao za Dinamo!" (クロアチア語). gnkdinamo.hr (2014年6月27日). 2018年5月2日閲覧。
  4. ^ "チェルシーに新戦力 ポルトガル代表35キャップのベテランGKが加入". サッカーキング. (2016年8月26日). https://www.soccer-king.jp/news/world/eng/20160826/484641.html 2018年5月2日閲覧。 
  5. ^ "チェルシー、第3GK務めるポルトガル代表GKエドゥアルドと1年の契約延長". 超ワールドサッカー (2017年5月24日). 2018年5月2日閲覧。
  6. ^ "Doelman Eduardo naar Vitesse" (オランダ語). Vitesse.nl (2018年7月6日). 2018年7月6日閲覧。
 
ポルトガル代表 - 出場大会

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /