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エクトル・ラウル・クーペル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エクトル・クーペル
2018年のクーペル
名前
本名 エクトル・ラウル・クーペル
Héctor Raul Cúper
ラテン文字 Héctor Cúper
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1955年11月16日) 1955年 11月16日(68歳)
出身地 チャバス
身長 182cm
体重 74kg
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1976-1977 アルゼンチンの旗 フェロカリル・オエステ 5 (0)
1977-1978 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ・リバダビア 6 (2)
1978-1988 アルゼンチンの旗 フェロカリル・オエステ 424 (24)
1988-1992 アルゼンチンの旗 ウラカン 132 (8)
通算 567 (34)
代表歴
1984 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 3 (0)
監督歴
1993-1995 アルゼンチンの旗 ウラカン
1995-1997 アルゼンチンの旗 ラヌース
1997-1999 スペインの旗 マジョルカ
1999-2001 スペインの旗 バレンシア
2001-2003 イタリアの旗 インテル・ミラノ
2004-2006 スペインの旗 マジョルカ
2007 スペインの旗 ベティス
2008 イタリアの旗 パルマ
2008-2009 ジョージア (国)の旗 グルジア代表
2009-2011 ギリシャの旗 アリス
2011 スペインの旗 ラシン・サンタンデール
2011-2013 トルコの旗 オルドゥスポル
2013-2014 アラブ首長国連邦の旗 アル・ワスル
2015-2018 エジプトの旗 エジプト代表
2018-2019 ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン代表
2021-2022 コンゴ民主共和国の旗 コンゴ民主共和国代表
2023-2024 シリアの旗 シリア代表
1. 国内リーグ戦に限る。
しかくテンプレート(しかくノート しかく解説)しかくサッカー選手pj

エクトル・ラウル・クーペル(Héctor Raul Cúper、1955年 11月16日 - )は、アルゼンチンサンタフェ州出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF(センターバック)。アルゼンチン代表であった。

経歴

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選手時代

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アルゼンチン・リーグフェロカリル・オエステインデペンディエンテ・リバダビアそしてCAウラカンの3つのチームでプレーし、アルゼンチン代表としても5試合に出場した。

指導者時代

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アルゼンチン時代

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現役引退から1年半後、CAウラカンの監督に就任して指導者としての経歴をスタートさせ、CAウラカンを3年率いた。1995年にはCAラヌース監督に就任し、1996年にはコパCONMEBOL優勝を果たした。

スペインでの成功

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1997年に海を渡り、スペイン・リーガ・エスパニョーラRCDマヨルカ監督に就任した。就任初年度の1997-98シーズンにはプリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格したばかりのRCDマヨルカをリーグ5位に押し上げ、コパ・デル・レイでは決勝に導いた(FCバルセロナに敗れて準優勝に終わった)。1998年夏に行われたスーペルコパ・デ・エスパーニャではFCバルセロナに雪辱を遂げて優勝した。1998-99シーズンにはUEFAカップウィナーズカップに出場し、準決勝ではスコットランドのハート・オブ・ミドロシアンFCを破って決勝に進出したが、決勝でイタリアのSSラツィオに敗れた。同シーズンのリーグ戦ではリーグ最小失点の堅い守備の下、FCバルセロナとレアル・マドリードに次ぐクラブ史上最高の3位に躍進し、翌シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。

1999年夏にはバレンシアCF監督に就任し、堅守を基調としてサイドからのダイナミックなカウンターアタックを武器に、1999-2000シーズンと2000-01シーズンの2シーズン連続でUEFAチャンピオンズリーグの決勝に進出した。しかし、初年度は同じスペインのレアル・マドリードに、2年目はドイツのバイエルン・ミュンヘンに敗れ、RCDマヨルカ時代から続く決勝の壁を跳ね返せなかった。

インテル

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2001年には低迷していたイタリア・セリエAインテル監督に就任し、2001-02シーズンのリーグ戦は3位、2002-03シーズンのリーグ戦は2位とまずまずの成績を残した。試合中にピッチ上でタバコを吸いながら指揮をしている。2002-03シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは準決勝に進出したが、ライバルのACミランにアウェーゴール差で敗れてベスト4に終わった。2003-04シーズンは6節終了時に8位と期待を裏切り、成績不振により解任された。

スペイン再挑戦

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契約に関してインテルと揉め、解任から1年間はどのクラブも率いなかったが、2004-05シーズン途中に再びRCDマヨルカ監督に就任した。シーズン開幕から10試合を終え、RCDマヨルカは既に降格圏内に位置していたが、一時は残留を絶望視されていたチームを建て直し、終盤は大久保嘉人らの活躍で快進撃を続け、劇的な残留に成功した。2004-05シーズンはプリメーラ・ディビシオン残留を決め、2005年夏には多くの新加入選手を迎えたが、2005-06シーズンは再び残留争いに巻き込まれ、2006年2月に成績不振の責任を取ってRCDマヨルカ監督を辞任した。2007年夏にはレアル・ベティスの監督に就任したが、12月2日のアトレティコ・マドリード戦敗戦後に成績不振により解任された。

パルマFCとジョージア代表での迷走

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2008年3月11日、 ドメニコ・ディ・カルロ監督の後任として残留を目指すセリエAのパルマFC監督に就任したが、2ヶ月間で10試合を戦って2勝しかできず、古巣インテルとの最終節を前にして解任された。結局、パルマFCはセリエB(2部)に降格した。2008年8月1日にはジョージア代表監督に就任したが、在任期間中に1勝も挙げることができず、2009年末の契約満了とともに退任した。

ギリシャでの復活

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2009年11月3日、ギリシャ・スーパーリーグアリス・テッサロニキと1年契約を結んだ。同年12月15日には契約を2011年6月まで延長した。リーグ戦では5位となり、欧州カップ戦出場権を懸けたプレーオフではオリンピアコスFCを上回る3位となって、クラブ史上初のUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。同シーズンのギリシャ・カップでは決勝に進出したが、パナシナイコスFCに敗れて準優勝に終わった。2010-11シーズンのUEFAヨーロッパリーグ・グループリーグでは前年度覇者のアトレティコ・マドリードから2勝するなどし、6試合で勝ち点10を挙げて決勝トーナメントに進出した。しかし、同シーズンのリーグ戦では中位にとどまり、2011年1月に責任を取って辞任した[1]

3度目のスペイン挑戦

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2011年6月29日、マルセリーノ・ガルシア・トラル監督の後任としてラシン・サンタンデールと1年契約を結んだ[2] 。しかし2011-12シーズンは開幕から13試合でわずか1勝しか挙げられずに最下位に低迷し、成績不振により11月29日に辞任した[3]

トルコへ

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2011年12月9日にトルコ1部オルドゥスポル監督に就任。

エジプト代表

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2015年3月2日、エジプト代表の監督に就任し[4] ワールドカップへの本戦出場に貢献した。しかしグループリーグでの結果が目立たず、契約が更新されないままこの年で解任された[5]

ウズベキスタン代表

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2018年8月2日、ウズベキスタン代表の監督に就任した[6] AFCアジアカップ2019ではベスト16進出に貢献することができた。しかし同年9月、2022 FIFAワールドカップ・アジア予選パレスチナ代表との試合で2-0という敗戦のスタートを切ってしまい、23日に解任が発表された。

シリア代表

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2023年2月、シリア代表の監督に就任した。就任後初の試合となった同年3月のタイ代表戦で勝利を収める。その後はベトナム代表とバーレーン代表に敗戦し2連敗。3試合勝利なしと苦しんだ。

2024年6月11日、 エディオンピースウイング広島で行われたFIFAワールドカップ26アジア2次予選AFCアジアカップサウジアラビア2027予選日本代表と対戦した[7] 。結果は5-0と惨敗[7] 。第5節終了時点で3位の北朝鮮代表と1ポイント差で2位に付けていたシリアは、この後に行われる北朝鮮代表vsミャンマー代表で北朝鮮が敗れた場合、突破の可能性はあったものの北朝鮮代表が3-1で勝利したため、二次予選敗退が決定した[8] 。それに伴い、シリア代表の監督退任を表明した[7]

八百長問題

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2012年1月20日、イタリア検察の取り調べに対し、アルゼンチンとスペインでの監督時に、それぞれ2試合ずつの八百長に関連し、20万ユーロの報酬を受けていたと認めていたことが、明らかになった。詳しい時期やクラブの名前は明らかになっていない[9]

タイトル

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指導者

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CAラヌース
RCDマヨルカ
バレンシアCF

脚注

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  1. ^ 不振のアリス、クーペル監督が辞任 UEFA.com、2011年1月18日
  2. ^ クーペル氏がラシンの監督に就任 UEFA.com、2011年6月29日
  3. ^ ラシンのクーペル監督が辞任 UEFA.com、2011年11月29日
  4. ^ エジプト代表、新監督はクーペルに決定 Qoly、2015年3月3日
  5. ^ エジプトサッカー連盟、エクトル・クーペル監督を解任へ sputniknews.com、2018年6月20日
  6. ^ ロシアW杯へ導いた元エジプト代表指揮官、ウズベキスタンの監督に就任決定 フットボールチャンネル、2018年8月3日
  7. ^ a b c "「全く日本には及ばなかった」、日本に完敗で敗退濃厚なクーペル監督が辞任表明...". 超ワールドサッカー!. 2024年6月11日閲覧。
  8. ^ ゲキサカ編集部 (2024年6月11日). "北朝鮮が4大会ぶりアジア最終予選進出...森保Jに敗れたシリアは敗退". ゲキサカ. 2024年6月11日閲覧。
  9. ^ クーペル監督がアルゼンチン、スペインでの八百長関与を認める SOCCER KING、2012年1月21日

外部リンク

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タイトル・受賞歴
最優秀スペイン人選手
最優秀外国人選手
ブレイクスルー選手
最優秀監督
最優秀審判
 
クラブ監督歴
 
代表監督歴

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